ビルトニアの女
その花は咲き乱れ終焉を高らかに告げる【2】
 城に戻る途中の道で、菓子店から紙袋をかかえて出て来たヒルダとマリアに遭遇したドロテアは、
「お前、どんだけ食う気だよ」
「全部一人で食べるはずないじゃないですか! お疲れの皆さんに差し入れですよ」
「差し入れにしても多すぎるだろう?」
 マリアとヒルダが抱えている袋を見て疲れが襲ってきた。
「大丈夫ですよ! なによりセツ最高枢機卿が」
「セツがどうした?」
「意外とお菓子好きなんですよね。あのお顔だからお菓子とか一切食べないと勝手に思っていたのですが、旅の途中結構食べているなと」
 聞き耳を立てていた者たちが、驚愕の表情でヒルダの空気に消えた言葉を探す。顔と雰囲気と噂からして、セツは菓子を食べるようには見えないのだ。
「高位聖職者なんざ、過食と美食の肥満体だらけだろうが」
「その体型でしたら驚かないんですが、セツ最高枢機卿閣下は筋肉質じゃないですか。だから全く食べない人なんだろうなと思っていたんですよ。旅の途中勇気を出して”食べますか?”と聞いて良かったですよ。ちなみに勧めたのはエド法国に向かう途中で立ち寄った街のパン屋さんの自信作でバタークリームが山盛りに塗られているパンです」
「あの顔でねえ」
 ドロテアも食べたので味は覚えている。特別美味いわけではなかったが、たしかに甘みがあり、食べている姿を想像すると……表情には出さなかったが笑えた。
「もしかしたら、甘い物好きでもあのお顔だから我慢しているのかな? と思いまして」
「一生我慢させておけ。それが善良な市民の精神を保護することに繋がる」
 そんな事を話ながら三人は城へと戻り、買ってきた差し入れを交換しあった後、ヒルダとマリアは、ドロテアに言われた通りモイの家へとイリーナとザイツが操る馬車に乗り向かった。
 ミゼーヌやグレイ、バダッシュに差し入れを渡し、室内に居たはずなのに姿が見えなくなった奴について尋ねる。
「オーヴァートはどうした?」
「気が付くと居なくなっていました」
 お茶を用意しながら、ミゼーヌが申し訳なさそうに答える。
 大方”そうだろうな”と予想していたドロテアは、期待はしていないが一応行き先を書いたメモなどがないかを探すが見つかるものではなかった。
 篭に幾つか菓子を入れ、
「国王陛下”さま”のお仕事ぶりを拝見してくるぜ」
 行き先を告げて部屋を出た。
 ノックもせずに執務室の扉を開き、先に訪問し話をしていた秘書などを無視して、ソファーに腰を掛けて無言のまま待つ。
 話を早めに切り上げて部屋を出ようとする秘書に、
「聞かれて困る内容ではないだろう」
 ”フレデリック三世”は咎め、最後までしっかりと説明するよう命じた。
 かなりの時間をかけて説明をし終えた秘書は、部屋を出ることができてほっとした。ソファーに寝そべるように座っていたドロテアは不機嫌な表情など浮かべていなかった。それどころか表情がなかった。
 秘書はそれが恐かった。
 秘書はほとんど説明はできなかったが、誰もが理解できた。
 凍ったような表情でもなければ、不機嫌でもない。ドロテアという人間その物の美しさがあった時、それは恐怖となると。
 国王の御前から退出するには、不作法この上ない足の運びと急ぎようで部屋を去った秘書を見送ったあと、ドロテアは差し入れの品を指して、ミロは執務机から離れて近付く。
「モイは間違いなくローマン病だ」
「そうか」
「そして俺には治せない」

 ドロテアは造り上げる力の基礎を持っているが、使いこなす程の知力がない。ドロテアは”全知”ではないのだ。

「……そうか」
「お前なら理由、解るだろう? ミロ」
「ああ」
 それはミロにも解っている。
 力を手に入れることと、使えることは同じではないのだ。その二つを繋ぐことが出来る者は、極僅かであり選ばれた者だけ。
 ドロテアは美には選ばれた存在だが、それ以外の突出した才能は持っていない。
「誰か理論的にローマン病を治せる方法を考え出してくれたら、俺は治せるんだけどな。でもまあ、治す方法が思いつくってことは俺の出番じゃねえとも言える」
「そういうモンだよな」
 唯一の肉親が死ぬということ ―― それに対してドロテアはなにも感じることはない。その子宮を潰した時から、肉親という存在を”増やす”ことができなくなったその時から、ドロテアの覚悟は決まっていた。
 両親は年老いて死に、全ての親戚は魔物に殺害され、妹のヒルダは聖職者の道を進んだ。聖職者となったヒルダは同じ信仰を持つ者たちと家族となる。婚姻などに興味を持つものは少ないし、教義的に婚姻はあまり良い顔をされない。
 親孝行などするつもりもないが、親よりは長く生きてやろうと企んだ結果、一人きりとなると解っていた。
 ミロも似たようなものだった。
 ミロ自身一人になることが解っていた。国王として王妃を迎え得るものは、ミロにとって家族でも肉親でもない。
 本当に得た時にはまた考えも変わるかもしれないが、現時点でミロにとっては王妃もなにもかもそのような位置付けであった。
 肉親は伯父のモイ一人。
 いつかその伯父がいなくなることも解っていたのだが覚悟を決めていることと、直面することは違った。
 ミロは伯父のもとに駆けつけたかったが、自らの心に問いかけ拒否した。己がここから「一人」になることを自覚するためにも、ただ一人の肉親には会わないと、玉座に就いたときから決めていた。

―― 隣にいる王妃が……

 望んだ誰かであったなら、会いにいった。もう言っても仕方のないこと。

 モイは誰よりもこの甥のことを知り、自らが死の床にありながらも的確に心配している。だが的確であり、心配できるだけで「道を違える」こと”そのもの”を阻止はできない。
「どうした? ドロテア」
「いいや……潮風が心地良いなと思ってな」
 窓から迷い込んできた潮風に目を細めつつ、昔食べた菓子をミロに投げつける。
 ミロが道を違えるだろうと、ドロテアも感じていた。はっきりと言う程ではないが、違えてしまう理由を知っているから感じたのだ。
 理由は”自分が居なくなること”
 他の男と結婚している自分に向かって、未だに愛しい女と言い続ける男が国王である理由。それが己に認めて欲しいことだと解っている。
 その成果を褒められなくても自分の前に見せたい。だが見せる相手がいなくなった時、この男は何処へと進むか?

 モイは解っていた。ミロのこともそうだが、ドロテアのことも。この女が大陸に残るような女ではないことを。
 甥の人生を見届けてから消えてくれたら良いのにと、願っていることをドロテアは解っていた。
 だがドロテアは無視する。むしろミロ・ヴァルツァーという男が何処へと進むのか、解っていながら見たい気がしてならなかった。
 それはオーヴァートの後ろ姿を思い出させる、破滅を望む感情。ほろ苦いわけはなく、さりとて甘いわけでもない。
「なあ、ドロテア」
「なんだよ」
「エルセンに戦争を仕掛けて”やる”べきか?」
 そしてミロも破滅の後ろ姿を視界に捕らえた。
 世界は皆「良い子」だった。魔王という存在を前にして倒さねばならない、その為には兵士を集めてなにをして……と。
 四十年近い間恐れられていた魔王はなくなり、魔帝がとって変わったが、一人の女が神の力を得た。この女ならば殺せるだろうと思わせる実力。普通に見れば悪人に列せられるドロテアだが、その過去も含めての信頼。
 信頼など向けられた方は、そんなものは一笑に付すであろうが。
 魔帝の存在が消え去れば、世界は戦争が渦巻く。最早回避できない、セツが企てた宗教戦争。私心なき冷酷さでつき進む戦争とは反対の、ミロの中の混沌とした感情がはけ口を求める為の戦争。
「仕掛けて”やる”ねえ」
「リュイが」
「トリュトザがどうした?」
「フィアーナを他国の男に嫁がせると言い出した。もう年も年だから当然だろう」
「なるほど。相手の男は誰だ? 名前はオットーとか言うんじゃねえだろうな」
「当たり、だ」
 破滅を望む皇帝の後ろ姿は遠ざかるのに、人々はそれを追いかける。
 だが世界は”正常”に動き始めようとしているとも言えた。
 戦争が正常というのも皮肉だが、魔帝なき後の世界を見る者が増えた結果、争いが大陸中に散って行くその有様に、ドロテアは背筋がぞくりと冷たさと同量の快感が通り過ぎた。
「でかく出たな、トリュトザの奴。王者の器じゃ無い者同士、話が合ったとは思えねえなあ。互いに見下し合って話がまとまったってとこだろな」
 ミロは重要な報告をいくつか受け取ったあと、トリュトザ侯から直接この話を聞いた。正しくは”娘を結婚させようと考えている”と。口調からこれが最後の打診であることはミロにも解った。自分の娘を王妃に迎えろと、圧力ではなく不穏な気配が端からこぼれ落ちるような話し方。
『誰と? 私ではないことは、私がよく知っている』
 トリュトザ侯が相手として名をあげたのは、元エルセン王族オットー。
 母親がマクシミリアン四世の父親の姉にあたる”だけ”の人物。王の器でなければ、
「王の器じゃないどころか、人の器ですらない男じゃねえか。俺が言うのもおかしいが」
 ドロテアが言う通りの人物。
 ”俺が言うのもおかしいが”の部分でミロは大笑いした。
 だがそれは心の底からの笑いではない。大げさな動きで笑った後、その笑いが嘘だったのかと感じさせるような表情となった。表情が戻るのではなく変わった。
「トリュトザの一族を処刑したらどうだろう?」
 モイが恐れてたミロの行き着く先 ――トリュトザ侯の一族の殺害――
 ドロテアを失ったその時から枯れていった心に、トリュトザ侯の不服の火種が、火をおこしかけていた。
「根本的な解決にはならねえな」
 ”止めて”といって止めるような男なら、口に出したりしない。考えを変えることを目的とした説得など最早時遅し。
 心の底で止めて欲しいと願っている者なら、もっと前にこの話題を切り出すだろうと解る程に。
「オットーを殺すしかないから戦争を仕掛ける……か」
 オットーとトリュトザ侯の娘フィアーナが結婚する理由は、エルセンかパーパピルスどちらか、あるいは両方の王座を狙っているとしか考えられない。
 強い線ではパーパピルス王国。
 元々王家とも繋がりのある世襲大臣の家柄である侯爵家。
 夫は認定を取り消されたとしても、エルセン王族だった男。
 血筋や継承などをねじ曲げられると信じて、手を結んだのだ。それとパーパピルス王家は現法王と同派。
 法王の寿命があと数年で費えることなど、彼らは知らないために、行動に移し完了するまで生きていると、勝手に思い込んでいる可能性が高い。
「だが俺がオットーを殺害を目的とした戦いを仕掛けると、エルセンの王位狙いだと思われるな」
「そう思われたらどうだ?」
「そんなことしたら、全力で戦いに来るだろう。俺はエルセン王は嫌いだが、エルセン国民は嫌いじゃない」
 国王の座に興味はないが、国民の生活を見捨てることは出来ないくらいに、責任感は篤かった。それは自分の国だけではなく、瓦解しかかっている隣国に対しても同じ感情がある。だがその感情、国王として語ると十年以上の確執により簒奪の意思に取られてしまう。
「オットーか。思えば大きな災いだな。母親はこの息子がいたせいで処刑されるし、マクシミリアンは手足を失う。そして今フィアーナと共にお前の前に立ちはだかろうとしている。しているだけだろうが、被害そのものは出ると……」
 オットーの身柄を要求することはミロにはできない。パーパピルスで犯罪を犯したわけでなければ、反逆に関係しているわけでもない。フィアーナと結婚したら危険視もできるが、現段階ではそれも大っぴらに言えない状況。
 なによりこの状況を作ったのが、自分自身にあることをミロは理解している。
 フィアーナを王妃に迎えていれば、この状況は回避できたのだ。
 ならば今、国王としてフィアーナを王妃に迎え入れればいいのではないか? というと、その段階はとうに終わっている。
 王が不在の間に大臣が許可も得ず、娘の婚姻話を国外に持ち出した時点で、二人の関係はもう終わりなのだ。
 悪いのは誰だったか? と聞かれれば、ミロは自分だと答えることは”できる”が、それでも悪いとはまったく思っていない。
 原因である自分の感情が悪であると、国王が感情を持つなと言うのなら、自分を国王に添えねば良かったのだと。そしてトリュトザ侯の行動も感情であろうと。
 パーパピルス王国はエルセン王国を巻き込みつつ、その形を変えてゆく。
「オットーにはオットーなりの言い分もあるんだろう。オットーの母親・ヘレネーがマクシミリアンを殺害しようとしなければ、パーパピルス王位に就くことは困難だろうが出来ただろうに。俺よりもずっと推してくれる人が大勢いただろう。でも……これに関してはヘレネーに感謝している。あの男にパーパピルスは渡したくはない……そう言いつつ、俺は王位は欲していない。なんだろうな……どう言えばいいんだろう」
 感情は全てが一定の方向に向き、規則正しく進むものではないのだと、ミロは理解しつつも、その感情を持て余し飲み込まれていた。
「ヘレネーがいなけりゃ、マクシミリアンがパーパピルス王国を併合……となりゃあ、それはそれで立場悪いよな。併合国を下に見て、苦役を押しつけるとも限らない。結局この問題は、夢見るような解決策はねえよ」
「そうだな……だから俺は、マクシミリアンが健在であるうちに戦争をして、オットーを殺害するのが最良だと考えた」
「ソレが本意ならやれよ。だがお前の本意はトリュトザを、そしてその一族を殺すことだろう?」

 本心はトリュトザ侯の殺害

 ミロは答えずに、視線を水平線へと向けた。ドロテアはというと、気にせずに腕を組み直して話続ける。
「フィアーナとオットーの結婚条件を、マクシミリアンの暗殺とする手段もある。この場合お前が一枚噛む必要があるがな」
 言い聞かせるわけではなく、諭すわけでもなければ、まして阻止しようとは思っていない。
 予想される未来を並べて、好きな物を選べとドロテアは問いかけた。
「良く言ってやりゃあ、オットーは喪失を取り戻すため。マクシミリアンが肢体の欠損を埋めるために、パーパピルス王位を欲したように、オットーは自分の失態ではなく母親の暴走で失った身分を取り戻すために王位を求める……あの野郎には過ぎた理由だ」
「そうだな……それに、俺はどうしてもオットーだけは国王にはしたくない」
「じゃあマクシミリアンに”オットーを殺したら、パーパピルス王国もあげる”って言ってやれよ」
「だからそれも嫌なんだって」
「どうにもならねえよな……面倒だ、復讐しろよ。戦争もそうだろう、機会を逸し遅れて攻撃を開始したら被害は拡大の一途を辿るもんだ。復讐も同じだ。その時に殺していれば、これから戦争なんて大事を仕掛けて殺す必要はねえんだ」
「……」
「トリュトザ殺せよ。理由もなにもなく、殺しちまえよ。それで気が済むなら。ま、その後になにが待っているか? が解るから出来ねえんだろうけどよ」
「復讐か」
「復讐だろ。その原因の俺が言うのも滑稽だけどよ」
「……」
「してみろよ、復讐。その先にあるものは、まあ……悪くはねえ」
「ドロテア、お前が辿り着いた場所は?」
「神がいない世界だ」

 立ち去るドロテアを見送った後、急ぎの用事ではないが”国王”が目を通す必要のある大量の書類が待つ机へと戻った。

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