ビルトニアの女
レクトリトアード【13】
 それは、ほんの些細なこと。
 先頭を歩いていたのはマリアで、階段を気にしながらも半分は後ろを向いて話かける。
「ミゼーヌ、ちゃんとご飯食べてる?」
 話しかけられたのはミゼーヌで、マリアより二段下に立っていた。
「あー食べてません」
「駄目でしょう」
 その二人の後ろをついて行くのはレクトリトアード。
 クラウスはエルストの飲んだ水の代金を支払っていた。要らないと言われても、払っておいたほうが後々問題が起こらなくていいだろうと言うことで。
「俺、ほら金持ってないから」
「私が払っておく」
 それを見ていたのはヒルダ。

「全員立ち止まってください! 動かないでください!」

 ヒルダの大声に驚き、フロアにいた者のほとんどが言われた通りに動きを止めた。
「どうしたの? ヒルダ」
「マリアさん。そこから動かないでください……あ、階段のところにいる三人以外は動いてもいいですよ。大声あげて済みませんでした」
 そうは言われても”あれ程”の大声の後では動くのも躊躇い、なにより声の理由を聞きたいと考える。
「どうしたの? ヒルダ」
「エルストさん! クラウスさんも! 階段のところにいる三人を見て下さい」
 ヒルダに言われた通り、二人は階段に視線を移す。
 フロアにいる言われていない者たちも視線を移す。そこには勇者と天才と美女が居る。
「見たよ」
「あのですね! 三人とも見かけの身長、同じですよね!」
「段差で同じに見えるな」
 この六人のなかでもっとも身長が低いのはヒルダで、もっとも身長が高いのはエルスト。
 男性だけで比べると、エルストの次がレクトリトアードで、その次がクラウス、そしてミゼーヌの順で低くなる。
 女性はマリアの方がヒルダよりも身長はある。
 マリアは女性にしては背の高いほうだが、女性という範疇に収まる背の高さ。背が高すぎるようなことはない。
 ミゼーヌはここではもっとも背が低いのだが、エルストやレクトリトアード、クラウスの背が高いだけであって、決して低いわけではない。
 当然ながらミゼーヌとマリアの身長を比べると、ミゼーヌのほうが高い。
「”段”が違いますからね」
 クラウスはヒルダがなにを言おうとしているのか? 良く解らなかったが、なにかを言おうとしていることは解った。
「ミゼーヌさん」
「なんでしょうか? ヒルダさん」
 ヒルダは両手を合わせてから、魔法の基礎中の基礎。土台になる呪文を唱えて、肩幅ほどに手のひらを開いた。
 魔法としては珍しいものでもなく、階段もかわったものではない。
「魔法って普通、高さが同じですよね」
「そうですね。基本魔法は引き合うわけですから」
 手と手の間に魔法という力を存在させるのだから、大体の人間は手のひらがほぼ同じ位置にあるようにする。
 ヒルダは魔法を潰し、
「ホレイルって、国の首都のなかではもっとも低い位置にあるんですよね。地位とかじゃなくて、存在している場所が」
 防波堤が壊れて苦労していたホレイルのことを思い出しつつ、その防波堤の中にあった”棺”に近付いてゆく。
「もっとも低いです」
「前に姉さんに聞いたことがあるんですが、トルトリアは普通なんですよね」
「……そうですね」
 ミゼーヌは首を傾げ、マリアは降りてきた客の邪魔にならないように下にいる二人に脇によけるよう指示を出す。
 降りてきた客は、室内の異様な雰囲気に周囲を見回してから、その空気の元である階段そばから店の奥へと早足で進む。
「ホレイルで見つけた棺が吊されていた高さって、トルトリアの首都の高さと同じじゃありませんか?」
 ヒルダは身長が違う三人の頭の位置が同じ所にあるのを見て、棺もそうなのではないか? と思いついたのだ。
「……」
 シュスラ=トルトリアの棺が持つ魔力を高めるという特殊な力。それが魔法の一種だと考えると、他の二つの棺も反応しやすい位置にあると考えるのが妥当だ。
「最後の一つは低い位置に置かれているのではないでしょうか?」
 なによりも他の二つの棺は、見つけて貰わなくてはならない。
「そうかも知れません。それにシュスラ=トルトリアの棺はその”ヒント”の役割も持っているために、あれほど目立つ場所にあり《魔力を高めることができる》という特別な力を時間限定的ながら発揮していたと考えると、納得が出来ます」
 ミゼーヌは棺のある”深さ”は解った。あとは場所だけ。

―― この“五角形の棺”はこのエド法国に眠る初代エド達の棺を模して、後からつけられたと言われている ――

 話を聞いていたマリアは、このカジノに息を切らした後にやってきたことを思いだしていた。あの時見た「地図」と、この首都の形。
「ミゼーヌ!」
「どうしました? マリアさん」

―― エルセン王国との国境に近い北部に、北東から南西に掛けて地図で見ると斜めに存在する ――

「エド首都って、地図でみるとかなり斜めで変わった形してるわよね!」
 首を百八十度ちかく動かして答えるミゼーヌ。
「そうですね。北東から南西にかけて……」
「ここの首都って”五角形の棺”が長方形の短い部分についているけど、この棺の向きって、丁度ホレイル王国の首都と、パーパピルス王国の首都の方を向いていない?」
「……」
 ミゼーヌの頭の中に地図が広がり、そして方角と距離を計算し始める。それは難しいものではなく、簡単な部類に属するもの。
 だがわき起こる感情は”なぜこんな簡単なことに気付かなかったのか?”ではなく、内面を舐めるのは”狙いすましたような瞬間に答えが出るように動いている”という恐ろしい感触。
 誰かに動かされているような、誰かの描いたシナリオ通りに進んでいるような得体の知れない恐怖。
「そうかも知れません。いいえ、多分そうです」
 言ってしまえば”偶然”
 深く考え過ぎだと言われてしまうだろうと、得体の知れないそれを飲み込んで、
「ドロテアさまとオーヴァートさまの所へ戻りましょう!」
 全員階段を駆け上がった。 

 本当に些細なことだった。階段をマリアが登り、ミゼーヌが登り、レクトリトアードがその後ろにいた。それをヒルダが見た。
 それだけのことだった。

 エド法国の地図と、大陸全土の地図、そしてパーパピルス王国の詳細な地図を広げた隣に、パーパピルス王国の気候風土にもっとも詳しい国王を置いて、ミゼーヌの話を確認しながらドロテアは聞いた。
 手甲を嵌めた硬い指がテーブルを叩く音だけが響き、
「間違いねえだろうよ」
 立ち上がり”アレクサンドロス=エド”の棺を叩く。
 皇帝金属という括りにありながら、作った者が違う別の金属は両者共拒み、光の膜が何度か通り過ぎた。
「イリーナ、ザイツ。明日までに旅の用意できるか?」
 行き先はパーパピルス王国エヴィラケルヴィス。決まったらすぐに動き出すのがドロテアだ。
「ルートは?」
 ザイツの問いにドロテアは窓の外を指さす。
「空に船を飛ばす。行程は五日」
 イリーナとザイツは顔を見合わせてから頷き”用意してきます”と部屋から駆け出す。
「さてと、セツの野郎から使用許可でも貰うか」

**********


 クレッタソスの港の端に、廃船間近の船が一隻係留されている。正確には間近というよりは、廃船になるのを待つだけだったのだが、枢機卿セツの名で”廃船を一隻用意せよ”なる命が下ったので急遽港の端に係留されることになったのだ。
 当初は本当の廃船ではなく、中古くらいにしたほうが良いのではないかと思った者もいたのだが”廃船だといったら廃船だ。気を回すな”と厳命が下ったので、抗わず正直に廃船を用意しておいた。
 エド法国内最高権力者の命で係留されている船なので、どれほど”ぼろ”かろうとも、警備はつく。
「この船、なんに使うんだろうな」
「なんだろうな」
 木箱に座り警邏の槍を持ちながら、背後に船が波に揺られる聞き慣れた音を聞いていた警備二人だったが、
「なんだ?」
「……?」
 徐々に聞き慣れない音になり”なんだろう”と背後を振り返り、驚きに目を見開き、槍を落とした。
 廃船が海面を離れ、係留していた縄が張る。
 これ程張った縄が切れれば反動で自分たちに襲いかかってきて死ぬかも知れないという恐怖を感じたのだが、まったく足が動かない。
 灯台でも確認できるほどに上昇した船。
 どうやって周囲に注意を促せば? なにに注意を促せばいいのだろうか? 灯台守はなにも思いつかなかったが、とにかく危険だろうと銅鑼を叩かせた。人々はそのくらいしかできなかった。
 フジツボがびっしりとこびり付いた、藻に覆われた船底が人々の前に現れ、そして空を航行し始める。
 魔法で動く船は珍しくはないが、船を上空高く見上げる程に《上昇》させるのは、人間では不可能。魔法使いが多い海賊国家のハイロニアでもやらないような芸当。
 船が消え去ったあと、警備たちはくさびと繋がっている縄を見ると。海に落ちていた。それを二人で引き上げる。
 係留していた縄には切れたところはない。
 その時二人は気付いた。船の碇が上げられていたことを。
 碇を上げ、縄を外す。
 二人はそれ以上考えようとせずに濡れた縄をくさびから外そうとしていると、次々と港にいた船乗りや他の警備が現れて、今の出来事を二人に聞いてきたが、
「気が付いたら飛んでた」
「解らない。全然解らない」
 二人も解らないことばかりで、答えられるはずもない。
「神の力を手に入れた方か、皇帝か……」
 港にいた者たちはその日の夕刻過ぎに、枢機卿セツがドロテアが操る廃船でパーパピルス王国へと向かったと聞かされて、その時真実を知った。
 普通なら疑うような真実だが「ドロテア」という女なら、その程度のことはやってのけるだろうと、誰も疑わずに受け入れてしまった。

 港にいた者たちを驚かせた船は、出来るだけ人気のないルートを通り首都へとやってきた。
「一度結界を外せ、セツ」
「解った」
 船は結界を外された首都に乗り込み、そして広場へと降ろされた。
「ヒルダ、あの広場にあるもの何に見える」
「船です、マリアさん」
「そうよね。どう見たって船よね」
 船が来ると聞いていた二人ですらこの状態なのだ。街に住んでいる、前もって聞かされていない者たちは驚きで声もでない有様。
 ドロテアはポケットに両手を突っ込んで、自分で呼び寄せた船をやや離れたところから見て、
「上手く接地できたようだな」
 船体が真っ直ぐになっていることを確認した。
「そんなに神の力って使うの難しいもんか?」
 エルストが額のあたりに手のひらで”ひさし”を作り、ドロテアと同じように船を見ていた。
「やったことないからな。”思い通り”に動くが”思い通り”が曖昧になると、どうにもならねえな」
 廃船を空に舞わせ、空中を航行させ陸地に真っ直ぐに降ろし、体勢を保たせる。
 華麗な妙技は”神の力”があるからと簡単に人々は納得するが、それほど簡単ではない。船を係留している縄を遠隔操作で外し、同時に碇をあげてから上空に持ち上げ、人気のないルートを地図を見ながら脳で指示を出す。距離はもちろん高度も考慮しなくてはならない。
 船を陸地に置くときは、上空に持ち上げる時以上に注意が必要となる。
 誰も出来ないことを、自分の持っている知識のみで行うということは難しく複雑なのだ。

 広場周辺には船を見に来た者たちと、
「ヒルダ、なにやってんだ?」
「皆さんとフジツボ狩りですよ」
 ヒルダ率いる、フジツボ狩り隊が。
「これだけあると、食べ応えありそうですよね」

 ―― ヒルダ、やっぱり食べるんだ ―― エルストは思ったが、もちろんなにも言わなかった。
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