ビルトニアの女
神の国に住まう救世主は沈黙の果てに飛び立つ【23】
翌朝、ドロテアが架けた海峡を渡る 《大地》 の前には多数の人々がいた。その人々は、通るために架けた一行が来たことを知ると、無言で道を空ける。
「躾けてもいねえのに、躾された犬よりも良く動くじゃねえか」
「ドロテア、そりゃあ、まあ」
ちょっとでも邪魔しよう物なら、この人が怒鳴る事は誰もが理解するところ。
馬車を引いてイリーナとザイツが 《大地》 に登った。
「……」
眼前に広がる誰も歩いたことのない大地に足を踏み出す。
「何か、感動するなあ」
「本当に」
驚きと喜びの表情を互いに見合い、頷き前を向いて歩く。
「乗ってください」
言われてから次々と自分の荷物を持った、同行者達が乗り込む。
「何でミロやバダッシュが付いてくんだ」
「それよりもオーヴァートとヤロスラフは何処に居るんだろう?」
そろそろミロとバダッシュにお前等帰れよと言いたいドロテアと、ドロテアに攻撃を仕掛けた後、行方不明になったオーヴァートとヤロスラフを一応心配しているエルスト。
別に心配しなくても、この馬車の到着場所に既に立っている可能性が高い二人なのだが、心配してみた。
「さあなあ……」
そう言い、空を仰いだ後、二段ほど高い 《大地》 から振り返り大きく息を吸い込み、
「勝手に歩くんじゃねえぞ。命の保証はしねえからな」
そう威嚇して背を向けた。
ざわついていた人々は一斉に静まり返る。
「何仕込んでるんでしょうかねえ?」
姉のえげつなさを良く知る妹はそう言い、
「さあ。何も仕込んでなくても、ドロテアに言われたら誰でも警戒すると思うわ。しない人はバカね」
ドロテアの性格を良く知っている親友はそう呟いた。
静まり返った群衆を抜けて、聖騎士と共に 《セツ》 を見送りに来たクナが、何故かドロテアに声をかける。
「気をつけてな」
体面上はセツなのだが、セツよりもどうしてもドロテアと話がしたかった。
「手前もな、クナ」
「ああ……本当に無事で戻ってきや……」
何を話したいのかを考えて来たクナだが、結局の所ドロテアの前に全てが消え去り、平凡な言葉しか思い浮かばない。
「誰に向かって言ってんだよ」
「必要なくとも声をかけたいのじゃ。行ってきや、何処までも」
その言葉にドロテアは一瞬だが笑顔をクナに向け、
「馬車を出せ!」
ネーセルト・バンダ王国へと出立した。
エルベーツにあるはずの無い橋を架け、そこを突き進む一行。
少し遅れて、
「置いていかないで! ドロテア」
楽しそうな声を上げてオーヴァートが、ヤロスラフと共にクナ達見送りの者の脇を、海風とは違う ”風” のように通り過ぎ、ドロテアの乗っている馬車を追いかける。
「オーヴァート! 貴様のせいで!」
馬の駆ける速さなどこの二人には、何の障害にもならない。
事実クナの脇を駆け抜けていったヤロスラフは笑顔だった。
二人の声が聞こえたドロテアは、走っている馬車の幌に上手いこと登り腰をかけて ”早く来いよ” と無言のまま指示を出す。
かつて共にエド法国にいた頃に見た 《聖騎士にして僧正、そして選帝侯ヤロスラフ》 と同一人物とは思えない程の笑顔で。
あの男は、あのような笑顔を作る事ができたのかとクナは驚く。
『かつては……であったが、今思えば面白みのない男だったのに。妾は今も面白みのない王女であったが』
長いマントが疾走に道と平行になり、右側を向き 《皇帝》 に怒鳴り付ける男。 二人は馬車に追き幌に座っているドロテアの両脇に着地した。その声はもうクナには聞こえない。
黒いマントが舞い上がり左側に、黒く艶やかな髪が舞い上がり右側に、空から魂を運ぶ黒い鳥たちの羽が舞い落ちる。
海風を背にドロテアは、魂を運ぶ黒い鳥のようであった。
「楽しそうだな……いや楽しいのであろうなあ……徐々に死地へと向かう旅だというのに、何故あれ程までに楽しそうなのだ」
そのまま馬車は小さくなり、何時もの波音と鳥の声しか聞こえなくなった。
「枢機卿閣下……」
絶え間なく寄せては帰る波と同じように揺れる背の短い草。 ”歩くなよ” と言われてている事を知っているが、クナはそのドロテアが作った大地の橋をよろめくように歩き先を見つめる。
「妾には解らぬが、憧れる。解らないから憧れるのか」
クナの問いに答えられる者は誰もいない。
**********
空を飛ぶ海鳥よ
どうか私を大陸へ連れて行ってくれないか
この高き山を その翅で
越えられぬこの高き高き山を 荒れ狂い 船の通られぬ海を
あの大陸へ あの大陸へ
私を連れて行ってくれ
空を飛ぶ海鳥よ
どうか私を故郷に連れ戻してくれないか
ああ遠き故郷に 思いを馳せる
もう戻れぬこの身は 大陸で眠りに付いて 私の思いだけが
あの島へ あの島へ
私は戻ってゆけるのだ
**********
灰色の空と海にかかった緑の道。クナの視線の先にはもうドロテア達の乗っている馬車はない。
黒い鳥たちの鳴き声と、荒れた波音を聞きながら、自らが永遠に訪れることのない国と繋がっている道の果てをクナは飽きることなく身が冷え切り、戻ることを促されるまで見つめていた。
第十五章 完
【神の国に住まう救世主は沈黙の果てに飛び立つ】
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