ビルトニアの女
神の国に住まう救世主は沈黙の果てに飛び立つ【12】
 あまり役に立たないホレイルへの援軍「オーヴァートと何をしに来たのか良くわからない男達」から遅れること二時間、エド法国聖騎士の一団が到着した。
 異変を察知した法王が命じ部隊を編成させて、クナを指揮官として聖騎士の一団をゲートを開いてホレイル王国へと向かわせた。
 本当はもっと近くに送り届ける予定だったのだが、先に到着していた役に立っているのかいないのか解らない面々の最年長者・オーヴァートの力に阻まれ、当初予定していた場所よりもかなり離れた場所にしか到着させることができなかった。
 そこから一団は急いでホレイル王国の首都へとひた走る。
 途中で退却するかのような魔物の一群と出くわし、身を潜めてやり過ごして再び歩き出した。
 その一行の足が止まったのは、視界にホレイル王国の首都が捉えられる距離に来た時。
「……城が」
 過去の姿を知っている者達は、皆声を失い歩みを止めた。
「クナ枢機卿」
 先年里帰りした時と全く変わってしまった街の景観に知っている者達は驚いた後「ホレイル王女」であるクナに向き直る。
 法王の手によって送り届けられた者達の中で、誰よりも深く驚き声を失っていたクナは、皆の視線に ”指揮官” としての責任を思い出し、胸元に下げていた聖印を握り締めて、もう片方の手で顔を隠しているヴェールを引きちぎり叫んだ。

「魔物共め! 城まで消し去るとは! ゆるさぬぞ!」

 いや、城を消失させたのはオーヴァートです。

**********

 敵が一時的に撤退したのは、レイに味方の大半を殺害されたこともあるが、オーヴァートの存在が大きい。
 城を消し去った 《力》 を前に、己達の持つ力の減少を知ったので、指示を仰ぐ為に戻ることにした。
 本来ならば特殊な能力で命令を伝える事が出来るのだが、同じ皇統である法王の力も制限する程のオーヴァートを前に彼等の特殊な力など無いに等しい。
 オーヴァートが城に向かって力を使ったのは無意味ではなかった。尤も城に向かって使う必要も無かったのだが。
 敵の真意を知るたった一人のオーヴァートは、敵の撤退を見送った方向に、ホレイルに向かっている聖騎士の一団を確認して、悪戯心が再び沸き上がって来て、
「やっぱり、あっちも壊そう! 海水ざばー!!」
「止めて下さい! オーヴァート様!」
 騒ぎ始める。
 だが敵が引いたこともあり、レイがオーヴァートを抑える事が可能になった。
「オーヴァート卿! 落ち着いて下さい」
「落ち着きのある俺など、俺じゃない! それにヤロスラフは絶対に城壊していると思ってる! 家臣の期待に応えてやるのも主君のつーとーめー!」
 レイは当初 ”オーヴァート卿を取り押さえて良いのか?” と及び腰だったのだが、
『大丈夫! お前はもう近衛兵じゃないし、何より! オーヴァート卿を取り押さえておかないとドロテアに叱られるぞ! 良いのか! レイ!』
 同僚だったバダッシュの見事なまでの脅しでレイは動いた。
「主君の務めであっても! ドロテアが怒ります! オーヴァート卿! ドロテア幸せになれって言ってたじゃないですか!」
「うわ−恥ずかしい事、思い出して言ってくれるな! レイ!」
 ドロテアの結婚式を常人では見えない距離から眺めながら会話を交わしていた二人は、羽交い締めしつつ、されつつ城下町を走り回る。
「無意味なのか……」
 エルセン王国を走り回って破壊したレイと、それ以上の力を持つオーヴァートの全力疾走は、破壊の嵐でしかない。
 眺めながら止めようとしたバダッシュは呟き、
「無意味のようです」
 クラウスは目を背けた。
「ああ、惨すぎます。あまりにも惨すぎます」
 ミゼーヌは破壊されてゆく建物を前に泣きながら呟き、その隣に立つグレイはミゼーヌにかける言葉もない。
 その頃ミロは既に諦め、
「ご無事でなによりです、ベアトリス女王」
 パーパピルス国王として、ホレイル女王に挨拶に向かっていた。
「フレデリック三世。このような時においでになるとは。もてなしは出来ぬが、ご容赦いただきたい」
 埃まみれの老女王は、それでも矜持を失わず優雅に挨拶を返す。

”ご容赦いただきたいのは、コッチですよ女王。早く戻ってきてくれ! ドロテア!”

「だから俺に問題投げるなっての」
 馬車で靴を脱いで楽に座っていたドロテアはゆっくりと、恨みがましく口を開いた。
「どうしたんですか? 姉さん」
 地を這う声に同乗していたヒルダが尋ねる。
「いや、何となく……ホレイルにいった奴等がオーヴァートを持て余しているような叫び声が聞こえてきたような」
 同乗している残りの二人、ヤロスラフとセツはドロテアの言葉に視線を交わし、そして背けた。
 本当はヤロスラフの作ったゲートで即座にホレイルに向かう予定だったのだが、オーヴァートが阻害していて不可能だった。
 セツも協力したのだが、オーヴァートの悪戯の前には無力。
 それでも力を合わせて何とかギュレネイス皇国の外れまではゲートを開くことが出来たのだが、
「これ以上は近寄れない……申し訳ないドロテア」
 残りの行程は馬車で踏破するしかなかった。

「……イリーナ! ザイツ! 最速でホレイル首都に向かうぞ!」

**********

 突如ホレイル王国を襲った魔物達に、身を隠すのが得意な盗賊達は息を殺して過ぎ去るのを寄り合いで待っていた。

「どうやら助かりそうだぜ。エド法国の聖騎士団以外にも強いのが来てるみたいだ」
「やれやれ。運よくエルセンが襲われる前にホレイルに来れたってのに、ここでまで襲われるたあ」
「案外お前を狙ってんじゃねえのか」
「まさか、俺なんか狙う価値もねえよ」
 各国にある盗賊の寄り合い。
 地下にあることの多い寄り合いは、ホレイルでもやはり地下にあった。少々違うのは他の寄り合いは地上部分に、暗号を取り次ぐような “店” が置かれているのだが、ホレイルの寄り合いは堤防の下にある。
 寄り合いの上にある堤防は外側からの入り口がなく、他のブロックとの接続面だけに行き来できる扉が設置されている。
 潮が引いている時にしか出入りできないその場所で、意気地がないと言われても仕方ないが彼等は騒ぎが収まるのを待っていた。彼等は盗賊であって戦うことに慣れているものは少ない。
 山や街道にいる追い剥ぎやら、強盗団は別だが普段は一人で、たまに大きなものを盗む時にパーティーを組むような “本当の盗賊” にとっては、この状況は力無い町人となんら変わらない。
 ただひたすら “待つ” しかない。その待つ先にあるものが、敵が滅びるのか自らの死なのか解らなくても、何もできない。
「そりゃそうだ。それにしてもお前、その瓶の中身は “慈悲の粉” だろ? 売らないのか? それだけありゃあ、暫く豪遊して暮らせるぜ。それとも誰かを殺す気か?」
 ホレイルの寄り合いのオヤジと呼ばれる顔役は、エルセンから来た盗賊が後生大事に持っている小瓶について尋ねた。
 声をかけられた盗賊は机の上にコルク栓をした小瓶を置く。“慈悲の粉” と呼ばれた白い毒薬が入っているそれに人差し指をおいて動かしながら、欲しそうな目で見ている顔役を威嚇する。
「誰も殺しはしねえが、売りもしねえよ。こいつは死んだ女に “絶対に返して” って頼まれている品なんだ。ここに《皇帝》が来たそうだから、待ってりゃあ目当ての人に返せそうだ」
 《皇帝》 と聞き、顔役は今にも伸ばしそうだった手を懐にしまい込む。
「皇帝と目当てって……返す相手って女か?」
 目の前にある “小指の爪ほどで人を容易に確実に殺せる” 毒薬と最後の皇帝を結ぶ 《女》
「そうだ、返す相手は女だよ。盗んだりするなよ、オヤジ。俺はこれを返してくれと “あいつ” に頼まれて “あいつ” に渡した女も返ってくることを知っている……盗んだら殺されるんじぇねえかな?」
「嘘はついてねえな」
「ああ……嘘だと思うなら、俺から盗むと良いぜ。その代わり、殺されるとおもうけど。あの女は怖ぇよ、最高にいい女だけどな」
 その言葉を聞いて、オヤジは懐から空手を取り出し両手を “降参” を表すように挙げる。
「それには手を出さねえよ」
 言い終えると笑いだした。
 男は小瓶を掌に持ち、ポンポンと投げて遊ばせる。その瓶の中で音もなく行き来する白い粉が、満足して死んだ女の顔色に少しだけ重なった。
 そんな話をしていると、取り乱した足音が響き若い盗賊が飛びこんでくる。
「オヤジ! 出たっ!」
「何が出たんだ?」
 魔物が強襲し、皇帝が現れて首都を壊したのに、まだ驚ける要素が世界にはあった。
「ドッ! ドロテア=ヴィル=ランシェって女が来た!」
 男は小瓶を握っている掌に少しだけ力を込める。
 若い盗賊の叫びに、顔役は立ち上がり疑いがはっきりと解る声で聞く。
「本物か? お前見たことねえだろ?」
「あれを間違う訳がねえ! 怖ぇ美人が皇帝ぶっ飛ばした!」
 
“そりゃ間違いねえな” 小瓶を握りしめていた男は脱力したような笑みを浮かべて、盗賊の言葉に追従する。そして視線を落とした先にある小瓶に映った自分の顔を見て、

『もうちょっと待ってくれないか、リリス。必ず返すから、もう少しな』

 心の中で “返して欲しい” と願った女に声をかけた。


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