先ほど殴り飛ばした聖職者達ではなく、
「ご案内いたします」
「パネか」
パネ大僧正がセツの部屋の前で待っていた。
「案内されなくてもたどり着けるんだけどな」
「一応形式があるので、案内させていただきたいのですが」
頭を下げるパネに、そんな暇があったらとっとと案内しろと言い腕を組み、靴音を高らかに鳴らし法王庁の廊下を面白くなさそうな表情で歩く。
そんなドロテアの隣にいるパネが突然口を開いた。
「改宗はどうしたら上手くできますかね」
「……ザンジバル派に?」
「打診が。バリアストラ派のパネ大僧正には価値はないが、エルスト=ビルトニアの旧知であるエウチカ=クリュガードには価値があると最高枢機卿は判断したようでして。あの人に任せておいても良いのでしょうが、自分を高く売るためには自力で改宗した方が良いと判断したのですが方法が思いつかなくて」
ドロテアは足を止めて、パネに向く。
「自分で考え付かないなら、黙ってセツに任せろ。お前はその程度なんだろうからな」
ドロテアの答えにパネは手でヴェールを上げて、顔を見せる。ヴェールの下にあった完全なフェールセン人の色合い。
「言われると思っておりました。そして “そう言われるに決まっている” とクナ枢機卿にも言われました。余計なお時間をとらせて申し訳ございませんでした」
ドロテアは再び歩き出し、パネもヴェールを下ろして歩きだす。
無言のまま廊下歩き、アレクサンドロスの私室の前で立ち止まったパネに、
「セツに黙って従うのが最良だろうよ。お前の力とエルスト=ビルトニアの旧知である事実からすると、トハやエギを越えて次の最高枢機卿になれる可能性が高い。最高の位を目指すなら、黙ってセツに従え。……なにより、あの男は必ず帰ってくる」
そう言ってドロテアは法王の私室へと入っていった。
入り口で一人待つパネは、ドロテアの言葉をかみ締める。
自分が無欲ではないことを、パネ自身がもっとも理解している。
前のパネが死亡し、パネに押し込められた自分は何処に向かおうとしているのか? そして……
『必ず帰ってくる……か。言い切ったときの表情、あの余裕。まるで全てを知っているかのようだ』
行儀悪く壁に背をかけて、腕を組み “セツが戻ってくるまでにして置いた方が良いだろうこと” を考え始める。パネは権力も何もないバリアストラ派に見切りをつけて賭けに出ようと心に決めた。
部屋の中には、
「待たせたな、アレクス」
法王のアレクサンドロス四世と、
「ドロテア卿! お待ちしておりました」
「よく来てくれたな、ドロテアよ」
クナ枢機卿が居た。
椅子の肘掛にもたれるようにして座っている法王に、クナが床に膝をつきながら話しかけ気を紛らわせていた。
「よお、クナ。よく来たも何もねえだろうが」
「そなたの性格では、途中で気分が向かなくなったと言って来るのを辞めてしまう事も考慮しておかなくてはならいからのお」
嬉しそうな声を上げて立ち上がる。
「確かにそうだな。そしてマリア、久しぶり! 長い別れになるかと思ったが、直ぐ再会するハメになっちまったな」
笑いながらマリアの側に近寄って、手を上げてタイミングを合わせて叩きあう。
「そうね。まさかこんな事になるなんて」
マリアが法王の側に居たのは、クナの計らいによるものだった。
クナは『完全に』法王は女性だと思っているので『セツという恐怖』が居なくなった法王庁で法王猊下によからぬ事を仕出かすものがおるかも知れぬ! と考えて、性別の解らないことになっている高位聖職者を排除した。
クナ自身はホレイル王女コンスタンツェと知られているので自分を除外し、後は女の聖騎士を連れて来て身辺警護をさせる。
身の回りの世話もセツがしていたので、それはマリアに依頼した。
マリアはクナが語るアレクサンドロス猊下の身辺警護は女性限定! そのあまりの力説に突っ込む余裕もなかった。だがエド法国において真実を知っている数少ない一人と言う自覚もあり、黙ってクナの指示に従うことにした。
怯えているような法王だったが、マリアの顔を見て少しだけ安心した空気を作り「少しの間、よろしくお願いします」と頭を下げた。
『任せてください。偏屈は苦手だけど、変態の屋敷で召使として働いてたんですから、世話は得意』
“変態の屋敷” に思わず驚き 「何処ですか?」 と尋ねてしまった法王は、それが「主筋の従兄」の屋敷であることを知り、ちょっとだけ声を上げて笑った。セツが居なくなってから初めて上げた笑い声だった。
マリアは何故法王が笑ったのかはわからなかったが、気晴らしになるならと法王の側で「オーヴァート=フェールセンが如何に世界で誤解されているか」を淡々と語る。
ほとんど知ることの出来なかった「主筋の従兄」の私生活と、彼が「大寵妃」と仲の良かったことを聞き、法王は一人でセツがいないながらも、自分が欲しかった時間を得ることができた。
マリアとの再会の挨拶の後、法王を振り返って単刀直入に尋ねる。
「アレクス、何処で話をする?」
「……」
この時まで法王は内密に聞こうと考えていた。
だがドロテアの表情を見て、全てを明らかにした方が良いと感じ取る。
「俺は何処で話しても構わねえぜ」
「他者に聞かれてもよろしいのでしょうか?」
「構わねえ、つか俺には決められねえな。それを決めるのは手前だ。アレクス」
自分は正体を明かせない存在であるが、セツは世界に向けて明かしても良い存在だと法王は理解した。
“セツ” は自分の跡を継ぐ法王。
その存在になんら疚しいことはないと人々に明らかにする必要があるのではないか? そう考えた。法王自身は《死せる子供達》という過去の遺物を引き継ぎ法王となったが、セツは次の世代に向けて正体を明らかにした方が良いのではないか?
他の者は隠したままでも良いが、失踪か誘拐されるような秘密のある法王では他者は納得しないことも考えられる。法王はセツのお陰で、徳と敬意だけで敵も少なくこの座についているが、逆にセツは法王の代わりに他国や国内でせめぎ合いを繰り返し敵が多い。
「人々に明かした方が、セツの為になるでしょうか?」
「さあ。ただの救世主だからな。それが本人の為になるかどうかは知らねえな」
ドロテアの言葉にクナとマリアが驚いたように顔を見合わせる。
「説法の広場の準備をいたします」
法王は全てを法国内に居る人々に聞かせることに決めた。
「じゃあそこでまたな。他のヤツはどうでもいいが、アレクスとクナとシスター・マレーヌは絶対に来いよ」
「畏まりました」
「妾もかえ?」
声をかけられたクナは驚きの表情を作ったまま、出口に待機していたパネに声をかけ準備するように命じた。
ドロテアはパネを置いて一人でとっととセツの部屋へと戻り、バダッシュを回収して法王庁を後にする。
法王庁を出て待ち合わせ場所へと向かうと、そこには “懐かしい” と言うよりは “別に俺は会いたくはなかったぜ” といった面子が大騒ぎしていた。
戻ってきたドロテアに気付いたミロは、隣に立っているバダッシュに慇懃無礼な態度をとる。ミロにとってバダッシュは主筋だが、ドロテアを挟んだ時点で恋敵というか、とにかくドロテアのことを好きで、ドロテアの側に居られる人は嫌いなのだ。それはバダッシュも同じことで、寧ろバダッシュにしてみるとドロテアの初の相手の分、ミロが嫌いだ。
勿論その事に関してバダッシュはドロテアから直接聞いた。聞けば答えてくれる女だが、そこまであっさり答えられると……などと一人打ちひしがれていた事など、ドロテアの知ったことではない。
打ちひしがれるくらいなら、最初から聞くな! で終わりだろう。
そんな男達に挟まりながら、ヒルダを使ってオーヴァートにからかわれているレイと、ヒルダの太股を触ってレイをからかっている事を怒鳴りつけるかつてのエド法国の僧正ヤロスラフ。その脇で『ヤロスラフ様!』と必死に怒りを収めてくださいと叫び続けるミゼーヌに、何をして良いのか解らないでスケッチブックを抱きしめているグレイ。
エルストと久しぶりの再会をしたクラウスは、既に小言をモードとなり叱り付けている。その後ろには何故か早馬屋のザイツが、グレイのようにわけ解らないといった面持ちで、馬車の手綱を持って “キョロキョロとしている” そんな烏合の衆でももう少しマシだろう? といった状況を眺めながら、
『邪魔くせえ……』
胸元から煙草箱から一本煙草を取り出して、睨みながらもどこか虚ろな眼差しで吸い始めた。
【あのさ、ドロテア】
― ん? なんだ、アード ―
ドロテアは心の中を読めと胸元を人差し指で叩き、無音で会話をする。
【これからどうなるんだ】
周囲の混乱についていけなかった、幸せな幽霊は呟きに、紫煙を吐き出し、
― 手前は死んだままだ、それだけは確実だな ―
どうにもならないような答えが返る。
【そうだな、そうだねえ。それにしても持てるね】
国王と名家の一族が、好意的ではなく頭越しに言い合っている姿を眺めながら “最後の大寵妃” の実力を感じ取っていた。
― 無意味だけどな。俺の亭主、アレだしよ ―
“アレ” ことエルストは、ギュレネイス警備隊長に延々と説教されている。
最初から見ているアードにしてみると、説教される筋合いではないのだがエルストは黙って聞いて、落ち着きそうになると失言をして怒りを増長させるという器用な真似を繰り返していた。
【それが一番不思議で仕方ない】
― あの警備隊長のことを良く知ってる男だから、勝手にさせておけ。内側に溜め込むタイプだから、偶に発散させてやらなきゃならないらしい。エルストが好きでやってんだから、気にするなよ。大体エルストはこの俺と結婚を選ぶくらい、怒鳴られるのが好きな男だぜ ―
その言葉を聞いて “母さん。俺は違う世界に来たらしい” と一人本当に違う世界の住人であるアードは雲の切れ間に視線を泳がせた。
「うるせぇ! どいつも! こいつも! 黙りやがれぇ!」
最早収拾が付かない状態に陥っている空間に、パネが用意が整ったそうです……と申し訳なさそうに言ってきた瞬間、ドロテアは怒鳴る。その一声で周囲は静かになり、
「説法の広場でしたね。皆さん! こちらですよ!」
ヒルダは聖典を取り出し、旗のように振って引率を開始。聖典の使い方が甚だ間違っている……そんな使い方をされるとは聖典も思っていなかっただろうというくらいに間違った使い方。エド正教徒の聖地でそんな事をしているにも関わらず、誰一人その事に関して異義を唱える聖職者はいなかった。
命惜しさ……なのであろう。
聖職者が己の教義を一瞬捨てている間、聖典で引率するヒルダその後を騒いでいた面々が、無駄口を叩きながら付いてゆく。
「いい引率だ」
【そういう問題なのか?】
変わり身の早さに文句を言い続けるアードに、先に行けと命じてドロテアはその場に “もう一人” と共に残る。
雑踏が過ぎ去った後、人々はその場に残っている二人を見て早々に姿を消した。残っていたのは、
「オーヴァート」
最後の皇帝オーヴァート。
「どうした? ドロテア」
「手前はイングヴァール関係の未来は視えねえよな」
「視えないな」
先ほどの喧騒が嘘のように静まり返った、白で覆われた『神の国』で即位後から己の寿命の期限までの未来を《己の力以下》の相手であれば見ることを許された男は淡々と答える。
人気の無くなった術で覆われた国は、静まり返ると何も無い世界に似ている。虚無に近い、そう表現しても良いのではないかと言うほどに。
ドロテアは鈍色の瞳を覗き込みながら、今まで聞いたことの無い《自分の世界》を尋ねる。
「俺の未来は視えるか?」
その問いに、オーヴァートは覗き込まれている瞳を閉じて昔の声で答える。
「昔少しだけ視たきりだ。お前の隣には私が居ないこと知って以来、未来は視ていない。視る必要もなかろう、私の世界は十一年前に終わったのだから」
玲瓏な声と突き放したような言い方に、ドロテアは過去を思い出し視線を逸らす。
かつてパーパピルス新国王のために、大陸を越えて愛人となった相手は、恐ろしい程に冷たかった。
ドロテアはオーヴァートを殺したいと思う気持ちの下地が、あの頃に出来たのだと思っている。出会って即座に芽生えた殺意は、身体を重ねる回数が増え、世界が広がり多種多様な出来事が積み重なり、出会った頃に芽生えた単純な殺意ではなく、複合的な殺意となりその殺意はドロテアの中に根ざし、ある種の生きる糧となり今に至る。
「そうか。《皇帝》死ぬ覚悟は出来たか?」
ドロテアは出会って直ぐの時《優しくされていた》なら、自分はオーヴァートの全てを知っても殺そうとは考えなかった。優しさを求めて向かったわけではないが、あの時に優しくされなかったことが、オーヴァートを殺そうと思う根底にあるのは否定できない。
「何時俺を殺すんだ?」
ドロテアと別れてから覚えた “笑顔” を作り、オーヴァートは嬉しそうに返す。
そこにドロテアが出会ったばかりの皇帝の姿は無かった。いや、無かったのではなく《隠されてしまった》
出会った刹那に爆発的に深く根ざした殺意。それはどんな時間を過ごしてもドロテアの中から消えることは無い。
「死ぬ時死ぬさ、それだけだ。その後に殺すだけだ」
捕らわれているのではなく、ドロテアという人間の持ちえる殺意の全てをオーヴァートは絡めとり、自由にしてくれない。他人が許したり、殺したりする殺意の量はとうに超えて、それでもドロテアの中に潜み続ける。
「そうか……お前を、愛している」
「俺の中の殺意をもっと育てたいのか? 《皇帝》」
狂気も絶望も全て排除しきった殺意。
その最後の養分はオーヴァートが向ける愛情、それのみがドロテアの中の不純物の取り除かれた純粋な殺意への最後の養分。その言葉がドロテアの耳から入り脳に伝わり、肌から忍び込み身体全てに潜む殺意を育てる。
最早オーヴァートの愛情は、ドロテアの中で愛情としては生きてゆくことは無い。そして、
「勿論。お前の殺意が消えぬよう、消えぬよう、私はお前に愛を囁く」
それを知ってオーヴァートは、なお《出会った頃の声》で愛を囁く。
「さてと、そろそろ行くか」
「おう、ドロテア。ねえねえ、ヤロスラフが酷いんだよ」
「お前が酷いんだろうが、ヤロスラフは絶対に被害者だ」
「理由も聞かないでヤロスラフの味方するのか! ドロテアってばあぁあ」
「うるせえよ! 黙れ、この変態皇帝がぁ!」
―― 殺意が芽生える出会い方であったこと、殺意が育つ扱いであったこと、今なら良かったとはっきり言える ――
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