ビルトニアの女
運命の女神【2】
 勝手に兄弟に位置付けられたレイは、国王が余りに周囲に馴染んでいるのに驚いた。
 近衛隊隊長を務めていた際に接していたマシューナル王国の王族は、ここまで周囲に埋没しなかった。雰囲気もそうだが、態度が一般市民と全く違う。
「国王普通に馴染んでるな」
 あまりの馴染み具合に、思わず声に出してしまったレイ。
 ドロテアは、
「そりゃ元々平民だからな」
 ああ、お前知らなかったのか? と言った声で答える。
「平民?」
「平民なんですか?」
「ヒルダちゃんは知らないか」
「知らんだろうな、世俗のことに関してはほとんど知らねえからな。レイも知らなかったか……まあ他にも聞きたい奴がいるだろうから説明してやるよ」
 “他にも聞きたい奴” とはアードのこと。
 当然ドロテアにも見えない状態なのだが
【ああ、お願いする】
 返事を返した。
「ヒルダ、コイツは先々代カルロス二世の庶子だ。母親は此処で屋台を兄と営んでいた、伯父はさっき会ったモイ。中々気立てがよくて何より威勢のよい看板娘だったんだそうだマリさんはよ。お決まりに国王が目をつけて、というパターン」
「はあ〜」
「カルロス二世には普通に名家の娘を妃に貰って王太子を一人もうけていた。それが先代のカルロス三世だ、年はコイツと大差ない」
 この国の国王を “コイツ” と言っていいのだろうか? アードは思ったが、この状況で声を上げるわけにもいかないし、三人も国王自身も、そして周囲に居る町人達も、誰一人その言動に何も口を挟まないところから黙ることにした。
 幽霊のそんな悩みも無視して、ドロテアの話に混じるフレデリック三世。
「二つ年上だったよカルロス三世は」
「コイツは今ちょうど三十歳か……嫁貰えよ……まあそれはいいとして、先代がポックリ死んじまったんだよ。普通は崩御と言うんだがコイツの兄貴、ポックリいったんだよ本当に。此処高い所にあって海に面しているだろう? だから飛び込みが盛んなんだよ、度胸試しとして。なんか……多分コイツがいい飛込みをしたのを見て、プライドが刺激されたんじゃないか? 身体が弱いとは言わないが所詮は王子様、いやその時は既に王様。大事に育てて来たせいなのか、元々度胸が無いのか知らねえが、飛び込んだショックで心臓が止まっちまった。それも飛び込んだ直後に。そしてバランスを崩して岩場に激突して救助された時には……法王かセツでもない限り救うのは無理だった。早い話が即死な、即位して一年で即死、良い語感だな」
 語感が良くても話しの内容はどうか?
「それでフレデリック三世陛下が即位なされたんですね」
「ミロでいいよ、陛下って柄じゃないし」
「ミ……ミロ? ですか?」
「で、残された庶子こと、その当時はミロって名前だったのを急遽フレデリック三世に仕立て上げたのさ。それで物事が丸く収まらないのが王国だ」
「何があったんですか?」
「一人 “正統後継者” を名乗る他国の王族が現れた、エルセンの少年王ことマクシミリアン四世」
「そう言えばマクシミリアン四世の母親はカルロス二世の妹でしたね。って事は従兄弟ですか?」
「あんなのと一緒にしないでくれ。あんな選民意識だけが高いすきっ歯!」
 マクシミリアン四世は本当に前歯に隙間があいているのだが、ドロテアの指と同じで他に目が行く為にあまり気付かれない。彼がもしも両手足が存在していたらすきっ歯は異常に目立っただろう。顔立ちなどは割合良いので。
「すきっ歯くら許してやれよ、確かに笑えるがな。それで当時の少年王と睨み合いになって、一時は戦争間際にまでなったんだよ。上手くオーヴァートが調停して事なきを得てはいるが。奴の、マクシミリアンの領土欲はまだ落ちてないだろうな。まあそんなこんなで十九歳まで平民だった訳だ、コイツ」
 十九歳まで平民だった為、平民に馴染むというより平民の癖が抜けないのだ。
「オーヴァート陛下は俺にも会ってくれて、それで王学府に入るくらいの能力はあるからどうだ? そう勧められたし、それを聞いたカルロス二世が勧めるっつーか、かなり強引に “王学府を目指せ” とさ。当然学費も全部持ってくれるし、留年しても問題はないって。そういう訳で入学した」
 親に言われたくらいで入学できるような生易しい場所ではないが、フレデリック三世は入学を果たした。その先で、彼の人生を全て支配する女に出会う。
「それで、王学府で姉さんと知り合ったんですね」
 ドロテアに。
 フレデリック三世の生涯を支配し続けた女は、嬉しそうに自分のことを語りだす彼を眺めながら茶を口に運ぶ。
「そうさ! 一目惚れだったね。いや亭主の居る前で言うのもなんだが、褒めるのはいいだろう」
 褒める昔の男と、
「そりゃまあ、よく褒められますからねえ」
 どうぞ、どうぞと勧める夫。
「カルロス三世が健在なら! 子供を残していたなら! 俺絶対にドロテアと結婚してた」
「俺は王妃なんざ御免だ」
 夫を目の前に、結婚していたと力説する国王。
 そしてほとんどの人が、この国王が独身の理由を理解している。
 ドロテアでなければ結婚しないと大騒ぎ、そしてエルセン王国の一部の貴族から “是非とも結婚して、王子をエルセンに” と言われているということも、既に噂として流れている。
 エルセン王国側に命を狙われているエルスト、その命を狙われる元凶が目の前で女房を褒め続ける。
「でも姉さん?」
 普通の神経をしていたら口を挟みたくない状況だが、あまりそれらのことが良く解らない上に、姉の昔の男がエルストの前で姉を賛美することに慣れてしまったヒルダは、話をぶった切った。
「何だ?」
「普通に愛人になろうとかは? 普通は愛人になるでしょう、その流れなら」
 十一年経とうがこれ程までに好きだと言い張る男が、国王になるからといった理由で諦められるとは思えない……そんな気持ちで口にした言葉に、ドロテアは驚いたような表情を一瞬つくり、
「あ? お前に言ったことなかったなヒルダ。実は俺が最大の功労者なんだよ、コイツの位を護った」
「?」
「マクシミリアンのヤツ、異様に俺を敵視してただろ? まあその倍以上俺も敵視してるから良いんだが。その理由は、俺がコイツを王として在位させ続けるように、認めさせるようにオーヴァートの所にいったからさ。ああ、マクシミリアンに捕まった時、そいつも言おうとしたんだが……まあそう言う事だ」
 レイの方に視線を移して言うタイミングを潰されたことを示唆すると、ヒルダは沈黙を保った。
 不必要にレイをおびえさせる必要もないだろうと。
「レイ、聞いた事なかったか? 俺が軍隊に狙われたって」
「……聞いた。だが何をして狙われていたのかは、オーヴァート陛下は語らなかったと……ヴァルキリアが言っていた」
 ふとレイはエルストの方を見たが、エルストの表情は全く変わらないまま、まだ一人食事をしている。視線があったエルストは、
「トリュトザ侯がドロテアに依頼したんだってさ。前にベルンチィア公国で言った、オーヴァートの調停。その際にオーヴァートに差し出したパーパピルス側の “秘宝” ってのはドロテアって事」
 エルストが片目を瞑りながらサラリと言った。
『ああ……』とレイは小さな声を上げ、あの時の会話を思い出し納得した表情でドロテアを見つめる。
「この国は俺の顔と身体で買える程度だぜ。俺にしてみりゃ安い国だ」
「さすが指一本で百万人」
 でもその国で、安い国って言うの止めましょうよ、姉さん。それも国王陛下の前で。そんな妹の思いも、かつて、そして今も大寵妃と呼ばれる女には関係のないこと。

【これが皇帝を捨てた女……か】

 五十年前の霊体をも驚かせた女は、煙草に火をつけて燻らせる。
 エルストの言葉に、周囲にいて聞き耳を立てていた人達は、
「やっぱそうだったんだな」
「大臣らしいやり方だな」
「比べモンにならねえよな」
 声を上げて、各々話し始めた。
 突然始まった会話と、会話に出てくる単語に、パーパピルス王国を全く知らないヒルダと、興味なしのレイは、疑問で頭の中が支配されてしまったような状態。
「何が比べ物に?」
「トリュトザ侯は厄介払いも兼ねていたんだよ。トリュトザ侯ってのはパーパピルスの世襲宰相の家柄でな。パーパピルス王国は宰相になれる血筋が決まってるのさ。それでトリュトザ侯には幼い娘がいた。ミロとは十歳以上離れているハズだ」
「今十八歳だ、フィアーナは」
「お妃にしたかったんですね、そのフィアーナ姫を」
「そこら辺は先見の明があったんだろうよ、トリュトザも。俺がいたら邪魔だからな。皇帝の大寵妃になった女だぜ、国王の大寵妃にだって簡単になれるさ」
 断言してしまう辺りがドロテアだ。もちろん、追い討ちも忘れない。
「顔の造作も、大したことねえ。俺とは比べたら可哀想になるくらいのツラだ」
 煙を吐きながら言い切る妻に、
「いやまあ……亭主の俺が言うのもなんだが、お前に “顔” で勝てるのは世界中探してもマリアしかいないと思うよ」
 夫はドロテアが唯一認める美女の名を上げてみた。
「そう言えばドロテアと甲乙付け難い美女マリア嬢は? 勿論ヒルダちゃんも美人だけど、可愛いって雰囲気だねえ」
「マリアはエドで聖騎士として鍛錬中。そしてヒルダに手は出すなよ、後ろの銀髪の男に即死攻撃を喰らうぞ」
「怖いな」
「怖いなどろこじゃねえぞ。エルセンのヴォルカンタ城壊しちまったんだから。ジランマロード城も崩壊させたいならやってみろ」
「ドロテアを捕らえたんだって? 何かされなかったか」
「何かできるようなヤツかよ」
「確かにそうだけど……」
「厄介だぞミロ。公認されている血筋で辿ればな」
「前に姉さんが話していた “国外にいるエルセン王位継承者で独身主義者” ってミロさんの事なんですね!」
「そうだ」
「お節介ですがミロさん。姉さんの事はすっぱりと諦めた方が身の為ですよ。別にエルセン王国の後継者云々はどうでもいいんですけど」
 笑顔で言い切ったヒルダを前に、ミロはドロテアの肩に手を置いて笑顔で言った。

―― やっぱりお前の妹だよ、ドロテア ――


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