カルマンタンの棺に用意されていた情報は、いつもドロテアが取り上げるのとは違い、ドロテアに手渡された形で目的の部分にたどり着くのに、少々手間取った。それを整理し終えて、自分の記憶のように引き出しながら話を始める。
「あーとだな、エルセン文書の手引書は、弟子に渡したらしいな……弟子の名前は……ヘイド? …………いや、まさかな」
他人の記憶を探りながら口にしているドロテアの脳裏をよぎったのは「あのヘイド」
ドロテア達が立ち寄った村の娘を誘拐し、禿げを治療するための生贄にしようとしていた老人。
念のためにドロテアはアードに「ヘイド」が誰か知っているかを尋ねると、
【ヘイド? ヘイドってのは知らないが、当時のカルマンタンの弟子はラキとイザード。魔力に長けた中々に知識のある二人で、カルマンタンも随分と向上心のある弟子を可愛がってたらしい。男女で恋人同士だったから、二人の間の子がヘイドかも知れない】
それらしい言葉だった。
出来の良い弟子二人の間にできた子に「エルセン文書」の復活を託す。それは、良くあることであり、それを託されるに値する人物だったのだろう。という事で、ドロテアはアードの言葉を聞きながら右下を眺めつつ呟く。
「……違うな」
それに追従するように、ヒルダが左下を見つめつつ呟く。
「違いますね」
最後にエルストが、それ以外の言葉を思いつくはずもなく視線をそのままに、
「違うだろうね」
かつてハゲを苦に生贄で育毛しようとして、最後にドロテアに脱毛剤入り鍋を頭から被せられ、頭部の毛を全て失った男を思い出していた三人は、彼を頭から消し去った。
魔法使いではなく「魔法を少しだけ覚えている人」のような彼が、破門されたとは言え名の通った聖職者にして魔法使いの孫弟子であるとはとても思えない。
「?」
一人話の見えないレイは、不思議ではあったが生来の無口さから黙ったままでいた。
「あー確かにアードが言った通り、ヘイドはその二人の子らしいな。ソイツが持っているそうだ……? 全てではない……成る程な。明日の朝にでも此処に隠している “エルセン文書の暗号本” を取り出す」
「暗号……ですか?」
「そうだ。四十年かけてアンセロウムの “字” とも呼べない字を解読した後にカルマンタンはそれを今度は「常人が解読できる程度」に暗号化したらしい。アンセロウムが直接写した文書は焼却処分した。アンセロウムの字が読める人間に知れるのを恐れた為の事だ。カルマンタンが嘗ての盟友アンセロウムに会いに行かなかったのは、アンセロウムと自分の関係を出来るだけ排除して、エルセン文書が此処にある事を知られないようにする為だったらしいぜ。それで復元して暗号化したエルセン文書、その暗号解読に必要な “手引書” を最後の弟子・ヘイドに託した……らしい」
「カルマンタンの人生は、アンセロウムの字を解読することで終わったってことだな。意義があったって言えばあっただろうけど、無用な苦労をしただけって気もするな」
それを言ったら駄目ですよ、エルストさん!
ヒルダは思ったが黙っていた。実はヒルダもそう思ってしまったからだ。
「さすがカルマンタン、探られるのを元から見越して死ぬ前に色々と術を施していた。棺の作り方は、ハルベルト=エルセン? エド法国……何だこれは……? 霊廟? エルセンの霊廟? また暗号か! ちっ! くどいジジイだ!」
ヒルダやエルスト、レイには当然解らないのだが、ドロテアがカルマンタンから渡された情報は、いつも手に入れるような目から見た情報ではなく、文字や数字に変換されていて、それらをドロテアが自分の記憶を引き出す要領で、繋ぎ合わせてゆかなくてはならない。
その解読の手立てはカルマンタンの棺にあるだろうと、アードに見てくるようにドロテアが命令した。
ドロテア本人は普通に言ったつもりでも、書き表す時は命令したが正しいような口調で。言われたアードは土の中に入り、棺の表面を確認して底の部分に “それらしい記号” を見つける。アードはレイと違って魔法を使えるので、魔道師なら解読に使える記号がどれかくらいは、簡単に見分けられる。
魔の舌をはじく棺には、アードも入ることは出来るだろうが苦労するなと思うくらいの細工が施されていた。そして何より、アードは骨になったカルマンタンに会いたいとも思わないので、黙ってそこを後にした。
アードとドロテアが、三人が聞いたことも無いような単語や見たこともない記号をチョークで壁に書いているのを見ながら、すっかり寝る体勢になっているエルストは尋ね忘れていたことを独り言のように口にした。
「エルセンの霊廟と言えば、あの棺の中に遺体もなにも入ってないんだな。レイが壊した時、ちらっと見たんだけど中は空洞だった。金属の棺の中に安置されて五百年くらいで消え去ってて驚いた。皇帝が直接作った “人” だから原形のまんま残るってるかと思ってんただがな」
やる気ない上に、眠気を含んだどうにもならないくらいに適当な言葉に、
「骨は残ってるはずだがな。さっき、アードの村でみただろ? 欠片すらなかったんだとしたら、最初からそこにハルベルト=エルセンは入ってなかったんだろうよ。霊廟だけ作らせたかったのか? 霊廟を作りたかっただけなのか? てとこだろう」
ドロテアは、騒ぎを思い出して苦笑いしながら答えるが、だがドロテアの向かい側に居た、アードの反応は違った。
【そ、そんな筈はないぞ! 確かに棺の中にはハルベルト=エルセンが仮死状態で入っている筈だ!】
「仮死状態にも色々あるけどよ、外部干渉、要するに時間静止の仮死か? それとも内部干渉、ある程度の技術を持った邪術師なら出来るとされている、身体機能活動を最低限度まで落す仮死か?」
前者は皇帝の手をもってしなければ不可能だが、ハルベルト=エルセンの人生を考えれば皇帝の手が加わっていたとしても不思議ではない。
後者は一般的とは言わないが、通常の仮死状態はこちらが作る。ただ、彼等が皇帝が直接作った『勇者』の体機能を下げることができるか? 不可能だろうとドロテアは思う。
ちなみに、前者と後者の仮死状態の最も大きい違いは『寿命が訪れるか訪れないか』
自らの時間自体が制止している状態の仮死は死ぬことはないが、身体機能を落している仮死状態は、どれ程ゆっくりにしてもいつかは死ぬ。後者は時間が緩やかであろうがとまることなく流れているからだ。
【そこまで詳しいことは解らないが、俺は死んだとは言っていないはずだ……棺は届けたが、棺の中身が “遺体” とは一言も】
普通、棺の中に収められていると言われれば、死んでいると解釈してしまうが、意図的に伝えなかったとしたら? そして意図的に伝えなかった相手の真意は?
「それを狙ったわけか。もしかして、エルセン文章にはその事に関して書かれてたのか」
【その可能性は大きいんじゃないかな】
エルセン王国の霊廟に安置されている建国者の棺の中身は空。その真実を盟友の国家に預けた場合に考えられることは “文章を盗み読まれる” こと。だがこの場合、文章を盗み読まれたとしても、問題はない。
「真君アレクサンドロス=エドも “どこかに隠されている棺” の中で仮死状態か!」
ハルベルト=エルセンよりも、生死が不確かなアレクサンドロス=エドが同じである可能性は高く、その事を世襲制ではない国家に伝える手段として世襲制国家の重要文章を預かった。
【間違いなく仮死状態になっているはずだ】
二人が仮死状態である以上、最後の一人も仮死状態であることは間違いない。
「シュスラ=トルトリアもか?」
【当然】
「あの広場にある “時を刻む棺” には、本物が仮死状態で入っているってことか」
魔力を高める効果のある鐘を鳴り響かせる、その解き明かされない謎の片鱗が “仮死”
横になっていたエルストも身を起こして、アードとドロテアの会話を黙って聞き続ける。
「この際、外部干渉でも内部干渉でもいい。あの三人を仮死状態にした理由、お前は知っているのか? アード」
【“ヤツ” を倒す為だ】
「イングヴァールのことだな」
【そうだ。五百年前に三人とその他の力で “撤退” させた相手。五百年後、子孫の三人で戦ったって “撤退” させるのが精一杯なのは目に見えてるだろう。だから、彼等は仮死状態で、新たな勇者四名を作って、七名で立ち向かう予定だった】
「世界は俺達の知らないところで、確かに敵を滅ぼすために動いていたってわけか。それで敵の作戦、勇者を手下に作り変えるヤツだが、仮死状態の三人は、魔物の作りかえられる事はねえのか?」
【ないらしい。彼等三人の棺は時が来なければ開かない仕組みになっているし、覆っているのは君の腕と同じ皇帝金属だから、棺ごとあの場所に入れても無意味だ。どれ程 “神” を抽出し、高濃度にしたとしてもあの棺を “神” が透過することはない】
神を捨てた一族か、ドロテアはそう呟いて、
「あれも皇帝金属だったのか……アデライドの?」
“時を刻む棺” の構成物質を尋ねるが、
【そこまでは聞いていない。でも、棺の中が空だなんて俺は聞いちゃいない】
アードはそこまでは解らなかった。ドロテアはエルストのほうをチラリと見る、視線を向けられた方は肩をすぼめて首を振るだけ。
「何にしてもエルセンにあったのは皇帝アデライドが作った棺じゃねえな。レイが踏み抜いて壊せたんだ、皇帝金属かそれに類する奴等が作成したわけがねえ。霊廟にあった棺が偽物だったのは確実だな。俺は直接見なかったが……そうだとしたら霊廟自体に意味があった可能性が高い。霊廟?」
ドロテアは “霊廟” に引っかかりを感じたが、それ以上を探る術はなかった。
「エルセン文書の暗号手引き書を持つヘイドっていう人探しと、勇者三人の、いいえ二人の棺探し……ですか?」
ヒルダの当然のような言葉に、
「いや、別に勇者探しなんざやらねえよ。エルセン文書は暗号解読が楽しそうだから探すが、勇者の棺なんざ知らねえ。適当に探せ、アード」
ドロテアは自分の興味あるもの以外は無視する姿勢を明らかにして、寝床に入った。
「でも “そのヘイドさん” が亡くなっていたり、事故で手引書紛失してたらどうするんですか?」
姉の隣に潜り込みながら、言い切ったからには本当に探すきないんだろうな! と思いつつも、ヒルダは尋ねる。
「オーヴァートに復活させる。四十年前に翻訳が完成したんだ、手引書はそれ以降だからオーヴァートに過去干渉させれば充分間に合う。それは最終手段にしておく」
さあ、寝るぞと毛布に包まり目を閉じたドロテアと、
「そうですか。棺は食べられそうにないですしね」
棺が食い物でなかったために直ぐに同調するヒルダ。その言葉を聞き終えた後、容赦なく明かりを落したドロテアと、何時の間にか寝ているエルスト。
【今の時代は、皇帝が随分と身近にいるんだな】
五十年も経つと、人って変わるんだな……とアードは今まで感じていなかった時間の流れをそこに感じた。
間違った感じなのだが、感じてしまったものは仕方がないし、そこに存在しているのも事実。
「いや、それは違うアード」
【違うのか? レイ】
「違う。あのドロテアは今の皇帝の寵妃……いや、大寵妃だった女だ」
【……夫はあの男だよな? 捨てられたの……か?】
「いや、ドロテアが皇帝を捨てた。これは大陸の……大陸の……現大陸の常識だ」
【マジで?】
一人出遅れたレイは現在の大陸の常識を同族に教えた後、もそもそと毛布をひきずってエルストの隣に身体を押し込んだ。先日間違って、ヒルダの隣に寝ようとしてドロテアに殺されかけたのは、永遠に心に刻み付けておこうとレイは何かに誓っていた。
あの皇帝でないことだけは確かだが。
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