『綺麗には綺麗だが、おっかねえな……』
アードは最初、ドロテアを見て[間違ったか?]と思った。
彼の目に映る “綺麗な女” には左腕があったからだ。左手の薬指だけが無いのは解るが、左腕は確かに存在していた。
アードの母親がドロテアを「左腕が肩から無い女」と言ったのは、当然ながらオーヴァートの手甲をつけている姿を見た為。そして五十年前といえば、オーヴァートも存在していない。
神の力を持つドロテアは見えても、まだ存在しない時間を支配する皇帝の “一部” を視ることは、彼の母親にも不可能だった。
「一緒に来るのは構わねえが、最終的にどうする? どうやらお前達を殺しに来た奴等の親玉は “魔帝・イングヴァール” その存在だけは俺でも掴んだが、倒しにでも行く気か?」
【さすがに俺にはもう無理だ。彼の一族も既に滅んでいるとなれば、俺は本来の力を出す事はできない。それに、あれ程 “聖火” の力が強いと乗っ取りようがない】
「……まあどうにか出来そうな男の元に送り届けてやるよ。焦りはしないんだろう? まあ、アイツなら手前に新しい体作ってくれるかも知れねえが、俺は勧めねえ。絶対、そのままの方が良いだろうな」
【俺の体は皇帝でもなければ作れないよ】
「皇帝に作らせるに決まってるじゃねえか」
当たり前のこと言うんじゃねえよ! とアードを凝視するドロテア。
彼の生きていた頃、過去に作られた者達であっても直接会う事ができなかったのが皇帝。消え去った「村」に関して、意見を求める事もできない程、遠い場所にいた。
【……知り合いなのか?】
ドロテアは左腕をアードの前に差し出し、黒い金属部分を叩く。
「触ってみろ。お前ならわかるだろう」
アードは言われたとおり、触れてる。彼らの身体をもっと凝縮した、その能力を含んだ金属。
【だっ! 誰のだ?】
「現皇帝オーヴァート。手前にはリシアスの息子って言った方が解りやすいか。今の皇帝オーヴァートは、俺の言う事なら何でも聞くから安心しろよ。だが! 俺は勧めねえ。あの野郎に常識を求めるのは無駄だ! 手前も遊ばれて終わりだ!」
『母さん……なんで左腕が無い女って言ったのか解った……そして、途轍もないのが来た……間違いなさそうだ。まさか……五十年経ったら女がみんなこうなった……ってわけじゃないよな』
アードが五十年の歳月を恐怖感と共に噛締めている頃、三人はドロテアに言われた仕事をこなす事に没頭していた。
「俺とレイが掘っておくから、ヒルダは祈りでも捧げてきてくれれば」
出来るだけ効率良く仕事を終わらせようというエルストの提案に返ってきた答え。
「それなら、掘るのはレイさん一人に任せて、エルストさんも祈りましょうよ。ここの人達、エド正教徒でもなさそうですし、掘る力っていいますかそういった能力じゃあ、エルストさん足元にも及ばないでしょう?」
聖典片手にそう言い切るヒルダの表情は、
(ドロテアそっくりだな)
(そうだな)
それ以外言いようは無い。
男二人はひそひそと語り合い「じゃっ!」とエルストは廃墟の中で探し当てたスコップをレイに手渡し、ヒルダと共に魂返しを開始する。
『長年やってないから忘れたなあ……あ? 失敗』
エルスト、偶に呪文を間違ったり指の動きを間違ったりしているのだが、エド正教徒であるヒルダにはそこら辺は解らない。『ギュレネイスはあれが正式なんだろう』としか思わず、次々と魂を還してゆく。そして一人、石碑の前でオーヴァートから貰った剣で地面を掘り進むレイ。
家捜しして見つけた二本のスコップは、五十年も経過していた為脆くなっており、既に柄が折れてしまっている。
世界的に “ありがたい” オーヴァートから与えられた剣で必死に掘り進むレイ。何処までも無心に地面を掘り進む彼。
「おい、レイ! 地の底まで掘る気かよ」
アードとの話を終えて穴の前に立ったドロテアは絶句するよりも先に怒鳴る。
絶句している暇はなかった。ドロテアの眼下に広がる “岩盤”
「もうそろそろ岩盤が掘り抜ける……」
「それ以上掘るんじゃねえ! その岩盤を掘り抜くんじゃねえ! ここら辺は!」
パーパピルス王国は温水が豊富で有名な所だ。ただ、その温水は硬い岩盤の下にあり、それを割るのに人々は苦労する。
「間欠泉って言うんですっけ?」
聖典片手にヒルダはそれを見上げた。
「それは、時間によって出てくるモノだから。これは暫く出っ放しじゃないかなあ」
エルストもヒルダ同様にそれを見上げる。
岩盤を簡単に掘りぬいた後に襲ってきたのは、湯柱。吹き出す、逆さの滝のようなそれは天にも届くのではないかと思える程、勢い良く吹き出す。
穴の中で割った箇所を無意味ながら手で必死に押さえるレイ。
「無意味な事してんじゃねえよ! レイィ!」
怒鳴るドロテア。
「聖水神ドルタの力で、どうにかなるんじゃないんですかね?」
隣にいた、この村の責任者(幽霊)の首根っこを掴み、温水が吹き上げている穴に怒号と共に叩きつける。
「手前とテメエでどうにかしやがれ!」
大量に吹き上げてくる温水をかぶりながら、首筋の血管まで浮かせて叫ぶ妻にかける声は無かった。
『かけたら殺されるな』
思いながらエルストは空に、誰に向けるでもなくギュレネイスの祈りを捧げた。適当に生きている人間でも偶には全世界に平和の祈りを捧げたくなる事もある。尤も世界平和の祈りなど、全く役に立たないものの一つなのだが。実際役に立っていないのは、眼前の光景でも明らか。
『奇跡を起こすには……唯の人間には無理だよなあ』
そう心中で呟き吹き出す温水に背を向けて再び呪文を唱え始めた。人には出来る事と出来ないことがある、それを誰よりも良く知っている男・エルスト。
「ああ。骨は並んでた方が送り易いのに。流れないで、白骨さぁん! 流されちゃ駄目ですよ! 頑張って白骨さぁん」
吹き上げる温水と、それに流される白骨達。姉の怒号とは正反対のなんとも気の抜けた声で、その流されてゆく白骨達を拾い集めるヒルダ。
頑張れと言われる白骨達もたまったものではないだろう。誰も流れたくて流れているのではないのだから。
これの根本的な解決策は、噴出している温水を止める事だが、
【と、止まらない! 何で?】
死人還しにもたじろがない霊は絶叫し、
「ま、魔法とかでどうにかならないのか?」
岩盤ぶち破った張本人は、噴出す温水の力によって崩れてゆく岩盤の欠片を拾ってオロオロする。
【誰か、助けてくれえぇ!】
「自分でやれ」
一人温水の吹き出し口から離れ、タオルで髪を拭きつつ煙草に火をつけてため息交じりにドロテアは吐き出した。神の力を持つ女は、神に等しい態度を取る。要するに、何も力を貸さないと言う事だ。
**********
【な……なんとか……止まった】
呼吸などしていないはずの霊体・アードが肩を上下させて水溜りの中に立ち尽くす。その脇で白骨を集めては温水が止まった穴に放り込むレイの姿。
「とうっ! りゃあ!」
魂返しの呪文が甚だ怪しくなってきた聖職者、ヒルダ。酒を飲んで一息ついているエルスト。
そして……
「当たり前とは言え、水の力が強い場所だな」
髪を拭き、着替えまで終えたドロテアはアードの隣に立っていた。
【まあ……なあ……】
吹き出した温水のせいで、大きく抉れた穴を前に何がなにやらと言った表情の幽霊に、煙草をふかしながら淡々と語る。
「俺の推測でしかねえが “空が落ちてくる ここ空を支える柱となる 人柱を捧げよ 空を支える為に” ってのは、実際に何かが空から降りてきて、それを支える為に人柱なり何なりが命と引き換えに、今此処で見た水みたいなのを上空までぶち上げて支えるもんなんじゃねえのか? 土地の力から見て不可能じゃねえしよ」
“ふー” と煙を吐き出しながら、淡々とまるで悪びれずに語るその美女に、
【あ……あ。成る程ねえ……いやあ、何て言うのかなあ。止めてくれてありがとう。でももっと前に止めてくれたら嬉しかったんだが】
アードは最もな意見を述べてみたが、
「何で俺が手前を嬉しがらせなきゃならねえんだ。それにしても信じられねえ水の量だ」
鼻で笑われ返され、アードはそれ以上
“喋っても無駄だろう”
レイはそう思いながら、立ち上がり無言で、魂が返った骨を不必要に大きく掘った穴の中に放り込む作業を開始した。
埋葬する骨の量と釣り合わない大穴。
無意味なほど大きな穴の中に落とされてゆく小さな白骨。それはとても物悲しさを醸し出していた。非業の死を遂げた者達というだけではなく、言葉にするのも苦しいような。
どう観ても、村が襲われて全滅した時よりも破損は大きい。
その後ドロテアも立ち上がり、泥濘になってしまった地面を歩き回り、埋もれかかっている白骨を拾っては穴に放り投げる。その態度に、死者を悼む素振りはない。
「姉さん、もう少し祈るように投げてくださいよ」
「出来るか! そんなこと」
“そんな投げ方があるなら、俺が知りたいよ……”
幽霊と化した男は呟きながら、実体のない自分の呟きがあの姉妹に聞こえていないということは、どのような霊体の原理なのだろうか? などと取り留めの無いことを考えて、することなく立ち尽くしていた。
全ての骨を回収し、深く抉れた穴にある程度の土をかけ、骨が見えなくなった所で死者を葬る祷りを “一応本職” のヒルダが終えた頃、陽は既に傾き始めていた。
「とにかく何とか死者は葬ったな」
膝まではねた泥を手甲で払いながら、ドロテアは周囲を見回した。
「ここから近い町はどこだ」
人が多数死んだ村であっても、恐れることなどないドロテアだが大量の水で足を取られるほどの湿地帯になってしまった村に一泊する気には到底なれない。
【近くに村があった筈だ。今日はそっちに泊ったらどうだろうか?】
「安心しろ。言われなくてもそうする。こんな泥濘地帯に泊まる趣味はねえ。さて、行くか! で、どこだ? アード」
ドロテアが地図を取り出し開くと、アードはすぐ側の何も無い地点を指差した。地図が絶対ということもないし、その村にアードは良く行った事があると言い切ったので、ドロテアはその意見に従うことにした。
【付いてきてくれ】
そう言いながら動き出した霊体
「少しは実体に気使え! 霊体!」
大木も枝も道なき道も気にせずに進んでゆく霊体に怒鳴りながら、ドロテア達は後ろを付いて進んだ。
Copyright © Iori Rikudou All rights reserved.