ビルトニアの女
邂逅【9】
 『だからあれ程、下船しなければ……と……』
 何か頬に残る太ももの感触にいたたまれない気分になりながら、クラウスは甲板からそれでも敬礼をして去っていった。彼が少し目を細め気味だったのは潮風が目に痛かったのだとしておいてやろう、それが宮仕えの悲しさに対する鎮魂歌。
 本当に鎮魂歌を送らなければならない当事者達は、全く無視だが。
「それにしてもあいつら、何するために船から降りてきやがったんだ?」

 最大の目的は貴方に会うためだったと思われます、ドロテアさん。

 ギュレネイスの面々が人や権力や天候や魔物ではなくドロテアに追い払われた後、もう一つの国も帰途に付くこととなった。
 不測の事態の連発により、予定よりも長く滞在したエド法国の法王一行。
 セツは大急ぎで帰途に付くかと思いきや、超過分は取り戻さず、予定通りの旅程で戻る事を部下達に告げた。セツにしては優しい言葉に全員不思議に思ったが『猊下のお体の事を考えて』と言われて、納得し、そして素直に喜んだ。
 強行軍で帰る事を覚悟していた分、そしてセツの苛烈さを知っている分、心の底から彼等は神に祈り、法王に感謝を込めて祈った。
 人間、些細な幸せで祈る時が、最も美しくそして純粋なのかも知れない。
「マリアさんも一緒なのは心強いですね」
「あ、はい。そうですねミンネゼンガー」
 吟遊詩人の格好をした法王と、此処でドロテア達と別れてエド法国に向かうことを決めたマリアが肩を並べて会話をしている。
「此処では普通でいいですよ。本当は戻ってからも普通でいいのですが、マリアさんの立場もおありでしょうから適度にお願いしますね」
 『私の立場ってより、法王の立場が……』
 マリアはそう思いはしたが、黙って頷く。
 その頃、
「ほぉ、大したものだな」
「俺を誰だと思ってやがるんだよ」
 セツとドロテアが馬車の傍で、声を小さくし会話をしていた。
 法王が退屈しないよう、詩を聞かせる為に「雇った」ミンネゼンガー。実際退屈させないように、法王ではなく吟遊詩人として、他の聖職者達と話をしながら戻る事にしたのだが、それをする為には「馬車に乗っている法王」を用意する必要がある。
 そこでセツはドロテアに依頼した。正確に言うなら「ドロテアが居たので、アレクスを吟遊詩人として歩かせようと思った」
 紛い物の「法王」を作る等ということ、セツには出来そうもなかった。出来るかも知れないが、自分よりも格段に上手くやれそうな相手がいるのなら、それに依頼するのが良いだろうと。
「小細工が得意な女だ」
「手前は政治的小細工が得意だろうが」
 依頼を受けたドロテアは、法王の着衣に水を詰めた。
 水といっても井戸から組んでくる飲み水ではなく、海水でもない。
「人間の体は殆ど水分で出来てやがるからな。成分的には海水に近いが……よし、これで怪我すりゃ、血が大量に吹き出るぜ。何処切っても、大動脈裂傷の出血量だ。成分構成もそれなりだから、ちゃんとした血に見えるはずだ」
 ドルタの力を用いて一般的な血液を造り、それを造形したのだ。水を何も使わず、そのままの液体で造形するのは人間には不可能。
「怪我などしないから、それはいい。熱もあるのか」
「大体の人間が服の上から触って平熱と感じるくらいにしておいた。必要なくなったら[死人還り]の呪文で消せ。何せこれは体温のある、動かない “人間の一部” だからそれで消すことが出来る。その後に、アレクスが服の抜け殻に潜り込みゃいいだろ」
 そんな会話を終えて、セツが「法王」の乗っている馬車の扉を閉め、帰国の途に着くと声を上げる。
 聖騎士達は整列し、最後の方に新入りのマリアと旅の間だけ雇った「詩人・ミンネゼンガー」が加わる。
「じゃ、その吟遊詩人もよろしくな。マリア」
「ええ。それじゃあ」
「行って来い、マリア」
「いってくるわ! ドロテア」
 元気に揺れる黒髪と、一人だけ違う鎧を纏ったまま振り返って手を振ったマリアの背中を見送った後、暫くドロテアはそこに立っていた。
「どうしたんですか? 姉さん」
「ん? マリアを見送るのは始めてだった。何時も俺のほうが出かけるからな」
 今まで何処かに向かうのはドロテアであって、マリアは何時もマシューナルにいた。それが此処で初めてマリアが別の国へと向かうのを見送る事になったドロテア。ドロテア自身、そんな時が来るとは思っていなかったこの瞬間に 『人ってのはそのままで終わらないのがいいもんだが、人ってのは我侭なもんだ』 それを認めて一抹の寂しさを感じていた。
「会いに行くのですか?」
「暫くは行かない。職場に顔出すのはあまり好きじゃないから、俺とは全く違う仕事だしよ。慣れるまでは忙しいだろうからな。それに色々文句も言ったが、セツが付いてやがるんだ間違いはないだろよ」

 暫く会わなくなるんだろうな、不思議なもんだ

 そう思いながらドロテアは煙草に火をつけて、何時になく静かに煙を吐いた。
「さて、マシューナルに戻るか」
 ロインの頼みを聞き、それを解決して自宅に帰る道すがら、必要ない労力を使ったドロテアは今度こそ戻ろうと思ったのだが、
「姉さん、戻る前にちょっと。レイさんもいますし、話したい事が」
 そこにヒルダが意見してきた。
「なんだ?」
「この前レイさんと一緒にレイさんの故郷に向かったら、あること事が起こったんですよ」
 この四人でドロテアの両親の元へと向かい、帰りは別々に戻ってきた時の事。
「どんな事だ?」
 レクトリトアードの故郷と聞き、少しだけ眉をひそめたドロテアだが、話を続けるように促す。
 ヒルダは頷きながら、
「建物はほとんど壊れていました。そうですね、この街中よりももっと酷かったです。残骸すら残っていないような状態でした。そんな中でも村の中心にある柱だけは綺麗に残っていたんです。その柱の前の石碑っていうんでしょうか? 石版っていうんでしょうか? とにかくそこに刻まれた文字が第二言語でした。そこが妙に気になりましてね。レイさんは読めないんですけれど、私が集めて途切れ途切れ発音したらその声を拾って、単語を口にしたんです」
 ヒルダとしても、本当はもっと早くに言うつもりだったのだが、言うタイミングを失ったのだ。
 あの日、帰ってきて姉の家に行ったら「何か紫色っぽいもの(レシテイ)」
 さすがのヒルダもその衝撃の前に全てがふっとんでしまい、今の今まで話そびれ、此処まで時間が空いてしまった。
「第二? お前らが常用で使ってたヤツが第二言語なのか?」
 村の中心にあるというのだから、何か特別な目的があると考えるのが普通だ。
 そして、読めはしないがヒルダが拾った音から言語を再建できる所をみると、レクトリトアードはそれに対しての知識を持っていることになる。
 話を振られたレクトリトアードは、
「それは良く解らん。特別な言葉は習った事はない……ような気がする」
「************。今なんて言ったか解るか?」
「死ね! 貴様なんぞ、死んでしまえ……だよね! だよね! 俺がドロテアに向かって言ったたわけじゃないぞ!」
『何もそんな言葉で試さないでも……』
 可愛そうなレクトリトアードから視線をそらしつつ、そう思うエルストだった。
 いつもの事で、思うだけなのだが。
「解るのか……大したモンだ。でも読めないのか? 成る程な……」
「何がですか?」
「コイツの昔話を聞いた時、変だなとは思ったんだ。あまり追求しなかったけどよ」
「変?」
「五つで故郷が壊滅して、七つでマシューナルの闘技場に来るまでの二年間、レイは殆ど人と喋ってない。五歳の子供が二年間喋らないで何故言葉を覚えていられたか? 元々レイは言語能力が優れているんだろうとは思っていたが、第二言語が使えるんだったら納得がいく。第一、第二あたりを先天的に習得しているなら、言語が失われることはない。そして、上位言語を取得している場合は、下位言語を習得するのは簡単だ。ただ音だけで書くのにはやや不自由があるが」
「何で書いているのは読めないんですか?」
「取得していると言っても、知らなければ理解できない。『**』が『海』だと知らなければそれはただの音の羅列だ。それと同じだ……偶に生まれつき表記文字を取得している者もいるが、それは能力の開放点の違いだろう。こいつ魔法使わないし、今でも字を書くのは苦手だ。其処から考えると力が開放されていないんだろう。これほど強いとそういう事もあるんだよ、その能力を特化させる為に他の能力を制限、若しくは廃棄するってのが」
「へえ……それでですね、レイさんがその単語を発音したらなんと! 幽霊が現れまして!」
「幽霊な。廃墟に幽霊、随分と基本に忠実な村だな」
 幽霊如きで驚くわけもないドロテアとヒルダは “庭に雑草が生えましたよ” “庭だから雑草くらい生えるだろ” 程度の、何時もと変わらない会話。
 この二人に、それ以外の口調を求めるのが間違いなのだろうが、とにかく普通に虐殺のあった村でであった幽霊の話をする聖職者と、全く表情を変えないで聞く魔術師。そこに恐れなど一つもないのが、らしいと言えばらしい。
「女の人の幽霊がエピランダと呟くのです、何度も。エピランダって意味解かりますか? 姉さん」
「聖火の守護者って意味だ。第二言語だが、レイは知らねえのか?」
 幽霊には驚かなかったドロテアだが、ヒルダが口にした単語に少しだけ表情が動き、その単語が表す “当人” に問いかける。
 ドロテアの視線を受けたレクトリトアードは首を振りながら、
「知らない単語だった」
 自分は全く知らない単語だと答える。
 それを聞いて、ドロテアは一気に不機嫌になった。その不機嫌さは、まだ表面には出ていないがエルストには何となく感じられたし、何故不機嫌になったかも大体理解できた。ドロテアが不機嫌になった理由、それは “レクトリトアードが理解できない言葉を告げた幽霊の意味の無さ”
 普通の人間で地属性のヒルダに向かって初対面の幽霊が “聖火の守護者” などと告げるはずは無い。告げられたのは地上で聖火の能力が最も高い男レクトリトアード。だが告げられた男は全く意味が理解できない。
「それで “エピランダをどうすればよいのですか?” と聞き返したら何か言ってきたのですが、やはり第二言語で、どうも私には聞き取り辛くて」
 最早それはドロテアにとって “一人よがり” にしか感じられない事を、誰よりも何となく理解しているエルストだった。
 そんな傍観者で全く口を開かないエルストの脇で、会話は進んでゆく。
「レイは?」
「エピランダ・ヒストクレウス・アッパールダルア・エセルハーネ・ロミアと聞こえたが、あまり良く意味はわらかない。エセルハーネはあの幽霊の名前だろうし」
「知り合いの幽霊か?」
「多分母親……かもしれない、何時も一緒にいた。最後まで俺を庇って死んだ女だ」
「……お前いつも、その女に対して “母親……かもしれない” って言うけどよ、はっきりと解からないのか?」
「解からない。母親だと呼んだ事はないし、相手も呼べと行った事はない。相手は俺を息子だと言った事もないし、他の誰も俺たちを親子だとは言わなかった」
「ま、いいけどよ……それで、エピランダ・ヒストクレウス・アッパールダルア・エセルハーネ・ロミア……な」
「良く聞き取れましたね、私には変な音といいますか、幽霊の心情なのでしょうか? あまり語りたくない気持ちのようなものが邪魔して聞き取れませんでしたね」
 わざわざ出てきて語りたくないってのは、どういう了見だ! といった気配を隠そうともせずに、
「もっと前後があるんじゃないのか? これだけだと解からねえ」
 ドロテアは再びレクトリトアードに尋ねる。
「アラ・エピランダ・ヒストクレウス・アッパールダルア・エセルハーネ・ロミア・レムネス・ライララナラの繰り返しだ。アラとレムネスとライララナラは自信がない、くぐもっていて聞き辛かった」
「お前の耳で聞き取り辛いんじゃあ、ヒルダにゃ聞き取れねえな」
 レクトリトアードが最初に全てを答えなかったのは、ドロテアに不鮮明な言葉を適当に告げると大変な事になるのを、何となく知っている為。本能的な危険回避とでも言うのだろうか?
「意味わかります? 姉さん」
「単語を並べると『息子・聖火の守護者・聖地の守護者・変わり・生贄・父・会う・それだけ』となる。エセルハーネがお前の母親の名前だとしたら、文脈的におかしいし単語が足りないから文章にも出来ない。文法はまだしも…………行って確かめてみるか?」
「良いのか? 特に何も無い村だぞ」
 滅びた村に何か、例えば食堂なんぞがあったほうが余程問題だろうが! どうしてくれようこの男、と言った表情になったドロテアの脇でエルストは笑いをかみ殺しながら、
「幽霊はいるじゃないか、レイ。その幽霊さえ居れば後は必要ないよ」
「あ……ああ、そうだったな。手間取らせるが……」
「構いはしねえよ。特に目的のある人生でもねえし」
「人生まで言うか、ドロテア」
 最も人生に目的のなさそうな男も苦笑いをしながら、同意の意を込めて頷く。
「行きましょう! 行きましょう!」
「じゃあ、もう一人分の旅支度して来いよ」
「はい! 行きましょうレイさん!」
「急いで、準備してくる」
 ヒルダに腕を引かれて付いてゆくレクトリトード。二人が視界から消えたところで、エルストが口を開いた。
「で、何か思い当たる節でも?」
 ドロテアがわざわざ足を運ぶと言ったからには、それ相応の理由があるはずだと。
「思い当たる節は全くねえが、少し奇妙でな。聖火の守護者ってのはレイのことで間違いねえ、エセルハーネを人名だと思わなければ……“エセルハーネ” は常識的に考えれば人名なんかには使わねえんだが、とにかく普通の解釈でいけばあの文章は『お前は父である聖地の守護者にその身を捧げる為だけに会いなさい』となる」
 ドロテアはその文章を翻訳できなかったのではない。
 即座に翻訳し、違和感を覚え咄嗟に言葉を濁したのだ。
「なんだ、それは?」
「“アラ・エピランダ・ヒストクレウス・アッパールダルア・エセルハーネ・ロミア・レムネス・ライララナラ”……幽霊は現在形で語っているから、レイの父親は生きている事になる。それが正しいとして “その身を捧げる” の意味が解からなねえ。この使い方だと “差し出せ” の意味合いが強い。父親にその身を差し出せ……俺はアイツの口から、父親らしい男の話を聞いた事がない。それほど語り合った訳じゃねえが、アイツの口から出てくるのは “母親らしい女” だけだ」
 廃墟で最後までレクトリトアードを庇い死んだ女が、死後二十年近く経て語った言葉。
 “何故、父親の名を直接教えなかった? 名前なんざ、同名はザラに居るが手がかりの一つくらいにはなるだろう。いや、大体……待てよ、父親の名前どころか特徴も言いやしてねえ。……解るのか?”

『何となく気になった』

 ドロテアは思い出した。
 レクトリトアードがマクシミリアンを「同じ種族じゃないか?」と言った事を。同じような種族じゃないか? 確かにレイは “祖先は近い種族に違いないマクシミリアン” に興味を示した。物事に対し、ほとんど興味を示さないレクトリトアードが『ただの王』に興味を持った。
 幽霊が何一つ手がかりになる事を告げなかったのは、
「レイには感知できる……ってことか。……いや」
 レクトリトアードには、それを知る事が出来る能力を持ち合わせていると考えるのが妥当だ。
 ドロテア達とは違う種族である “彼等” にその能力があった所で不思議ではない。だが、言い換えれば、
 “そうだとしたら『父親の方』がレイを探しに来る方が、はるかに確実じゃねえか? ”父親“ なんだから最低でも十歳以上にはなってるはずだしよ……一体その女は何を告げたかったんだ? 要点を確りと言え!”
「バカめ!」
 生きている筈の父親が、とっととレクトリトアードを見つけ出して保護すれば良かったとも言える。
「何を考えてたか、そして言いたいことは解る。よーく解るけど、幽霊を怒鳴り散らして泣かさないでな」
「消え去りたくなる程、問い詰める。バカじゃねえのか? 要点告げねえでよ! そもそも、語る際には死別れた時点の知識を基準に言うべきだろうが。それとも何か? レイが勝手に第二言語を完全に習得して、まだ見ぬ父親を探す旅にでも出ていて、それに対してヒントを……っていうシナリオなのかよ? 返す返すもバカだな。アホなのかバカなのか、それとも幽霊になって知恵が退化したのか? どれでもいいが、全く役に立ちやしねえ。出てきただけ無駄だ!」
 推定 “悲運” な幽霊の言動も、思わせぶりが過ぎてドロテアの逆鱗に触れるだけ。
 この前のレシテイと、その幽霊の言動を足して二で割ったくらいが、最も適切な “ヒントというモノ” なのではないだろうか? 言った所で仕方のない事だと誰よりも知っている男は、
「一人っきりの生き残り……と思わせて実は他にも居るってことになるのか? そうそう一人っきりって言えば、ゲルトルート。また一人になるんだろうね。何でわざわざ語った?」
 話をずらした。
 そろそろヒルダとレクトリトアードが戻ってくる頃なので、話題を変えるのは当然の流れ。
「お姫様なんてのは、王子様に助けてもらうまで黙ってりゃあいんだよ。何時までもありもしない宝を欲しがる亡者共の旗印でいる必要はない。幸いマクシミリアンは優しい王様だ、たとえトルトリアが手に入らないとしてもゲルトルートを見捨てることはない」
 ドロテアはやれやれと言った表情で、エルストに返した。
「ま……一人は残りそうだったけど。諦めってのも必要だと俺は思うね」
「お前は諦めてばっかりだろうが、エルスト。それにお姫様は騎士とか王子様とかと暮らしていくのが良いのさ……向きじゃねえよ、あの姫は」

 元々ゲルトルートは、自分の意思一つで国を取り替えそうと思い立ったわけではない。彼女は自分が旗印である事は理解していた。理解していた筈だった。それが何時の頃からか、彼女自身の目標に摩り替わった。
 彼女は人々の理想である姫の姿を、自分に当て嵌めたが、それを上手く演じることは出来なかった。
 理由は簡単な事。彼女にはその才能がなかった。彼女には、それ程までの執念もなかった。国を継ぐ為に生まれてきた訳でもなければ、そのように育てられたわけでもない。ただ、何の憂いもなく人々に傅かれ不自由なく生きてきた彼女に、突然故国を取り戻し王になってくれと期待する方がおかしい。
 何よりも、彼女には王としての気質が全く無かった。彼女は王族であって姫であって、決して王ではない。
 彼女は煩わしい外界と隔絶された貴族の世界で、何も考えずに黙ってその慣習に疑問を感じずに生きてゆくのが最も適している人種。この種の人間が悪いわけではない、貴族階級においての “歯車” それは何処の階級においても必要な人間だが、歯車は決して “動力” にはなれない。
 人に作られた形で、黙々と動き続けるのが彼女であって、その歯車に動力たる風になれ、炎になれ、水になれ、大地となれというのは無理な事。

「姉さん! 準備できました!」
 レクトリトアード分の食料を買い揃えてきたヒルダが、手を振りながら二人の所に戻ってきた。
「じゃあ、行くとするか。エルスト、レイ、御者台な」
「はいはい」
「ああ」

 誰からも顧みられなくなったお姫様の行く末など、ドロテアの知った事ではなかった。

 エルストが手綱を引きレクトリトアードが地図を見ながら大まかな道筋を説明しながら、崩壊した城壁を背にしようとした時、
「待て!」
 背後から声がかかった。馬車の荷台部分に乗っていたドロテアは、その人物を見て黙っている。
 そのまま走り去っても良かったのだが、エルストとレイが馬車を止めた為、億劫そうに立ち上がり馬車から降りる。追ってきたのは、マクシミリアン四世。
「何の用だ、マクシミリアン」
 馬車に乗ってきた国王は、
「勇者になる気はないか?」
 屈辱に歪んだ表情で、それでも彼の仕事をした。彼は “勇者を認める国王”。ドロテアが決して自分の配下にならない事を知っていても、その資格があれば声をかける。
「ねえよ」
 淡々と、何の感情もなく返された言葉に、返された当人は『そうだろうな』といった表情で、それ以上は勧めなかった。
「私とて貴様なんぞ、勇者に認めたくは無い」
「そうかい。俺も勇者になんざなりたくないんでね。初めてじゃねえか、手前と俺の考えが一致したのはよ。じゃあな、マクシミリアン」
 再び馬車に乗り込み、走らせろ! と声をかけるドロテア。
 マクミシリアンに背を向けて乗り込んだドロテアは、決して振り返る事はなかった。
「私……だって、手足があれば……な」

 それが無意味な呟きである事を、口にした本人が最もよく知っている。

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 崩れたマクシミリアンの城を再建するために、薄笑みを浮かべたオーヴァートが訪れたのは、この直後のこと。
「建物は簡単に直るが、国が立ち直れるかどうかはお前次第だな、マクシミリアン」
 この言葉の意味を真に感じるのは、もうしばらく後の事。

第十二章 【邂逅】完

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