白い砂、青い海。どこまでも続く水平線と強い日差し。入道雲と狼煙のような煙が昇る青空。
「ハイロニアにようこそ!」
「ハイロニア領海に入ったのは五日も前のことだろが」
「ドロテアらしいとしか言いようはないな」
「さぁーて、マリアとヒルダでエルストを見ておいてくれ。回復したらわかってるな? エルスト」
「……」
「よし、後は任せた。俺は別の用を済ませてくる」
船酔いし続けた男の面倒を任された二人は、何の疑いもなく手を振った。その頼んだ相手が、この国の王の襟首を掴んで引くように歩いているとしても、特に何の違和感も覚えないいつもの事だ。
「さあ、エルスト。仕事あるんでしょ、とっとと治しなさい」
「そうですよ、エルストさん! でも船酔いってどうやって治すんでしたっけ?」
「この国の人に聞いても意味なさそうだしね。気合とかいうモノかしら?」
海に面していない国に生きてきた聖騎士と、外傷には強いが内臓などの異変には疎い司祭に囲まれて、少しばかり気が遠くなったがどうにも出来ないので、黙ってなされるがままとなったエルストであった。
**********
「この薬草は海風があたらない場所でしか栽培できないからな」
ドロテアがいる場所は、流木が多数集められている場所だ。小さな麻袋は油につけられていたもので、中身は流行病で死んだ子供、乾燥した草が詰め込まれている。病が蔓延しないように流行病に罹った者達は一箇所に集めれられ火葬という名の焼却処分が施される。
「定期的に購入するわけにもいかないからな」
今目の前で焼却処分されているのは、ほとんどが子供達。
「当然だろ。その薬保存が利かないのもあるが、この病用に精製してばかりなわけでもない。間に合う予定だったんだろ?」
海の上ならば最強の海賊王が船を繋いでいた理由。
この国では手に入らない薬を買い求めに向かっていた。
「それはな。大陸にも領土が欲しい所だ」
「勝手に侵略でもすりゃいいだろ」
「お前がオーヴァート陛下に“ちょうだい”と言えば貰えそうだが」
「そりゃ当然貰えるが、貰ったモンをお前にやるとは限らないぜ、ハミルカル」
ドロテアは煙草に火をつけながら、ハミルカルと共に離れてそれを見送る。
「で、誰々だったら内密に済ませたいんだ?」
「ああ。それはな」
五名ほど、この人物の一家が関係しているのなら内密に済ませたいと申し出てきた。その会話中に薪に火がつけられ、死体が燃やされる。
「その内密ってのは、俺には関係ないな? 持っているだけで殺害する、解ってるな?」
この五人だったならば、ハミルカルに報告しないでドロテアが単独で出る。
その五人以外ならば、ハミルカルに報告して、この国の裁判でカタをつける。
「お任せする。それでな、あれ俺の息子」
話し合ったわけではないが、それで合意した。言われた方向を見ると、そこにはハミルカルと王妃の両方の特徴を兼ね備えた少年が立っていた。
「何で“ドロテアの息子”なんだよ、名前が」
ハミルカルの息子のドロテカル、説明する必要もない程にドロテアに関係している名前だと解かる。
「俺の妻の恨み一つくらいで、困るようなお前じゃないし」
「困りはしねえよ。ただ、本当に俺の子供と勘違いされそうで嫌なだけだ」
「大寵妃の隠し子って格好いいじゃないか」
「格好良いのか? ……お前の感性も良くわからんな。さて、行くぞハミルカル」
「はいはい」
エルストのように従っているハミルカルだが、他の人に対してはそれなりに王の威厳を持って接している。
南海の海賊を統べる男は気性も荒く、人に使われる事を好まないのだが、
「おい、早くしやがれ!」
「待って!」
惚れた弱味というのは怖ろしい。ついでに惚れた相手自体が強すぎた。
**********
面白くもない葬儀を見終えた後ドロテアは、マリアとヒルダに合流する。
その時「取り合えず気合」と背中から気合というなの殴打を受け、「良薬は口に苦いんで、苦い薬で治るんじゃないですか?」とあまりにも濃く煮出した薬草茶を飲まされる、というムチャクチャな回復施療を施されたエルストは、ドロテアに言われた通り盗賊の寄り合いに向かった。
本当に良くなったのかどうかは定かではない。だがその場にいても良くなりそうにないので、盗賊の寄り合いに向かった……というのが正しく思える。
「でもどうやってレサトロア神を探すんですか?」
ドロテアにくっ付いてきたハミルカルを見ながら『王様って暇なのかしら?』マリアは心中で思っていた。
そしてヒルダの問いにドロテアは、
「金」
何時もの如く端的に答える。
「お金ですか?」
「そう、金と権力」
「でも誰が持ってるか解からないんですよ?」
「今エルストが盗賊の寄り合いで情報を集めている。一般人なら、貧しい病人が該当するだろう、薬も買えないで生きている人がその手の信仰に縋ったと見るべきだ。盗賊なら既に金持ちと渡りをつけているに違いない、偉いバカ共なら何時の飲もうか? 何時喰おうか? と喜びながら涎をたらしているだろう。俺の予想じゃあ、相当な金持ちだ。この国は金持ちが偉い簡単に造りになってるから、宴で呼び出すのが最短だ」
ハイロニアには貴族はいない。
魔力の強い者や、金持ちが偉いという構図になっている。
「どうして?」
「ただそこら辺に落ちているなら、すぐにリヴァスが助けられるだろう。リヴァスの目をもくらます物を使っているとすれば、金持ちだと考えるのが妥当だからだ。恐らく、ハイロニアが管理する遺跡のどこかに隠されている。それも、後代に下ったあまり強くはないものだ、リヴァスがその気配を感じ取れている所から」
“リヴァス神が助けられないでいる場所”となれば、そう考えるのが妥当。
そして国の重要人物に遺跡を管理させるのは、何処の国でも同じ。
「そうだとして、持ってこなかったらどうするんですか? 不老不死の伝説を真に受けてるとしたら、持ってこない確率の方が高いですよ」
「ヒルダ、遺跡は管理している者であっても離れる際に初期化しなきゃならねえ。不要なものなんて置いておけば初期化にはならねぇんだよ」
特にハイロニアのように、海上に管理する遺跡の多くが存在する場合、桟橋を作り船で生活しつつ遺跡を管理するのが一般的だ。『船で生活』別の国では倦厭されそうだが、この海洋国家ではそれもない。
「確実に持ち出すんです……ね。でもそうしたらリヴァス神が襲ってくるんじゃあ」
「ロイン止めておけよ。人間には人間なりの裁き方ってのがあるからな。此処で派手に見せしめしておけば、暫くは人魚に手を出しはしねぇ」
「人間達の間の事は任せました」
小さくされたロインがドロテアの肩の上で正座して、深い深い礼をする。その姿に威厳とか諸々は見当たらない。
「処刑は派手にやるんだろ? 一度は神を引かせる事は出来るが、二度目はないと思えよハミルカル」
「勿論、いつも通りに派手にやるさ」
「派手?」
「ハイロニアは海賊の名残が強い国だ。そりゃ処刑方法も派手だぜ、他国じゃあ類を見ない程の厳罰を処しやがる、車輪裂きやら肢体切断なんて日常茶飯事だ」
「肢体裂きと車輪切断ってなんですか?」
「別の処刑方法言ってるんじゃねえよ、ヒルダ。車輪裂きはでかい車輪に縛り付けてグルグル回すようなモンだと思っておけ、此処で死刑方法を詳細に語ってる暇もねえし。それと肢体切断は両手足を切るだけだ。切った後中々死なないようにするだけでな」
「すごいですね……」
「何にせよ処刑方法は全部この国の連中に任せる」
**********
エルストが戻ってきたのは、海が夕日に染め上げられている頃だった。
白く美しい砂は、歩くと音がする。
「何か情報でもあったか?」
それでも聞きなれたエルストの足音に、ドロテアは振り返らずに声をかけた。
「病弱な息子を可愛がっているこの国の若き重鎮が、良い薬を手に入れたらしいよ」
一人で海を見ているドロテアに、背後から声をかける。
「何処の誰だ?」
「本島の直ぐ左側にある島に住んでいるって聞いた」
ハミルカルに言われた『五人』ではないと確認した後、滞在先になっている宮殿に向かった。
エルストが掴んできた情報によると、本島の直ぐ左側にある島に住んでいる忠臣が変わったモノを探しているとの噂が立っているとのこと。
「どんな噂だ?」
「アムルシア様は最高の“おろし金”を求めているらしい。切れ味鋭いナイフでも良いらしいけれど」
「おろし金……なる程。焼けて半死状態とはいえ神、人間の持っているナイフやおろし金じゃあその身を削って粉にして飲ませる事は出来ないな」
『干からびた人魚を粉末にして飲ませる』のが、一般的なやり方だ。
「とっても困ってるらしい。原型のまましゃぶらせる訳にはいかないらしいよ、何せ心臓が弱い息子さんだから」
アムルシアという男には、心臓の弱い息子がいる。先天的なもので、回復の見込みはないが「親として立派」なアムルシアは、他の子供の病気治療など顧みないで、霊薬と思われている人魚を手に入れ海を荒らしているというわけだ。
「アムルシアな。面白味のない男だったが、やってくれるじゃないか」
ハミルカルの顔色に怒気が混じる。
「忠臣顔して」
言いながらファルケスは曲刀の峰を舐める。その姿はとても聖職者とも、一般的な国の重臣とも思えないが、サマにはなっている。
やはり、海賊なのだろう。
ドロテアは馬鹿にしたようなため息を吐き捨てて、
「削れない時点で、マズイもんだって気付いて元に戻せよ」
『人魚』であれば普通の刃物で傷付けられるのは知られている。その為何人かが食した事がある記録が残っているのだが、その上に立つ神となると刃物如きでは傷付けられない。
エルストは肩をすくめて苦笑を浮かべて続ける。
「普通の刃物で削れないから、余計効果があると思ってるみたいだぞ。それで凄い切れる刃物を探している、飲ませるなら削らないとね」
人魚は瑞々しい姿であればそれなりに美しく感じる人もいるが(下半身が魚なので、魚嫌いな人にはグロテスクに映る)、干からびた人魚は最悪である。
人間のミイラと違って、そのまま干からびた人魚は当然ながら生臭い。それはそうだろう、別に香料に漬け込んでいるわけでもなければ、内臓を抜いているわけでもないのだから、当然そうなる。
「とにかく、アムルシアのヤツは死刑だろ」
レサトロアが生臭いかどうかは別として、干からびたそれを眼前に出されれば心臓が停止してしまう可能性のある息子を抱えている彼だが、
「当然だ。家族もろとも死刑だ」
死刑が確定した。
海を荒らしただけで死刑は免れないのが、海洋国家。
不可抗力で荒れたのならばまだ情状酌量の余地もあるが、人魚を陸に上げて食べようとする行為は海を荒らす行為と、この国に住んでいる誰もが知っている事。
それを仕出かした彼の一族を許してやる程、この国は甘くない。
「マリアと司祭は席を外した方が良いのではないだろうか?」
ファルケスが突然口を開いた。
その言葉に、ドロテアは眉を顰めながら、
「皮でも剥ぐ気か?」
極刑の一つを上げた。
ファルケスが首を振り
「女子供が殺される様をみるのは辛くないか? という事だ」
ドロテアが入っていない辺り、ドロテアの事を良く知っているのだろう、このファルケスは。
「余計な気を回す必要はねえ。こっちがアルシムアに関して口を挟みはしないようにな」
胸元から煙草ケースを取り出して、一本口に咥えると火をつける。
それを見てファルケスが出入り口に居た、妻ルクレイシアに灰皿を持ってくるよう合図を送る。
「失礼したな。それとは別だが、妹であるヒルデガルドを改派させないか?」
「本気で枢機卿にするつもりなのか、セツの野郎」
「あの男が冗談を言うような男に見えるか?」
「結構言うぜ」
煙を顔に思いっきり吹きつけながらドロテアは冷笑する。
特に気にせずにファルケスは続ける。周囲にいる部下は冷や冷やしているが、当人同士はあまり気にしてはいない。
ドロテアは何時もこうであり、ドロテアがこうであることをファルケスは情報として知っている。
そして、見ているエルストもマリアもヒルダも特に気にしてはいない。ドロテアの態度がこうなのはいつもの事なので。
「それは、今度聞いてみたいものだ。付き合いは長いが聞いた事はない、無駄口もあまり聞いた事はないが」
「不必要なこと喋りまくってやがったがな、女の好みとかよ。改派の方はそのうち話し合ってみるか。そこまで話がでかくなってんじゃあ、残された道は聖職者を辞めるくらいしかねえからな。お前としちゃあヒルダが枢機卿、次の次あたりの最高枢機卿になってくれれば嬉しいとか考えてるのかも知れねえが、中々一筋縄ではいかねぇぜ、コイツもよ」
「大寵妃の妹が一筋縄で行くなどと誰が思う」
ドロテアとファルケスは一瞬睨み合って、そして高笑いした。
何が楽しいのか解らないが、とにかくこの二人は精神構造が似ているらしい。
**********
マリアに心中で「暇王」と名付けられたハミルカルだが、さすがに仕事に戻っていった。
その後、ファルケスとドロテアが今後の動きを話し合っていた。話し合うと言っても、アムルシアを本島に呼び出し、証拠を突きつけて処刑するだけなのだが。その手順と、証拠品の押収の仕方をつめる。
正面から言っても手に入らないだろう証拠品、盗み出すのが良い……という事で、小盗賊エルストの出番だ。
アムルシア邸の見取り図を手に入れ、警備体制を軽く説明していると、大人しいルクレイシアが話を中断させた。
「ファルケス様」
「何だ? ルクレイシア」
「王妃が参られましたが」
「王妃だと?」
ファルケスは明らかにイラついた表情で立ち上がり、入り口の方へと向かう。その背中に、ドロテアは殊更面白そうに声をかけた
「俺に会いにでも来たのか、殊勝な事で。昔は何一つ文句も言えなかった女も気が強くなったもんだ」
要約すれば『来るなら来やがれっ!』って事だよなぁ……エルストは思いながら入り口に視線を向けた。入り口の見張りに文句をつけているだろう、女性の声を拾いながら、
「通さないで帰す」
この口調で言い争い出来るとは到底思えなかった、自分の妻と。
「俺は構いはしねえぜ」
「別にあの女、もういなくても構わん。王太子がいるのでな」
「ドロテカルだってな。少し名前考えろよ」
「良い名だと誰もが思っている、王妃以外は。何の用だ! 王妃!」
戸を開けて廊下にいた王妃の手首を握り上げる。
「ファルケス! 私はこの……このっ!」
とても王妃に取るような態度では無いが、ファルケスは躊躇い無くその腕を取ったまま王妃を引いた。
「なかった事にしてやる、戻るぞ王妃。それでは、また。召使としてルクレイシアを置いていく。何でも命じてくれ」
「じゃあな」
閉められた戸と、小さく聞こえる叫ぶ声。
特に面白くもなさそうのドロテアは、首を二、三回まわすと何事もなかったようにエルストと最終段階を詰める。
完全にその話が終わった所を見計らって、ルクレイシアが冷茶を運んできた。取手のないガラスの器に注がれる、薄い緑黄色の茶を眺めているマリアに、
「…………」
ドロテアが声をかける。
「どうした? マリア」
その冷たいグラスを持ったまま、思ったままを口にする。
「あのハイロニアの鮫って……相当な目付きね。真正面から見ると……言葉にしようがないわ」
「ファルケスか。アイツに睨まれたら相当なモンだろうよ。俺は怖くねぇがな」
「怖いんじゃなくて性格悪そうよね、根っから」
「あ、そっちか。確かに性格は悪いだろうな」
見るからに性格の悪い大僧正というのも困り者では無いだろうか? その会話にお茶を口に運んでいたヒルダが大急ぎで、
「マリアさん、マリアさん。ルクレイシア大司教はファルケス大僧正の奥様です」
お茶を注いでくれたもの静かな女性に対してのフォローを入れる。
「あら、ごめんなさい」
「いいえ」
「この人ってバスラスの愛人なんじゃあ」
マリアは船の上で『バスラスの愛人』と紹介されたので、ファルケスの妻だとは思わなかったのだ。
それはそうだろう、船にはファルケスも共に居るのだから。
得心がいったとドロテアは茶を一気に飲み下した後に、この国特有の文化の説明をする。
「手っ取り早く言えばルクレイシアから生まれた子は、ハミルカルの子だろうがファルケスの子だろうが、ファルケスの子扱い」
「愛人の子の面倒をみる気はないの?」
「実力がありゃぶっ殺してのし上がるだろ、ここは海賊国家だ」
「不思議な国ねえ」
国の形態を取ったのが最近なので、未だ未熟だがその分勢いはある。
「ハミルカルってか、ハイロニアの国王は航海する際には王妃ではない愛人を連れて船に乗る。王妃は置いていく。それで選ばれる愛人だが、王を決して裏切らないという条件が必要だ。不思議かも知れねえが自分の妻を差し出してるって事は、自分は決して裏切りませんそして妻もまた裏切りませんっていう証明だ。またソレを受ける国王も、お前の妻だから裏切ることは無いと信頼しているから抱く。信頼してない部下の妻なんて抱きはしない。そしてこれ諸刃の剣でな、差しだした愛人、要するに自分の妻だが、コイツが亭主の事嫌ってたらどうなると思う?」
「どうなるって?」
「そりゃ寝物語で、亭主の悪口を言って閑職に回すなり処刑させるなりするんだろ? だから、余程自分が国王に信頼されていると自信があり、尚且つ夫婦仲が良くて、自分の妻は国王の情を受けるに値する美しさと知性を兼ね備えた女であると認めている、そういう図式になるんだろ」
「そういう事なのさ、マリア。あの目付きだが、この国的には愛妻家だ。誰でも海の上での愛人になれるわけじゃねえからよ」
その国、その国の考え方がある。
「あの目付きで」
「うん、あの目付きで」
この際目付きはどうでも良いだろう、ドロテアもマリアも。話を聞いていたヒルダが『はい、は〜い!』と手を上げて、
「でも逆はないんですか? お前の妻差し出せ! みたいな事」
思いつく疑問点をあげる、確かにそれは、
「一般的にはあるが、ハミルカルに関してはない」
あるようだが……
「何で断言できるの?」
「アイツが死ぬ程愛しているのは俺だ」
「うわ〜無駄な事を」
「本当よね」
今の国王にはそれは該当しないようだ。
逆を返せば、それでもファルケスの妻を傍に置くというのは、それだけファルケスを信用しているという事の表れでもある。
**********
物静かな大司教と、目付きが悪く、刃物を舐めて話をするような大僧正の夫婦仲が良好である説明が終わった後、思い出したようにヒルダは先ほどの話題を口にした。
「姉さん、私は改派したほうがいいのでしょうか?」
「お前に任せる。セツがお前に目つけたのは大したもんだと思うがよ。何にせよ、お前が決断すれば後はセツが機を見て変えるだろう。一番効果的にな」
「時間はまだまだありそうですから、ゆっくり考えてみますね。変わっても別にね」
「出世はするだろうけどよ」
「私が出世しても大丈夫でしょうかね?」
「……」
ヒルダを暫く見つめたまま、ドロテアもエルストもマリアを動きが停止した。
ヒルダがエド正教内で出世……出世自体は別に悪くないのだが、バカばかりやっている身内が偉くなってしまった時、その宗教に対して信仰心を持てるか? という問題。
三人の中ではマリアが一番宗教心あついのだが「……え?」こんな気持ちになった。
ヒルダが悪いというのではなく、なんと言うか言葉には出来ない気持ちというヤツだ。決して初恋とかそういう物ではなく「言葉に出来ない感情」
ドロテアは信仰心などないに等しいのだが、それでもエド正教が地に落ちるような気がした。落ちた所でどうという事はないのだが、何となく。
エルストには全く関係のない話だ。一応エルスト、ギュレネイス神聖教徒なので。勿論エド正教徒であっても、何も感じないだろう。それがエルストだ。
しばしの沈黙の後、マリアがかすれた声で、
「じゃあルクレイシアさんもザンジバル派なの?」
無理矢理話をそらした。
夫がザンジバル派なら、妻もザンジバル派なのですか? と。
そこにドロテアが即座に返事をする。
「違う、ジェラルド派だ」
「派が違っても結婚したりするんだ」
「ジェラルド派だから結婚したに違いない。現ジェラルド派最高位はアレクス、そのお陰で一人くらいは枢機卿を送り出せそうだからな。セツとハーシルが争ってる間に、そういう下準備もしていたらしい。自分も枢機卿、妻も枢機卿、それも派違いでトップを取りそれが仕える国家がハイロニアって構図だ」
ヒルダの改派は脇に押しやられ、現在ある状況を語りだす。
ソッチの方が楽だったに違いない。間違ってヒルダが法王なんぞになったら、どうしてくれようか? 本気で笑いそうだった姉・ドロテアであった。
「もしも恋愛結婚だったら失礼じゃない、ドロテア」
「そうヤロスラフから聞いたんだが、もしかして恋愛結婚だったか?」
「御寵妃殿の言われた通りです」
「俺もう寵妃じゃねえ」
ドロテアが鼻で笑いながらそれを否定すると、
「申し訳ありません」
ルクレイシアは謝罪する。
「謝られても困るが」
あの王妃の腕を捻って歩いている男の妻とは思えない程、彼女は控え目だった。
「おい、ルクレイシア」
「何で御座いましょうか?」
「言いたい事があるならとっとと言え」
やれやれと思いながら、ドロテアはよく言えば控え目、悪く言えば鬱陶しい女に話を振った。
彼女が船上から今まで言いたそうにしていた事があるのは知っていたのだが、何時か言うだろうと放置しておいたらこの始末。
このままでは自分達が帰るまで、何も言わないで「物言いたげな目」で訴えかけると言う名の鬱陶しい視線を浴びることになるので、とっとと話をつける事にした。
「猊下はお変わりありませんでしょうか?」
「前がどうか知らねえから何とも言えねえが、セツと仲良くやってるようだぜ」
周囲の人間を勘違いさせるほどには仲良く、上手くやっている。
「そうですか。良かった……猊下は何時も最高枢機卿閣下の事をご心配しておられますので」
「お前も変わった趣味だよな」
「……」
「どういう事? ドロテア」
「ルクレイシアが好きなのは、セツだ」
「えっ! セツ」
「マリア、そんな露骨に嫌そうな声あげるなって」
脇でエルストが口を押さえながらの喉の奥で笑いを潰している。それ程マリアの声は露骨だった。
「ご、ごめんなさいね。驚いちゃったんで」
「お前の事どうのこうのは知らんが、元気だったぜ野郎はよ」
「姉さん、一応他の聖職者の前では『最高枢機卿』って言いましょうよ」
何だか段々慣れてきたヒルダも、最高枢機卿に対する口調が崩れてきた。
間違いなく悪い影響力に違いない。
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