ビルトニアの女
赤い川は海に還りその花は散るのみだと【20】
 豪胆というレベルを既に超えている姉妹は、黒髪の美女の給仕で喧騒に目もくれず食事を頬張っている。一人人並みの神経に最も近いと思われているエルストはバターが挟まれたクラッカーを持ちながら、軽い酒を持ってフラフラと歩き、付いてきてもいいという盗賊達を探していた。
 盗賊を誘うのには盗賊崩れが良い、一番気持ちが解かるに違いないからだ。その語り口が例え「付いてこなかったら後でどうなるかは……俺にも解からないぞ。俺は女房を止められないからな」という、脅しであったとしても。その脅しは限りなくオブラートに包まれているところに彼らは救いを見出すべきだろう。
 一通り食べ終えたドロテアは立ち上がり、イシリア教徒の方を指差し叫ぶ。
「イシリアの小娘、そうだテメエだクリシュナ!」
 その声は普通であるはずなのに、怖い。そして、
『だからさ、名前知ってるんだから最初から呼べば……』
 行くも地獄、行かぬも地獄……と覚悟を決めつつある盗賊達の首根っこを掴んだエルストは、相変わらず思った事は口に出さないで遠い目をしていた。
「はい」
 名前を呼ばれたクリシュナは、人混みの中から現れて側に寄ってくる。一礼したクリシュナを見ながら、
「ヒルダ、その盾貸してやれ」
 まだ食べているヒルダに声をかける。美麗な顔の中心にありえない厚さのサンドイッチが存在しているが、それでも綺麗だ。むしろ、綺麗だからこそその存在が異常に目立つのだろう。顔の造りよりも遙かに豪快な口に収まっているサンドイッチを飲み込みながら、背負っていた盾を外しにかかる。
「はいはい。ちょっと待ってくださいね」
 と言い始めた頃には既に盾は外れていた。その盾を掴んでドロテアはクリシュナに投げつける、小柄な少女は受け止めて、少しだけ衝撃でよろめくがそんな事を気にするはずもなく
「クリシュナ、この盾は絶対に攻撃を通さない。よってコレに隠れていれば生き残れる、背後はどうか知らんが」
「子供だからと言って隠れたりはしたくありません!」
「誰が隠れていいと言った! この人手不足、むしろ生者不足の時に子供も犯罪者も知ったことか! いいか、よく聞け。テメエはこの盾を持ってクナ枢機卿を“死を与えるもの”の攻撃から護るのが役目だ。この盾は此処に居る聖騎士全員が集まったより防御力が優れている、クナが魔法を唱えている際の無防備状態の時護れ。解かるか? エド正教の枢機卿をイシリア教徒のテメエが護る事によってクナに口を利いてもらって援助を貰う。意味は解かるな、小娘」
「は、はい!」
 さりげなく聖騎士に失礼な事を言っているな……とヒルダは思ったが、口に再び食べ物を運んでいたので無視した。
「このイシリア教徒の中でお前が一番信頼に値すると見込んだ。ここでクナに怪我をさせればセツはあの冷酷無比な性格上絶対にイシリアに援助はしない。むしろ怪我をさせなくとも他国の回復援助なんぞあの男はしないと考えるべきだ!」
 良くそこまで、ここに来た聖騎士達のトップに立つ人物の腹心に対してて言えるな、と他の人たちは思ったが
「まあ、そうじゃろな。セツじゃからな」
 同派が間髪入れず同意したので、そうなんだ……と黙る。セツとはそういう男だと、誰もがそう認識している。
「よって、テメエが此処でクナに恩の一つも売らなければ、物資などをギュレネイスやらセンド・バシリアから非常事態として運び込むハメになる。共和国はまだしも、皇国のチトーはそれを機にイシリア内部の切り崩し工作をする」
「そうでしょうねえ、チャンスは逃さないタイプの人に見えますから」
 やっと食べ終わったヒルダが立ち上がる。何時もの盾がないので、とても身軽に見えるが、その口から出る言葉は重い……むしろ良い度胸と言うべきか。
「この盾は攻撃の反動もなにもない、唯一負けるとしたらテメエがその圧力に屈した時だ。それは取りも直さずイシリアが他国の圧力に屈したと思え」
「はい!」

 『悪い詐欺師に唆された少女のようにも見えなくはないな』などと、自分の身内の言葉を聞きながら心中で呟き続けるエルスト。
 ところで良い詐欺師ってのはどんなモノだ?

 盾を持って神妙な面持ちで経典を小声で朗読し、精神統一をはじめたクリシュナから少し離れた所で
「あの娘が一番信頼できるのかえ」
 クナがドロテアに声をかけてくる。別にとドロテアは手を振り
「あいつ、俺にかかってきて腕の骨折られた事があんだよ」
「無謀じゃが度胸はあるのお」
 カラカラと笑うクナにドロテアはいつも背中に背負っている、魔力を増大させる剣を差し出し
「クナ、この剣を使え」
「良いのかえ? お主は」
 それを両手で受け取りながら、クナはドロテアを見る。クナとドロテアの魔力を比べればクナのほうが上、だがその心配も
「吸血鬼から奪った石のネックレスで、どうにかするさ」
 胸元から出した銅古美色のワイヤーでつながれたオレンジ色の石が繋がるネックレスを見せる。クナにも見覚えがある、あの吸血鬼の本体ともいうべき石。
「いつの間にそれを?」
 セツが提出した書類を見た限りでは、それを回収する時間など無かった筈だが
「俺の亭主は手癖が悪いんでな、あの場でもそれとなく拾ってたのさ」
「大した男じゃ。では妾はその剣を借りようぞ。お主がつけてくれた護衛とともに」
 度胸と無謀の男エルスト。例えあたり一面が神の光に包まれても妻への手土産は忘れない。
「背後にパネを置いてな」
「ほっほっほっ! 大伯父のような輩はおらんと思うがのお」
「確実をきす為にな。お前は捕縛魔法で、パネは防御魔法だこの場合防御の方が広範囲だから実力者に任せる。俺が来たら指示に従えよ」
「だが、お主手柄を立てずとも良いのかえ」
「俺は学者の仕事で壊れているが稼動している古代遺跡を止めに来ただけだ。それ以外のモンは手前等に譲ってやるよ」
「では悪びれず頂かせてもらおうぞ」
「ただし」
「なんじゃ?」
「俺は横取りするかも知れねえぜ。気合入れて掴めよ、貴様の地位を!」
「了承した」

 陣容を整えたドロテアは、一斉に動こうとしている虫に向かって歩き始めた。

 盗賊達の案内で、地下に潜り辺りを気遣いながら歩みを進める。先だっては地下に、怖ろしい姿の虫に操られた者達がいたが、今回はどうやら遭遇しないで済みそうであった。必死にクラウスが倒したかいがあった、というものである。
 地下のそれほど酷くない状態を見ながら、手甲を壁にあてる。「ほわん」としか表現のしようのない音が壁とドロテアの手の間で響き渡る。
「あまり地下には被害はないか。遭遇する心配はないようだな」
「どうして地下にあまり被害がない……そうだ! 姉さん!」
「何だよ、いきなり。因みに地下に被害が少ないのは、地下がゴールフェン選帝侯の居城だったからだ。で、聞きたいのは?」
「あのですね! 何故どうやって三千人もの人が此処へ! そして何故脳を食い荒らされて! エドウィンさんたちがゴルトバラガナ邪術がかかっていながら普通の人たちは普通のアンデッドなのは何故だったのですかー! 何故ですかー! 何故ですかぁー!」
 鎖国政策を取っている国に、敵方にいつも味方している傭兵がこれほど大勢入り込めたのか? そして何時脳を食い荒らされたのか? エドウィン達はゴルドバラガナ邪術だったのに、他の人々は通常のアンデッド化だったのか? それらを食べる事に集中してすっかりと聞き忘れていたヒルダであった。
「……落ち着けよ、ヒルダ」
 一気に語った妹に『おいおい』といった表情で、少しだけ歩みを止め
「教えてください! 姉さんー!」
「てめえ、どっちに向かって叫んでるんだよ」
「あちらこちら」
「……」
 とりあえず拳を落すのは忘れないドロテアである。拳を貰ったヒルダは、軽く頭をおさえつつ、だが足は止めない。止まったりしたら蹴られるからだ、そこら辺はわきまえているようだ。
「気になって気になって、夜も眠れないなんて事はなかったんですけどね」
 頭をおさえつつ歩くヒルダに
「よく寝てたわよ、ヒルダ」
「この死者の群れのなかで眠れるんだから大物だよなヒルダは」
「眠かったんですもん」
 そりゃそうだろうけどよ……と、さすがの姉も呆れ気味に
「あ、そ。その疑問な」
 突っ込む事を放棄して、ドロテアは疑問に答え始めた。
「盗賊の寄り合いは此処だろ? 地下にあったんだろ。で、あの盗賊の寄り合いにあった写本は、大聖堂で写したもの。だから今俺達は地下を通って大聖堂に向かってるわけだ。それは解かるな? それでクラウスが言っていた事から考えると、教父の出た家は場所が変わらないって言ってただろ? で、エドウィンに聞くが、お前たちの家は地下道に通じる場所の上に建てられているんじゃないのか?」
「はい、その通りです。無論、主しか知りません」
「解かったか? ヒルダ」
「地下を通ったってことですね」
「それにな、人知れない道ってのは大体避難路、要するに街外に通じていると考えるのが普通だ。没落したって名門だ、シュタードルの家も。地下通路の地図の一つや二つ持っててもおかしくは無い。脱出経路ということは、その道を通って侵略もできる、とうことだ。そんな重要な道の出入り口だからこそ教父というイシリア最高の見識と地位に就いた家柄だけがそれを保管してたが、ま、時代が下ればバカも出てくるってのは解かってたこったろうに」
「説明されると、妙に簡単な話しですね」
「気付けよ。もっと言えば、上の街より下の方がデカイ。何せ此処は地中都市だったんだ、地上より地中の方が栄えているし、色々な対処能力もコッチの方が上だろう」
「へえ……じゃあ皆さん地下に逃げれば良かったんだ」
「そうだが。地下に何があるか解ったもんじゃねえしな。マルゲリーアも言ってただろうが、気をつけろって。だから一概には言えねえよ、実際居なかった訳じゃあないだろ?」
「確かに」
「でも何で地中に都市なんか作ったのかしら」
「……知らん。あいつの祖先のやる事なんて、凡人に理解できるわけねえ」
「そーだな」
ドロテアの言葉が言い終わるか否かの瞬間にエルストの声が被る。
ドロテアはゴールフェン選帝侯の歴史には疎い、マリゲリーアとの会話でそれは確実に言えるだろう、ここに何があったのかもわからない程に知らない。そして『あいつの祖先』と言った、その祖先が誰を指すのか? 僅かな空白の後の否定と『あいつの祖先』、それがオーヴァートの祖先を指しているらしい事にエルストは気付いた。
 話が途切れて、盗賊が指差す先には普通に扉が一つあった。
「此処から大聖堂に入れます」
 引き戸の扉の向こう側は、タペストリーがかかっているそうだ。
「解かった。入ってからの行動だが、ビクトールとエルストと盗賊二人で正門を開けに行け。多分魔鍵だろうが、それ程困難なタイプじゃないはずだ。大聖堂や、法王庁ってのは正面きって泥棒は入ってこないから鍵自体はそう大したモンはついてない。閂とかはあるがな」
「解った」
「マリアとヒルダとエドウィンで石版を探せ。エドウィン、お前なら大体の場所はわかるだろう。俺はこの兵士達と別の物を探す。ヒルダ、今なら死人返しは利くだろうが、余程の事がない限り唱えるな。魔力はまだまだ使う場面があるからな」
「解りました姉さん!」
「どうやら翅も生えきったようだな、ここから飛び立ってくれれば楽だな」
「おさえ切れるのかしらね?」
「ヤツラにもプライドがあるからな、ある程度押えるだろうさ。それに役に立たなかったらギュレネイス警備隊は皇帝を引き戻せず終い、聖騎士の文句はセツに言っておく」
『そりゃ死ぬ気で闘うだろう……』
 エルストは何時もながら心の中で呟いて、やたらと厚い絨毯が敷き詰められた廊下を走り始だす。
「待ってくれ! エルスト殿!」
 エルストは足が速かった、そりゃもう逃げ足の速さは天下無敵な程に。
 散開した後、ドロテアは暫く翅の生えた死を与えるものを見上げていた。凄まじい羽音と共に、辺りの小さな瓦礫が舞い上がる、巨大な虫は側にいる小さなドロテア達には目もくれず、飛び上がった。
「さて、後は飛び上がってくれれば……そこに攻撃してくれれば良いが、飛び立ったら飛び立ったで、いいか。コレばかりは虫の意思だからな」
 『どこかに飛んでいってしまったら、どうする気なのだろう?』と側にいた兵士は思ったのだが、無駄な事は口にしなかった。勝手に『多分策があるのだろう』と好意的に解釈して。だが実際の所は別にドロテアには策はなかった、何せドロテアの仕事はあくまでも無断使用されている遺跡の保護、そして機動解除。
 別にでかい虫などと戦う必要性はまったくないのだから。
『飛んで行っちまったら楽だなあ……』と考えていたドロテアの思惑とは裏腹に、死を与えるものはクナやクラウスが布陣している場所へと、炎を吐きつけた。
「さてと、じゃあ行くか!」

 纏わり付いた埃を払いながら、ドロテアは目的の場所へと走り始める。

 どこか遠くに飛んでいってしまえば、まだ少し命を永らえられたものを……と誰かが思ったか思わないかは別として、
「来ました!」
 多くの人間が同じ事を叫び、武器を構える。今まで近いとはいえ、遠くで見ていた虫が羽音と風を纏い近付いてくる。多くの者が武器を構え、盾を構える。吸い込まれた空気の流れを感じ、そして次の瞬間、死を与えるものの口の周囲が歪む。
 熱による歪みだと見て取った者達は、そして指示を出す者達は防御の盾に隠れろと指示を出す。表現するならば、空間が引き裂かれたかのような音を上げ、地上にいる人を焼き殺そうと火を吹き付ける。
「火を吐くとはね!」
 “間”が大きかったお陰で、殆どのものは無傷で盾に避難する事ができていた。死を与えるものが人間らしい思考と動きをするのならば、多分小首をかしげたに違いない。
「火炎攻撃で助かったわ!」
 聖騎士団の盾はどれもコレも、見事な耐火魔法が施されていたのだ。
「火炎攻撃で助かった?」
 思わず聞き返すクラウスに
「此処を率いるのがドロテア卿となれば、火炎魔法においては世界一でしょう。彼女の攻撃から身をかわす為に耐火の盾を第二陣は装備してきました!」
 ゲオルグは意気揚々と答える。答えている内容はどうか? だが……。そしてクナも
「持ちこたえよ! この程度の火炎であれば、法王猊下御自ら施された耐火魔法が破られる事は無い!」


何故最高の耐火魔法が掛けられた盾を? 最高の炎の魔法を使うのは、一応は味方であって……
その疑問に対する答えを持っていても、誰も答えを口にするものはいなかった


 当然ながら敵の敵、そしてやはり味方の恐怖である姉の指示で走るヒルダとマリアとエドウィン。多少壊れてはいるものの、エドウィンは三十年以上もほぼ毎日通っている大聖堂の内部を誘導していった。エドウィン自体、教父に選出されるであろうと言われていた人物であり、現在の教父の側近の役割をも担っていたのだから、ドロテアに言われたものの場所が何処にあるかは大体察しが付いてはいた。
 崩れた壁を駆け上がりながら、突き進み探していると
「ねえねえエドウィンさん」
「何ですか、ヒルダ殿?」
「あれのような気がするんですが」
「多分そうでしょう。私も直接見た事はありませんが、見た事がないというのが証拠になるでしょう」
 教父以外みる事ができないものなのだから、その答えに間違いは無いだろう。ただ……
「解かりやすいを通り越してるわよね……そして本当に小さいのね、石版?」
「水版って感じですよね?」
 “石版”と聞いてきたのだが、三人の前にあるのは円柱の柱の上でクルクルと回る、小さな四角い物体はまるで水で覆われているように見えた。ドロテアは石版と言ったが、それは単語としての石版であって、実際の成分はイローヌ遺跡の入り口でもみた流体金属の一種である。
 そんな事には気付かず、ヒルダとエドウィンは辺りを一応見回しながら石版に近付き上になっている面を覗き込む。
「ですが確かに書かれているのは、古代魔法の紋様のようですね。確かにそのように書かれています。私は書かれている事には詳しくはありませんが」
 青白く発光している円柱の上で回り続ける石版、それを前に
「ところでこれどうやって消すの?」
 マリアは疑問を口にした。マリアは魔術一般に関して門外漢なので当然だが
「さあ? 知ってますエドウィンさん?」
「いえ……ちょっと解りかねます」

 法力使い二人が瓦礫の中にある神秘的な光を放つ石版を前に、頭を悩ませはじめた。

「考えるのは良いけど、早くしないと。何時ものことだけど、時間勝負だし。私も解かれば良いんでしょうけど」
「う〜ん……こうやって、書いている面を抱き込んだらあの球体消えたりして!」
 度胸と勢いだけならばドロテアをも凌ぐヒルダは、思い切り良く石版を両手で掴むと抱き込んだ。思っていた以上にあっさりと円柱の上からヒルダの手元に来た石版、そしてそれと同時に
「ちょっと……ヒルダ……本当に消えたわよ……正確には消えそう……よ」
 崩れ落ちた天井の隙間から見える球体が、真下で見ていても小さくなっていると解かる勢いで縮んでゆく。
「ええぇ! どうしてぇ!」
どうしてと言われても、石版もエドウィンも困るだろう。
「そのまま走ってドロテア卿を探しましょう! 恐らく制御室の方でしょうから!」
「そっ! そうですね! 姉さん! 何処ですか! って制御室ってどっちですか?」
「此方です!」
 “エドウィンに知性があって良かったわ”“エドウィン司祭に知性が残ってて良かった……”二人はそう心の底から思いながら、駆け出した。
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