「って、話なんですよ……」
「……かなり怖いんだけど」
怪談話は好きだが怖がりなマリアは、聞いた事を後悔しつつ眉をしかめて口を開いた。おりしも、天気が崩れ嵐の様相となってきた外の効果音に、恐怖心を煽られる格好で聞き終えた話が
「怪談の類いじゃなくて、スプラッタだったんだな……いや怪談でもあるけれど」
怪談というよりは、スプラッタ話であった。怪談とスプラッタ話は=(イコール)で結ばれる事は多いが、分けるとしたら迷うことなくスプラッタ、惨劇である。
血が飛び肉が飛び散ったはずの館なのだが、壁や床は綺麗である。まさか屋敷の人間が全員殺害された後、殺害犯人が掃除したわけでもあるまいし……なんともおかしい限りなのだが、そこら辺は適当に辻褄を合わせるのが人間というものだ。ザイツが語り終えた後にイリーナが
「怖いんですよ。最近になってこの邸頻繁に現れるようになって……街道沿いだから、見ないように見ないようにって進むんだけど」
怖さを振り払うように大声で叫ぶと、語っている時は怖そうであったザイツが
「イリーナも怖いのか?男勝りなのに」
茶化す。
「ザイツ!」
その批難の声にかぶさるように、若干低音の女性の声が
「ばあぁ!!」
「うわあああああああ!!!!!」
あまりの驚きっぷりに、驚かしたヒルダが苦笑いして
「何もそんなに驚かなくても。ハイ食料です、食べましょう。カンテラも予備持って来ましたし」
食糧を全員の前に差し出した。
「ヒ……ヒ……ルダ。驚かさないでよ」
マリアが胸に手を当てて鼓動を収めようとしながらヒルダに、心底驚いたという声で話し掛けた。
「あら? ドロテアは」
「調べ物があるって、ここの図書室に籠りました」
人は恐怖を感じつつも、驚きながらも腹は減る訳で、全員が簡易の食糧を口に運び始めた。
**********
その頃ドロテアは
「何で厩舎に老馬の骨が三つ……なんで絵に額縁がないんだ?」
扉を一つ一つ開き、室内を確認しながらドロテアは妙な感じを受けていた。
ドロテアが最初におかしいと感じたのは結界が外から“被せられたもの”で、解除方法が術者以外には無理なように仕組まれていた事だ。別におかしくは無いように聞こえるが、この家主が結界に詳しくなければこの家に戻ってきた時に入ることが出来ない。
かけた術者を連れてくるか、別の術者を雇って解除してもらうかしかないような結界である。召使の一人が術者であったとしても、家主が結界を解けるようにするのが普通である。召使が屋敷を自由にしてしまう恐れがあるために。
ならば家主が術が使えるのか? と思いドロテアは記憶を探ったのだが、この辺りに嘗て魔術に長けた術者が居を構えていたという記憶はない。結構な術者が掛けた結界が、ボロボロになって朽ちるがままになってる状況なのである。
そして“図書室”と思しき部屋にたどり着くまでの間に見た室内は『変わった夜逃げ』と称したくなる状態であった。
燭台のない部屋、絵の額縁だけがない部屋。元の家の状態がわからないので、この状態がおかしいとは言えないのだが、奇妙な感じを受ける部屋がズラリと並んでいた。そして図書室、ゴッソリと抜けている一部分以外は殆んど恋愛小説で半ば閉口したドロテアだったが、それでも図書室を調べていた。恋愛小説は“レンアイ”古典文学やら“レンアイ”戯曲まで揃っていた。
“図書室で調べ物”ではなく“図書室を調べる”のがドロテアの目的であった。
書籍でその人の性格がわかるなどとはドロテアは思ってはいないが、その人の性質は何となくつかめるはずだ。
事実室内の書物と、屋敷の装飾は間違いなく同じ人間の趣味であろう、それにギュレネイスの男性がこのタイプの本を読みはしないとおもわれる。
「いや、まあ……この手の本が好きな男で、市街地からはなれて暮らしてたとか……一概には言えないからな」
ドロテアは背表紙を見ながら、どうかな〜と人差し指を口元に置き、舌で上唇を濡らして書棚を見つめた。
書見台の隣にある机にあったペン先。辺りをみても、ペン軸はない。
「何でこの家ってこう半端なんだ……でもまあ、多分この蔵書の持ち主は女だな」
ペン先から女が四十歳代というのはわかる。女性がそれも年配の女性が使うペン先の特徴を兼ね備えていた、勿論そんなものを使うのは金持ちだけでこの家くらい大きければ納得がいく。そして普通の人は、男だろうが女だろうが同じペン先だから。
「……待てよ……」
ドロテアは図書室から出ると、辺りの部屋を片端から開け書斎を探し始めた。図書室からさほど離れていない場所にあった書斎にあったのは男用のペン先
「……コッチはもっと古い……。軽く二十年以上前だな」
トルトリアで創られていた銘の入った男用のペン先、ただ潰れていて書くことはできないそのペン先のみが書斎にポツンと転がっていた。室内を見回すと、この書斎だけは他の部屋と趣きが異なっている。
それは落ち着いた装飾などというのではなく、室内のものが根こそぎ持ち去られている所だ。
「この部屋だけ盗難にあったとでも? ……あれは」
壁の一部にタペストリーか何かが掛けられていた痕跡がある、そこだけ色が違い、色の違う場そに隠し扉があった
「当然開いてるよな」
ドロテアが手をかけると、扉は当然の如く開く。
その壁に備え付けられていた隠し扉の中にあったのは“イシリア経典”
「何でイシリア教徒が此処に?」
この家の持ち主はイシリア教徒、それも隠れイシリア教徒だ。別に隠れイシリア教徒がギュレネイス皇国にいても何らおかしくはない。ギュレネイス皇国とイシリア教国に分裂したのは歴史的にみればつい最近のようなものである。
「だが宗教裁判で殺された訳でも無さそうだ」
宗教裁判にかけられた場合、家財は全て没収となり建物は火をかけられてしまうため家自体が残っているはずがない。
男用のペン先と女用のペン先、そして蔵書の量と刊行された年代。コレが意味する事をドロテアは黙って考えだした
「男用のペン先の年代から察するに、この家の主は男で、死後女が継いだ。おそらく妻だろう、妻はギュレネイス人ではないな、恋愛小説ばかりとはいえ中々の蔵書だ。戯曲やら古典文学やらはギュレネイス育ちの女じゃよほどの例外的な女じゃなけりゃ読めねぇだろうからな。犯人は単独犯だろうな」
高価なソファーなどが手付かずのまま残っているのがその証拠だ。大人数で、それこそ先ほどイリーナを襲った連中のように徒党を組んで強盗を働いているのならば持ち出せるだろう。だが、男二人組みであれば持ち出せない事もないサイドテーブルなども手付かずのままである。
絵は足が付きやすいから売らなかったのだろう、額縁だけであれば一人で運び出せる、馬車に積むまでの人手がないので軽いもののみを奪ったに違いない。
何よりもペン先が残っていてペン軸がない。ペン軸ならば手軽に運び出せ、尚且つ高価なものがある。この家の雰囲気からいってもペン軸も立派なものだっただろう。
女の盗賊という線もないわけではないが、女の盗賊自体がギュレネイスには少ないので男と考えた方が無理がない。
「隠れイシリア教徒の男と別の国の女が此処に家を持ち、そして男の単独犯に殺されたというわけかよ……っ! なんの音だっ!!」
結論が纏まった瞬間、家の壁が何かに突かれ震える振動や、なにやら怒号がかなり向こうの部屋から聞こえてきた。
「何事だっ!」
扉を蹴破るように足で開き、そのままドロテアはピンク絨毯の廊下を駆け出した。
**********
食事を終えて、窓の外を眺めていた。カーテンはどこにもなく夜といえども雨が降るとき特有の、藍色の淡い光を放つ空の明るさで外の景色を伺う事ができていた。その上雷まで鳴り始め、今夜はここで夜を明かす事になりそうであった
「雨止みそうにないわね」
怖い話で少し居心地が悪くなったマリアがそういっていると、悲鳴にならない悲鳴があがった。なんというか、押し殺したような声
「…………!!」
「どうしたんだ、ザイツ?」
エルストが指を指して固まっているザイツに声をかけると
「今人影がっ!!」
外側ではなく、屋敷の壁に人影が映し出されたのをみたらしい。
「人影ですか?」
「雷光で映し出された壁に、確かに人影が! 動いてましたっ!」
全員歩きもしていなかったので、動いている人影があるとしたら人か何かである。
「でも人の気配は……する? エルスト?」
「この雷と雨だと自信はないな」
エルストは困ったような顔をする。エルストがドロテアより秀でている、人の気配を感知するという能力。盗賊時代に身に付けた技術と思われがちだが、実はこれは警備隊員時代に学校で習った技術なのだ。盗賊時代のエルストは人家に侵入せずにひたすら城壁外の洞窟や、人気の全くない別荘などを荒らしていたのである。
実際、人のいる家に侵入するよりはいない家に侵入したほうが仕事はし易いし、危険も少ない。
最初から人を殺すつもりで強盗にはいるのならば関係ないだろうが、エルストは極力人殺しをしないで盗もうという労力のいる仕事を選んでいた。いらない所で無駄な労力を使う男である。その無駄な努力をするエルストが首を振りながら苦笑いを浮かべる。
「……ヒルダ、幽霊の気配は無い?」
「全然ありませんよ。静かなものですよ」
人影! という叫びにも全く動じずに食料を片付けるヒルダ。恐怖を感じるとかいうのはヒルダには全くないらしい、幽霊に対しては。
「疑う訳じゃないんだけど……ドロテアはどうしたのかしら? 遅いわね……」
まさかペン先をつまんで、恐ろしいほど考え込んでいるとは誰も思わないだろう。
「探しに行きましょうか。姉さんなら人の気配か、幽霊の気配か直に察しがついて、ドッチでも簡単に捕まえられる筈ですからね」
捕まった場合、幽霊でも人間でも可哀想な末路をたどるのも同じだが。
「幽霊なんて捕まえて欲しくはないけどな。一緒に行くかい? ザイツ、イリーナ」
二人とも首が外れるほど頷いて、エルストの両脇に捕まり廊下を歩き始めた。
当然先頭はヒルダである。そのヒルダなのだが
「あれ? 多分コッチだと思うんですけれど、図書室の場所はわからないですからねえ」
あくまでもマイペースだった。
「ヒルダ……こっちで確かなの? 何かおんなじ所を歩いている気がしてならないんだけど」
家の装飾のせいで、はっきりとは言えないのだが何となく同じ所を歩いている気がしてくる。
「気のせいじゃなくて同じ所を歩いているな、こりゃ」
「姉さんが言ってましたよこの家魔法で細工されてるって。危険じゃないけど厄介みたいです……ちょっと私には解らないんですけれど」
エルストは窓を触りつつ舌打ちをした。今は二階に上がったのだが、廊下の窓から見える僅かな景色が何度角を曲がっても、同じなのだ。窓から地面を見下ろしながら考えているその瞬間、大きな落雷があった。廊下中を照らし出すような落雷で、確かに人影が動いていた。
エルスト達の前方を歩いていた影が、壁の中に吸い込まれるように消えていったのだ。
「今!! 今の見た!!!」
「ああ、見たよ」
イリーナの引きつった表情に、嫌なものをみたようなエルストの表情。
「どうしたんですか、イリーナさんにエルスト義理兄さん?」
「確かに雷光に影が……」
「外じゃなくてですか?」
「ここ2階だぞヒルダ。こんな雨の中飛んでる人間もいないだろよ」
ギィ……パタン……ガサガサ
「今、ギィって音が」
「パタンって音も」
壁に消えたと思われた人影は、扉から室内に入ったらしい。扉から室内に入ったのならば、人間である可能性も高い。
「やっぱり何か居るんだ!!」
もうパニックに近いザイツは叫ぶが、ヒルダは駆け出して
「調べてみましょ。この扉ですね?」
バァンと何の躊躇いも無く扉を力いっぱい開いた。
「うわあああ!! エドの司祭さまってば!!」
ヒルダは忘れてしまいそうだが司祭だ。だが、ギュレネイス皇国で司祭といえば国家元首である。ので「エド正教の司祭」と呼ばなくてはならないのである、驚いてもそこだけは忘れなかった二人は生粋のギュレネイス人なのだろう。そして
「やっぱり、ドロテアの妹よね……」
駆け出していって、有無を言わせずに扉を開けたヒルダの後姿の力強さにマリアはただ頷くばかりであった。
「まぁね……」
そういいながらエルストもヒルダの後を追った。普通はあの場面、皆に「開けるよ、いいわよね!」とか聞く場面なのだろうが、ヒルダにしてみればそんな考えは露ほどもない。人影は幽霊ではない自信が有る以上、扉から入っていたのは人である。人が入っていったのならば即座に後を追えば、罠を仕掛ける隙を与えずに良い事尽くめだと。そして盾を構えているので、どんな攻撃にも対応できる自信があった。
要するに、ヒルダもドロテアの妹なのである。勇気ある司祭さまは扉を開けて室内を見渡した
「何もありませんよ。がらんとした四角い部屋だけで……あのカーテンの陰?」
この部屋には珍しくカーテンが掛かっており、背後からきたエルストとザイツが照らしたカンテラの明かりでようやく室内を見ますと
「あのカーテンの陰……なんかおかしいですね」
ヒルダは指さした。すると
「うわああ!! カーテンが揺れた!!」
「風も無いのに!!」
「くるなあああ!!! 幽霊!!!!」
その直後、ドロテアも驚く振動があたりに響いた。
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