『人は見ているようで、何も見ていないのさ』
よく、そう言っていた。
俺も気付いたのは、肌を何度か重ねた後だった。尋ねはしなかった、お互い他人からの情報が多くて、真実は何もなかったのかもしれない
『驚かれても困るんだがな』
**********
「さてと、それじゃあ外側は任せるぜ」
軍事施設、と言われてもピンとこないマリアは異様に艶やかな、空にまで届こうかというほどの壁を見上げつつ溜め息をついた。何処が入り口なのかも、全く見当がつかないのだが、ドロテアとバダッシュとルークなど学者達が、太陽の方角に指を指し上げ、影の長さをエルストが紐で測っている所をみると、この辺りらしい。四人が動き回っている間、ヒルダから勧められたオレンジマフィンを口にする。
「なんか、大変ね」
長い事ベルンチィアの首都で学んでいたヒルダは、お菓子もどこが美味しいか完璧だ、別に食べ歩きを学んでいた訳ではないが。
今マリアが口にしたマフィンも焼き具合といい、強すぎないオレンジの香りと言い軽く三個は食べられそうな美味しさである。。
「そうですね。一気に遺跡ごと焼き払ってしまえば上手くいきそうですけれど、そうもいかないですしね」
よくもまあ、これほど食べれるものだ、と誰もが言いたくなる程ヒルダは菓子を食べている。女性は菓子類には目がないというのの、典型のようだ。かく言うドロテアも甘いものが好きで、尚且つ酒好きだ。
食欲ならドロテアとヒルダは良い勝負であるが、酒の強さはドロテアのほうがはるかに上だ。マリアは酒を殆ど飲まないので解らないが、ドロテア曰く「体質で飲めないやつもいるが、飲めるやつは訓練で強くなる」と。
酒を飲むのにも訓練が必要なのね、とマリアは素直に信じて納得していた。
「中に一応、王太子達がいるしね。マシューナルはいいかもしれないけれど、ベルンチィアのダンカン王子は一人っ子なんでしょう?」
「ええ、そうですね。なんかバスケット片側だけ軽くなりましたね、どれどれ重さ調節」
言いながら足元に転がっていた手ごろな石を拾い、バスケットに入れる。バスケットの中身は、良くぞこれほど食べたものだ! といわんばかりに減っている。ダックワースもドーナツも完食されていた。
「よく食べたわねえ、ヒルダ」
「ええ、まあ。これから中を歩くので、栄養は必要でしょう! 魔法も使いますし」
確かに魔法は体力も必要だが、精神力の方が必要なのだ……が、精神力は持って生まれたものがあるらしい。魔力ではセツの足元にも及ばない姉妹だが、精神力ならセツと互角かもしれない。
菓子を食べつつマリアとヒルダが話をしていると、扉をさがしていた方で大きな音が当たりに鳴り響いた。
「あ、場所特定できたみたいですね! いきましょう」
どうやら扉が見つかったらしい。その音に弾かれた走り出す後姿は、やはり姉妹なのか良く似ている、この姉妹顔よりも後姿が良く似ている。驚く程というよりも『納得させるように』そんな感想をいだきならがマリアはヒルダの後を走ってついていった。
「どうやって開くの? この壁を」
入り口が見つかったらしいと来てみた物の、入り口らしい箇所はない。マリアの問いにドロテアは位置を指でなぞり
「なあに、簡単だ。ここに腕を突っ込んで中にあるレバーを手元に引くだけだ」
「へえ」
見えないが、中にレバーがあるらしい。興味津々にそこに手を伸ばしたマリアを咎めるように
「危険だから触るなよ、マリア」
ドロテアの声が飛ぶ。
「な、なに?」
「ほら、説明してた時に“流体金属”って言ってただろ、マリア」
「確かにそうね、なんだか全くわからないけれどね」
「要は水みたいな金属な訳。そしてこの場合、外から開くのは余程でも無い限り無理なのさ」
「??」
疑問だらけのマリアにエルストが答えているのは、ドロテアがレクトリトアードの説明をし始めたからだ。エルストは、並みの王学府卒業生以上に遺跡に足を運んでは、大変な目にあっている。その分知識も蓄積されているらしい。
「内側から遺跡を稼動させて、正規の手順で施錠していると外側から開けるのは困難だ。レバーのある部分にマリアが手を突っ込んだりすると、腕が千切れるよ」
「でも引かなきゃ開かないんでしょう?」
「そう。色々と手段はあるんだけど、時間がかかるし、今回はドロテアとレイがいるから簡単に開ける」
エルストの説明にマリアの疑問は増すばかりだ。
「何故?」
その質問に答えたのはエルストではなく、バダッシュだ。説明していたエルストはドロテアに手振りで来るように言われ、大急ぎで駆け寄っていっていた。その姿は主の元に走っていく忠犬である。で、続きを説明すると
「レイは基本的にこの施設の流体金属に近い」
「……金属なの?」
マリアの頭の中で、悲劇の美形剣士と焦げた鍋がイコールで並べられた等とは誰も思うまい。マリアの頭には金属イコール鍋なのだ。武器が思い浮かばないあたりがマリアらしい。その不思議そうな表情に苦笑を浮かべながら
「違う、違う。まあ、全然違う訳じゃないんだけどなあ。兎に角レイは俺達と違って回復力もあれば、遺跡に“異物”と認識されない種族だ。そして此処の入り口を開くには、二箇所を同時に引く必要がある。勿論一人じゃ無理だ。そこでドロテアの出番だ」
「姉さんは大丈夫なんですか? 普通の人間ですが?」
「正確に言うとあのショルダーアーマーの素材が鍵なのさ」
「どういう事ですかバダッシュ殿」
イザボーも不思議そうに質問する。
伯父の権勢のかげりを感じたのか、それとも別の心境の変化か? それともドロテアが怖いのか? とにかく少し大人しくなったイザボーにバダッシュは優しく答える。
「ドロテアのあの肩から腕まで覆っている手甲、あれは誰がどうやって作ったか知ってるよな、マリアなら」
バダッシュに話を振られて、直にマリアは返した。インパクトの強い贈り物なのだ、あの手甲は。
「ええ、オーヴァートがプレゼントした物よ。宝飾品よりずっとドロテアは喜んでいたわね。まあ、あの人ロクな物贈らないからね、ヤモリの黒焼きの瓶詰めとか……媚薬だとか言って渡した時はドロテアに酷く冷たい目で見られていたわ」
散々な言われようであるオーヴァート。マリアの評価は低い……ある意味高いのかも知れない“どうしようもない人”として。
「あれはオーヴァート=フェールセンが己の力で生成した金属。此処に使われているバルキフェン流体金属よりも上位にあたるもので、絶対にバルキフェン金属はフェールセン金属を襲ったりしない」
「襲う?」
「ああ、正式な施錠だ。外から無理矢理開けようとするとこの外観を覆っている流体金属が人を殺す仕組みになっている」
手がちぎれるというのは、その一つである。正統な手法で動かされた遺跡は、外部からの侵入を阻止するように命じられれば、完璧なまでに外部の侵入を阻止する。外部からの侵入の阻止はそれが最も一般的で、尚且つ特別な動力も必要としないものだ。動力があれば、もっと攻撃的な防御もできるのだが今回はソレはない。最もあったとしても、レクトリトアードを戦陣に突っ込めば簡単に打開できるだろうが。
「へえ、じゃあドロテアのあの黒い手甲は万能なのね、鍵としては」
因みに、アレを装着して薬草鍋と直接かき回したりしている姿を、マリアは目撃していた。まさかそれが、そんなにありがたいものだったとは、マリアは全く気付かなかった、その扱いからいけば当然といえば当然だが。
「それ以外にも色々あるけど、確かに遺跡に対しては“万能鍵”と言っても過言じゃない。宝飾品なんか目じゃないね。オーヴァート卿が自ら生成した金属を持ってるのは、ドロテアとエルストくらいのモンじゃないか?選帝侯を除けば」
「エルストも持ってるの?」
「あの眼鏡。あの眼鏡のフレームは間違い無く“通称・皇帝金属”と呼ばれるフェールセン万能金属だ」
泥棒道具に使っている、眼鏡フレーム……という事は、オーヴァートが態々泥棒道具を作ってやったという事になる。
「……ま、あの人だからね」
マリアは、それで納得した。それ以外言い様がないのも事実だが。
「皇帝金属……だから姉さん手甲で吸血大公を殴っても拳が潰れなかったんですね」
ヒルダがほぉ〜と納得している。ヒルダは皇帝金属が何なのかは知識として知ってはいる。まさか、そんなご大層なものが姉の方から手に向かって付いているとは思っていなかった。ただ、壊れない、丈夫なアーマーだなくらいにしか思っていなかったらしい。
因みにヒルダは、アレでムカデだのヤスデだのをブチ叩いて薬草鍋に突っ込んでいる姿を目撃していた。扱いは非常に雑なようだ……。
「そ、そりゃ凄い……。が、確かにそうだな、衝撃も吸収するだろうし腐敗もしない。微細どころか大きな傷でも自己修復機能で治るらしいから。最も傷も付かないって噂だけどね」
何よりもムカデだのヤスデだのをブチ叩ける胆力にも恐れ入る。ちなみにドロテアは旅の生活が長かったせいか、虫如きでは全く動じない。むしろ虫でキャーキャー叫ぶ女の横っ面を張り飛ばすタイプである。彼女達にしてみれば怖いのだろうが、ドロテアにしてみれば煩いだけであり、唾を飛ばして人に虫を殺してっ! と己がイヤで触るの事も出来ないモノを殺せと命じる高慢な態度は、虫より厄介なモノに見えるらしい。だからと言って張り倒して良い訳はないのだが、ドロテアだから……ね。
「へえ〜凄いですねえ」
「まあなあ。何より凄いのは無から金属を作り上げられるその能力だけどね」
確かに言われてみれば『無から有』を作り出しているのだから、凄い能力である。一般的に無から有を作り出せる事はない。
欠損した身体の修復・再生などは無から有を作り出す事の基本だといわれており、オーヴァートは身体のどこでも三割弱残っていればその部分が指令を出し、失われた部分を作り出す事ができる。
レクトリトアードですら身体の五割、それも頭部は四割残っていなければ修復しない。そこが皇帝と古代民族との差である。
「どうやって?」
「それは解らない。ルークは知ってるか?」
バダッシュに話を振られたルークだが、皆目見当もつかないと首を振りながら
「知らないな。皇帝金属の手甲だって今日始めて見たようなもんなのに。ああいう小さい皇帝金属は始めてだな」
大体が建築物に使用されるのが皇帝金属である。
「その皇帝金属って何処にでもあるものじゃあ、無いわよね?」
「勿論。帝国が解体してからは皇帝自ら居城を作る事もあまりしなくなったしな。マシューナルにあるオーヴァート卿の居城、あれはエールフェン選帝侯とゴールフェン選帝侯が作ったものだったし」
「一番有名なのは、初代皇帝が作ったフェールセン城。今尚全く朽ちる事もない“神の城”と称される城だな」
「ドロテアの家は皇帝金属よね。確か」
「そうそう、忘れてた。そうだったな」
バダッシュが懐かしそうに頷く。
「姉さんの家って、オーヴァートさんが作ったんですか」
偶に遊びにいく姉の新婚家庭が、まさか昔の男が作ったものだとは普通は思うまい。
「名残惜しそうに作ってたわね。あの人。まあドロテアに捨てられた訳だし。簡単に捨ててたわよ、私が見る分にはね」
“皇帝を捨てる女”スゴイ異称だ。そんな異称を持つのは古今東西ドロテアくらいのものだろう。そして、
「そう簡単に皇帝とか捨てられるもんなんですかね? バダッシュさん、ルークさん。学者さんとしての意見はいかがですか?」
そんなのに意見を求められては、いくら学者でも困るだろうよ、ヒルダ。
「いや、俺達に聞かれても困るよ……でもドロテアだけだろう、皇帝を捨てたのは」
「そう、ガンガン捨てられてたら皇帝の威厳も沽券もないでしょう。最も、あの人に威厳とか沽券とか感じた事ないけど」
マリア、強いよそのセリフ。そして、それに返答できる度胸のある人間はこの場にはいない。
学者達を束ねる、王族の頂点に立つ大天才を
「え〜と皇帝はあまり何だかんだ作らない、オーヴァート卿はドロテアの事凄い気に入ってたのは誰でも知ってるし。一説では兵器以上の物を皇帝は作ったと言われているけれど。詳しい話ならドロテアに聞いた方がいいと思う」
学者達は取り敢えず話しを逸らした。一応二人ともオーヴァートの学閥に入っているので、あまり悪口は言えない。変人としか評してもらえないオーヴァートだが一般的には大天才にして古代王朝最後の皇帝である。一般人があれこれ言っていい相手ではない、と一般的に考えられている。勿論、一般的にだ。
「へえ。フェールセン城は初代皇帝の作なの。有名なの? 初代皇帝って」
「“初代皇帝”というのは語られているけれど、実際は解らないんだ。皇統フェールセンには伝わっているんだろうが」
「ふ〜ん」
そんな、最後の方には話題的にずれてしまった話など知らず、ドロテアはレクトリトアードに指示を出し、エルストにタイミングを計るように命じていた。エルストの声に
「今だ!」
二人が同時に内部のレバーを引く。すると扉は開くというより、壁が滝のようになり、水が割れるような状態となる。これが流体金属の意味合いなのだが、取り敢えず
「滝ですね、滝!」
くらいしか、普通は言葉が見つからない。別に詩人が集まって、遺跡を前に詩を奏でるわけではないのだから問題ないのだが……もう少し具体的に説明して欲しいものだ。
「さてと入るか」
だが、そんなもの見慣れているドロテアは、何の感慨もなく入り口に足を踏み入れる。こうして、一向は遺跡の内部に無事侵入を果たした。
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古代遺跡内部にいるのは『生成物』、外にいるのは『魔物』、そしてどちらにもいるのが『魔法生成物』である。それらは生まれ方、作られ方の違いで分類されている。魔物は全て解明されているわけではないが、一つは「魔物の目」といわれる嵐の中から生まれてくる。
最初はつむじ風程度の風の塊が段々と巨大化し、次々と魔物を生み出す。その嵐が通り過ぎた後は何も残らない。ただ、その魔物の目を作っている根本はまだ解明されていない。魔法生成物は読んで字の如し、魔法である生物を他の生物に作り変える事を意味する。その基本は遺跡の中に存在する「生成物」を基本としているのだ。遺跡内部にある生成物を作り出す機械がある。そこには『核』と呼ばれるものに手を加えて生成物を生産してゆく、その核がどこにあるのか?どこから遺跡に運ばれてくるのか?これも解明されていない。
遺跡を作った皇帝の子孫も理解していないのだから、永遠に理解できないだろうというのが見解だ。
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流体金属の扉から内部に足を踏み入れるドロテア達。イローヌにはドロテアも初めて足を運んだのだが
「攻撃します! って建物全体が言ってるな、こいつは」
壁に拳を軽くぶつけ、帰って来る音を確認して眉間に皺を寄せるドロテア
「解りやすいな、これは」
エルストですら見分けがつくのだから、相当わかりやすい遺跡なのだろう。長い廊下に全員が入ったところで、出口が再び閉じる。これはコルネリッツオが行ったものではなく、既定の動きだ。が、閉じられてしまえば、少数で攻める側のほうが守りに入っているコルネリッツオより余程労力を使う。
廊下を歩き始めると、直に前方の頭上から雨が落ちるかのように“何か”が降り始める。
「ドロテア、あれあれ!」
「何あれ? なんかランディールとかと同じに見えるけど」
「その通りだマリア。基本的には同じだろうよ此処で出来上がるわけだからな。戦うのはレイだけでいい、後は隠れるなり結界を張るなりしていりゃ終わる。行け! レイ!」
ドロテアの指示の元、ドロテアが張った結界を物ともせずにすり抜け、敵の前に立つやいなや前後に掛けられている剣を引き抜き、体勢を低くし弧を描くように腕を動かすと落ちて来た魔法生成物は声を上げるまもなく崩れ落ちた。横に真っ二つに切られた程度では生命活動が終わらないソレ達は、再び動こうとするが直に縦に剣を振り下ろされあえなく潰れさる。
剣の動きだけでは十字に切られたでしかないその動きだが、実際は振り下ろした瞬間に目には見えぬ力が働き、毒のようにその切り口から、魔法生成物の身体を破壊している。その破壊の力は“炎”に属し、全てのモノは切り口から焼かれて行くのと同じ状況になる。これがレクトリトアードの力の根源が火である証拠であり、最も破壊にむいているという所以でもある。
切り裂かれ、崩れ落ちてゆく魔法生成物。その結界の内側から駆け出して決着をつけるまでの仕草に、なんらムダがない。むしろ、そうなるべきだと評したくなるようなレクトリトアードの動き。
「ふぇ〜確かに、吸血大公の城にレイさんが一緒だったら簡単に決着ついたでしょうねぇ」
嘗てドロテアから聞いた言葉を目の当たりにして、ヒルダに一言が言い表している。その強さは圧倒的だった。そもそも戦いというよりは“刈る”と評した方がいい動きだろう。
「この程度なら幾らきても大丈夫だ」
「サスガ、だな。最もお前は自分の力を全部発揮した事なんて、一度もないだろうよレイ」
「確かにそうだ」
本当に戦いたかった相手とは戦えず終い
どこにいるのかも解らない
レクトリトアードの強さにいくら魔法生成物をぶつけても無意味と悟ったのか、それとも別の意図があるのかま魔法生成物は全く姿を現さなくなった。
「全くこないと、緊張感が生まれてくたびれるのも早いが……そう緊張する必要はねえぞ」
ナーシャなどの兵士たちに声を掛けながら、ドロテア達は足を速める。コルネリッツオが何の仕掛けもなしに中心部に案内してくれるか、それとも何らかの仕掛けを披露するか?
コルネリッツオの性格からして、間違いなくなんらかの仕掛けを張っているに違いない、とドロテアは一応警戒していた。一応というのは、罠や生成物程度ならレイの反射神経でどうにでもなる、が、それ以外はレイに求めても無理だ。
長く感じる、全く敵のいない廊下を歩き続け、一つの扉を越えた時、突如今まで魔物を溜めていたかのように大量に襲い掛かってきた。
「全員集まって俺の背後に!」
「無理だ! レイ!」
レクトリトアードの指示に従えないと声を上げたのはエルスト。
魔物たちは大して強くない上に、彼等に襲い掛かっては来ない。まとわりつき、隊列を乱すことに重点をおいている。
混戦になれば、レイとて大多数を薙ぎ払う一撃を放つことができず、味方を傷つけないように気をつけて一体ずつ切り落していくしかないのだ。敵を倒し終えた時、かすり傷程度をおっている者は多数いたが、重傷を負っているものは誰もいなかった。敵の数からすると、明らかに陽動。
そして誰を陽動したのかというと
「レイにバダッシュにマリアにヒルダにナーシャにコーディウスにイザボーにシナードにリンザー……そして俺」
エルストが一人一人数えて、眼鏡を上げる仕草をする。この場にもう一人いたはずの人間の姿が見えない。
「姉さんどこにいったんでしょうねえ? ねえさぁん〜?」
ヒルダが崩れ落ちない魔法生成物達の死体を持ち上げ、下を探す。
「ヒルダ、ドロテアは押しつぶされてたら直に声を上げてエルストに持ち上げるように指示するわよ」
「そうですねえ」
姿の見えないドロテアが死んだとか怪我をしたとかは誰も思っていないらしく、何処かの魔法生成物の陰でやり過ごすのを待っているのだろうと思っていたのだが
「あれ!」
「何だ?」
「殺される様を見るがいい」
しわがれた声と共に、四角い空鏡が全員の前に現れた。
「コルネリッツオ!」
その声にバダッシュが叫ぶも、後は沈黙のままである。
「助けにいかないと!」
ナーシャやリンザーが映し出されているドロテアを指差しながらレクトリトアードに詰め寄るが、レクトリトアードは動く素振りをみせない。
「此処で待ってるの方がいい。何処にいるのかも解らないのに、無駄に動くよりは。それにドロテアは強いよ、なあレイ」
エルストが同意を求めると
「ああ。強い」
レクトリトアードも頷いた。答える声にも、いっぺんの揺らぎもない、どちらかといえば確信に満ちたような声。
「あの人魔道師なんじゃあ?」
一般的な意見である。ドロテアの黒っぽい着衣、特に長い上着がそう思わせるらしいのだが、実際はその長い上着の両横と前後に長いスリットが入って、尚且つ裾が足に絡まないように重さをつけている服なので、動くのにもとても楽なのだ。
元々武道というのは、自分の体の動きを見せないような着衣を着るものなので、ドロテアの着衣は理に適っている。……のだが顔のせいなのか、態度のせいなのか魔道師と呼ばれてしまう事が多い。もっともそれを隠れ蓑にして、したい放題しているのだから計算づくなのだろう。
「多分コルネリッツオはそう思っているから、一番厄介なドロテアを引き離して最初に殺すつもりなんだろう」
まさか闘技場で、男性急所を蹴り上げ、腰骨を折って連戦連勝していた人間だとは……余程の人でない限り知らない事である。
そして何よりも
「全く、あのジジイめ。お前を追ってるのは、俺なんだけどな」
自分が追っているはずなのに、完全に無視されたバダッシュは苦笑いした。
**********
ドロテアが生成物に追いたてられ到着したのは、大きな四角い箱のような部屋である。床の素材からして、
「立体映像か。施設359番を稼動って所か、そうなれば起動種類は……って、お出ましかよ」
部屋全体が立体映像で囲まれる、そういう種類の部屋だった。そしてドロテアを囲んだ立体映像は『闘技場』であった。
「ふ〜ん。此処で戦って勝てば生き延びられるって事か」
辺りを見回し、敵が出てくるであろう暗い登場口を見据えながらドロテアは整理していた
『魔法はダメ、邪術は後に残しておきたいからな。ヤツは俺が素手で戦えるとは知らない筈だ、そしてヤツの性格と嗜虐趣味を加味すれば、この状況はエルスト達に見せているだろう。そうなれば強い生成物は来ないな。俺を嬲り殺しにする程度と考えるとランクは最下層の生成物か』
何処までも冷静なドロテアである。
『一体倒しても直に次のが出てくるだろうから、一体目で大本を叩くしかないな。何処だ?この立体映像の元は』
辺りを視線だけで見回しながら、現れた生成物に視線を合わせた。
「45トーゴーヴァか……まあ、最下層の一番上って所か」
立体映像に映し出されているドロテアを黙って見つめている残りの者達。ゆっくりと見物させてやろうという、コルネリッツオの歪んだ優越感のお陰で、辺りには全く生成物の気配は無い。
「闘技場を模してか、厄介と言えば厄介だな……だが悪くないぜ!」
ドロテアは無敵と称される黒い手甲を構え、敵の空気を見据えた。
「助けに行ったほうがいいのでは?」
「ムダだ。助けにいったレイを別のバケモノの姿に見せる事も可能だ。勿論ドロテアはソレも知っているから、躊躇わずに殴りかかってくるだろう。で、当のレイはといえば、今ここでドロテアが自分に襲い掛かってくる事もあると聞いたわけだから、無抵抗だ。ドロテアに幾ら殴られたところでレイには致命傷は与えられないけれどな」
「はあ」
「それに、レイの力を欲しているのだから、レイが力を使うように仕向けそれを吸収する準備くらいしているだろう。結果として、動かない方がいいさ、まあドロテアのことだ。その気になればあのシャフィニイとやらを呼び出せばなんとかなるだろう? 歴史に残る大魔法を」
シャフィニイを呼び出せば、間違いなく勝てる。コルネリッツオはその魔力をも吸収する算段もしているのだが、そうは上手くいかないだろう。寝ぼけた神様ではあるが、破壊に関しては最大級の力を持っているのだ。
「ここで呼び出されたら、俺達も死ぬ可能性があるけれども、何とかするだろうね」
呼び出されれば間違いなく、ここで映像を見ている面々と何処かに捕らえられている可能性のある王太子達もろとも昇天する。でも、いざとなればその手段を取るのも辞さないのがドロテアだ。
「そういう事だ、アイツを心配するのはムダだ」
いちいち気をまわしてやるだけ、無駄というものである。そして、ヒルダの一言
「そうですそうです。それにしても、間が長いですねえ、直に登場してきたらどうでしょうね、魔法生成物ったら、直にやられるからってもったいぶらなくてもいいのに」
なんだか誰もドロテアの事を心配していない。心配されて喜ぶような人間ではないから良いのだが……
**********
「そこかっ!」
右の拳を振り上げて軸にしている左足に力を込める。全体重が乗ったドロテアの拳が敵の頭をぶち抜こうと捕らえると同時に、敵の腕が伸びドロテアの肩を貫いていく。
その衝撃でドロテアの躯の速さが落ちたが、軸足であった左足を突如左回転させ、ショルダーアーマーが装備されている左手の拳が敵の頭蓋を打ち砕く。そしてその生成物の体液に濡れた手のひらを壁に打ちつけ、肩から出ている血を右指で拭い、壁に大きな三角形を五度重ねて描く。
「エールフェン・ゴールフェン・バルキフェン・ドルトキアフェン・ジブアーシアフェン全てを支配せしバトシニア・バトシニアに従え!」
血で描かれた陣が、強い光を発しながら黒いショルダーアーマーの周りを渦巻いて取り囲み、その腕を振り下ろすとその光が五方向に向かって飛び散る。
「ラシラソフ・ラシラソフ・ロギラウロ・ラシラソフ」
ドロテアが放ったその言葉のせいなのか、室内は突如光を失い出口開いた。ドロテアは開いた出口に向かって歩き出してゆく。
その姿を見せられていた、取り残された一向は
「さすが……骨を切らせて」
「命を絶つっていうんだろうなあ」
殺しぶりに感動し
「一体何があったの?」
あっという間に起こった出来事に、呆然としていた。
「もう直戻ってくるだろうが、ドロテアがやったのはあの室内の無力化だ。あんな方法があるとは知らなかった、恐らくコルネリッツオも知らなかっただろうな。エルストは知ってる……んだよな」
「ああ。ドロテアの潜在魔力じゃ一室を数十分しか無効化できないけどね。あの三角形は選帝侯を表してその中心にあの皇帝金属を置いて、唱えればみたようになる」
「へえ。それもあのショルダーアーマーのお陰」
「そうそう、アレは凄いからねえ」
「ってことはエルスト義理兄さんもできるんですか?」
「俺、図形描くの苦手だし、皇帝金属の保有量も関係するからなあ。このフレームくらいじゃあ無理だと思うよ」
**********
初代は男だった
造った男の名は教えられない
それが決まりごとでな
知りたくない?
ははは、そういうと思ったよ
だが、他者が初代の名を知った時
それは私の終わりでもある
予言ではない
真実だと
何が違うって?
それはな……
**********
鮮血がまだ滴っている体で、弱ってもいない足音でドロテアが戻ってきたのは映像が途切れてからまもなくだった。
「何ぼけてるんだ?」
「あっさりと帰ってきたな」
あまりにもあっさりと戻ってきたドロテアにレクトリトアードが驚きの表情を隠せない。
「当たり前だ、俺が追い立てられて進んだ道も解らなくなる様な人間とでも思ったか? 逆を辿れば直に戻ってこられる、動かなかったのは正解だ」
「あの勢いで走っていて、覚えていられるものか?」
「テメエと一緒にするな」
「早く肩の手当てしましょうよ、姉さん」
傷は鋭い刃物で刺されたので、未だ出血が止まらないでいる。元々白い肌のドロテアが青白い顔色になる、おそらく口紅をとった唇も血の色を失っているだろう。だが、口調はいつもどおりで
「はいよ、ヒルダ」
言いながら服を脱ぐ。白い肌は血で染まっているが、扇情的とも言うべき美しさを人々にあたえる。首筋から鎖骨にかけての曲線の美しさは、視線を外せなくなる優雅さと華奢さを香らせている。格闘技に精通しているドロテアの身体は実際見た目ほど華奢ではないのだが、どういうわけか華奢に見られる得な体格なのだろう。
その折れてしまいそうな綺麗な身体を、布で縛り上げるヒルダ。
「痛ぇ! ヒルダ」
声が低いで有名なドロテアの声が裏返る程にヒルダは傷口を縛る。
「キッチリと縛らないと血が止まりませんから」
キッチリというより、ギッチリと縛っている。ギッチギッチで、骨が軋んでいる音が聞こえてくるような縛りっぷりだ。
「それ以前に、腕に血が回ってこねえよ!」
「大丈夫ですって」
「何処が!」
治癒の専門家・ヒルダは包帯の巻き方に関して妥協がなかった。肩を確りとヒルダに固定されたドロテアは立ち上がり
「まあ、ヤツの作戦の第一段階は失敗だろうな。次の手を考える前に行動に移す、付いて来い」
今度はドロテアから仕掛ける番だ