城下が港に面している国は二つある。一つはパーパピルス王国、そしてもう一つは
「ここがベルンチィア公国なのね」
ヒルダが多くの時間を過ごした街でもある。特に栄えている訳でもないこの国は、唯一の取り得と言えば治安が良い事だろう。その為にヒルダを此処の神学校に入れたようなものである。因みに治安も良いので人は大体大らかだ、貧しいながらも。いや、貧しいからこそだともいえるのかもしれない。
「おう、港町だ。まあ港で栄えていると言えるかどうかは知らないがな。港波で一番栄えているのはエド法国の港町クレッタソス。次はパーパピルス王国の首都エヴィラケヴィルス。それに比べりゃさすがに格段に劣るな、公国首都・アイアレス」
昔はパーパピルス王国の王学府に在籍していたドロテアがあたりを見回しながら言う。
「前々から不思議だったんだけど、何で“公国”って言うの?」
「国土が狭いから」
「それだけ?」
「それだけだ。出だしは此処を拠点にして辺り一帯の海を荒らしていた海賊を討伐した、マシューナル王国の貴族がその褒美に拝領した土地だ。元々は潮風が強くて不毛の大地だったそうだから、気前良くくれたんだろう。ま、可愛い子だったらしいしな」
その後ベルンチィア公領は紆余曲折を経て独立した。まあ紆余曲折等と言うが実の所はたいした事はない、金を支払って自由の身になっただけなのだ。
「それがベルンチィア公爵だったの?」
「伯爵だったが、公爵に格上げされてこの土地を貰ったそうだ。伯爵は当時有名な傭兵部隊を所持していたからな」
正確に言えば伯爵家には一人娘しかおらず、伯爵家は尚且つ金持ちだった。そしてそんな伯爵家に大金を持参して女婿として入ったのが当時の王の妾腹である。妾腹と言っても大寵妃との間に生まれた王子。王にしてみれば可愛かっただろう、賢さも中々のものだったので。だが、可愛らしさや寵妃を取れば王妃が黙ってはいない。その結果がこのベルンチィア公国に繋がった訳だ。
「? 伯爵が傭兵??」
「それ程珍しい事じゃない。自分お抱えの私兵団なんだが、兵隊なんて農作物作るわけでもないし、お針子するわけでもない。養っているだけだと、どっからどう見ても無駄だ。だから働きに出るのさ」
「ふーん」
剣士が剣を農具に持ち替えて、仕事をするというのは確かに想像つかない。簡単なベルンチィアの説明をしていると、ヒルダが大声をあげて駆け出していく。
「あ! シャーリー!!」
ヒルダの走り出した方には、シスターが両手を広げて、ヒルダの帰国を心待ちにしていた笑顔で出迎えていた。
「ヒルダ! 久しぶり!! えねえ、司祭になったんだって? 凄いわ」
ヒルダとシャーリーの周りを、何人かの聖職者が取り囲み、話が洪水のように始まった。その様を見ながら、荷物持ちエルストが感心したように声を上げる
「聖職者で溢れてるな」
最も、エルストの故郷は聖職者の本拠地であり、つい先日までいたのは聖職者の総本山なのだからそう驚く事でもないのだが。
「丁度帰還時期だから、仕方ねえだろう」
「あの女性はシスターね」
「ああ、確かヒルダに付いていた人だ。まあシスターは最低でも三人くらいには付く。年のころから言って、まだ此処で仕事してるんじゃないのか?」
シャーリーと呼ばれた、ヒルダと最も仲の良いシスターは、見た目からしてドロテアと同じくらいだ、だとすれば幼子の頃から預けられたとしても、まだ自由になるには程遠い。
「ふ〜ん。ヒルダって本当に偉いのね」
出迎えてくれているシスターや神父、そして同期と思しき聖職者に囲まれたヒルダに
「多分な。ヒルダ俺達は宿に行く、何処の宿がいい?」
ドロテアが声をかけると、ビシッ! っと手を上げて
「“雨の踊り子”と言う宿屋がご飯美味しいの!!」
「……わかった其処に宿を取っておく」
「基準はご飯なのね……」
「多分ヒルダの事だ、この街の全ての宿とか食事処を網羅してるんだろうな」
十二年もいればそれは可能だろう、それ程大きな首都でもなく、それ程娯楽の多い場所でもなく、学僧がウロチョロしていい場所などたかが知れている。
「おそらくな……これで成績悪かったら殴ってる所だぜ」
あれ程ボケていても成績は、全大陸で五十位に入るほどだったヒルダ。頭が良いのと切れ者は決して同意語ではない、経験を積めば変わるかも知れないが。変わらない公算の方が何となく強い。そして、ヒルダの前を立ち去るドロテアを見て、あまりに似ていて、あまりに雰囲気が違う事に同期たちは驚いていたとか。
鉄で出来た看板は、定期的にペンキを塗っているらしく錆てはいない。それなりに繁盛しているのだろう、と裏に周り馬車を置き表の入り口から宿に入る。
入って直ぐの所が食堂なのは、良くある造りだ。脇のカウンターに進み宿帳に記入していると、奥から宿の主が出て来た
「アンタ等、エド法国で吸血鬼を討ったんだって?」
人を何人か使っている宿の主が、わざわざ出て来る程噂が流れているようだ。
「耳が早いな」
ただ、ドロテアは顔も上げずに『字も威圧的』という評判の立派な字で宿帳に名前を書いている。マリアとエルストは部屋に荷物を置きにいっている、特にエルストはヒルダの分もドロテアの分も運ばなくてはならないので、結構大変だ。
「おう! 黒衣を着た美女だって聞いたからな。その顔から察するとヒルダ司祭補の姉かい?」
この顔で他人だと言う方が可笑しい程似ている姉妹だ。そして、その宿の主の言葉に一瞬だけペンが止まり、ペンを投げる様に置いて
「ああ……少し出るか」
荷物を置いて降りてきたばかりのマリアとエルストに、声を掛けた。
「どうかしたのか?」
エルストの問いに、片目を閉じてみせて
「ちょっとな。妹が後から来る。湯を汲んでおけと言っておけ」
受付にいる若い者にそれだけ言うと、ドロテアは足早に宿を出て行った
「へ、ええ……」
普通は司祭にそんな事はさせないが、何も言う隙も与えられなかった受付は宿の主と顔を見合わせて、少しの間止まっていた。
**********
聖職者が集まる街に出たドロテアは、人気のない場所に行く事に決めた。別に外出したいわけではない、ただ外出した方が良い事に気付いた、それは人目に付かないところの方が良い。ドロテアにも“何”があるのかは解らないが、“何かが起こる”のだけは察知した。
「少し歩くぞ」
「ああ、あの男か?」
エルストの問いに
「気付いたか?」
ドロテアが笑って答える。宿屋の主人の言葉と、先程チラリと目に入った人影、それを総合すると朧げにだが『推察』は出来た。
五人ほど見えた人影、そのうちの二人をドロテアはよく知っていた。一人は王学府時代の同期、バダッシュ=シン=ロートリアス。マシューナルの名家・ロートリアス家の五男。さすがに五男ともなると家を継ぐ事は不可能で、名家の女婿になるか己の力量で何とかするかしかない。どちらを選ぶのも可能な才能の持ち主。
美丈夫で陽気な性格、人に好かれる性質で、貴族的な嗜みも充分あり、『是非とも』との声が多数あったバダッシュだが、現在は犯罪者を捜索する仕事に就いている。勿論、どこの家の女婿にもなってはいない。兄が女婿となって非常に窮屈な生活をしているのを目の当たりにしたからだそうだ、あまりに説得力のある言葉に誰もが苦笑したものだ。そしてもう一人、
「目立つからな、アイツ。隠れる様な容姿じゃないから」
長身に長髪。銀の癖一つない髪が、潮風にあおられてサラサラと舞っている。腰の前後に二本ずつぶら下げられた特注の剣。
「さっき見かけたのはどうやら人違いじゃあねえようだな、レクトリトアード。まあ見間違う訳ねえか……」
見間違うのが困難な、雪のように白い肌。そして表情の浮かぶ事のない彫刻のような顔。闘技場で無敗を誇る、古代民族の純粋な末裔。どんな傷も瞬時に治り、魔法が全く利かない“無敵”と言われる男。
−アイツの何処が“無敵”だよ
『氷のような男だと言われる』
『テメエは火だぜ』
『何が?』
『解らないなら理解するまで教えねえよ』
『一生解らないと思う。お前の言う事は難しいから、ドロテア』
『ならそれでもいいさ、レクトリトアード』
人を抱いている時、僅かに上気した肌が印象的。そして僅かに解き放たれたような顔をしていたな
綺麗な男だった、体は頑丈で
心はもっと綺麗だった、そして脆すぎた
−アイツは脆い。自分が思っている以上に、な
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