―― 翌朝 ――
案内役のビズと、勝手に付いてきたまだ生きていると知った誘拐された娘たちの父兄を従えて、四人は道無き道をつき進んでいた。
案内役のビズは一晩休み顔色も良くなっていた、出発を見送りに来た妻のルイも、見違えるように顔色がよくなった。
時間がもったいないと、歩きながらの会話をし、ビズの身に起こった出来事に耳を傾ける。
ビズの語るところによると、狩りのために山中を歩いていると、いかにも”魔法使い”風体の男と遭遇した。見た事もない男はビズに気付くと、問答無用でその姿を変えた。
「ばれると困るから、口封じの意味でだろうな。遺跡を勝手に使ったら犯罪だからな。もともと同じ件で追放されたからな。また重犯罪の中の軽犯罪をしてるんだろ」
他者には理解しがたい言葉を呟きながら、ドロテアはかなり軽快に歩く。村人たちは鉈や斧で木の枝をなぎ払い、マリアは戦いには使わない剣で枝をはね除け、ドロテアは魔法の心得のない人には見えない”なにか”で次々と切り開き、道のない山を進む。
人狼のような姿に変えられ村に戻る事の出来なくなったビズ、ある日山に木の実を取りに来ていた村娘が、自分の姿を変えた魔法使いに連れ去られるのを目撃し後をつけた。
「術者を殺そうとは思わなかったのか?」
「その頃はまだ」
後を付けて閉じ込められた場所も解った。だがそこが古代遺跡の一つで、魔法生成物に姿を変えて、人以上の力を得たビズであっても、助け出すことはできなかった。その後も山中で連れ去られる娘を見て、再度隠れて娘たちが閉じ込められている場所へと足を運び、人数が増えていることを知って考えた。
その考えた方法とは、娘たちが山に入らないようにするために、警戒心を呼び起こすために、わざと姿を現した。
「怖がらせるってことか。良い策だな」
結果ビズの目論見通り娘たちは山に入る事がなくなり、連れ去れられることは阻止できた。定期的に姿を見せていたのは”もういなくなったかも知れない”と考えて、山に入らないようにする為だった。
捕まっていない娘たちはこれで良かったが、捕らえられた娘たちを前にしてビズはお手上げ状態だった。
木や石で殴ろうともびくともしない壁と、娘たちが警戒して山に入らなくなったことにより、魔法使いの男がその場からあまり動かなくなったこともあり、傍にも近寄れなくなった。
「でも殺そうとは考えなかったのか?」
「その頃になると、殺そうかなと考えたんですが……殺しても扉が開けないじゃないですか」
魔法使いは当然のことながら、捕らえられた娘たちに食事を運んでいた、その姿を目撃したビズは殺すことを諦めた。
魔法使いは両手を塞ぐほどの食事をトレイに載せて、捕らえられている娘たちの所へと運んでいた。ここまで無防備な状態を見て、入り口から”先”にも、まだ通常では開く事の出来ない扉があると考えたのだ。
相手が魔法使いである以上、ビズは交渉する余力はない。
殺して開いている扉から脱出させなくてはならないが、内側にも扉があった場合はどうすることもできない。魔法使いを殺害したら、自らの姿が元に戻るならいいが、戻らなければ娘たちが此処に監禁されていることも伝えられない。
そうやって悩みに悩んでいたところに、ドロテアたちが到着したのだ。
「それで、なんで解ってたの?」
最初から”解ってる”といった感じだったドロテアに、軽装のマリアが問う。
”今回は特別な敵でもないから、山中歩きやすい軽装の方が良い”と言われたので、革製の鎧とブーツにガーターといった出で立ちで。
「それね。ビズに見せた冊子は追放者の人相書きと詳細が掲載されているもんだ。あれには正確な追放日が記載されている。だから最初に行方不明になったビズが居なくなった日の前後に、この村辿り着ける可能性のあるやつをリストアップしたのさ」
街道を逆算すると、どの街からどの街へ何日で辿り着けるかの予測は可能。
とくに旅の商人は、年やそれに準ずる大きな街で時期を決めて開かれるバザールに出店するために、遅くもなくだが早すぎることもなく到着するよう予定を立てる。
これはかなり重要な仕事で、大きな隊商には必ず専門がいるほど。
ドロテアは家族で旅をしながら商売をしていた関係で、その計算を覚えた。
「術は術者の名前が解れば解けるような、簡単なものだったそうですね」
ヒルダはいつもの、長い髪を布ですっぽりと覆い隠した格好で、山道の枝や背の高い草を物ともせずにつき進む。
「そうだな。ヒルダでも解ける程度だったぜ。それで、あとは現物の魔法生成物を見りゃ、術者がどの程度かの実力かも察しがつく。リストアップした奴を、そこからまた減らした。なによりも、娘たちを狙うって辺りで”なにをしようとしているのか?”大体見当はつく」
「その娘さんたちを集めて、術者はなにをするつもりなんだ?」
背中に食料と水を背負ったエルストが疑問を口にする。本当は村人たちも、それを知りたかったのだが、昨日怒号を浴びて以来、全員口を噤み、ひたすらドロテアが語ってくれることを待っていた。
彼らは”待つこと”を覚えたのだ。
「次の満月に生贄にするんだろ」
エルストの問いに水筒に口を付けて水を飲みながら歩いていたドロテアは”そんなこと聞いてどうするんだ?”と事も無げに軽く言い放つ。
本来ならばここで”なんだと!”くらいの叫びが上がってもおかしくはないが、学習能力のついていた村人たちと、妻とシスターから重々注意されたビズは黙っていた。
そんな彼らの気持ちを代弁するかのように、
「こんなに悠長にしてていいのか?」
呆れるのと同時に”ドロテアらしい”と思いながら声を上げる。
その声に蓋を閉めた水筒をドロテアは投げつけた。
―― あ、氷いれてくれてる
口に運んだ水筒の水の冷たさと、唇に触れた冷たい感触に感謝しながら歩みを進める。
「焦る必要なんかねえよ。大体生贄には、色々と手順があるんだよ。かっさらって簡単に生贄にできる上玉なんて、そうそういないぜ。とくにこんな田舎の村にはな」
「上玉ねえ」
「一般的に”生贄”って聞くと、生娘を想像するだろう? なあ、村人ども」
立ち止まり振り返ったドロテアに、
「はい!」
全員の声が揃う。
おそれがなんともおかしく、そして哀れだ。
「けどよ、実際は生娘ってのは魔法における生贄としちゃあ、上玉じゃねえ。生贄は生娘じゃなくたって、構いはしねえ。それと聞けば誘拐された娘たちは、全員十代前半なんだってな」
《生贄》と聞くと多くの人は即座に清らかな処女を思い浮かべるが、それは物語のみで実際はかなり違う。
「そういやあ、違うって聞いたことあるな。一番適してるのは二十代半ばから三十代半ばの屈強な男性。それも節制した聖職者だったらなお良しって聞いたことがあった」
ドロテの秘書兼オーヴァートの書記を半強制的にさせられていたエルストが思い出した。
「そうですよね。聖職者が生贄に最適だって」
生贄に最適な聖職者であるヒルダが、言いつつ歩く。
ヒルダはとにかく歩くのが速い。手に持った杖で”ばしばし”と草をなぎ払い、枝を叩き折ながら何時もと変わらないスピードで山道を歩き続ける。
「そうだ。ちなみに捕らえられている娘たち全員よりも、ヒルダとエルスト二人の方が生贄としての効果は高い。要するに上玉だな」
屈強とは言わないが魔法を使えて、それなりに鍛えたえているエルストと、高位と言ってよい地位についている聖職者のヒルダ。
この二人のうちの一人でも充分な生贄となり得る。
もちろんドロテアは最高級の生贄となり得るが、誰も捧げられない上に、自分で自分を捧げるような人間でもないので、仮定するだけ無意味。
「生贄として上玉って言われても、喜べないが。でもそれなら男性の村人を捕らえたほうが……それほど力がないということか」
エルストは水筒を背負っている袋からぶら下がっている革製の水筒入れに差して、頷いた。魔法使いの弱点は魔法を唱えている時の無防備さ。
「男が抵抗したら適わねぇんだろ」
「弱いのね」
村の男が五名くらいマリアに襲いかかってきたとしても、マリアが勝つ公算のほうが高い。
「一番捕らえやすい娘たちで代用する気なんだろう」
十代前半の娘たちならば、まだそれ程大柄でもなく恐怖に負けやすい。羞恥心も強く、服を剥がれただけで動きが格段に悪くなる。
それらを加味して、もっとも生贄にされやすいのが生娘なのだ。
ちなみに生贄として”その程度”しか集められないので、ばれやすく人々の耳にはいり易く、生贄の話題では最も話題に上るので、術そのものを知らない者たちに誤解されてしまうのだ。
「術者の名前は”ヘイド”だったよな。ちらっと見たら、首都追放って書かれてたが」
「そのヘイドって人、なんの罪で追放されたの?」
一般的に首都追放の罪状は、殺人以下で窃盗以上。だが魔法使いとなると、やや事情が異なる。
「生贄使った”人体強化”」
ドロテアにとっては解くに珍しいことではないので淡々と言うが、
「じんたい……きょうか? ってなに」
マリアは初めて聞いた言葉で、たどたどしく聞き返した。
「後で教える。やっとバドハ渓谷が見えてきたな」
ドロテアたちの目の前に広がる渓谷の、随分と遠くの足元から”せせらぎ”の音が聞こえてくる。ドロテアたちがいる高さまで水の音が聞こえてくると言うことは、本当はせせらぎではなく轟音が鳴り響いているのであろう。それ程の高さと、常人では飛び移ることが不可能な幅の亀裂。
「渓谷に出たな。目的地まではあと僅かってところか」
地図を思い出しながらドロテアは一人、渓谷の反対側を見据えていた。飛行魔法が得意なドロテアにしてみれば”この程度”の幅など簡単に越えることができる。
”得意”というだけあり、他者を飛ばせることも自由自在である。
魔法を使えない人を飛ばせるのは、かなり難しいがマリアとエルスト、そしてヒルダもドロテアに飛ばされ慣れしている。それこそ、飛行から急下降して戦闘することが出来る程に、慣れている。
人や魔物は頭上からの攻撃に弱いので、勝つためには急下降攻撃が最も適しているということで、ドロテアが練習させたのだ。
「姉さん、あれ!」
反対側を眺めていたドロテアとは逆に、自分の立っている側を見ていたヒルダは《ある物》を発見して、そこへと向かって駆け出した。
ドロテアもその後を付いてゆく。
「なにかあったんですか?」
マリアとエルストが顔を見合わせて頷いて、二人の後を付いて行こうと歩き出すと、村人が不思議そうに尋ねてきた。ドロテアは恐いがこの二人、特にエルスト限定で怒られることはないだろうと考えて話しかけて来たのだ。
エルストは村人の想像通り怒りもせず、自分の見たままを教える。
「渓谷にかけた橋の痕跡だろう。物語の魔法使いなんかが一瞬にして架ける魔法の橋の痕跡」
よく物語に出て来る魔法で、橋を架けて海を渡り違う島へと行ったり、捕らえられて逃げる際に追い詰められて、空に向かって虹のような橋をかけるなどと書かれているものだ。ただしドロテアに言わせれば”卑怯”の代表格だとも言われる。
追い詰められた所で初めて魔法で橋を架けて脱出するのが卑怯だと。大体は出口に向かい、先回りされて逃げて追い詰められて……となるのだが「魔法の性質上、人が立ってたって、背後の扉に架けることは可能だ。何より空に向かって橋がかかるか、何処に向かって橋を架けてるんだよ」とのこと。
「凄いっすねぇ」
だが魔法を知らない人には、そんなことは解らない。
「橋を架けること自体は凄いと私も思うけど、あれはどうかしらね?」
驚いている村人に、マリアが冷静に声をかける。魔法を全く使えないマリアだが、どんな魔法使いが凄いのかは重々知っている。
「そうだな、マリア嬢」
エルストも頷き両手の人差し指と親指を互い違いに合わせ、窓のような形を作りそこからのぞき込む。その様にして見ると、橋があった痕跡が見て取れた。
「どうしてですか? 凄いんじゃないんですか?」
「魔法使いってのは、己の手の内は絶対に明かさない。術を使っても正体を悟られなくて、初めて”凄い”って言われるんだ。あそこに見るからに魔法を使った痕跡を残して立ち去るようじゃあ、三流にも数えてもらえないな」
盗賊でも同じ事が言えるが、とにかく痕跡を残して立ち去るのは一流ではない。気付かれないようにするのが上手い程、役に立つ。
「痕跡である程度、相手の能力が推察出来ちゃうって言うしね。それにしても、娘さんたちってそんなに大柄じゃないんでしょう?」
エルストは手順を踏んで”見た”が、ドロテアとヒルダには瞬時に見抜かれた。特にドロテアは魔法犯罪捜査の監査の資格も持っているドロテアにかかれば、粗雑な痕跡など冷静さと相まって瞬時に見抜かれてしまう。
そして一人ずつ誘拐したのならば、橋を作るよりも抱えて飛んだ方が早い。
「大柄じゃないですね。どちらかというと、小柄なのばかり」
「なら余計、飛んだほうが簡単じゃない」
マリアの素朴な意見だが、これに関しては個人差が大きい。
ドロテアは飛行呪文を得意としているので、マリアの言った通りになるが、ヒルダは橋を架ける方が早い。属性分類的にヒルダは飛行魔法はあまり得意ではない。属性分類を越える程の魔力があったり、鍛錬を積めば別だがヒルダは魔法をそれ程重要視していないので、苦手な呪文を素早く生成することはできない。
「飛ぶんですか?」
「ああ、簡単にいけるだろう。この渓谷は深いが幅は広くないし。ドロテア! どうするんだ? 橋を架けるのか?」
「一応架けてやる。村人共も、とっとと渡れよ」
指を動かし何かを呟いて、いとも簡単に渓谷に誰が見ても、それこそ素人が見ても驚く速さで横幅のある橋を架けた。
橋を作った痕跡を残した魔法使いとは比べものにならない程の速さで。
「うわああ! すごい!」
魔法を使えるヒルダは、その生成速度に純粋に驚き、一番に姉の作った橋に足をかけた。こういう時、エルストは一番は取らない。ドロテアの性格上、冗談半分でダミーを設置している可能性も捨てられず、そのまま渓谷に転落する恐れがあるからだ。
「確かに凄いけど……怖いわよ、これ」
マリアが”怖い”といった橋の上で、一人ヒルダは跳ねている。
橋は頑丈で、それこそ軍隊の行軍にも耐えうる強度を持っているのだが”透明”なのだ。
「透き通って下がみえる……見える」
バドハ”渓谷”なのだから、深さは相当なもの。のぞき込むと吸い込まれそうな気分になり、慌ててのけぞりたくなるような眺めだった。
村人たちも怖ろしくて踏み出せないでいた。
渓谷から吹き上げてくる風にローブを玩ばれやや足元が怪しいながらも、気にせずに一人橋の上にいるヒルダ。
そのヒルダを誰もが恐れ半分”さすが聖職者だな”という誤った認識半分で見つめていた。そんな奇妙な認識と視線に気付かないヒルダは、皆を手招きする。
透明な橋を架けた張本人のドロテアは、飛行魔法で浮いている状態。
「マリアさん、エルスト義理兄さん。透明な橋って綺麗じゃないですか。渓谷を見下ろしながら歩くなんて滅多に経験できませんよ」
―― それが怖いんだよ、ヒルダ
口の中で呟いたエルストだが、決して度胸がないわけではない。むしろ度胸はある方に分類されるが、吸い込まれるような渓谷に架かった透明な橋を歩くのは別次元の問題だった。
「やっぱり大物ね、あなたの妹」
浮いているドロテアに、マリアは恐怖で引きつったやや硬直気味の笑顔を向ける。
「まあ、大物といえば大物かもな。おい、村人ども! 早く渡れ」
「せめて手すりが欲しいな、ドロテア」
エルストの意見は無視された。
透明な橋は当たり前ながら「幅」は見えず、どこまでが安全なのかが全く解らない状態。
魔法の心得のあるヒルダやエルストは解るが、マリアや村人は見えない。なのでヒルダを先頭に一列になり、最後尾にエルストがついてすり足状態で進んでゆく。
「一気に渡った方が、怖くねえと思うんだがなぁ」
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