ビルトニアの女
地の果てを望むのは私ではない【5】

価値や考え方は千差万別だ
貴様の考え方や感じ方を押し付けても
成功はしない

 バキィィィ!!!!
 室内に硬質の物質が割れた特有の音が響き渡る。
 だが、その破片は床に零れ落ちてはこない。
「……こ……壊れたの」
 空中で四散し霧のように消え去った空鏡、そしてヘレンは頬をヒクヒクさせながら、術者に向き直る。
「壊れた訳では御座いません。ただ、一方的に遮断されたのみで御座います。片方の魔力、または知識が傑出していた場合空鏡の……」
 術者はありきたりの説明を述べるが、それが益々ヘレンの気に障っているのだ。本当の所彼女は説明を聞いても分からない。
 それは良い事では無いのだが、今までそうして来た。施設は使っているが、細かい仕様など彼女の知った所ではないのだ。ただ彼女の意のままに施設が動けば良いだけである。施設も部下も全てが。
「誰もそんな説明をしろと言ってなどいない! あの魔法使い……あの邪術使いに勝てるのか!」
 捕まえてこれからどうやって料理してやろうか? と考えていた相手がドロテアでは大変だ。最もヘレンの下に仕える奴等の方がもっと大変だが。術者は目を泳がせながら、自らの記憶を探っている。そして一人の女が考えあたる。
「み……見たところ然程魔力はないようですが、知識では……。あの女の名、もしやドロテアと言いませぬか?」
 薬草を得意とし、魔法を操る輩の多くは邪法を使える。”邪法”これは体の構成を知り、毒を探知するという魔法の一環が邪法に組み込まれているせいで、資格さえあれば罰せられはしない。最もいまドロテアが使っているような事をすると即刻極刑だが。
 そして特徴的な髪の毛。短いとはいえ、今は無い”トルトリア王国”を忍ばせる亜麻色のカールした髪、白皙の肌と整いきった顔立ち。すっと伸びた手足、その背筋を伸ばした姿勢だけでも圧倒される。そしてそれらを持ってしても隠し切れない程悪い口。で、おまけに薬草を操り邪法を用いる。これだけの特徴を備えたのは大陸広しと言えどもドロテアしかいない。こんなのが大陸に何人もいたら、魔王より断然困るが……。
「そうよ、ドロテア=ランシェと言う!!」
 若く美しい女に対して、ヘレンが嫉妬しているのは誰の目にも明らかだ。捕まえた理由の3割程度は嫉妬が入り混じっている、と誰もが思っているし、事実でもある。そんなヘレンを前に"空鏡専用術者"は目を合わせないように告げる。
「でしたら私では対処出来ませぬ」
「ど……どう言う事よ!」
 額の青筋が今にも血を噴出しそうだなあ、とエルストは年嵩の女を見めて口を開いた。先程から盛大に無視されている人質・エルストであった。
「こう言う事だろう、魔法使いさん。古代遺跡を使った建物の中じゃあ、知識が多い方が上だからな。アンタの知識では敵わないって事なんだろう」
 ガシャリと音をたてながら、手首を振り事も無げに告げるエルストに向き直ったヘレンの顔は、怒りから驚きに変わる。よくもまあこれ程表情が変わるものだと、いっそ拍手を送りたくなる程に。
「一体いつの間に枷を外した!!」
 既に口の端から泡を吹いているような状態だ、緊張の余りに口の中が渇いてしまっているのだろう。それでも飄々とエルストは続ける。余裕の無い相手など実際大して恐くはない、何度も言うようだが怖いのは妻だ。妻はどっからどうしても怖い。
「アンタラが自分の世界に入っている間に」
 手首をさすりながら、エルストはそれでも一応ヒルダの前に出る。殴りかかってきたりしたら困るので。そんなエルストの背後、でヒルダが床に落ちた手枷を見つつ

 ”さすが義理兄さん盗賊あがり……盗賊あがってないか……”

 一人納得している。エルストは手先だけならドロテアも感服する程器用である。まあ余りに器用で鍵開けが得意になって、金庫から金を盗むようになってしまったのだから、人の特技と性格は噛みあわないと大変なことになるものである。
「捕らえなさい!!」
 運良く水を飲んでいない部下達が互いの顔を見合わせて、どうするかを他者の判断に委ねようとしている。何せエルストは一応"勇者"だ。詐欺ではあるが、別に名乗った訳でもない、ただ勝手にそう思っているだけなのだが(女性の勇者は未だ1人もいないので必然的にエルストだと勘違いされる)
 先程の手枷を外した技能!(唯手癖が悪いだけなのだが)そしてこの落ち着きに、真実を知らないヘレンの部下達は躊躇っている。戦えばそれ程強くはないのだが、ただ逃げ足は相当速い、お世辞抜きで。
 何せアノ妻から逃げるだけの逃げ足は持っているらしい。それだけで大陸屈指の勇者と言っても過言ではないのかもしれないが、他の勇者様にご迷惑だから言わないでおく。
 そしてそんな部下達に追い討ちをかけるヒルダの一言。
「みなさん、武器はどこにありますか?一応それを持って姉に頼み込めば、命だけは助かるかもしれません。それとも……まだ戦いますか?」
 もう一度顔を見合わせる。ちょっと背後から来るであろう、ヤバイ魔術師とは出来るなら戦いたくない。頼みの人海戦術も既に無理のようであるし。施設の中は嫌に静まりかえっていた。そんな沈黙を破ったのがエルストである。
「逃げやしないよ。ただ手が痛かっただけだ。黙っているから気にしないでドロテアの相手をしな。ただ、アイツは怖いぜ。半端じゃなく、なあ術者さんも知っているだろう、名前知ってるなら……もしかしてそこの指揮官の女性さん、ドロテア=ランシェとドロテア=ゼルセッドが同一人物だって事知らないのかな」
 ドロテア=ランシェがドロテア=ゼルセッドだった時代。それは
「……あの女が……ドロテア=ゼルセッド?」
 エルストの言葉を聞いて辺りがざわめき始めた。彼等にもあの顔と、ドロテア=ゼルセッドの意味が解かった。それは、殆ど破滅に近い意味。
 ドロテアは”賢い”で有名であり、別のことでもかなり有名だ。
 まあ賢さ以上に怖いのも事実だが。誰よりもドロテアの恐ろしさを知っている男・エルスト。何故この男ドロテアにプロポーズをしたのかが、世界七不思議の一つに入れられてもおかしくはない。まあ、マリアとヒルダにせっつかれたと言うのが事実だが。
 部下が自らの命令に従わないのだが、それ以上に背後から迫ってくる死人の恐怖にヘレンは考えた。
 そして考えて何時もの行動に出る。
「たとえ、あの女がドロテア=ゼルセッドであろうが無かろうが……あ、あの人質を持ってきなさい!!」
 あの人質とは四人の居場所を告げた、国家転覆を狙った男とその家族である。
 『やれやれ……ソレが効く相手だと思っている時点で終わりだな』
 エルストはヒルダと目を合わせ、軽く片目を閉じる。
 ヒルダも困ったかのように肩を竦めた。

 人質が人質足りえるにはそれなりの間柄が必要だ。

 あのドロテアに果たして"自分たちを売った男とその家族"が人質の価値があるか?
 それは否である。
 まして子供が可哀想だなど思う訳は無い。
 子供だろうが幼児だろうが、殺される時は殺される。

 そうドロテアの故郷・トルトリア王国が滅んだ時のように。


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