4.東の国 妃と皇子【3】
 東の王は皇子を自由にするために、北の大国に使節を派遣することとした。
 表向きは北の大国の情勢不安を受けて国境の接している東の国だが、北のいかなる争いにも干渉しないことを伝える少数の使節団。その中に皇子の身の回りの世話をするための宦官と警備を担当する奴隷を同行させる。
 宦官は表向きは使節団の責任者を務める。
 皇子は最後まで罪人の娘のことを気にしていたために、占星術師は置き土産をして去ることにした。
 東の王の下にゆき使節団を用意してくれた礼にと、師匠から認められた書を開き毎夜語った物語のように東の国の《このさき》を僅かだけ語った。
 夜話として語らなかったのかを東の王が尋ねることはなかった。
 占星術師が語った東の国の未来とは《北からきた美しい女》に関すること。彼女を大切にするかしないかで、東の国の発展は大きく変わると占星術師は告げた。
「噂は千里を容易に駆け抜けます特に悪い噂は。良き噂が国に戻った私の耳にも届けば良いのですが」
「女に関しては心配は必要ない、安心して発つがよい。そしてお前の目が何処にでもあることを覚えておこう。南の国の占星術師、その名は言わぬが」
 東の王と占星術師が対面をしている頃、皇子は罪人の娘と最後の別れを惜しんでいた。
 自分に付き従ってくれた結果、ここに残ることになってしまった彼女に詫びる。罪人の娘は占星術師に語ったことを皇子に告げたが皇子には届かなかった。
「そんなことを気にしているのなら、私の国に住めばよい。父も母も従兄も歓迎することは疑いない」
 皇子の力強い言葉に僅かばかり涙腺が緩んでしまった罪人の娘だが、涙を流さずにゆっくりと頭を振り皇子の耳元に口を近付けて、
「ご安心ください皇子。今はこのような綺麗な言葉をも使っておりますが、本当はそこらの庶民の娘でさぁ。渡しの船ってのは色々と荒っぽいことも多いんで、言葉も悪いんすよ。渡し賃ふっかける渡しと値切ろうとする客の言い争いや殴り合いなんざいつものこと。顔は見られても下品だったあたしですが《第十王女》の身代わりとして仕込まれたお陰で王の目にとまれたんです。第十王女にゃあ感謝してますぜ、ですから助けてやってくださいな。気にしなさんな、あたしゃここで強かに生きていきますよ。あたしから見りゃあの坊ちゃん王女は頼りなくて仕方ねえ」
 罪人の娘の口から出た言葉に少し驚いた表情を浮かべた皇子は少しだけ頷いた。罪人の娘は餞別になるかどうかは解らないがと、自分の住んでいた場所の秘密の通路を教えた。
 海路の苦手な皇子は少々遠回りであっても陸路で向かいたいと希望した。
 季節はこれから冬になりるので北に向かう寒さを考えれば海路の方が楽であり、東の王は多少無理をしてでも海路で向かえと命じようと声を出しかけた時、占星術師の言葉を思い出して東の王は望み通りに向かわせてやることにした。
「今皇子が取る行動は全て第十王女と呼応しています。合理的な東の王から見れば稚拙で効率の悪い行動であろうとも、北の国に関しては皇子の言葉を採用されたほうが正しく収まります」
 皇子は慣れている男装を、占星術師は不慣れな男装をして使節団の中に客員として入り東の王がつけてくれた護衛と共に宮殿を後にした。

 皇子がいた部屋で独り座ったまま何もせずに過ごしていた罪人の娘のところに、東の王が二人が無事に出発したことを告げにきた。罪人の娘は何も言うことなく、そのまま東の王に身を預けその部屋の新たな主となった。
 北の第十王女は異国の水が合わずに死亡し、遺体は荼毘に付され灰は後宮から望める湾に流されたとされた。それを見たものは誰もいないが後宮から第十王女の姿は消えたことにより真実として受け入れられる。
 東の王は罪人の娘を気に入り占星術師の夜話を聞いていた頃のように頻繁に彼女の元に通うようになった。
 妾は罪人の娘を敵視してことある毎に彼女に文句をつけた。彼女のすること全てが妾には気に入らなかった。そんなある日罪人の娘が庭の散策をしていると、王の足が遠退き落ち目になり始めた妾が口頭で罵ったとき罪人の娘は初めて言い返す。
 あまりの口調の荒さと速さに言い返すことができなかった妾は東の王に、あの女は猫を被っていると自慢げに報告するも東の王は口が悪いことくらい気付いていたので、それを自慢げに語る醜い姿が決め手となり興味を失いつつあった妾を完全に遠ざけた。

 ある年温暖な気候の東の国に雪が降った。積もるほどではない、降って地に触れれば消える程度の雪であったが罪人の娘は二度と戻れぬ故郷を思い出し涙を流す。
 母の涙を見て故郷の話を聞いた息子は父にそのことを告げた。

 ― 北からきた美しき女 王から宝石《ジョウハラ》なる名を与えられる
 
《マフムード王は高山から雪を運ばせ庭を白くして笑えと命じジョウハラ妃は微笑んだ》

 ― 女の昔の名は残ってはいない

 罪人の娘の産んだ息子は東の王の跡を継ぎ、自ら記したイフマール回想録にそのように書き残している。


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