水精姫の選択

【17】

 それが魔人の性だとヴォルフラムは言うだろう。

◇◇◇◇◇

「ほら、バターの賃金」
「ありが……とうございます」
 イトフィルカと会った翌日、呼び出されたパルヴィは「今度はなんだろう?」と体を強張らせやってきた。
 怯えきっているパルヴィの肩を掴み乱暴に引き寄せて、耳元で囁き硬貨が詰まった袋を握らせる。
「喪明けの祭りが開かれるから、侍女と一緒に行ってきな」
「は……はい。ありがとうございます」
 パルヴィは手に握らされた袋をイリアに渡してヴォルフラムに手を伸ばそうとしたが、彼はその手に気づかぬふりをして部屋から出て行った。
 昨日のイトフィルカのことや、ヴェーラにやってくる理由でもある故国のこと。その他聞きたいことはあったのだが、拒まれるのではなくかわされてしまい、行き場を失った手を胸の前へと持って来て溜息をつく。
「姫さま……ご気分が悪いかもしれませんが、公爵閣下に言われたとおりお祭りにいきましょう」
 体調を気遣い「行かないで休もう」と言いたかったイリアだが、ヴォルフラムから直接言われたので、守らなければパルヴィの身が危ないのではないかと考えそのように提案した。
「そうね。行きましょう。本来の街並も見たいものね」
 初めて二人が訪れたとき街も城も喪に服し暗かった。黒の布がいたるところに掲げられ、街を飾るものはなにもなく、笑い声などなく息を潜めたような街。
「はい。お城も飾りが元通りになって、とってもきれいです」
 イリアに言われパルヴィは周囲を見回した。
 黒布で覆われていた彫刻が艶めかしい姿をあらわにし、色とりどりの花が飾られ、召使いたちのエプロンすら華やかなものに変わっていた。
 騎士たちの鎧の隙間からのぞく下衣も鮮やかで、鎧そのものも模様が象られたものへと”戻って”いた。
「では姫さま、そこでお待ちください。わたし急いでヴェール持ってきますので」
 パルヴィに硬貨の詰まった袋を手渡し、元気よく部屋を出て行ったイリアを見送ってパルヴィは雨戸が開いている窓から身を乗り出して外の空気を吸った。

―― ここでこうしていて、良いのかしら……

 当初の目的は果たせないまま、その上自分には預かり知らないところでなにかが起こっている。
 城の中庭を警備の兵士たちが隊列を成して歩いている。石畳を叩くように歩く音が城にぶつかり反射し、パルヴィの耳にはまるで違った音に聞こえてくる。
「パルヴィさま」
 突然声をかけられ、パルヴィは驚いて振り返る。
「テレジアさん」
「パルヴィさま、なにかご予定でもありますか?」
 テレジアの洋服も、いままで見たことがない程に色鮮やかであった。大きな白いレースの襟が特徴的な深緑色のベルベット生地を使ったドレスで、彼女にとても似合っていた。
「はい。公爵閣下から城下町の祭りに足を運ぶように命じられました」
「一人で?」
「いいえ、イリアと一緒にです」
「イリアを連れてゆくのも指示ですか?」
「はい」
「二人きりで行けと言われましたか?」
「いいえ」
「では私もご一緒させてもらいましょう。街は大きく道も入り組んでおりますので、案内は絶対に必要ですよ」

 二人はテレジアと共に城を出ていった。門番は事前にヴォルフラムから”ビヨルクの一行が街に出る”と聞かされていたので、慎重に確認することはしなかった。

 一緒にいる人が誰なのか? ―― についても

 好きに酒を飲み、往来で声を上げて歌うことのできる日が戻ってきたことに、民たちが喜びの、それを分かち合っている。陽気と熱気が酒と混じり、声が大きくなり見知らぬ誰もが互いを友人のように思い、笑いをかわす。
「どうなさいました? パルヴィさま」
「あまりの人の多さに驚いてしまいまして」
 パルヴィはヴェールの端を掴み、顔が露わにならないように気を付けて歩いていた。
「私から離れないでくださいね」
 テレジアは”失礼”と言いパルヴィの手を握った。
 人差し指の中程にパルヴィは痛みを感じたが、離れたところにイリアを見つけて声をかけることに必死で、なにをされたのかについてなど考えることもしなかった。
「はい……あっイリアが……」
 このままでは離ればなれになってしまうとパルヴィはイリアにむかって手を伸ばしたが、その手は力を失い人の波に飲み込まれていった。

◇◇◇◇◇

「街の様子を見てきてくれ、フリーデリケ、テレジア」
 ハイデマリーは二人に久しぶりの自由に羽目を外して暴れている者たちを諫め、巻き込まれて怪我をした者たちの手当をするようにと言いつけた。
「ハイデマリーさまの心遣いに感謝しながら楽しんできます。お土産も期待しておいてくださいね」
 テレジアとフリーデリケは頭を下げそのまま「二人で」城から出ようとした。
「あれ……テレジアさま」
 ちょうど交代になった門番の兵士が「ビヨルクの王女が侍女とテレジアさまと共に街に出ている」ことを伝えている最中に現れた彼女に、力無い悲鳴のような声を上げる。
「どうした?」
 青ざめて頭を抱えたまましゃがみ込み、口を開けなくなった兵士に代わり、交代の兵士がテレジアにたったいま聞いたことを伝える。
 二人は顔を見合わせて、なにが起こったのか? 互いに理解したことを確認して動いた。
「お前は王妃さまの所へ行け。通行証代わりの腕輪だ。安心しろ、王は魔女嫌いだ。はやく連れていってやれ!」
 フリーデリケが兵士の腕を引き立たせ、夫であるテオバルトから渡されたグリューネヴェラー公爵夫人の証である、大きな翡翠と瑪瑙が目を引く銀細工の腕輪を渡し指示を飛ばす。

 パルヴィが”まだ”誘拐されてないことに望みを賭け街へと向かった。

 二人がパルヴィたちを見つけるよりもさきに、イリアが「テレジア」を見つけ擦れた声で叫ぶように声をかけてきた。
「テレジアさま、あの姫さまは? 姫さまは一緒じゃないんですか!」
 遅かった――
 フリーデリケは腰に差している剣の柄を握り、軽く叩いてパルヴィが連れ去られた邸へと急いだ。取り残された形になったイリアに、テレジアが肩に手を起き目を見てゆっくりと説明をする。
「落ち着いて聞いて下さいね、イリア。あなたとパルヴィ王女を誘った”私”は”テレジア”ではありません。私には父親は違いますが瓜二つの弟がいます。その弟が私のふりをしてパルヴィ王女を拐かしたのです」
「あ……」
 イリアはさきほどまで一緒にいたテレジアに対する違和感の原因に気づいた。テレジアはパルヴィのことを「パルヴィ王女」と呼ぶが、誘拐した弟は「パルヴィさま」と呼んでいた。
 些細な違いだったので、イリアも呼ばれていたパルヴィすら気づかなかった。
「でも、どうして? なんのために?」
「私の弟はホラントといいますが、男性ながら魔女なのです」

◇◇◇◇◇

「ビヨルクの王女が誘拐された? どうせ誘拐したのは魔女たちでしょう。取り返してきなさいフリーデリケ。多少の破壊には目を瞑りますから」
 フリーデリケからパルヴィ誘拐の知らせを聞いたジークベルトは、天族との戦準備に忙しさから、おざなりに報告を聞いていた。
 買われにきた王女がこの国の最古老王族に誘拐された程度の事件であれば、フリーデリケもこの忙しい最中に言いにはこない。
「ホラントが関わっているので、私もまっさきに魔女の館へと向かいました……」

◇◇◇◇◇

 フリーデリケがイズベルガの邸に到着した時、邸は大きく破壊されていた。
「なにごと……」
 声もかけずに入り口を開き、剣を構えて邸へと踏み込む。
 昼間でも暗い邸は、破壊され陽射しが降り注いで、先日パルヴィが感じたような禍々しさはどこにも残ってはいない。壊れた硝子や鏡の欠片が光りを反射し、美しいほどであった。その美しさとはまた別に残された異質さ。
 フリーデリケはそちらに注意がむいた。
 黒く焼け焦げた石。だが火の気はどこにも感じられない。どうして建材の石がこのような状態になったのか? 彼女には解らなかった。
「パルヴィ王女!」
 フリーデリケが叫び廊下を踏みならす。
「助けておくれ……」
 どこからともなく聞こえてきた、聞き覚えのある嗄れた声に足を止めて周囲を見回すと、大きな瓦礫と薬品棚の間に挟まれ身動きが取れなくなったイズベルガを発見することができた。
 フリーデリケはイズベルガの前に膝をつき、動けない彼女の首筋に刃を当てて、態度とは違う穏やかな口調で話しかける。
「なにがあったのですか? イズベルガさま」
「邸が雷撃で壊されちまったのさ」
 ”雷撃”と聞き建材が焼け焦げた理由が解った。同時に彼女は身構えた。雷撃を操ることができる異形は一人しかいない。
「誰にですか?」
「解ってるんだろう。まあいいや、ハイエルフのイトフィルカだよ。私も初めて見たねえ」

―― 百歳にも満たぬ小娘が ――

「なぜイトフィルカがここに?」
「目的の”もの”がここにあったからさ。人が近寄らない魔女たちの邸で良かったね。ジークベルトに褒めて欲しいもんだ」
「……まさか! 目的は」
「そう、水精の落とし子さ」
「連れて行かれたのは確実ですか?」
「確実だよ。混血の魔女たちを焦がして、気を失っている落とし子を連れて移転したよ。手も足もでなかったさ。さすがハイエルフ、あの魔力はすごいねえ。これだけ喋ったんだ、そろそろ私のことを助けてくれないかい? フリーデリケ」