水精姫の選択
【14】
「パルヴィ」
領地に戻る前に「連れて行く」と約束していたので、ヴォルフラムはジークベルトと共にパルヴィを連れて魔女イズベルガの元へと向かうことにした。
扉を開き踏み込んできたヴォルフラムにパルヴィは体を硬くする。
「正常な反応でなによりだ。たまに暴力ふるう男に傾倒する馬鹿な女がいるが、お前はそうじゃないところがいいなパルヴィ」
「恐いのも度が過ぎると”こう”なるでしょうね。フリーデリケ、その侍女を連れてハイデマリーの所に行きなさい。パルヴィは私たちと一緒に行きますよ」
ジークベルトはパルヴィの腕を引いて歩き出す。
「姫さま!」
「大丈夫ですよ。今回は私が同行しますから、ヴォルフラムの好きにはさせません」
言いながらジークベルトが強く手を引くと、パルヴィは勢いに負けて体勢を崩す。
「あ……」
転びかけたパルヴィの腰に手を回してヴォルフラムが抱き上げた。
「魔人の腕力で振り回すと壊れるぞ」
「済みませんね。私は生まれてからいままでハイデマリー以外の女性の手を引いたことがないので」
「そうか。じゃあお前さんにパルヴィのエスコートは無理だな。おい、侍女。パルヴィのヴェールを寄越せ」
とうのパルヴィは腕に痛みを感じて足を捻り、顔が床に近付いたかと思ったら、抱き上げられて、なにが理解したころにはヴェールをかぶりヴォルフラムに抱かれて城内を連れ回されていた。
我にかえったパルヴィは恐怖に駆られ逃げようと体を捩るが逃げられるような相手ではない。
「その馬車でいい」
「まったく」
解体されていなかった出棺用の馬車に乗り込み、馬を黒から茶に変えさせて、魔女たちが住む館へと向かった。
「昨晩の出来事は聞いたか?」
「はい」
具合の悪かったハイデマリーだが、時間が空いたのでパルヴィを呼び、昨晩の出来事を伝えていた。
「あなたに心当たりはないのですね、パルヴィ」
「はい、ありません」
「眠ったままふらふら歩いてるんだから、心当たりもなにもないだろうな」
「そうなんですけれどね」
魔女たちはイズベルガの邸に大勢住んでいる。そのイズベルガの邸は城から少し離れた場所で普通の人はあまり近寄りはしない。
煤けた壁が特徴のその建物前に馬車を止め、呼び鈴を鳴らしてから三人は中へと入った。一階には窓がないのでまだ陽がある時間でも暗闇で、灯り用の蝋燭が無風のなか微かに揺れる。
前を歩く二人に遅れないようにとパルヴィは必死に駆ける。長く暗い廊下を抜けた先には、やはり暗い部屋が広がっていた。
「その子が水精の落とし子かい」
突然聞こえた声にパルヴィは周囲を見回す。嗄れた声の主はイズベルガ。
「そうだ」
「もっと近くにきな」
部屋は閉ざされ音が響きどこで喋っているのか解らず、暗さに目も慣れずどこへ向かっていいのか解らないパルヴィは近くにいた震える指でヴォルフラムの袖口に縋るように捕まる。
どこにイズベルガがいるのか解っているヴォルフラムはパルヴィの肩に手をおいて、自分の方に引き寄せる。
「王女は俺の傍がいいってさ」
「やれやれ。娘、その男は危険だぞ」
魔女の声が諭すが、知らぬ老婆の声はパルヴィを恐れさせるだけで、ますますヴォルフラムに体を寄せる。
「もっと明るくしなさい!」
魔女もヴォルフラムも好きではないジークベルトが不毛とも取れるやり取りに声を荒げて指示を出す。
「明るくしていいのかい? その娘が驚いて気を失ってしまうよ」
「失うよ」
「失うよ」
イズベルガに同調する声があがる。どれも違う声なのだが、どれも嗄れていて耳の近くを羽虫が飛び交うような不快さをもたらす。
「前回鼻を削ぎ落とされただけでは理解できなかったようですね。言うことを聞かなければ、今回は腕の肉を削ぎ落としますよ」
ジークベルトは闇に向かって白い剣を突き刺すようにして威嚇した。
「ひどい孫だよ」
「ひどいよ」
「ひどいよ」
「ひどいよ」
「あんまりジークベルトを怒らせるな。ここによく燃える水がある、これを撒いて火を付けてもいいんだぜ」
ヴォルフラムがそう言い瓶の口を開くと、パルヴィがいままで嗅いだことのない頭痛を催すような匂いが漂う。
「解ったよ。ほら、お前たち灯りをつけな。燃やされちまうよ、焼き殺されてしまうよ。ヴォルフラムは恐いからね」
語尾から続く、くぐもった笑いは灯りがともされ、パルヴィがイズベルガの姿を捕らえて息を飲むまで続いた。
燃える水が入った瓶の口を閉めて、鼻が削がれた皺だらけの老婆に驚いているパルヴィの肩に手を置く。
「驚くほどのことかい、水精の落とし子。さあその姿を見せておくれ」
いまは辛うじて失礼にあたると悲鳴を飲み込めたが、ジークベルトが「鼻を削いだ」と言っていなければ、パルヴィは我慢できなかった。
「見せておくれ」
「見せておくれよ」
深く闇色に近いような紫で長めのローブをまとっているイズベルガ。周囲の魔女たちはすすけた黒色で丈が足首までのローブを着用している。
イズベルガの声に一々反応する魔女たちは、ヴェールを脱ごうとしないパルヴィに近付いてきて捲り上げる。
彼女たちの紫色に塗った長い爪で飾られている皺だらけの手がパルヴィのヴェールを剥がした。
「ほぉーこれは珍しいね」
「珍しいね」
「珍しいよ」
「珍しいよ」
魔女たちがパルヴィの体に蟻が這い上るように群がってくる。
「怖がらせないようにしなさい」
ヴォルフラムは薬品が置かれている棚に腰を下ろし、ジークベルトは腕を組んで立ったまましばらく魔女たちを見つめていた。
「さあそのくらいでいいでしょう? 答えは。解らないなら正直に解らないと言いなさい。怒りはしませんから」
ジークベルトは剣をイズベルガの首にあてて無表情のまま問い質す。青い清廉さを感じさせる瞳は魔女である老婆を明かに嫌っていた。
「解ったことは、この子のこの姿は呪いによるものだってことだね」
「呪い? 誰がかけたのですか?」
「エルフだよ。でもこの呪いはこの子に対しての恨みなんかじゃない。この子の国に対してでもない」
「なんに対しての恨みですか?」
ジークベルトの問いに、立ち上がり怯えているパルヴィにヴェールをかけてやっていたヴォルフラムが答えた。
「魔人に対する恨みだろ」
魔人《ヴェーラ》という響きにパルヴィはヴォルフラムを見上げる。
僅かに見ることのできた口元はいつものように笑ってはいなかった。
「呪いは解けるのですか?」
「解らないねえ。エルフの呪いなんて人間には解けないよ。イトフィルカにでも聞いてきたらどうだい? 顔見知りだろうヴォルフラム」
「聞いてきて欲しいのかい? イズベルガ」
「どうだろうねえ。でもお前は話を聞く前に殺してしまいそうだね」
「殺すね」
「殺すね」
ヴォルフラムは灯りの一つを手に持ち、パルヴィの背中を押した。
「さあ帰るぞ」
「はい」
この場所から早く立ち去りたいとパルヴィはヴォルフラムの指示に従い、服の端まで掴み全身でヴォルフラムを頼りにしていると解る動きをとる。
「やれやれ。酷い目に遭ってるだろうに。ねえジークベルト、あの子を買っておくれよ」
「買っておくれよ」
「買っておくれよ」
「買って」
ジークベルトは目を細め肩越しに振り返り、言い捨てた。
「誰が買ってやりますか。あの娘を買うくらいなら、貴方たちを殺します」
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