水精姫の選択

【05】

「悪趣味ですよ、閣下」
「いつのもことだ」
 騒ぎに駆けつけた執事の顰め面に、ヴォルフラムはそうは答えたが、この状況では言われても仕方ないだろうと片頬を上げて嘘笑いを顔に貼りつけ、気を失ったパルヴィを抱き上げ、部屋をあとにした。
「そうそう。助けを呼びに飛び出していった召使いは?」
 イリアは惨状を前にして恐慌状態に陥り、ドアに体当たりして廊下に転がり出て、そのまま腰が抜けてしまい這いずりながら「姫さまを助けて」と辛うじて聞き取れるような叫びを上げていた。
「声を張り上げて捕らえても暴れて手のつけられない状況でしたので、薬師のところに運ばせました。今頃は夢もみずに眠っていることでしょう」
 イリアを発見した兵士たちは彼女を保護はしたが、ヴォルフラムのいる部屋へは近付かなかった。彼らの主人であるグリューネヴェラー公爵ヴォルフラムは”そういう人間”であり、この国ではそれを魔人と呼ぶ。
「そうか。俺の部屋にも薬師をよこせ」
  呼ばれた執事は覚悟を決めて部屋へと足を踏み入れた。部屋から漂う不快な匂いと侍女の狂乱ぶりに、王女が殺害されでもしたのだろうかと。足を踏み入れた執 事は王女が生きていることに安堵はしたが、ヴォルフラムの腕の中で意識を失っても震えているパルヴィをみて、無事かどうかまではわからなかった。
「はい……それにしても、この匂いは」
「剥製が溶けた。異形の腐臭だ」
「剥製が溶けて腐臭? ですか」
「ああ。薬師は大年寄りを寄越せ。この部屋はそのままにしておくように命じろ。入り口にも窓にも見張りを立てな」
「畏まりました」
 高らかな足音を立てて歩くヴォルフラムが遠ざかるまで執事は頭を下げ、見張りを手配してから薬師部屋へとむかい、言われた通りにした。

◇◇◇◇◇

 ヴォルフラムは部屋へと戻りベッドにパルヴィを寝かせ、さきほど剥製に触れた指を丹念に調べる。
「普通の指だな」
 右手の人差し指になにかあるのかと触れてみるも、爪が美しく整えられただけの王女の指でしかなかった。ヴォルフラムはパルヴィの人差し指を口に含み舌でなぞる。
「なにをしておる」
「毒物でも仕込んでいるのかと思ってな」
 部屋を訪れた薬師の一人がヴォルフラムにそう答えた。
「お前の舌で判らぬのなら、私の舌では判らんな」
「王女を診察しろ」
 ヴォルフラムと話していなかった薬師が頭を下げてからパルヴィの元へと行き、
「まあ、座れ」
「言われんでも座るわい。年寄りにはこの階段はこたえる」
 二人は革張りの一人がけのソファーに向かいあって座った。
「お袋」
「公爵たるものが実母に”お袋”はなかろう」
 皺が深く刻まれた老婆はくつくつと笑う。
「じゃあ先代グリューネヴェラー公爵、あるいは女魔人って呼んでやろうか」
 ヴォルフラムは足を開き身を乗り出す。
「好きにしろ。それで用は」
「お袋、あの王女はなんだ?」
「人間か異形か? と聞かれたら、人間と答える」
「ビヨルク側で調べた結果は”混血ではない”だったらしいが、信用できないから調べてくれるか」
「わかった」
 ヴォルフラムの母リヒャルダは皺の刻まれた顔から想像もできないほど軽やかに立ち上がり、パルヴィに近付き人間かどうかの確認をする。
「間違いなく人間だな。だが瞳の色は変わるのだろう?」
「変わった。時間と色から水精変化で間違いない」
「そうか。だがお前はわざわざここまで私を呼んだのは、もっと違う理由があるのだろう?」
「そりゃそうだ。誰が理由なく、うっとうしい母親を部屋に呼ぶか」
「私だって中年にもなった息子の部屋になど来たくはない」
「パルヴィの侍女はどうした?」
「薬で眠らせておいた。明日の朝までは目覚めん」
「そうか。テレジア、王女の傍にいろ。お袋、こっちへ」
 ヴォルフラムはリヒャルダと共に、さきほど剥製が腐敗し崩れ落ちた部屋へと階段を下りる。
「年老いた母親にこうも階段を上り下りさせるとは、よほど早く死んで欲しいとみた」
「やっと気付いてくれたか……で、本当のところはなんだ?」
 人が一人しか歩けない幅の石造りの螺旋階段を足音もなく下りながら、ヴォルフラムは再度尋ねる。
「まちがいなく容れ物は人間だが、中身がおかしい。腹の中で奇妙なものと混ざり合ったようだ。その奇妙な物は形のない物、すなわち霊的な物だから、薬師の私の手には負えない。本城の魔女なら判るかも知れんな」
「なるほど。では、イズベルガに紹介状を書いてくれ」
「姉に紹介状を書くなんて何十年ぶりだろうね。即位の祝いを書くより心躍るね」