剣の皇子と偽りの側室【17】
[偽る皇子と側室]
外出する妃の警護をしていたシャルロッタ。彼女に怪我を負わせたのはロブドダン王国の”元”騎士サイラス。王女クローディアと駆け落ちした時点で騎士の地位は剥奪され、帰国したら即座に逮捕され弁明など聞いてもらえずに処刑される存在である。
故国にあたるロブドダン王国では罪人だが、ラージュ皇国では罪人ではない。華やかな人生を送ることは不可能だが慎ましやかに生きてゆくことを許す。ラージュ皇国は次の主であるヨアキムは、側室の一人を奪った男に対して寛容であった。
ただしそれは自分に近付かなければの話であり、サイラスから妃に近付き怒鳴るなど許されることではない。
妃とは離婚前提ではあるが。それでも――
牢につながれたサイラスを尋問部屋に移動させ、ヨアキムは獄吏たちが見張っている彼の元へ一人で赴く。
石造りの地下へ続く薄暗い階段を下りてゆき、扉の前に立つ警備兵が頭を下げてから速やかに扉を開く。
血液や人脂で汚れ元の色が分からなくなっている石畳。その上を地下独特の冷気が這い回る。尋問部屋には明かりもあれば、暖を取り調理に使えそうな石を焼いている鉄鍋がおいてあるが、そのオレンジ色の明かりと熱は地下の冷気ともまた違う、凍えた空気をもたらす。
手足に枷をはめられ鎖に繋がれてはいるが”まだ”五体満足の彼の前に立つ。
「私の妃に何用だ」
ヨアキムはサイラスに詰問し、答えを聞き ――
「害するつもりはなかったか」
罪人の焼き印を押すこともなく、両腕を切り落としただけで教会に預けるよう指示を出した。
「殺害せずともよろしいのですか?」
獄吏が珍しく聞き返す。
シャルロッタのお陰で妃を殴らずに済んだサイラスだが、シャルロッタも名の知れた貴族の跡取り。それ相応の罰を与える理由にはなる。
「構わん。先程あの男に言ったとおり、ロブドダンの軽率な王女を側室に迎えずに済んだことだけは感謝している」
だがシャルロッタはそれらを望んではいない。騎士の時は騎士として扱って欲しい、それが彼女の望みであった。
「畏まりました」
使われる者たちにそれを徹底しろとも言わない。彼らにそれを強要するのは、貴族の特権を使うのと同じことだからである。
**********
「サイラスのこと不問にしたんだ」
処分について聞いたベニートは、漫然とした”なにか”を感じた。
ヨアキムの元々の性格であれば、焼き印は押したのではないかと。
両手を切り落とされたたものの、罪人の証である焼き印を押されていない限り、生活に不便はない。サイラスの本来の罪状で処分されたとすると、目蓋にかかるほどの大きな焼き印を額に押される。その焼き印が押されたら、街に入ることを拒まれ、村ではものを売ってもらえず、自給自足をしたとして最低限の品を手にいれるために物々交換したくとも拒まれる――実質死刑。
「あの男のお陰でクローディアを側室にしなくて良かったからな」
妃はさほど賢いわけではないが、クローディアほど愚鈍ではない。妃は無条件に優しいわけではないが、クローディアのように他者を一切思いやらないわけではない。
「でも代わりにメアリーを側室にするハメになったけどね」
ヨアキムらしからぬサイラスの処分に、ベニートはオルテンシアのことが思い浮かんだ。いままでベニート自身、ほとんど気にしたことなどなかった亡国の王女。ヘルミーナの死に関係した国の王女を処刑せず後宮に留めおいている。
サイラスの処分については少々関係している妃の存在が、ヨアキムに影響を与えたと考えられるものの、オルテンシアに関してはそれもなさそうだと、ベニートは考えた。
何故彼女を生かしているのだろう? 正面から聞いても答えてくれないであろうヨアキムを目の前にして、ベニートは悪戯心がむくむくと沸き上がってきた。
「まあな。私がメアリーであったら、サイラスを恨むかもしれないが」
「そうだね。そうそう、お妃さまにサイラスの処分について教えた?」
「私が処分するとだけ伝えた。詳細を知りたいかと聞いたが、興味はないそうだ」
どの国でも年に何度か行われる、街中での公開処刑。絞首刑台で縊られ、しばらくの間さらし者になる。風が吹かずとも揺れる腐りゆく肉の塊 ―― 妃にとって処刑は気味悪いとしか感じられない。
ごくごく普通に、善良ではないかもしれないが、平凡に生きてきた女性である。処分にまつわる、それも自分が僅かとは言え関係していることなど、聞かないで済むのなら避けたいのが人というものであろう。
「本当にお妃さまらしい」
それと妃はあまり噂話を好まない。元は噂話も普通に聞いていたのだが、妃自身が噂話の的 ―― ヨアキム皇子に愛されている平凡なお顔立ち ―― になり、嫌なものだと知ってから、出来る限り噂話を排除している。
「ああ。処分後に妃にサイラスのことを恨んでいるかどうかを尋ねたら、恨んでいると返ってきたがな」
「へえ、意外だな。お妃さまのことだから過去のことなんて、どうでもいいって言うかと思ったのに」
「恨んでいる理由を聞いたところ、サイラスのせいで私と結婚することになったからだ……そうだ」
”恨んでいる”と返された時、処分の希望を聞けば良かったかと考えたヨアキムだが、話を聞いて――
「……確かに、それはお妃さまとしては恨むよね。どうしたの? ヨアキム。面白くなさそうな顔して」
ベニートの中にあった漫然とした”なにか”が、少しばかり形付いてきた。
―― これは面白い
ベニートが面白いと内心で考えていると、ヨアキムの声が重なる。
「面白くはない」
それは否定の言葉だが、ベニートの内心と同じ意味を持つ。
ヨアキムはさほど妃の性格を知っている訳ではないが、ベニート同様妃らしいと感じた。だが、同時に面白くなかった。
「でも自業自得でしょ?」
ヨアキムしては精一杯、出来る限りのことをしているのにも関わらず一向に関係が改善しないことを”不服”に感じている。そのことを自覚し、己の傲慢さを戒めていた。
「自覚しているから文句も言えん……なんだ? ベニート」
面白いものをみつけたと言わんばかりのベニートの笑顔に、なにがそんなに面白いのだと”分かっていながら”尋ねる。
「普通の皇太子なら、そこで腹を立てて怒るところだろうに」
こんなにも歩み寄っているいるのに、どうして ―― と言いそうになるところだが、ヨアキムはそこで妃には何も期待してはいけないことを思い出す。
「だから自覚していると言っただろう」
期待とはなにか? ヨアキムははっきりと解らない。だが期待をしてしまう。
「まったく興味のないお妃さま相手でも、腹立つんだ」
「人間というのは勝手なものだな」
「そうだね。でもお妃さま良い人だね。ヨアキムの優しさとか感じ取って”愛してしまった”と一人枕を濡らすような性格じゃなくて」
そのような優しい女性も悪くはないのだが、現在のヨアキムはそんなものを求めてはいない。だが不可思議なことに腹が立つのだ。
「私はそんなに優しくはしていないからな」
「いやいや。だからこそ僅かな優しさが目立って、惹かれる……お妃さまにはまったく関係ない話だろうね」
「釈然とはしないが、思うところがある」
「思うところって、なに?」
「私の妃に対する興味は、なびかないことによる、一時的な好奇心のようなものなのか? それとも……ということだ」
「私には答えられないことだね」
ヨアキムのはっきりとしない気持ちを聞いてから別れ、自分の後宮に戻ったベニートは、側室たちに優しく声をかけて自分の部屋へと篭もった。彼の側室たちは滅多に抱かれることはない。どちらかと言えば、庇護されている弱者という扱いだ。
「……」
部屋の窓からエドゥアルドの後宮の方角を眺める。生垣に隠され、見ることはできないのだが、何故か無性に眺めたくなったのだ。
「私がエドゥアルドに興味を持ったもの、一過性のものかな?」
”リザ妃”となってからベニートはつらつらと考える。事件が起こらなくともヨアキムは妃を手放さなかったのではないかと。また自分も事件はなくとも、リザ妃になっていたのではないかと――
妃と離婚するとし、具体的なことは決め、あとは日取りだけになっているのだが、そこから中々進まない。そんなヨアキムの姿を見ていたベニートは、
「お願いします」
「……」
アンジェリカから”ヨアキム皇子から真実を聞き出したいので妃を一時的に所在不明にして欲しい”と頼まれた時、彼女のことを考えるよりも先に、ヨアキムにとっていい機会だと考え協力することにした。
「ご迷惑はおかけしません」
全て自分がやったことにすると申し出るアンジェリカ。いくら彼女が一人でやったと言っても、協力者も罰せられる。視野の狭い彼女にはそのことが分からない。
「そこまで覚悟しているのなら」
だが協力者が自分であるなら、被害は大きくならないとベニートは考えた。他の側室たちに協力を求めて事実が明るみに出てしまったら、どの側室にも思い入れのないヨアキムは簡単に処断する。ベニートもヨアキムの側室が処刑されても気にはならないが、のちのち妃が事実を知ると嫌な気持ちになるであろうと考えた。この先がないのであれば問題はないが、先があると過程した場合、処刑される者は最小限に抑えたほうが良いだろうと考えて、アンジェリカに協力しても罪を免れることができるのは自分くらいであろうと。
「協力してくださいますか!」
また妃に対して敵意を持っている側室も数名おり、彼女たちにアンジェリカが協力を求めた場合妃の身が危ない。
最善策はヨアキムにアンジェリカの真意を伝えることだが、それではヨアキムの為にならない。カレヴァについて知りたいと伝えたらアンジェリカは速やかに処分される。この穴だらけの策を実行しても処刑される。同じ殺されるのであれば、上手く使おうと。
「お妃さまにはご迷惑をおかけいたします。でもヨアキムにとっても良いことだと思うんだよなあ」
ヨアキムは妃のことを好きではないが、それなりに情は感じている ―― その感情が愛情に変わるかどうかは別として、最初から”離婚ありき”で接している二人の本音を引きずりだすのには良いだろうと。
―― ヨアキムの本音が楽しみだな。お妃さまは……本音も”ヨアキム皇子、要りません”なんだろうけど。良い所見せたら、ちょっとは変わるんじゃないかなあ。希望的観測過ぎるかな
全部の罪をアンジェリカに被せ、欲しいものが手に入る。ベニートはこれ幸いと動き出した。
薬を側室リザの部屋へと運び、ブレンダが休みの日をしっかりとメモし、気を失った妃を寝かせる場所を用意したり。
「この側室リザをメアリーと同じと考えたようだけれども……残念ながら」
アンジェリカが側室リザのことを簡単に信用したのは、側室リザ自身が上手く誘導したためだ。アンジェリカだけではないが、人の心の奥底に潜んでいる感情。愛している相手に別に好きな相手がいることで沸き起こる嫉妬。
側室リザは妃にヨアキムを奪われたと「側室リザが」そのように感じていることを彼女に匂わせた。
実際はそんなことなどないのだが、アンジェリカは”そうであって欲しい”と願い、目の前の餌に飛びついた。
「お妃さまをどうやって……」
気付かれずに呼び出す方法をあれこれと考えているところに、人目を避けるようにして妃がやってきた。
―― 呪いが成せる業か。後宮がお妃さまを離したがっていないのかも
ベニートは薬で気を失った妃を腕に抱き、天井をぐるりと見回し、壁も同じようにうかがう。ベニートは現実的な人間だが、目に見えないものを信じる性格でもあった。それは彼自身が呪いという普段は見えないが、時には牙をむく存在に縛られ、守られているからに他ならない。
「少しこちらでお休みくださいね」
監禁するために整えておいたクローゼットに妃を寝かせ、妃が来ていた証拠を「一見」消すためにカップの茶を窓の外へと捨て、布巾でティーセットを拭いてから、側室リザは部屋を後にする。薬を嗅がされた妃の寝息はやや浅く眠りは深く。
側室リザはすぐアンジェリカに妃を監禁したことを伝えず、食堂の片隅で本を開き茶を飲みながらタイミングを待つ。
―― カタリナが異変に気付くのはどのタイミングかな。そこに上手く合わせないと
アンジェリカの性格では「監禁した」と告げると、すぐにヨアキムに問い質すと考えた。話を聞き出すには監禁の事実が明かになってからでなくては、とりつく島もない。
それと時間が経っていれば経っているほど、相手を焦らせることができる。それはアンジェリカの処刑が確固たるものにしてしまうが、側室リザとしてはヨアキムを焦らせるのが目的なので気にも止めていなかった。
アンジェリカ自身が死ぬ覚悟だと言ったので、
―― どれほどのものか知らないけれど
本人の覚悟もろとも葬り去ってやってもいいだろうと。
何度も読み返している物語のページを捲っていると、視界の端にカタリナが映った。妃を見なかったかと聞いている声が漏れ聞こえてくる。
それを合図に側室リザは後宮を後にして、アンジェリカの元へと伝えにゆく。
「さあて、どうなるかなあ」
ベニートは居場所を知っているのは自分だとヨアキムの耳元で囁き、オルテンシアについて詳しく聞かせてもらうつもりであった。
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