剣の皇子と偽りの側室【09】

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  [純粋な呪い]  

 国境を侵したホロストープ軍を蹴散らし、攻め入ったエドゥアルドとその部下たち。争いたくなどなかったホロストープの民たちは道をあけ、彼らの進軍を妨害したりはしない。

 エドゥアルドは進軍途中で多くの女性に好意を持たれた。黙って立っていても凛々しく、先頭で剣をふるう姿は風格を感じさせる。彼の姿を見た女性たち、ホロストープ王国の貴族女性も数名彼に好意を持ち、後宮に入ることを望んだが叶わなかった。
 エドゥアルドは拒否したのではなく、まったく気づかなかったのだ。彼の愛はいついかなる時でも側室リザに捧げられており、部下たちはこれ程までに真剣に愛している姿に感銘し、誰も女性を取り次ぐこともなかった。

 他人の妻(側室リザ)に愛と貞操を捧げて、エドゥアルドと部下たちは速度を保ったまま王都へと近付いてゆく。

「ラージュ皇国は士気が高いな」
 人の往来も物流も途絶えたある街で、住民はラージュ皇国の侵略を待っていた。ちなみに士気が高いのはエドゥアルドのテンションに引っぱられているところもあるが、領地がもらえるのも大きい。
「そりゃそうだろ。確実に勝てるだろうし、勝って帰った騎士たちは”辺境”ホロストープの小領主に収まって俺たちの上に立てるんだ」
 自分たちを守ってくれるような自国の兵士はおらず、人々は次の支配者たちを怒らせないように城門を開け放ち故国を偲ぶ。国王がなぜこんな無謀な真似をしたのか? 彼らには見当もつかなかった。
 他の小国ならば理由は分からずとも、事情もあるのだろうと考えることはできたが、よりによってラージュ皇国。軍事大国ユスティカでも触れたがらない呪われた軍。
 指揮している皇族の血がこの国の大地に滴れば荒れ地へと変わり果てる――行き場所のない彼らは支配者が代わっても、強制移住させられない限りここに住み続ける。だからまともに戦いたくはない。
 ラージュ皇族に関する言い伝えを嘘だというのは容易だが、信じて彼らに支配されるのも力の無い人々にとっては選べる数少ない生きる道。
「実家を継げないといえば、総指揮は皇帝にはなれない皇子さま……エドゥアルドとか言ったか?」
「ああ。剣の腕前は皇国一だとか」
 ヨアキムも文句なしに強いが、皇国一となるとエドゥアルドに譲る。
「以前はそのエドゥアルドは皇子でも叶わない相手がいたそうだが」
「女だったそうだな」
「へー女ねえ。どこぞの貴族のお姫さま?」
 顔見知りたちの会話に見慣れない人間が”ふらり”と混ざってきた。
「その通りだよ。見たことない兄さん。ところであんた、どこから来たんだ?」
 人々は彼を拒絶することはなかった。その男はなんとも特徴がなく、無害であると誰もが感じたので、話の輪に招き入れた。
「グレドニアから。まさか戦争に遭遇するとは思ってなかった」
 男はホロストープ王国がラージュ皇国に攻め込んですぐの頃、ホロストープ近くの小国グレドニアの王子に毒を売った。毒性が低い虫から抽出される毒を。なにに使うか? 尋ねはしなかったが、ろくなことには使わないだろうと。男は虫師である ――
「だろな。剣の達人だったのはヘルミーナ。もう一人の皇子の側室だったが死んだそうだ」
「妃確実と言われていたのにな」
「みんな、他国の死んだ側室のことにやたらと詳しいね」
 グレドニア国内に残っていると面倒に巻き込まれることは確実なので、彼はグレドニアを後にした。”まさか戦争に遭遇するとは思ってなかった”それは嘘。
 彼はラージュ皇族を間近で見たいと考え、攻め滅ぼされる国へと足を運んだ。国境は閉ざされていたが、彼を阻むことはできない。
 虫は地中を掘り進み、宙を舞い飛び、こうして滅びるホロストープ王国へと辿り着いた。
「そりゃそうだ。その女の父親がカレヴァさ。カレヴァ・クニヒティラ」

―― ラトカ・クニヒティラの親族か

 彼は虫師としては相当に若いが、見た目よりもずっと歳を取っている。マティアスの側室であったラトカが幼い頃、彼は今の姿であった。
「ところで兄さん、名前は?」
「俺の名前?」
 突然話題を振られた男は自分を指さして、人好きする笑顔を作らせて戯けるような声で尋ね返す。
「そうだ。通りすがりで巻き込まれた運の悪いお前さんだ、ラージュ皇国軍が攻めてきたとき、運悪くってことも考えられるだろう」
「考えたくねえなあ。でもそう言うことか。俺の名はグレン。墓石には”虫が大好きな少年の心を持った男グレン”と刻んでくれ」
「兄さん、面倒くさいね!」

 グレンは上手く立ち回る予定であり、彼の実力であればそれも可能であった ―― 突如ホロストープ王国にローゼンクロイツが現れなければ。
 国を覆い尽くした悪夢の気配にグレンは焦りを覚える。彼は師について学んだ際に「各国の建国に携わった師」と「支配している師」の両方を教えられた。
 ホロストープ王国を影で操るリュシアン。彼は前者でありグレンの師はこのリュシアンの弟子であったが、師であるリュシアン以上の才があったため命を狙われ、手ひどい傷を負い命かながら生き延びた。才能があったのに返り討ちにすることはできなかったのか? グレンは師に聞いたことがる。師は裏切られるとは思っていなかったとしか答えなかった。
 グレンの師はすでに死亡しており、死ぬ前に彼に「好奇心を持つなとは言わない。わたしはお前の好奇心に惹かれて弟子としたのだから。だがなグレン、身に過ぎた好奇心は持つな。決して支配者には逆らうな」言い残して息を引き取った。

 ”支配している師”と遭遇することはないだろう。

 グレンが師の遺品を整理していると、その中に一冊のノートがあった。古びているが高級なものだと一目で解るもので、ほとんどのページは真っ白であったが、
「名のなき師?」
 三ページほどつかい、リュシアンに才能を疎まれ殺害されそうになった時、どのようにして生き延びたかが書かれていた。師を助けたのは支配している師の一人。それは名のなき師と呼ばれる者で、詳細はなかった。
 ただ”名のなき師に助けられた”と、書きだしに記されているのみ。
「もっと詳しく書いてくれても……書けなかったのか?」
 グレンはノートを閉じ支配している師について詳細を調べ、そして性別転換の術に辿り着く。
 彼は支配している師の存在を知識として知っているが、同じ世界で感じ取ったことはない。だから突如現れたローゼンクロイツの気配に驚き、そして――
 
「あの男を捕まえろ!」

 命令することに慣れている声がグレンを捕らえよと叫び、声の主であるエドゥアルドが自らが真っ先に駆け出した。
 ”しまった!”
 グレンの思考がそこに辿り着いたとき、既に視界の正面に剣を振り上げたエドゥアルドがいた。
―― 死ぬ……
 エドゥアルドは剣を握っている手を振り下ろそうとしていた。ローゼンクロイツは死なずに済んだが、グレンはそこまで強くはない。
 リュディガーの呪いの帯がたなびく拳を前に”好奇心で身を滅ぼ……”とりとめのない事を考えて、気づいた時には地面の上に転がっていた。痛みを感じる暇もなく転がされたグレンが見上げた先にあったエドゥアルドの拳からはリュディガーの呪いの帯びが消え去っていた。

―― 間一髪……リュディガーの守りが消えたってことは、来たのか! 呪解師テオドラ

 こうして過ぎた好奇心により捕らえられたグレンは、大人しく連行されていた。エドゥアルドからリュディガーの守りと言われる攻撃的な呪いは一時的に消えたが、エドゥアルドが弱くなった訳ではない。
 むしろ完全な形に近くなっている。

―― また女を無視か。すごいな皇子さま。それにしても、呪われてるアレ、なんなんだ?

 途中途中で女性を助けて好意をいだかれ、熱い視線を送られるも完全無視。ひたすら油紙に包まれた”呪われた布”を眺め頬を赤らめる。
 もちろんグレンは間近で見ているわけではなく、小さな虫を飛ばして様子を窺っているのだ。
―― 呪いが強すぎて虫の眼を通すと歪むな。それにしてもあれは、悪い呪いじゃないようだが、ひどい呪いだ
 エドゥアルドが大事に眺めているのは側室リザから貰ったハンカチなのだが、分かる人間からすると「純粋に呪われている布」である。
 ベニートは呪いながらハンカチに刺繍したわけではないのだが、慣れない刺繍で数度指先に針を刺してしまった。血が出るほどではなかったのだが、針の先が呪われてそして布も呪われた。特定の呪いをかけようとした訳ではないので、純粋な呪いが布に散りばめられることとなる。純粋な呪い、それは「無差別に呪う」とも言う。
 グレンは更に当たりを探った。
「おかしな軍隊だよな。侵略した先で女に一切手を出さないで……なんだ?」
 エドゥアルド以外の部下たちにも、将来を考えて近付く女たちもいたのだが、それらも部下たちは徹底的に無視する。この国の軍隊なんでこんなに女っ気ないんだ? 昔ラージュ皇国に自分が居たころはもう少し女に興味を持っていたような……グレンは首を捻りながら、ホロストープ王国の王都が見える”はず”の場所まで連れてこられた。

「殿下。あれを!」
「王都をなにものかが覆い尽くしているようだな」

 驚いているエドゥアルドたちとは反対に、グレンには非常に馴染み深い物。グレンの実力であれば王都を覆う虫の中に虫を放つことも可能なのだが、内側に存在するローゼンクロイツを警戒して、探ることはしなかった。
 ローゼンクロイツの性格は詳しく伝わってはいないので、用心することに越したことはないと判断したのだ。
「ヨアキムは?」
「まだ到着していないようです」
「……そうか」

**********

”不潔すぎるわけではないが薄汚れた感じがはなれず、身長はエドゥアルド皇子よりも高いがヨアキム皇子よりも低く、肩幅はごく普通。立派な体躯などとは程遠く、どこにも特徴はない。グレドニアからやってきたと名乗る男で、青みがかった黒の瞳と枯葉色の髪は中途半端な長さ。顔は普通ですが、どこにも歪みがなくほくろなどもありませんが、これもまた特徴がありません。瞬きの回数が常人よりもやや少なく、よく指だけを動かしている”

 テオドラが上げた特徴を聞き、エドゥアルドは自分がグレンに対して感じていた不審さをはっきりと認識した。彼は瞬きの回数が少なかったのだ。

「エドゥアルド皇子。これで王城を落とすことができます。捜す作業を省いて下さり、感謝します」
「貴方の役に立ててよかった、テオドラ殿」
「テオドラ?」
 グレンは自分の目を覆っている透明な虫を退け、自分の目ではっきりとテオドラを見る。

―― これが噂に聞く……

 テオドラは時間も世界も自由に移動できる、故に特殊な容姿を持つと、グレンは師から聞かされた。
 時代によって人の姿は「骨格」からして違う。だから人よりも長く生きる『師』たちは本当の姿ではなく、時代にあった姿を人々にみせる。
 テオドラは彼らよりも振れ幅が大きい。グレンたちは途切れることなく、同じ世界にあり時間を刻むが、テオドラはどこへでも行き、未来から過去へ行くこともままある。

 だから千年以上を行き来するには、固定の容姿があってはならない。
 
 グレンの師は言った「テオドラの容姿の四割はその時代の平均的な容姿」であると、これにより時代を超えてもその時代の人間の容姿となる。残りの六割中三割は「相手が一生涯遭遇することのない容姿」だと教えた。これは数年おきに会う際に、テオドラであることを認識させるため。そして最後の三割は「相手の好みの容姿」
 会話をすることが目的の場合、相手に生理的嫌悪感を抱かせるような容姿では話しようがない。だが完全に相手の好みであっては切望されてしまう。
 怖ろしいのはそれが、誰にとってもそうであるということ。
 同じ場所で同じ時にテオドラを見ていても、決して同じテオドラではない。どれほど好みが似ていようとも、いままで見たことのある人間が全て同じであり、この先もまったく同じ人間を見て、そして同時に死ぬのでなければテオドラの姿は違う。
「はい、テオドラです。呪解師の」

 テオドラ自身の姿はないのかとグレンは師に尋ねた。答えは――分からない。彼の好奇心は大いにかき立てられた。

「……やれやれ。虫師のグレンだ」



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