剣の皇子と偽りの側室【07】
[腹痛]
「……」
「でもまあ、彼らとしては”言い訳”に使っただけだと思うよ。ヨアキムの側室になったほうが、立場的にはいいんだしさ」
「分かっている」
机に両肘をつき指を組むようにして手をあわせ口元を隠しているような体勢で、ヨアキムは目の前に広げられている「側室希望」の書類を睨みつけていた。
最近ヨアキムの後宮へ入りたがるものが増えた。
送り込まれる者たちはほぼ全員”表面上”は【側室などになりたくはありません】なのだが、とにかく増えた。
その原因、簡単に語れば側室リザ。
詳細に語ると”エドゥアルド皇子がヨアキム皇子の側室リザに入れ込み他の側室を顧みず、エドゥアルド皇子が拒否している。せっかくエドゥアルド皇子の側室となるための用意をしたのだが、これでは娘(孫、あるいは妹や姉。従姉妹や姪)が不憫なので、ここはヨアキム皇子の側室にして欲しい”と、ヨアキムの側室希望者が増えたのだ。
将来のラージュ皇帝の座が確約されているヨアキムの側室となったほうが良いのは当然 ―― もちろんヨアキムが確実に皇帝の座に就けるかどうかは、その時になってみなければ分からない。戦争などがおき、ヨアキムが死ぬ可能性もある。それを考慮してエドゥアルドの側室なのだが、当の主がリザに恋をしてしまい、今までの側室にすら見向きもしないようになった。
元々の側室たちは己の立場に興味がないと【本人たちが明言している】ので、渡りがなかろうが、冷遇されようが、それらについて実家から文句(皇子の心を射止める努力をしなかったのか)を言われようが、エドゥアルドの知ったことではない。
両親である皇帝にまで”うかれて”報告してしまったエドゥアルドの一切隠さない恋心。
これに人々が乗じた。この状態の後宮に側室を送り込んではエドゥアルドの機嫌を損なってしまうだろうと言うことで、ヨアキムの元へ希望者が集まったのだ。
ヨアキムの後宮にヘルミーナが居た頃も似たようなもので、ヨアキムの気分を害さないようにと送り込まれる側室の数は少なかった。”それ”がエドゥアルドに代わっただけのこと ――
「私も悪いんだろうけれども」
「……」
ベニートの楽しさを隠さない態度に、怒る気も起きないヨアキムは無言を貫いた。
「ヨアキムさん、ヨアキムさん。聞こえてますか?」
耳元で囁くようにしてベニートが声をかけてくる。耳朶にかかる息が腹立たしいくらいに清涼な香りがしていた。
「あまり性格がよろしくない女と、実家がろくでもない家の女を選べ。そいつらを私の側室にする」
シトラスミントが仄かに香るベニートの吐息を手で払いながら、誰が聞いても酷い条件を口走る。
「ヨアキム、自暴自棄になっちゃ駄目だよ」
自暴自棄の原因の五割以上を担っているようなベニートが、弟グラーノに話かけるときのような良い兄ぶった表情で諭した。
「自暴自棄ではない……エドゥアルドが悪い女に惚れたら困る。エドゥアルドは惚れたら一筋、周囲を見る余裕がないことはリザでよく分かった。あの性格で下手な女に惚れたら厄介なことになる。問題のある女はエドゥアルドに近づけるな」
「側室リザがもっとも問題あるような気がするんだけど」
―― お前が言うなベニート
そうは思ったものの、今更言ったところでどうしようもなく、ベニート自身が自覚しているのでは言うだけ無駄だとヨアキムは頭を軽く叩いて終わらせた。
「だが一切エドゥアルドの後宮に入れないわけにはいかないから、この書類の束から華のない平凡顔で化粧をせず、美しい洋服を好まない年下で、会話もろくにできないような引っ込み思案、対人恐怖症で赤面性な、本ばかり読んでいる女を数名選んで入れておけ」
「ヨアキムひどいなー。要するに側室リザのライバルになるような女は、エドゥアルドの後宮にいれるなということだね」
「そうなってしまうな」
自分で首を絞めているとはヨアキムも思うが、それ以外の方法が見つからない。
「でもヨアキムの後宮、がらくた置き場になるけどいいの?」
ヨアキムも酷いがベニートも大概な男である。
「特に困りはしなからな」
―― 大切な人がいないから、どうでもいいんだろうけれども
後宮に希望となる愛した相手がおらず、他の側室たちになにも求めなければ、そこは牢獄として使用できる。
**********
ヨアキムは腹立たしいことがあれば、簡単に手を上げる。そこには「呪い」が深く関係している。ヨアキムたちラージュ皇族は程度の差はあるが、我慢の限度を越すと、無意識のうちに呪ってしまう。
普通の人でも恨むということはあるが、ラージュ皇族の無意識の恨みは即座に呪いに姿を変え、確実に相手に害を及ぼす。
下手に我慢するよりかならば、直接傷つけたほうが相手の”ため”になるのだ。
傷ならば治療のしようはあるが、ラージュ皇族たちの呪いを解くのは不可能。ラージュ皇族同士でも優劣があり、ヨアキムの呪う力は群を抜いている。
なので ――
「ヨアキム皇子、殴ってくださいよ」
「リザを殴った結果が現状なのにか」
ベニートとしては殴られたほうが楽である。
本日ヨアキムは側室リザの元へとやってきて、深い溜息をついた。後宮に入る前にエドゥアルドに捕まって”リザを寄越せ”攻撃を受けてきたばかりである。
側室リザは手首まで隠している袖を肘までまくる。すると腕を覆う白い肌の下に青黒い血管が浮かび上がり、鼓動よりも早く脈打っていた。
「私じゃなかったら死んでるところだよ」
「……悪かった」
ヨアキムの軽い呪いがベニートの体に入り込んだ証である。本気でヨアキムが呪い殺したいと思っていないので、腕の半分が呪われただけで済んだが、もちろんこれはベニートだから耐えられただけのこと。
「あんまり我慢しないほうがいいよ」
「そうだな」
ヨアキムが握り拳を作り側室リザの腹部に何度か軽く触れる。
「腹に一撃? 痛いんだけど。顔とかのほうがいいなあ」
「見える部分を殴ると、エドゥアルドが煩い」
腹部に加減して一撃を入れ、腹を抱えたまま側室リザがベッドに倒れ込む。腕を掴み袖をまくり、
「呪いは消えたな」
呪いが消えたことを確認した。
ラージュ皇族以外はこんなに簡単に呪いが消えることはない。
「……いた……」
殴られて腹は痛いが腕を覆っていた呪いが簡単に消えたので『あいかわらず、あとを引かないいい性格だ』そう考えながら、いつも通り笑っていた。
「悪かったな」
もちろん笑顔は引きつり、脂汗が浮いているが、この程度で済んで良かったとベニートは言い切れる。
「全然悪そうじゃ……ヨアキ……」
寝室へと近付いてくる侍女ブレンダの足音。
「なにかありましたか?」
大の男が膝から崩れ落ちるほど腹に拳をめり込ませるような異音など、滅多に遭遇するものではない。ただ大きな音がしたので、何ごとだろうかと侍女として部屋を訪れたのだ。
「……」
”なんでもない”と言い逃れするには苦し過ぎる。
ヨアキムは仕方なしにベッドの上にいる側室リザにのし掛かり、
「入っていいぞ」
通常の冷静さとは違う”冷静な声”で、ブレンダに入室許可を与えた。
「失礼します」
「どうした?」
触りたくもない側室リザの硬い体を撫でながら、ヨアキムは出来る限り冷静に聞き返す。
「大きな音がしたので、何ごとかと思いまして」
ブレンダは目の前の光景に驚くこともなければ、疑問を抱くこともなかった。後宮というのは、突き詰めれば”これ”を行う場所だ。
「押し倒した際にリザの体がベッドの天板にぶつかっただけだ」
「リザさま大丈夫ですか?」
「大丈夫……」
腹が痛いリザだが努力して裏声でブレンダに受け答えして事なきを得た。
「失礼します」
ブレンダが部屋から出て、離れるのを確認するまで、二人はベッドの上でひっついたまま ――
「……」
「……」
「腹は大丈夫か?」
「すごく痛い」
翌日、側室リザに怪我をさせたとエドゥアルドに責められるかと考えていたヨアキムだが、ブレンダはしっかりと侍女の仕事 ―― 閨の出来事について決して口外しない ―― をこなしており、その心配は杞憂に終わった。
**********
先が見えない問題を先送りにし続ける奇怪な三角関係が続き、そしてホロストープ王国との戦争が始まった。
「……これ、どうしようかな」
ベニートが扱いに困っているのは、エドゥアルドが側室リザへと贈った砂糖細工の箱庭。
直接貰ったわけではないが、いつもはヨアキムに対して頭を下げることのないエドゥアルドが”どうしても”と頼んだ品。
普通はお付きの侍女に頼むところで、実際エドゥアルドも頼んだのだが、ブレンダは正規の入り口を通らず生垣を乗り越えて他の皇子の側室の元へとやってくるエドゥアルドのことを警戒しているので、渡して欲しいと頼まれた際に極めて冷静に断られた。
エドゥアルドは恋に浮かれてはいるが、真っ当な侍女の行動に腹を立てることはなく、自分が悪いと引き下がり、ヨアキムに依頼した。
父でありラージュ皇国に存在する者は拒むことのできない皇帝に頼まなかったことをヨアキムも認め、それを受け取り渡した。
箱を開けたベニートは本当に側室リザは気に入られているのだな ―― 自分自身のことながら他人のような不思議な感覚に包まれながら、飴細工の箱庭を作り、後発の部下に依頼した。
部下たちは「必ずお届けいたします」と真面目な顔でそれを受け取り、既に前線へと向かったエドゥアルドを追った。
そしてベニートは小国への折衝へと赴く。
大国からの使者。それも下手に触ると呪われる ――
小国の主たちはベニートに頭を下げ、自分たちはホロストープ王国と手を結ぶつもりはない、ラージュ皇国に盾突くつもりはないと必死に訴えた。
無論全ての国が従順であった訳ではない。
ベニートの実家とも言えるディッカーノ家が所持する領地よりも小さい国土しかない国の王子が、
「いつも私たちを蔑ろにして」
そのように考え ―― ラージュ皇国側からすると、蔑ろにしているつもりはない。気にもしてないことは事実であることは認める ―― 殺す程ではないが、少々腹痛を起こす程度の毒を食事に盛った。
その食事を前にしてフォークをベニートが持つと、フォークが”ぐにゃり”と曲がる。
ベニートにはこの曲がり方見覚えがあった。”毒を盛られた。ただし死なない程度”であると、皇族としての知識をバルトロと学んだ時にマティアスから教えられ、実際に毒入りの食事を作ってもらい、食べようとして曲がったのを見もした。
「毒を盛られてしまったようですね」
最近は皇女が外国に嫁ぐことがなくなったので、ラージュ皇族に毒を盛ればどうなるか? 知らない若い王族がいるのも不思議ではない。
王が必死に詫びる側でベニートは他人のフォークやスプーンを掴み食べようとするが、どれもこれも最初に掴んだフォークとまったく同じ形に曲がり食器ではなくなってしまう。
ベニートは笑いながらグラスに手を伸ばした。飲み物に毒が混入されている場合、グラスにひびが入る。
「酒には入っていなかったようですね」
一口含み舌を酒で湿らせてから、毒入り料理を指でつまみ酒精の残る舌に乗せた。毒入り料理だが、味がおかしいということもなく難なく食べることができた。
ベニートがその料理を飲み干すと、命じた王子が腹を抱えるようにして崩れ落ち、激痛を訴える悲鳴を上げたが、すぐさま己の激しい嘔吐にかき消された。
「ラージュ皇族にかかっている呪いは高等でね、実行したものではなく命令を下した者に向かうのだよ。知ってはいたけれども実際見るのは初めてだ。これ程の無謀を犯すものが王族で、よくぞいままで滅ばなかったものだ」
ベニートは席を立ち食堂を後にした。
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