同い年の子供とは比べられたことすらない聡明で大人びて冷静であった彼にとって、幼いからと眠る時に聞かされた乳母の昔話はつまらなくて仕方なかった。
教訓が含まれていたものはまだ黙って聞いていたが、幻想物語は欠伸が出たところで打ち切らせた。
その乳母が死ぬ前に私に会いたいと言っていたと、彼は《彼女》から聞いていた。《彼女》の願いを叶えてやりたいと考えると同時に《彼女》のことを思い出すともはや凍ったはずの胸が、キリキリと痛み出す。
その痛みの中で彼はあることを思い出した。乳母の語った物語の中に 《死者を生き返らせる》 話があったことを。
彼は死の床にある乳母の下へと足を運び最後の物語を聞く。
01 夜に佇む僕の影
ピエタの街を滅ぼしたメーシュ王国は、そのまま南下を続けていた。かつてメーシュ王国の建国者が一人で辿った道を、軍靴で踏み固め突き進む。
道を塞ぐものは何人たりとも容赦せずに切り捨て、突き進む立ち止まることを知らない軍が歩みを止めたのはピエタの街を滅ぼしてから一ヶ月も過ぎてはいない頃だった。
「どうした?」
足の止まった軍に、進軍を指揮しているメーシュ王国のロキは不快感を表した。
だが先頭からの伝令の言葉に不快感は霧散する。
「陛下! 道をふさいでいるのは、かのピエタの吸血鬼デューンです!」
ピエタの街が作られる切欠となった美しき吸血鬼は、メーシュ王国のロキはその吸血鬼を求め軍を動かしピエタの街に攻め込んだ。
容易に陥落したピエタの街の中心に存在する、封印師にして錬金術師が作り上げた美しい銀の檻に閉じ込められている吸血鬼デューンを欲して。だがロキがデューンの閉じ込められていた檻の前に立ったとき、すでに吸血鬼は居なかった。大きな穴が開いた美しく銀に輝く檻だけをその場に残して吸血鬼は立ち去っていた。
「私に会いたくてピエタの街を攻略したと聞いたので会いに来てやったよ。それとも私と追いかけっこをしたかったのかな?」
数日前にピエタの街に何者かが訪れ、デューンの閉じ込められている檻を開き連れて夕暮れ時に街を出て行った。
デューンは大人しくその人物の後に従い、街を出たところで大きな蝙蝠に姿を変えてその人物を背に乗せて飛び去ったという証言が得られた。その後の足取りを追うために、デューンを檻から出した人物を探し、それが《呪解師テオドラ》と知りロキは皮肉なまでの偶然を感じた。
《大陸の神々の寵児》の異名を持つ呪解師テオドラの足取りを追うべく、ロキはテオドラが属しているフラドニクスに連絡を入れた。その後テオドラからもたらされた返事は《そのまま進軍していると会えるでしょう》というものでありロキはそれを信じ進軍を続けた。
ロキがその言葉を信じたのは、自分の呪を見事に解呪したテオドラの技術と冷たさに対する賞賛でもある。
そして今、テオドラの言葉どおりにロキは望む相手と対面することが出来た。闇夜の眷属でありながら真昼の太陽の下に居てもその美しさが損なわれない、人間とは全く異質でありながら魅せられてしまう圧倒的な美貌。
その美しき瞳に吸い込まれそうになったことに気付いたロキは、頭を下げることで視線を外してやっと得た手がかりに対して細心の注意を払いながら依頼を持ちかける。
「貴種に折り入って話が」
頭を下げて視線を外しているロキには解らなかったが、その時デューンは笑った。その笑顔はやはり人間とは程遠いものであった。
「この大陸でもっとも長生きしているのは貴種と聞きました」
「年寄りの知恵を借りたいのかね」
「人を生き返らせる方法を知りたいのです」
「フラドニクスの骸師にでも依頼するといい。あれ達の技は見事だ」
私が作るゾンビも敵わんよと皮肉を込めたような声で話すデューンに向き直り首を振って否定する。
「私が望むのは死体ではない。完全なる蘇生」
「なるほど、それはフラドニクスでも無理だな。だが完全蘇生を求めるお前は私に何を求めるつもりだ?」
― ロキ様がもっとも《つまらない》といわれたお話ですね。ええ、覚えておりますとも。そんな下らない話を聞いているほど暇ではないと言われました ―
「《天空の闇花》に登場しているのは貴方ではないか? 貴種よ」
― ロキ様 それは《天空の闇花》という話です。この地方特有で生まれた話ですよ。何処で生まれた話かと? はい、婆の爺様が子供の頃に守人から聞いたそうです。守人とは何かと? 守人とは…… ―
かつてロキが下らないと聞きもしなかった《天空の闇花》その物語に登場する “天空に行き神々の花を手に入れてきた人ではないもの”
「一つ聞こうメーシュの王よ」
「答えられることなら」
「簡単なことだ。お前が生き返らせたいのは男か? 女か?」
「女です。私のために死んだ女。愚かと笑われるでしょうが、私はその女を生き返らせたい」
「私の昔話を聞かせてやろう。昔々天空で花園を踏み荒らし帰ってきた私の話を」
ロキはデューンを城へと案内した。
軍を進めていたデューンが城に戻る頃に尋ねてきて欲しいという依頼にデューンは応え、ロキが帰還した日の夜にデューンは王妃が飛び降り自殺をした場所で夜空を見上げて待っていた。
昼間でも美しい吸血鬼であったが、夜の暗さの中に佇む吸血鬼の妖しさを含んだ恐怖与える美しさは、昼のそれとはまた別格でもあった。
デューンの存在に気付きで迎えに来たロキに、デューンは新月の空の星の美しさをしばし語る。
「この夜空とは違う天空が空に存在することをお前は認めるか? メーシュの王よ」
ロキは乳母にかつて言った。空にそのような世界はある筈がない。
そんな物があったとしても、たどり着けなければ意味がない。私は地上をみつめて支配しなくてはならない立場に生まれてきた男なのだ、下らぬ話を聞いている暇などないと。そう語ったロキが成長し物語の 《真実》 を求める。
「メーシュの王よ、私は 《天空の闇花》 を確かに持っていたけれど、使わないので他人にくれてやった」
「なぜ!」
「使う必要はないからな。さて話を続けよう。《天空の闇花》を使うと本当に人は生き返るのか? 答えは確実に生き返る。くれてやった相手はすぐに使ったからな。《天空の闇花》は一本しか存在しなかったから、当然私の手元には存在しないよ」
ロキの顔に浮かんだ絶望に、デューンは優しげに微笑み違う手段を教える。
「せっかく私を探し城に招いてくれたお前に対し、私も礼儀をつくしてやろう。お前が探している 《天空の闇花》 はもう存在しないが 《天空の闇花》 を体の中に持っている人物を知っている。 《天空の闇花》 で生き返った者はその身に 《天空の闇花の卵》 を宿している。それを 《孵化》 させ咲かせ摘むと良い」
「同じ効果が得られると?」
「そうだ」
ロキはその言葉を容易に信じることは出来なかったが、信じるしか道は残っていなかった。
《彼女》 の心臓が収められている箱を覆った石板の上で会話を続ける。
「その卵はどうやって 《孵化》 させるのですか?」
「《天空の闇花》 により生き返った者の体をつかい 《孵化》 させる」
デューンは方法を教えて
「メーシュの王よ、もう一つ尋ねるがお前は何故私に生き返りを尋ねようと考えた?」
メーシュの国王ロキは吸血鬼デューンに、自らが 《人には解けぬ呪を負った》 ことと、その呪を解くために人以外の力を持っているものを欲したことを語った。
頷き蝙蝠のような羽を生やし飛び立とうとしたデューンにロキは叫ぶ。
「その 《天空の闇花》 により生き返った者の名を!」
星をまとったほのかに明るい夜空よりもはるかに昏い羽の影は生き物のように伸びロキの城を覆いつくす。
全ての光から途絶された影に佇みながら見上げるロキにデューンはその名を告げて北の山脈へと向かって飛び去った。一人その場に残されたロキはデューンの飛び去った方角を見つめる。
吸血鬼が飛び去った山脈こそ 《天空の門》 が存在し、それを開く守人がいると乳母は死ぬ間際の息の下からロキに語った。
メーシュの国王は天空の門は開かず天空の闇花の卵を宿した人間を捕まえ 《孵化した花》 を手に入れた。
― そうですよ。クラ人とは天空の門をまもる 《守人》 と言われていました。今はもうほとんど残っていないそうですけれど。ロキ様、《天空の門》 だけは開かせてはいけません。あれは…… ―
《終》
Copyright © Rikudou Iori All rights reserved.