私の名を呼ぶまで【 】

戻る | 進む | 目次

[ ]

「Sparrow」とプリントされた、あいつらをぶっ殺せる弾丸の残りは一発だけ
古びた銃に弾を込める
建物の周囲を取り囲むゾンビたち
食われてあいつらの仲間になるくらいなら、自分を撃ち抜いて ――
「……なんて考えるわけねえだろ!」
最悪食われてゾンビになろうとも、俺は最後まで戦う
この家の地下に弾丸と銃を残してくれた人は、当然そうしただろう
大事な弾丸を勝手に使わせてもらったんだ
最後まで
弾丸は五匹のゾンビを貫いた

「初めまして」

突如隣に現れた女
「あんた、誰だ?」
「その弾丸を作ったテオドラというです。あなたが雀さんの遺志通り、最後まで諦めずに戦おうとしたのでやってきました。私はまだ雀さんには会っておりませんし、リュディガーにすら会っておりませんが」

このテオドラって女は【なにを言っているんだ?】

**********

―― スズメと呼ばれるジョニーさんとウィリアムさんの孫、ビオレタさんの結婚を祝うガーデンパーティーの際にお会いしましょう。なぜ? その時にスズメと呼ばれているジョニーさんに結末を教えるからです。彼が結末を知りたがっていることを、私は知っているのです ――

 この戦場に似つかわしくない、鮮やかな青い服。今でもはっきりと思い出せる。

**********

「結婚おめでとう! ビオレタ」
 庭に近所の人や親しい友人たちを呼んで、ホームパーティーを開いた。
 近所に住んでいるスミス爺さんも来てくれた。五年前に奥さんを亡くしてから、一気に老け込んだが、たしかまだ七十代前半だったはずだ。
 爺さんはビオレタと少し話をして、
「お前さんと二人きりで話がしたい」
 庭をビオレタに任せて俺は爺さんを部屋へと案内した。
 そらは青く澄み渡り、庭から笑い声が溢れかえり ―― 幸せを感じる。
「お前さん、最近ビオレタにスズメと呼ばれているな」
 スミス爺さんはビオレタの祖父の幼馴染み。ビオレタのことは昔から可愛がっていた。
「はい」
「ビオレタに理由を尋ねたら、お前を”雀さん”と呼ぶ理由は、おかしな贈り物にあるそうだが」
「ああ、それは」
 本当のことは言えないから、適当に誤魔化そうと口を開いたが、スミス爺さんの鋭い視線が俺に嘘をつくなと。

「テオドラか?」

「……」
 まさかその名前がスミス爺さんから出てくるとは!
 いや、テオドラは珍しい名前じゃない。もしかしたら……
「この名に聞き覚えがないのなら」
「テオドラです。爺さんも会ったことがある……のか?」
「私が部隊からはぐれて一人で密林を彷徨っていた時、突如現れた」
「おかしなこと、言わなかったか?」
「言ったな。当時の私には分からないことを」
「やっぱり」
「そのテオドラは”お前に会った後”1975年の戦場へとやってきた」
「俺が会ったのは今から三年前の2015年だ」
「今日、ここに来るはずだ」
「なぜ?」
「線路を歩くんだそうだ。それとお前に結末を教えにくるとも」

 ああ、やっぱりテオドラの言葉は分からない。

**********

「大丈夫ですか?」
 オレに声をかけてきた女は、汚れ一つないロイヤルブルーのワンピースを着ていた。最初は東洋人に見えたが、良く見ると東洋人らしさはなく、だが俺たちとも違う。
 俺は銃口を女に向けたが、そいつは笑って言った。
「砂が詰まって撃てませんよ。彼らが持っている銃なら撃てたでしょうがね」
 足元はワンピースに似合わない、がっしりとした靴を履いていた。
「もうすぐ終戦です」
「は?」
 女はそう言い右手を伸ばした。空気が”層”になった――ように感じた。無数の弾丸が空中で止まり、
「あなたはここで死ぬはずでしたが、生きて帰っていただきます」
 そして弾丸が消えた。
 銃口を向けていたやつらが恐怖に怯えた声を上げて走りさる。
「私はテオドラといいます。ジョニー・スミスさん」
 弾丸を消した女の名はテオドラ。
「なんでオレの名を?」
「私は全てを知っています」
「悪魔か?」
 助けてもらった相手に悪魔というのは失礼だろうが、天使よりも悪魔のほうが近いような、……ああ、そうだ! 死神のほうが近いかもしれない。
「いいえ違います。私は呪解師と言いますが……通じないでしょうから、悪魔だと思って下さっても結構です」
 女は否定はしなかったが、よく見たら悪魔や死神ですらないような気がしてきた。
「悪魔がどうしてオレを助けた?」
「四十三年後にやってもらいたいことがあるので」
「は?」
 最初に弾丸を止めるのを見なかったら、オレはテオドラのことを狂人だと思っただろう。
「今から四十三年後の2018年に、近所で結婚式を祝うパーティーがあります。花嫁はあなたの幼馴染みの孫ビオレタ。男はあなたと同じ名前でジョニー。軍が誇る狙撃手です」
「幼馴染みの孫?」
「隣に住んでいるウィリアムさんの孫です」
 ウィルのやつは未だ独身だぞ?
「お前は何者だ?」
「テオドラです」
「お前が言った”じゅかいし”とは何だ?」
「呪いを解く者です。ありとあらゆる呪いを解きます」
「オレはウィリアムの孫の結婚相手になにを?」
 命を助けるくらいだから、余程のことかと思ったのだが ――

「ギリシャ文学同好会を教えてあげてください。それだけです。聞きに来るのは結婚前ですけれども」
「……」
 オレじゃなくても出来る仕事じゃないか? 命を助けてまで?

 テオドラは聞いたこともない歌を突如口ずさみだす。その歌は約三十年前に大戦で敗北した極東の島国で生まれたアニメの曲だと――
「1984年の映画です」
「今は1975年だぞ」
「はい。当時の映画としては大ヒットとは言えませんでしたが、とても高い評価を受けます。この映画のヒロインの名前が……」
 当時? いま”当時”と言ったな。九年後の映画の収益や評価を当時だと?!
「オデュッセイアに登場するスケリア島の王女の名に似ているな」
 ヒロインの名前は聞き覚えがあった。
「そこから取ったそうです」

 なぜあの時、その歌を口ずさみ、オデュッセイアのことを語ったのか?

**********

「分かるように話をしてくれない女だった」
 その喋り方はテオドラだ。間違いない。
「そうそう。全部知っているから、話し方がおかしいんだ」
 だが何故テオドラは、スミス爺さんと俺を会わせることにしたんだ?
「お前さんがイーリアスを持って来た時、久しぶりに思い出した」
「久しぶり?」
「最初に思い出したのは曲だ。娘がそのアニメを借りて見ていた時に聞こえた曲。タイトルを見たら、言った通りだった。あの鮮やかな青い服も思い出させるために着てきたんだろうな。次に思い出したのは……」
 スミス爺さんは俺が見せた本、読めたんだそうだ。でもその時、鮮やかな青と共に自分が助けられた理由を思い出し、言われた通りに紹介したそうだ。

**********

 冷たい戦いは終わりますよ――
 あっさりと言われた。それはオレたちが戦争で勝ったのか? と聞いたら、首を振られた。”内側からの崩壊です。最初に壁で囲まれた国が崩れます” テオドラが嘘を言っていると思いたいほどに疲れた。
 未来が思ったような形ではないことにオレは傷ついた。
「本当か?」
 同時にオレは自分が思い描いていた未来が残酷なことに気付き恥じる。
「本当です。そのうちあなたが持っている銃の設計者と、あなたがたがゲリラと呼ぶ彼らが持っている銃の設計者が対面するようなテレビ番組も作られますよ」
「……信じられないな」
「信じてくださらなくても結構です。この道を進むと合流できます」
 テオドラに案内されて俺は本隊がいる場所近くまで戻ってくることができた。
「助けてくれて感謝する」
 何を喋っているのか理解できない女だったが、助けてくれたことだけは感謝しようと銃を小脇に抱えて握手しようと手を差し出した。するとテオドラは手を握り返しながら――
「ちょっと違います。私はあなたを”私の目的のために”助けただけです。彼の生活圏内でギリシャ文学に詳しいのはあなただけなので。あなたの紹介がなければ彼は辿り着けません。ですが、あなたがたの宗教観からすると、神の御許にむかえるチャンスを奪ったことになります。そういった意味で私は悪魔で結構と言ったのです」
「だが俺は助かったことに感謝している」
「そうですか。では本当に助けましょう。これは私にはなんら関係のないことです」
 映画のスクリーンがオレを取り囲んだ。地球が映し出されて徐々に地表へと降り、どこかに近付き、そして破壊された。青空が美しい――
「あなたの誕生日は九月八日ですね」
「ああ……」
「二十六年後のあなたの誕生日に、最高の贈り物をしましょう」

 テオドラは手を離し、俺は歩き出した。俺は何度も振り返った。テオドラはずっとそこにいて俺を見つめていた。そして最後に振り返った時【まるでそれが最後だと分かっていたかのように】テオドラは言った。

「スズメと呼ばれるジョニーさんとウィリアムさんの孫、ビオレタさんの結婚を祝うガーデンパーティーの際にお会いしましょう。なぜ? その時にスズメと呼ばれているジョニーさんに結末を教えるからです。彼が結末を知りたがっていることを、私は知っているのです」

 テオドラが全てを知っていることを知るたびに、オレは生きていることを実感し、テオドラという不可思議な存在に思いを馳せた。

**********

「それで、爺さんには何が届いたんだ?」
「原因不明の病だ。高熱にうなされて、医師も首を捻り、ジュディにも心配をかけた」
「それがプレゼント?」
「ああ。私の誕生日から二週間ほど国内旅行をするつもりだった。病にかからなければ私とジュディは事故に巻き込まれて死んでいた」

―― 私は全てを知っています ――

「それから十七年後、お前さんがイーリアスを持って私の元を訪れた」
 ドアをノックする音。
「失礼します」
 俺とスミス爺さんは顔を見合わせる。テオドラだ!
 テオドラは俺が聞きたいことをすべて教えてくれた。相変わらず人に理解させようとはしない喋り方だが。

”青い服を着ていたのは、スミスさんの言ったこともありますが、私の容姿は一定ではないので、着ている服の色や形で覚えてもらう必要があるのです”

”全てを知っているのなら、どうして最初から最後を教えていかなかったんだ? そうですね、確かに私は雀さんが話した事柄の結末を知りたがっていたことを知っていましたし、あとで私が説明しにいくことも分かっていました。ですがその時点で、私が雀さんに会いに行かない未来もありました。そうです未来はまさに無限です。私はその無限の一つを選びとることができます。私が選ばなかった未来は消えます”

 テオドラは「線路を歩きに行ってきます」と言い去っていった。本当に瞬く間に ――

 俺と爺さんはまた顔を見合わせ、
「もう二度と会うことはないんだろうな」
「そうだろうなあ」
 世界の全てを知る狂人を見送った。
 時計に目をやると、テオドラが現れてから三分も経っていなかった。二日間寝ずに話を聞いたような気分だってのに。
「爺さん。庭に戻ろうか」
「そうするか」

 テオドラはどの時代の、どこの国の線路を、いつ、どれ程歩くのだろう。あんたは俺が知りたいと思っていることを知りながら、教えてくれないんだろうな。

**********

「久しぶりですね、リュディガー」
 テオドラはラージュ皇国の理の玉座の上に立ち、半透明のリュディガーと向かい合っていた。
 二人は大聖堂を望む。もちろん見えはしないのだが、二人は望み、また向かい合う。風にながされ音を奏でる草原と、晴れやかな空。
 不毛の大地と呼ばれた呪いが穿たれた場所。
 その中心に花が咲いていた。
「あなたからの祝福ですか? リュディガー。一本頂いていきますよ」
 テオドラは花を手折る。
「……ん? 随分と悪ふざけをしましたね? と。そうかもしれませんね」
 リュディガーはテオドラがわざわざ妃に後宮の呪いを移したことに苦笑を浮かべる。”そんなこと”をしなくても、あなたなら別のもっと効率の良い方法を取ることができたでしょう ――

 テオドラが手折った花と同じ名の妃は、手紙を差し出し最後の抵抗をする。

「あなた、あのお妃さまを気に入ったのでしょう」
 リュディガーは答えない。
 しばしの沈黙のあと、リュディガーは空を見上げた。彼にはできなかった天空に穿つ呪いの楔。
 空の色が変わることなく、雷鳴に似た音が響くこともなく、動物たちが異変を感じて逃げ惑うことすらなく――
「どうやら、ヨアキム皇子はお妃さまの名を呼べたようです」
 ラージュ皇国の古き呪いが取り払われ、新たな呪いが敷かれた。
 古き呪いに使われたかつての盟友たちが、距離をものともせずに、解放されすぐに”ここ”へとやって来る。
「みんな来てくれましたよ」
 振り返ったリュディガーの視線の先にいたのは、フランシーヌ、ヒース、ジョニー。
 リュディガーと同じく半透明な彼ら。
 ヒースは微笑み、フランシーヌの勝ち気な瞳はそのまま、ジョニーの陽気な雰囲気も。動けないでいるリュディガーの背後から現れ腕を掴み、みんなの元へ行こうと誘う。

―― バルバラ!

 彼女に手を引かれリュディガーは一歩踏み出した。もう足が動かなくなることはなく、急ぎ足でバルバラと共に三人の元へと急ぐ。
 全員と再会し喜びを分かち合うと、半透明であった姿はもっと薄れてゆく。
 リュディガーは慌てて振り返り、

―― テオドラさま。ありがとうございました!

 それだけを言い消えていった。他の四人も口々に、テオドラに感謝を述べ、ジョニーがトヴァイアスのことを頼みますと言い残し、同じように消えてゆく。
 全員を見送ったテオドラは、自らが穿った空の楔を眺めながら息を吸い込む。

「みんな、お幸せに……城外にいるリザ・ギジェンさんに会って、しばしお暇しましょうか」

 ゆっくりと誰かに言い聞かせるように優しく語り、テオドラは城を去った。



戻る | 進む | 目次