私の名を呼ぶまで【75】
[75]槍
ヨアキムが意識を取り戻してから一週間後、
「お久しぶりです」
「呪解師テオドラ」
王城に滞在しているテオドラがヨアキムの部屋を訪れた。
用意されている椅子に腰を下ろし、血の呪いの原石に触れる。テオドラが触れた箇所から「なにか」が入り込んで来るのがはっきりとヨアキムには分かった。
「傷の後遺症はこれで防げます。回復も若干早くなることでしょう」
「ありがとうございます」
「いいえ。もう少し早く到着したらよかったのですが……なんにせよ、帰ってこられて良かったです」
テオドラは血の呪いの原石に残っている悪夢の残りを通し起きた出来事を知る。
「?」
「ローゼンクロイツが現れませんでしたか?」
「ああ……あれは夢では?」
「夢です。ですが、死を選んだら本当に死んでいましたよ」
「……」
「私も大概の能力は本職よりも優れているのですが、悪夢師の力だけはローゼンクロイツの足元にも及びません。彼の師匠セフィロトくらいはあるのですけれどもね」
「それほど?」
「クリスチャンから聞いていませんか? あれは神だと」
「聞いている」
「そういうことです。それはそうと、以前夢に誘い込んだ時、ご迷惑をおかけしました」
以前夢に誘い込んだ――
妃の名前を尋ねるために、テオドラはヨアキムを無理矢理夢に誘い込んだ。その際に強引に眠りに誘い込んだために、ヨアキムは倒れてしまったのだ。
「あ、いいえ」
その時の状況は妃と立って話をしており、倒れ込んだ先が妃が立っている所だったので、妃を片腕に抱き、もう片手で床を押さえて怪我をさせることを避けた。
腕から妃が居なくなるや否やヨアキムは意識を呼ばれ、そしてテオドラと会話をすることになる。
残された妃とカタリナは、ヨアキムの倒れ方があまりにも異常だったので、急いで女医を呼び診察してもらった。
女医は眠っているだけだと判断し ―― 実際に眠っているだけなのだが――心配はないと言ったものの、倒れた時の状況を見ていた妃とカタリナは診断が信用できず、結局妃が朝まで寝ずに付き添った。
妃は日中寝ていても叱られはしないが、侍女が日中眠っているのはさすがに問題があるので。
妃は眠い目を擦るようなこともなく、些細な異変を見逃すまいと、だが眠りを妨げてはいけないと仄暗い明かりのみを頼りにヨアキムが目覚めるまで待ち。
翌日ヨアキムが目覚めた時の妃の表情は最悪であった。
「頼みがあるのだが」
その時の妃の表情を思い出しながら、ヨアキムは妃に全てを教えることにした。
「なんでしょう? ヨアキム皇子」
「いままで起こった出来事を聞かせたい者たちがいるのだが」
アンジェリカにも、カタリナにも包み隠さずに。
「はい」
「あなたも立ち会ってくれないだろうか?」
「構いませんよ」
こうしてテオドラとヨアキムは妃に対して事態の説明を行う。
「呪解師のテオドラです。初めまして、の方もいらっしゃいますね」
「皇子。お妃さまは終わりしか知らないので遡って説明したほうが良いでしょう」
「もちろんあなたの意見に従う。イヴォンヌに分かりやすく終わりから説明しよう」
―― まだ定着していないようですね、名前
**********
説明を終えてからヨアキムは熱がぶり返した。
妃の看病の後、また熱が引いたところで、テオドラは本来の目的に取りかかる。
「ヨアキム皇子」
「なんでしょうか?」
「皇族男児の皆さまをここに集めていただけますか?」
「分かりました」
「それとクリスチャンも」
全員がヨアキムの部屋に集まるまで、テオドラは窓から遠くにある理の玉座を眺める。
**********
ラージュ皇国にリュディガーがかけた呪い。呪いの楔は大地の五箇所に打ち込まれた。
四箇所は当時別の国に、そして最後の一箇所はラージュ皇国の理の玉座に。楔は「人間」で、フランシーヌ、ヒース、ジョニーあるいはパンゲア、そして”バルバラ”とリュディガー。
理の玉座の下に埋まっているのはリュディガー。
他の四人はリュディガーが処置を施し、死後呪いの楔となった。
リュディガーは生きたまま呪いの楔になり、部分的だが未だに生きている。四人の楔たちも精神体では存在しているが、現実に干渉する力はすでにない。
だがリュディガーはまだ現実に力を及ぼすことができる。
バルバラ。リュディガーと対になる存在で、呪いの根源になった女。
**********
クリスチャンを持参したエドゥアルドと、彼と視線を合わせないベニート。
ヨアキムの側室たちの管理を任されているバルトロと、
「初めましてマティアス陛下。呪解師テオドラと申します」
「このたびは、息子たちがお世話になりました」
皇帝のマティアス。
ずっと城内にいたのに会わなかったのは、他に色々とすることがあり、忙しかったため、挨拶が後回しになっていたのだ。
「頭など下げなくて結構です。私からですが……まず呪いのかけ直しはヨアキム皇子が復調してからにさせていただきます」
「はい。あなたの望むままに」
呪いのかけ直しには血の呪いの原石が深く関わってくるので、ヨアキムの体調が優先されるのは当然のこと――ただ、呪いに詳しくない彼らには、よく分かっていない。
リュディガーがラージュ皇国にかけた呪いは多岐に渡る。
その一つが人柱のような楔を使った「外を向く呪い」
ヨアキムの血の呪いの原石を使用してかけ直すのは、子孫繁栄のための「内を向く呪い」ラージュ皇国にはこの二つ以外にも無数の呪いがあり、これらはリュディガーが地道に一つずつかけていったものだ。だがテオドラはこれらを一斉にかけ直す。
血の呪いの原石を用いた子孫繁栄の呪い以外は、時期を計る必要がないので”それ”に合わせて呪いをかけ直すことにしていたのだ――
「バルトロ皇子」
「はい」
「ヨアキム皇子の側室である彼女たちを、しっかりと隔離していますか?」
ヨアキムが死と隣り合わせの眠りに落ちていたころ、テオドラはある指示を出していた。
「言われた通りに分けて隔離しております」
バルトロはテオドラの指示通りに側室たちを隔離し、厳重な監視の下に置いていた。
「なにを基準に分けられたのですか?」
なにも告げられてはいなかったので、ベニートも非常に気になっていた。側室たちの主であるヨアキムは、今日初めて聞かされた。
「オルテンシア王女を見た人と、そうではない人に分けたのです」
「そうではない?」
「オルテンシア王女が虫と融合した姿ですが、あの姿を見ることができるのは限られた人だけです。限られた人の中にはもちろんラージュ皇族の皆さまも入っています。それで、普通の女性はあの融合した姿を見ても”オルテンシア王女”か”自分にとって最も憎い女”にしか見えません」
ヨアキムの側室たちの意見が分かれた原因である。
「……」
バルトロは「妃です」と言っている者たちの数を正確に把握している。その数は側室の半数以上。
「妃だと言っていた輩は……」
「お妃さまに嫉妬しているのですよ、エドゥアルド皇子」
側室にも妃にもなりたくはありません ―― そう言っていた彼女たちだが、建前と本音は相当違った。
「それで分けて監視するようにと」
テオドラは笑顔を浮かべて頷く。その表情には邪気も無邪気もなく、喜びもなく。だが笑顔。
「なにより、せっかくの踏み絵です。効果的に使ったほうがよろしいと思いまして」
「踏み絵?」
「オルテンシア王女に見えた人は手元に、お妃さまに見えた人は下がらせるなりしたほうがよろしいでしょう。あれが別人に見えるのは、その人に対して殺意を持っている時のみですので」
オルテンシアは後宮送りになることを見越し、それに合った虫を植え付けられた。嫉妬により認識を歪めるという種類のものを。
「……ベニート。オルテンシアを見て妃と言った者たちを全員隔離しろ。一生涯、いや死んでも外に出すな」
「すぐに手配する」
**********
キリエ・ブリリオート
―― 私はなにか悪いことをしたのですか? ――
その問いに答えてくれるものはなかった。
「キリエ。私を刺したのは誰だと思う? 正直に言え」
ヨアキムの部屋に呼び出され、彼女が問われたのはこの一つだけ。
「お妃さまの手が血に濡れていました……ですから……」
はっきりとしない彼女の答えを打ち切り、
「そうか」
彼女を連れてきた兵士に下げるよう指示を出す。彼女はそのまま教会へ入れられ、外界との接触を断たれ写本係として一生を終えた。
彼女の問いに答えてくれる者は誰もいなかった。正確にはその教会には、答えを知っている者は一人もいなかった。
ラージュ皇国は翳りなく、成長し続けていった ―― それも彼女は知らない。
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