私の名を呼ぶまで【45】
[45]私の名を呼ぶまで:第二十六話
ヨアキムは仮眠室で男装したレイチェルと逢瀬を重ねていた。
「後宮の庭師?」
ある日の事後、服を直してベッドに座って会話をしていると、レイチェルが珍しく希望を述べた。それがヨアキムの後宮で庭師として働きたい――
「……」
「オルテンシアさまを傷つけるようなことはしません」
宥めるように頬から耳、そして首と手のひらでなぞる。
「分かっている」
身分が知られぬように忍び込んだときと同じような化粧を施すことを条件に、レイチェルが働く許可を与えた。
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レイチェルを庭師として雇うべく書類を作成していると、引き継ぎを終えたリオネルがヨアキムの執務室へとやってきた。
リオネルは先のホロストープとの戦いのあと、高齢を理由に引退を皇帝に申し出、受理され引き継ぎを行っていたのだ。
夕方からはリオネルの功績と忠誠を讃えるための会が開かれることになっていがが、その前にリオネルはヨアキムに会って話がしたかった。
リオネルの想い出話に付き合い、頷き、時に笑い、
「……」
「……」
沈黙し、最後の話題へと移る。
「ヨアキム皇子。ホロストープの王女をどのようにするおつもりですか?」
殺すために連れ帰る ―― ヨアキムはリオネルに明言したのだが、まだ殺害していない。
「決めかねている」
皇国に忠誠を尽くしてくれた老将に対し、言葉を濁し余計な心配ごとを抱えさせたくはないという気持ちと、自分に向き合うよい機会だと正直に心情を告げた。
「なぜですか?」
ヨアキムは無用な同情しない性格であることをリオネルは長い付き合いで知っている。殺害しないのは、同情以外の感情であろうと。それが愛情云々であれば、孫娘のシャルロッタに殺害を命じることも考えていた。
「復讐方法に悩んでいる。あの女、生きていれば悪夢に嘖まれ、毒で息絶える。この手で殺害し、ヘルミーナとカレヴァの仇を取りたいが……。体内に飼っている虫の毒により死ぬ場合、相当苦しむそうだ。殺す場合は虫が孵る恐れもあるから、あの女が死ぬ瞬間も分からぬように切るつもりだ。そう考えると、殺すべきか、死ぬまでの期間を延ばして最後に真実を告げようか? 決まらんのだ」
リュシアンの策に嵌っていることにも気づいているが、解決策は見つかっていない。リュシアンはどうやっても哲学者の石を手に入れることはできないのだが。
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「そんな顔するなよ、ヨアキム」
「ベニート……」
レイラ・ルオッカの部屋へと渡ったヨアキムは、彼女の暗さに閉口して帰ってきた。レイラは父親に疎まれている娘だった。
もともと重要視されている娘ではなかったが、ある日、母と兄とレイラの乗った馬車が土砂崩れに飲み込まれ、レイラだけが助かった。
大怪我を負ったレイラに対して父は冷たかった。
最愛の妻と、跡取りの息子を失い、レイラだけが助かったことに腹を立て――
彼女は父に無視され、教会へと通うようになる。怪我で子どもも産めず、父親は援助する気などなく、体が不自由で仕事はなにもできない。
彼女の行く末を考え、相談に乗っていた修道士が推薦し、ヨアキムの後宮へとやってきた。
レイラ・ルオッカ、彼女はとても暗い。好意的に表現してやれば物静かなのだろうが、好意的ではないヨアキムからすると、ただ根暗な性格にしか見えない。
「同じ部屋にいるだけで息が詰まる」
過去を考えれば仕方のないことかもしれないことではあるが、明るく闊達で少々無邪気な女性が好みのヨアキムには耐えられない相手であった。
「じゃあ無理して通わなくても」
「そうする。こっちの精神が持たん。早急に教会に下賜する。あれは耐えられん」
「そっか。そうそう、ユスティカ王国から届いた書類、確認したよ」
「五人か……」
ヨアキムは並べられた書類に目を通す。
ユスティカ王はエスメラルダのことを心配し、自分の娘が無事に過ごせるように五名の侍女を側室として送り込んできた。
「さすが大国の王様。ごり押しが並じゃない」
「たしかにな。だが身分を隠して娘を送り込むような馬鹿よりは余程ましだ」
ラージュ皇国がまだ大国ではなかった頃、ラージュ皇国よりもやや大きめの国の王女が身分を偽り側室としてやってきた。彼女の父親である国王曰く「身分にとらわれず娘を愛するような男でなくては許さん」と
厳格な階級制度を敷いている国の国王が、そのようなことを言いだしたのだ。これで王女が妃に選ばれていたら ―― どのようになったのかは不明だが、王女は選ばれなかった。そこで王女の父親が国家の名とちらつかせてやってきて「そんなことをするくらいならば、最初から名乗らせればよかっただろうが。名乗ったところで選びはしなかったがな」選んだ当時の皇太子は呆れ果ててそのように言い返す。その国のその後はというと階級制度はなくなり、全員が平民となりラージュ皇国に併合されることになった。
自分の国の根幹を否定するような行為をとる国王よりならば、大国であることを前に出してくる国のほうが分かりやすく、人を試すような行動をとらないことで信頼が築ける。
「それはまあね。でもねエスメラルダ姫が後宮に入るって聞いて、小国がこぞって打診してきたよ。エスメラルダ姫に虐められて見出されることを期待しているみたい。大国の姫君も大変だね」
「エスメラルダはそこまで性格は悪くなさそうだがな」
「まあね。彼女は男が可愛いと思える程度の性格の悪さだと思うよ。でも男が好む女は、女たちには認められないことが多いからね」
目頭のあたりをつまみ揉みほぐすようにして、ヨアキムは王女たちの国名リストに目を通す。
「そう言えばヨアキム。アンジェリカとカタリナに墓参りの許可出したんだって」
「ああ。もう問題はない……訳でもないな」
ヘルミーナの死から二年以上経っているので、カタリナの体内に蛹が存在するとは考え辛いが”もしも”のことを考えて、一度テオドラに見て貰いたいと考えていた。
「虫師でも探して見てもらうか?」
「あいつらは信用できん……ベニート、ロブドダンからの側室打診は?」
テオドラと再会する予定の町の近くにあるロブドダン王国。
「きてるよ」
「候補者リストに載ったと伝えておけ」
「どうして?」
「テオドラに会いに行った帰りに王女を拾ってくる。これならカタリナをテオドラに会わせるために連れて行ってもおかしくは思われないだろう?」
カタリナはヨアキム付きの侍女ではないので、国外に同行させるとなるとそれなりの理由が必要になる。
移動させやすくするために自分付きの侍女にしようと考えたこともあったが、そうなると後宮ではなく王宮仕えとなり、男性と接する機会も増えるので、ヨアキムが持っている疑念を解決させるまではできるだけ男性との接触を断たせたかった。
「そういうこと。でもロブドダン王国だけじゃあ目立つから……」
「そこら辺の裁量はお前に任せる。精々貢ぎ物を貰い、賄賂を受け取って上手にロブドダンの王女を側室にするようにしろ」
エスメラルダほどではないが、他国の王女が側室になるとなれば、それなりの取引がある。国内の安定や輸入品の関税など、利点がなければ嫁がせる理由も、娶る理由もない。
「かしこまりました……砂糖の輸出量増をちらつかせてもいい?」
「構わない。ところでベニート」
「どうした? ヨアキム」
「女になる勇気はあるか?」
エドゥアルドに側室リザを渡す際に「女性」になっていたら問題はないのではないか? と考えついた。
「……はい? ヨアキム、なにを言っている? いや、自分が言っていること理解している?」
あまりにも突拍子もない発言に、にベニートが心配して額に手を当てる。
「ホロストープで性別変換の術があると聞いた。呪解師テオドラも使えるとのことだ。どうする?」
「どうするも、こうするも……私が好きなのは女装であって、女になったら女装もなにも」
「女装とは奥深いものなのだな……」
側室リザを死んだことにするべきか? 本当のことを告げるべきか? 結論は”また”持ち越された。
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ヨアキムは五人の元ユスティカ王国の侍女たちとの仮初めの婚姻を行った後、エスメラルダの出迎えに向かった。
ヨアキムから触れるつもりはない ―― と語られたエスメラルダは哀しみはしたがそれを受け入れた。
丁重に預かり、妃として迎えてから離婚し、国に返さなくてはならない大切な誓約の側室。元侍女たちと同じ扱いにするわけには当然できず、全てを特別扱いにし、後宮でも自由に振る舞わせることにした。
ブレンダは彼女のことを、
「お姫さまらしくて好き。綺麗なドレスもたくさん持っているし、今度見させてもらうんですよ」
好意的であり、仲良くもなっていた。
キリエやレイラ、オルテンシアは歯牙にもかけられず、側室リザに対しては接触を図らなかった。
「エドゥアルドの元に行けばいいのに―― という視線は感じるけどね」
「……」
「どうした? ヨアキム」
「いや……ちょっと」
ヨアキムはエスメラルダを側室に迎えたあたりから、後宮で異常な空気を感じるようになっていた。その空気の出所が分からず、少々神経が過敏になってもいた。
その原因が分かるのはもう暫くしてからのこと。
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