私の名を呼ぶまで【38】
[38]呪解師と悪夢師:消えた聖女
「ヨアキム皇子、少々席を外します」
「じゃあな、ヨアキム皇子」
ヨアキムの天幕から離れた二人は、互いに表情をうかがう。
「騎士たちは何時目覚めるんですか?」
「俺が安全な所に辿り着いてから」
「一生目覚めないじゃないですか」
「それでもいいじゃねえの? ……俺が去ってから一刻ほどで目を覚ますようにしておく」
「はい。それではまず借金を清算しましょうか」
「おらよ」
ヨアキムから貰った金をテオドラへ渡し、本を受け取ってから再度手を出して金を寄越せと手を出す。
「それで、俺に探れってのはなんだ?」
金を受け取ったローゼンクロイツは、テオドラから仕事の内容を聞く。
「リザ・ギジェンについてです」
「リザ・ギジェン?」
「ヨアキム皇子の側室になる……はずだった【女性】です。ですが現在ヨアキム皇子の側室リザ・ギジェンは従兄のベニート公子です」
リザ・ギジェンという側室は存在する――
ただしそれはベニートではなく、まったく別の、ラージュ皇族とは縁もゆかりもない女性のはずであった。
「消えたってことか?」
「そのようです。半日ほど前にエドゥアルド皇子の剣を強化するために、側室リザが刺繍したというハンカチを借りたのです」
「あのちっちゃい皇子もいるの?」
「います。先頭に立って戦っていることでしょう。あと、私からするとエドゥアルド皇子は小さくはありませんけどね」
「ちっちゃいが、先頭きって戦うのは似合ってるな。それで、そのハンカチにフルネームがあったと?」
「は
い。リザ・ギジェンと確かにありました。ですがヨアキム皇子に聞いたところ、それは従兄のベニート・ラージュ・ウカルスだと。その名で強化できたので、間
違いはありません。その際に同名の側室はいるのかと尋ねたところ、ヨアキム皇子は”いない”とはっきり言いきりました。彼の発言に嘘はありません」
「女は側室になれなかった?」
「いいえ【消えました】いままで設定にフルネームで載っていた人が消えたことはありません」
テオドラは鞄の中からグレンにやると言った哲学者の石を取り出し、その石に腕を突っ込んで石の大きさ以上の本を引きずり出す。
「栄誉ある消失第一号ってことか?」
「本を確認したところ、リザ・ギジェンは消えていました。ほら」
付箋がつけられているページの一つを開き空白を指さす。
「ここに載ってたのか?」
空白の上段には、その空白部分と同じ程度のスペースで”キリエ・ブリリオート”の設定、空白の下段にはやはり同じ分量で”レイラ・ルオッカ”が存在した。
「はい。それで……以前ヨアキム皇子と会ったあと、登場人物設定を書き取っておきました。……えっと、これです」
手のひらサイズのメモ帳を、本と同じように哲学者の石から取り出し、該当ページを切り取って渡す。
そこには出身地や身体的特徴と特筆事項が書かれていた。
「リザ・ギジェンの故郷の村に行って調べろってことだな。リザ・ギジェンは聖女? そりゃまた大げさな役職だな」
「はい。ただ具体的なことは書かれていませんでした。ただ聖女とだけ」
メモ帳を質草歴がそろそろ二桁になりそうな悪夢師の本に挟む。
「他に消えてるヤツはいないのか?」
「伯爵令嬢の名前が消えました。プリシラと書かれていた記憶があるのですが消えてしまいました」
「名前が消えただけ?」
「そうです。伯爵令嬢として書かれている通りに側室になるようですが……近いうちに死ぬようですね」
「書き換え?」
「そうですね、こればかりは。あとは……おや、女医が追加されています」
空白が目立つ設定のところに、見え覚えのない項目が現れた。
「勝手に追加されたのか? そうだったら初めてだろ?」
冥界で失われたセラの偽予言書に手を加えた者が”また”現れたのかもしれないと、慎重に現れた文章を手の甲でなぞりながらテオドラが探る。
「待ってください……どうやら、自然に追加されたようです」
だが懸念していたことではなく、望んでいたことであった。
「やっと軌道に乗りだしたってとこか」
「まあ……この女医って、どうなんでしょうね。とにかくヨアキム皇子が成功したら、六十三年後のユスティカ王国崩壊までは大きな動きはないので、その間に……なんですか? ローゼンクロイツ」
「いやあ、大変そうだなと思って。極悪非道にして冷酷無比、虫のほうがまだ感情があると言われるテオドラが、こんなに一生懸命生かす方法を模索するなんて、なかなか見られないからな。普段のお前なら全てを無に帰して終わりだろ? リュディガーが頼んだとしても」
テオドラは本を閉じ哲学者の石へとしまい込み、ローゼンクロイツを斜めからみて、自分でもそう思っていると言わんばかりに言い返す。
「冥界から世界へ引き返そうとしたトヴァイアスを背後から氷の剣で突き刺して不老不死にし、その氷の剣を突き刺したまま重石にし、忘却の河に突き落としたのがリュドミラの仕業でなければ、あなたが言った通り世界を虚にしていますよ」
「お前だって似たようなものだろ、テオドラ」
「近親憎悪ってものでしょう。それに……」
「それに?」
「他人が行う非道は許せないのが普通でしょう。自分が似たような非道を行っているとしても、これはこれ、それはそれ。お楽しみを邪魔されるのは腹立たしいのを知っていますが、お楽しみを邪魔することほど楽しいものはない」
「呪われちまえ、テオドラ」
「どうぞ、呪ってみてください」
呪解師になることが出来る条件はただ一つ。自身が呪われない性質であること。呪われないように生きるのではなく、呪われないという天性の素質が必要である。
「これからお前はどこにいるつもりだ?」
「そうですね。ホロストープが収まったら、ヨアキム皇子についてユスティカ王国に行くつもりです。そこでユスティカ王と会って、聖地トヴァイアスの様子を見て、しばらくは聖地近くの町にます。二年後にはラージュ皇国に行きますけど、その前に調べて報告してください」
「わかった。奢られるの楽しみにして行ってくる」
「はいはい」
悪夢師が闇に溶けたのを確認して、テオドラはヨアキムのいるの天幕へと戻った。
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