私の名を呼ぶまで【27】

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私の名を呼ぶまで:第十話

 ブレンダの実家は代々仕立屋で、ブレンダも幼い頃から針と糸を持ち育った。
「お前がブレンダか?」
「そうです」
 ヨアキムは初めてブレンダと会ったとき、それは驚いた。服を作ることを仕事にしているのだから、肌は白く細い体付きの女だと――ヨアキムの周囲にいるお針子のイメージはそうであったが、ブレンダはまったく違った
 性格は”きつい”とベニートから聞いていたが、その表情を見て”考えていた以上にきつそうだな”と、表情、髪型、態度に服から勝ち気しか感じさせない彼女に、溜息をつけばいいのか? 感動したらいいのか? 少しばかり悩んだほど。
「美しいドレスは私たちの生活に必要なの」
 健康的に日焼けした褐色の肌。緑色の瞳。太めの眉は眉尻まで上がり、最後が折れるように下がっている。
 鼻は高く大きめで、良く喋る口を飾る唇は肉感的。
 美しいドレスを愛する腕利きの針子らしく、本人が着ている仕事用のワンピースも地味とは程遠い。
 ヨアキムに臆することなくドレスに布、刺繍に糸の必要性を語る。
「ブレンダ」
「はい」
「続きはまたでいいか?」
 切らなければ朝まで話続けるだろう彼女を前に、ヨアキムは側室リザの肩に手を置き、寝室に入ると行動で示す。
「絶対に聞いてくださいますか?」
「お前の話は説得力があり、聞いてみたいと思わせる。ただ専門用語が多すぎて、私には分からないことも多い。職務の合間を縫って服飾関係の本に目を通してみるが、お前も私に分かるように説明するよう心掛けろ」
 彼女は大きく人目を惹く顔のパーツの全てを崩し笑う。
「分かりました。それと一言。美しいドレスを”美しい”と言って、素直に着る女を選べる立場の人は多くありません。その選ばれた一人がヨアキム皇子であること、お忘れなきように」
「心に留めておく」
 ヨアキムは側室リザと共に寝室へと入り、ブレンダはヨアキムに説明するために広げていた図面や布を片付ける。


「ヨアキム皇子」
「……えらい女を連れてきたな、リザ」
 寝室に入りベッドに体を投げ出し”本当にとんでもないのが来た”と、呻くように喋ったヨアキムに、リザは笑みを浮かべて楚々とベッドに近付き腰を下ろす。
「あんなの序の口ですよ。本気を出した彼女はもっと凄い」
 気持ちの悪い動きは止めろ――言いかけたヨアキムだが、隣室に彼女がいることを思い出し言葉を引っ込めた。
「まあ……伝統工芸が途絶えるのはどうかと私も考えているから……リザ、ブレンダに美しいドレスを頻繁に注文し、ベニートを通して寄付しておけ。お前の被服代は私の余剰資産から出す」
「ありがとうございます」

**********

 ブレンダが作ったドレスと、それ以外のものを箱にまとめ、ベニートが持ち出して聖職者であるバルトロに渡す。
「ヨアキムの側室からの寄付だ」
 箱を受け取り開けたバルトロは、最近では見ることがめっきりと少なくなった、鮮やかな色合いのドレスに驚く。
「美しいですね」
 バルトロは美しいものは美しいと素直に言うことができる。斜に構えたり、美しさなど所詮虚しいものだ――などという性格ではない。
「ああ」
「寄付された方のお名前は?」
「リザ・ギジェン」
「もしかして、あのエドゥアルドが?」
 王宮よりも大聖堂にいることが多く、聖職者を目指しているバルトロに、エドゥアルドは自分が恋した側室リザのことは言ってはいない。
 そのバルトロがなぜ弟の恋愛沙汰を知っているのか?
 噂になってしまったため、と言うこともあるが、両親にヨアキムの側室を欲しいと言い注意されたエドゥアルド。
 だが側室リザのことを諦める素振りがなく、両親は心配しバルトロにも注意を払うよう、またおかしな行動を取りそうなら説得し、傷つけたりしないように諭すように伝えていた。
「そうだ。彼も諦めたらいいのにな」
「私は弟だから、全面的に反対はできないけれども……そのリザ殿はヨアキムのことを?」
「さすがに、ヨアキムの側室に”ヨアキムとエドゥアルド、どっちが好き?”と聞くわけにもいかないしなあ」
「そうだね」

 ベニートが帰ってから、バルトロは寄付されたドレスを地方へと送る手続きを取り、送り届ける部隊を預かっている弟エドゥアルドを呼んだ。
「来たぞ、兄上」
 寄付を受け取るエストロク教会と皇家は、深くつながっており、教会の物資を運ぶ際は軍の輸送部隊が動き、軍が動く際には教会が野営地や物資などを提供する仕組みになっている。
「地方教会に発送する品は……そのドレスは?」
 寄付の中には側室リザがエドゥアルドと初めて出会った夜会に着ていたドレスも含まれていた。
「リザ・ギジェン殿からの寄付だよ。袖を通したドレス以外に、新しい下着が五着も含まれていた。慈善事業にも興味があるらしい」
 しばらくエドゥアルドはドレスを眺め、箱に戻して発送の指示を取り後宮へと向かった。

 あの夜会の日以来、エドゥアルドは側室リザとは会っていない。

 エドゥアルドから手紙を数度送ってはいる。受け取り拒否はされないが、側室リザから返事はない。返事がないのは仕方のないことだと分かっているエドゥアルドだが、この日はどうしても会いたくなり、自分の後宮からヨアキムの後宮へと侵入した。
 ラージュ皇国の後宮は幾つかの棟が組み合わさっており、境となる庭には塀が設置されている。高く見上げるほどではなく、普通の身体能力を持った”男性”であれば乗り越えられる。
 ベニートのように正面から後宮に入らなかったのは、来たことが知られて側室リザに逃げられては困る――エドゥアルドは自分に言い訳した。
 本当のところは拒否されたときの恐怖を誤魔化すため。
 初めてやってきたヨアキムの後宮で、エドゥアルドは奇跡的に側室リザと遭遇した。
「リザ!」
 植え込みから突如現れたエドゥアルドに、庭でブレンダと新作ドレスのデザインや色や図案の話をしていた側室リザは身を固くする。

―― まさか、ここまで来るとは

 漠然と”まずい”と感じた側室リザであったが、動いた影に漠然は形が出来上がった。
 デザイン画を描いていたブレンダが立ち上がり、エドゥアルドへと駆け寄りためらうことなく、平手打ちを食らわせたのだ。
「……」
「ブレンダ! その方はエドゥアルド皇子です」
 いつものエドゥアルドならば簡単に避けることができたのだが、
「エドゥアルド皇子だろうが皇帝マティアスさまだろうが、ここはヨアキム皇子の後宮だっての。なに、あんたがリザさまにちょっかい出してるエドゥアルド皇子なの?」
 久しぶりに会えた側室リザに心を奪われ、また心にやましいことがあったこともありブレンダの平手打ちを避けられなかった。
「きさまがリザの侍女か?」
「そうよ、リザさまの侍女のブレンダ・ビショップ。で、正面から入って来たら、連絡がくるはずなんだけど。勝手に来られても困るんですけど。皇子に対する言葉使いじゃないなんて、下らない返事はなしよ? ここはさっきも言ったけど、ヨアキム皇子の後宮であんたの後宮じゃない。迷子だってなら、出入り口までは送ってあげるけど、そうじゃないならとっとと帰りな!」
 前髪もまとめて後ろの一本に結い、形の良い額は露わで、気の強さを物語る眉は威嚇するようにつり上がる。
 皇族に平手打ちを食らわせても恐怖することなく。
「良い侍女だな、リザ。安心した」
 エドゥアルドはそう言い残して、庭を引き返した。
「侍女の私を見るのなら、正面からきたらいいのに」
 手を払うように叩き、テーブルから落ちたペンを拾い上げる。
「ブレンダ」
「なんですか? リザさま」
「簡単な刺繍教えてもらえる?」
「? いいですよ。ご自分のものですか? 誰かに送るんですか?」
「エドゥアルド皇子に。あとで文句を言う御方ではないでしょうけれども、一応……ねえ」
「分かりました。あとご迷惑かけて済みません」
「気にしないで。私のこと、守ってくれたんだから。エドゥアルド皇子も気にはしていないと思うの。顔付きは若干あれだけど、性格はほぼ清廉な武人だから」
「リザさま、エドゥアルド皇子のこと詳しいんですか?」
 側室リザは男性用のハンカチにエドゥアルドのイニシャルを刺繍し、手紙を書き自ら届けた。
「ブレンダのことお詫びいたします」
「気にしなくてよい、リザ」

 ハンカチを受け取ったエドゥアルドは、側室リザを後宮の入り口まで送り届け、その足でヨアキムの所へとむかった。

「ヨアキム! 彼女に女騎士がついていないのは、どういうことだ!」
 先程の訪問の際、側室リザは単身でエドゥアルドと面会した。後宮の入り口まで送り届ける紳士でもあるエドゥアルドは、しっかりとした女騎士を配置していないと文句をつけにきたのだ。
 他の皇子の側室に女騎士がついていようが、いまいが、口を出す問題でも立場でもないのだが、エドゥアルドは美しい側室リザが心配で、こうしてやって来た。
「出歩かんから必要ないと言っていた。それに専属でなくとも、必要ならば詰め所で借りればよかろう」
 ヨアキムはエドゥアルドが大事に手に持っているハンカチを目がいった。側室リザが寝室で刺繍していたのを思い出す。
 事情が事情なので刺繍したハンカチを贈ることは許可したが、見ていると頭痛がしてくる。
「それについては後でリザと話す。お前は帰れ」
 騒いでいるエドゥアルドの背中を押し、部屋から追い出した。


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