私の名を呼ぶまで【19】

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私の名を呼ぶまで:第二話

 ベニート・ラージュ・ウカルスは降嫁した皇帝の娘と、国内有数の名門貴族当主との間に産まれた男児である。
 無事に皇族の宣誓を終えた彼は皇族の一員となった。
 彼は皇帝の地位に興味はなく、貴族として生涯を送るつもりであったのだが、母であるリザの強い希望により皇族としての人生を送ることになった。
 母リザの願いとは、幼いころ女児にしか見えないベニートを後宮で飾り立てること。綺麗でふわふわとしたドレスが大好きだったリザだが、それは見るだけで決して与えてはもらえなかった。
 豪華なドレスを着るのは、昔の頭の悪い女のすることで、そんなドレスを着て、丹念に化粧を施し、香水をつけた女性を選ぶ男に”ろく”なやつはいない。知性があり優れた男性はシンプルなドレスを着て、化粧も控え目、香水ではなく自然な香りを纏った、政治に見識のある賢く優しい女性を選ぶとされて、与えてもらえなかった。
 だがリザはどれ程言われようとも豪華なドレスへの憧れは募り、着せ替え人形の洋服としてそれを手に入れ、自分の代わりに随分と着せ替えて楽しんだ。
 リザは人形だけでは満足できなかった。ドレスが動いている姿を楽しみたかったのだ。だが自分のサイズは注文できない ―― そして彼女は二人の息子を産む。

 娘が生まれるまで……とはリザも考えてはいなかった。
 娘が派手と華美を嫌う風潮の中、不運になったら可哀相だ。だが息子ならば――

 次男は生まれた時から夫に似て厳ついが、長男はそれこそ女の子と見紛うような息子であった。その可愛らしい長男ベニートを見て、リザは常々言われていた皇族の誓いを立てる決意をする。
 降嫁した女性のすべてが息子に皇族の誓いをさせるわけではない。降嫁した女性本人が本当に皇帝の娘であるかどうか? 証明はない。その証明を手に入れるために皇族の血の呪いを受けている息子を後宮に入れるのだが、女性に証明がない以上、息子の身の安全は保証できない。
 女性自身が自らは皇帝の娘であると信じていても、己の気持ちと血は関係のないこと。
 過去に多くの降嫁女性の産んだ息子が、皇族の誓いを立てるために後宮へ入ろうとして命を失った。
 それらを知ってなお、リザはベニートを後宮へ入れた。
 幸いなことにリザは先代皇帝の実子であり、ベニートはその孫として後宮が受け入れる。
 夫はリザがベニートを連れて頻繁に後宮に出入りするのを咎めはしなかった。自らが皇帝の実子であると証明されたことが嬉しいのであろうと、それこそ優しく見守る。
 リザの弟であり皇帝マティアスも、姉と甥を受け入れた。”大きな動くお人形さん”遊びに気付くものは誰もいなかった。
 かつては存在した乳母も「我が子は自分で育てるべきです」という風潮が広まり、おかれることが減り、外出も「侍女付きではなく、親子水入らずの時間が必要です」なる【ありがたい】意識改革のために、貴人であろうとも側に誰も置かずに自由な時間を楽しめるようになった。

 結果、リザはベニートで充分欲求を満たすことができた。

 ベニートは成長し皇族として生きることに決め、皇帝から小さいが後宮を貰い受ける。後宮を持つことは、皇族男子の成人の証。
 息子が成人となれば降嫁した母親と言えども後宮に出入りすることは許されない。もうその頃になるとリザも息子の着せ替えに満足し、
「皇帝にならないで、可愛いドレス好きな方を妃に迎えなさい」
 ベニートにかつて作ったドレスを預けて去ってゆく。ベニートは小さくなったドレスを一着、衣装箱から取り出し姿見の前に立ち、体にあててみる。
 ベニートが最後に着たもので、水色のドレス自体は華奢な作りだが、リボンとフリルで溢れとても華やか。
 揃いのヘッドドレスの存在を思い出し、多数の衣装箱から探し出す。男性の格好にヘッドドレスを被る。両脇から垂れ下がっているリボンを顎の下へと通しリボン結びをする。
 しばらくその姿を鏡で見て、服を脱ぎドレスに袖を通す。男性の骨格になりつつあるベニートには既に着ることができないドレス。肩の部分は裂け、背中のホックはひらいたままだが着終えた。
 靴を脱ぎ裸足になり、鏡の前に座る。

「なにか、足りない」

 ベニートは足りないものに気付き、指先をナイフで切り唇を赤く塗った。しばらくベニートは鏡の前に座り自分の姿を見て、なにか感じるものがあった。

 彼は以来、女装して街を歩くようになった。地味過ぎず派手過ぎずなドレスを着て、日よけ傘を持ち、飾りがたくさんついた靴を履く。
 流行りの口紅をさし、白粉をはたく。
 皇帝の甥ベニートとして、また女装をして生活を続けていたベニートに転機が訪れた。
 ある夕暮れどき、そろそろ借りている街邸へと帰ろうとしていると、背後から声をかけられた。
「水色のドレスを着ている方」
「私のことですか?」
 ハンカチでも落としたのだろうかとベニートは振り返る。
 高い建物の間の小道。影が濃く、相手の姿はその影と夕暮れに紛れてほとんど見えない。だが 振り返ったベニートは、相手の姿を見て驚き”なぜ自分が驚いたのか?”不安を感じた。
「お話したいことがあるのですが、よろしいでしょうか? ご夫人」
 近付いてきた相手は、ベニートの肩ほどの身長で、細身ではあるがベニートには華奢とは感じられなかった。
 着衣は交易の中心と言われ、多数の国の者が行き交うラージュ皇国でも見かけぬ物。
 詰め襟で膝丈までの長さのある、黒が強い灰色の上衣。袖はやや短めで、白が強い灰色の手袋を嵌めた手がのぞく。
「人違いではありませんの?」
「人違いではありませんが、手抜きをした私もいけませんね。大聖堂に司教はいますか?」
「おられるでしょう。もうかなりの高齢ですので、外出することは稀です」
「ありがとうございます。それでは、またお会いすることもあるでしょう、誓いを持たぬ誓われた方」
 皇族女性は誓いを立てられない。
 皇族男子は誓いを立てられる。
 声をかけた相手が、自分のことを皇族だと見破ったことに驚き、
「そこまで言われたらお話いたしますわ。近くに借りている邸がありますの。召使いが一人もいないので手入れが行き届いていない邸ですが」
 ベニートは借りている邸へ名も知らぬ女を連れてゆく。
 雨戸が閉められ圧迫感のある暗い部屋。明かりを徐々に灯す。
「少々ここでお待ちください。着換えて参りますので」
 柔らかい明かりに照らし出された女は年齢不詳であった。若いようだが若くなく、年を取っているようだが、それ程の年でもなく感じられるのだ。
「分かりました」
「暇潰しになるものがないのですが」
「構いません」
 年齢不詳の人物が居る部屋と繋がっている隣の部屋へ入り、入り口扉を僅かに開けて様子をうかがいながらベニートは手早く化粧を落とし、着換えをする。
 手持ちの本を読みながら、相手は待っていた。
 すっかりと男に戻ったベニートを見て、手持ちの本を閉じる。 
「男性の方でしたか」
「ええ」
「皇族男性ですよね」
「なぜ分かる?」
 素気ない黒の厚紙の表紙に書かれている題名を、ベニートは読むことができなかった。
「それは……まあ」
「今更聞くのもおかしいが、聞かねば分からぬので。あなたの名は?」 
「呪解師テオドラと申します」
 その名はベニートも聞かされていた。
「呪解師テオドラ……。私はベニート。ベニート・ラージュ・ウカルスと申します」

 ラージュ皇国の繁栄の礎である「天の守り、血の護符、血の呪い」この三種の巨大な呪いをかけた呪術師リュディガーの師と言われるのが呪解師テオドラ。

「この国のとある皇族男性に面会したいのです」
 皇族男子であれば必ず知っている名でもある。
「誰に?」
「ヨアキム皇子に」
「ヨアキムですか?」
「説明しないと会わせていはただけないでしょうか?」
「彼は次の皇帝になると噂されている男です。私のように女装をして街をふらつく皇族とはわけが違います。失礼ながら、貴方を簡単には信用できません」
 だが当然ながら呪術師リュディガーはラージュ皇国建国当初の存在。ラージュ皇国は今年で建国235年を数える。
 『師』はその才能により総じて長命だが、百年を超える者になると稀。
 呪術師リュディガーも稀代の能力で百五十歳を越えたとされているが、その彼が『呪解師テオドラは私が幼いときには既に幾星霜の刻を越えていた。五百や六百ではない。あの人は死なない』そう言い残した。
 呪術師リュディガーの言葉を素直に受け取れば、目の前にいる呪解師テオドラと名乗る人物は千を越える歳月を生きていることになるが、そのように伝えられていても容易に信じることはできないもの。
「そうですね。では説明いたします」
「聞かせていただきましょう」
「ラージュ皇国建国の呪いはご存じですね」
「知っております」
「天の守りに地の護符、王家の命脈を繋ぐ血の呪い。これら三つがこの国を維持しております」
「はい」
「この大きな三つの呪いは、永遠ではありません。掛け直す必要があります」
「それは知りませんでした」
「誰もご存じないことでしょう。おまけにリュディガーのこの呪い、いつでも掛け直すことができるわけではありません」
「時期があると?」
「はい。銀髪のヨアキム皇子。彼はおそらく血の呪いの原石を受け継いでいるはずです。その呪いの原石を受け継いだものが成人してから即位するまでの間”だけ”掛け直すことが可能です」
「ヨアキムが呪いの原石を受け継いでいるとは知りませんでした」
「本人もご存じないことかと」
「ヨアキムとの話の間、私も立ち会ってよろしいでしょうか? 呪解師殿」
「どうぞ」
「ではこれから……闇に紛れたほうがよろしいですか?」
「そうですね」
「では、お食事にお誘いしてもよろしいでしょうか? 呪解師殿」
「それはありがたい」

 二人は街へと出て、食事をとり軽く酒を飲んでから王宮へと向かった。



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