君雪 −3
シャタイアスはクロトハウセへの特別面会許可を皇帝から得て、カウタマロリオオレトの手を引きながら皇族だけが収容される牢へと向かった。
機敏に、そして颯爽と歩くシャタイアスとは反対にカウタマロリオオレトは歩くのが遅い。特に手に何かを持っていたりすると、そちらに注意が向き格段に歩くのが遅くなる。だがシャタイアスは急かさずにカウタマロリオオレトと共に歩いた。
『昔だったら並んで歩くことも許されなかった相手だったが』
カウタマロリオオレトと共に皇帝の学友であったシャタイアスだが、二人よりも前に出ることも二人と並ぶこともなかった。今は亡きアウセミアセンの三人の一歩後ろに下がり、従って歩いていた。
当時のシャタイアスには、
「歩くのに邪魔なら預かるぞ」
「平気」
カウタマロリオオレトと並んで歩く日が来るとは思っても居なかった。
皇帝となったサフォントや国王となるカウタマロリオオレトの背をずっと見て陰に隠れて生きていくものだとばかり思っていた。
結局はそうはならず、ゼンガルセンの元に送られ歴史の表舞台に出るようになった。
その道筋は皇帝とゼンガルセンが作ってくれたものであり、感謝を忘れたことはないが、それらの原因となった『母親の殺害』を思い返すたびに、シャタイアスはカウタマロリオオレトのことを思い出さずにはいられない。
牢に向かう警備に呼び止められ足を止める。
「ロヴィニア王の命により」
呼び止めた警備は来たのがシャタイアスで内心胸を撫で下ろしていた。
シャタイアスは無理を吹っかけてくるような貴族でもなければ、
「そう言うだろうと思ってな。ほら、陛下の許可証だ、通せ」
手順を無視するような人でもない。
受け取った許可書の真贋を確かめ、
「お通りください」
扉を開き、頭を下げた。分厚い扉で閉ざされている通路の先にある牢の前に立ち、シャタイアスは皇帝から特別に借りた《鍵》を使い牢を開く。
皇族が収容される牢の《鍵》は皇帝、あるいはそれに信頼された者だけが持つことを許されている唯一のもので、その《鍵》以外で皇族が入れられる牢は決して開くことはない。その《鍵》は世間一般には《国璽》とされている印。
帝国を表す《国璽》
重要儀礼式などの書類に押されるものだが、実際は一時的ではあるが、神殿に立ち入る事が出来るように神殿のデータを書き換えることも可能な、それを手にしていれば皇帝に成り代わることも出来る物。
警備が通路の扉からついてこなかったのは、この扉が何で開くかは解らないが、皇帝以外には開けられないことを知っているためだ。
警備達は食事を差し入れる小さな小窓から会話するのだろうと勝手に思い込んでいたが、皇帝の信頼の篤いシャタイアスは “直接会わせてやるがよい” と国璽を手渡された。
これを持ってゼンガルセンの元へと走ったらどうするおつもりですか? と聞き返すも、皇帝は一笑に付しただけで去ってゆく。その後姿に、シャタイアスはただ頭を下げるしかない。
音もなくスライドし、開いた扉に中に居たクロトハウセは開けるのが皇帝だけだと知っているので礼を取ったものの、
「ラス!」
中に入ってこようとしているのがカウタマロリオオレト。その隣にいるのはシャタイアスだけというのを見て驚きながらも、
「入ってくるな」
牢に勝手に足を踏み入れるなと叫び、立ち上がって開いた扉を境界線にして会話を始める。
「あ……」
怒られたカウタマロリオオレトは箱を胸に抱いて、クロトハウセを上目遣いでみる。
当のクロトハウセはシャタイアスの手にある《国璽》を見て、それが簒奪に使えるものだと知っているので渋い顔をしながら、
「牢に勝手に入るな。どういうつもりだ? シャタイアス」
何故此処に着たのかを尋ねる。
クロトハウセもシャタイアスが皇帝の間者であることは知っている。そしてカルミラーゼン程ではないが、ゼンガルセンに命令以上に従っているシャタイアスを信用してはいない。
「カウタが来たいと言っていたから連れて来てやった。あまり泣かせていると誰かさんのお怒りが増すだろうしな。ただでさえ死期が近くて苛立っているというのに。」
その言葉を聞き、クロトハウセはデバランが全てを知り、怒り狂っていることを理解した。
「そうか」
そのクロトハウセにシャタイアスは《国璽》を指の間に挟み、グルリと逆さにする。
クロトハウセは意味することを即座に理解し、《国璽》に向かって軽く頭を下げた。ほんの少しだけであり、それはカウタマロリオオレトには解らず、二人ともそれをわからせるつもりはなかった。
国璽を逆さにするのは ”ある階級”の処刑を表す。当然国王も解っていることで、もしかしたら元国王はまだ覚えているかも知れないだろうと二人は目に付かないようにして意思の伝達をした。
「ゴメンね、ラス。新しいの持って来たから食べてね」
それに気付けば、今目を潤ませてチョコレートの箱を差し出している元国王が皇帝に異義を申し立てる可能性もある。
実際カウタマロリオオレトは前回クロトハウセの妻の処刑に異義を唱えた。今回も似たようなことが起これば、それがこの壊れかけている大君主に大きなダメージを与える可能性もあることを考え、彼らは何一つ口にはしなかった。
「置いていけ」
「許して……」
「最初から怒ってなどいない……遊びだったのだが、他者が介入してくると途端に……」
「ほら、言っただろう? クロトハウセは怒っていないって」
言われてカウタマロリオオレトは床にダークオレンジと金の包装紙に包まれた箱をそっと置く。
直接受け取ってもらえなかったことに、しょんぼりとしてしまったカウタマロリオオレトに、クロトハウセは困ったように頭をかきながら、
「カウタ」
声をかける。
途端に弾かれたように顔を上げて、
「なに!」
何を言ってくれるんだろうと嬉しそうな顔でクロトハウセを見つめる。
“そんなに楽しいことではないぞ” とクロトハウセは溜息をつき、苦笑しながら今後のことを言い聞かせた。
「私は良くて宮殿追放で最低でも一年は蟄居の身となるだろう。宮殿追放となれば兄であるケシュマリスタ王の領地に向かうことになるだろうから、お前は連れて行けない。お前が宮殿に残っていると総帥に迷惑をかけることは疑いの余地がない。だからエヴェドリットに行け。頼んだぞ “ゾフィアーネ大公”」
「……了解した。行こうか、カウタ」
“ゾフィアーネ大公” の下りに皮肉と信頼を感じつつ、カウタマロリオオレトを引き起こして扉を閉じる手配をする。
「あのね! チョコ食べちゃってごめんなさい」
「好きなだけ食べろ」
扉に閉ざされ中をうかがうことができなくなっても、しばらくカウタマロリオオレトはそこに立っていた。
「行こう、カウタ」
「……」
カウタマロリオオレトが動きたくなるまで傍で待ちながら、シャタイアスは手の中にある《国璽》に視線を落とす。
これがあればシャタイアス本人も皇帝を名乗ることが出来る。むろんその後に現皇帝を倒さねばならないが、一時的にでも皇帝と名乗ることは可能になる。
シャタイアスは人からみれば虐げられて育った部類に属するが、皇帝になろうと考えたことはない。
血統だけならば皇帝になれなくもないのだが、皇帝になろうと考えたことがない理由。
現皇帝サフォントが圧倒的な能力を有していることもそうだが、幼少期《皇帝》に悪印象しかないこともある。
最悪な感情をシャタイアスに植えつけたのは、クロトロリア。
シャタイアスは当時皇太子だったサフォントに『見張っているように。決して中に入ってはならない』とカウタマロリオオレトの暴行現場においていかれた事があった。
当時の彼は何をしているのか理解は出来なかったが、皇帝の体の下で泣きながら笑い顔を作ろうとしていたカウタマロリオオレトにシャタイアス自身も悲しくなった。サフォントの命令でそれを黙って見張っているしか出来なかった。
ただ見ているしかできない自分に不甲斐なさを感じていたシャタイスに、クロトロリアは追い討ちをかけた。
そこにシャタイアスが居ることに気付いたクロトロリアは蹂躙しながら “お前の母親もタナサイドにこうされた” シャタイアスが聞きたくも無いことを、見たくもない行為と平行して皇后とケシュマリスタ王が来るまで続けた。
シャタイアスは『今であれば助けてやれたのに』とカウタマロリオオレトを見て後悔する時がある。
結局当時のシャタイアスもカウタマロリオオレトと同じく、皇帝に逆らってはいけないという教えに疑問すら持てず、何をすることも出来なかった。
自分がそれに対して後悔も負い目を感じる必要などないのは解っていても、
「帰ろうか、カウタ」
「うん……待たせちゃってごめんね」
「構わないよ」
出来る限り優しくしたかった。そう思えるようになったのは、つい最近のことではあるが。
クロトハウセは二人が立ち去った後、扉の前に小さくおかれた箱をみて、
「牢の中は別に窮屈ではないが、放免になるまでは菓子を断つ決意をしたのに……どーしてアイツ持って来るかなあ、耐えるの辛いじゃないか」
誰が見ているでもないのに顔を手で隠しながら、幸せそうに微笑んだ。
シャタイアスは《国璽》とカウタマロリオオレトをエバカインの元に置いた後、休憩に入っていたゼンガルセンの所へと向かった。
話し合いの進展と、クロトハウセの処遇がどのようになるのかを聞いた後、
「クロトハウセがカウタを連れて行けと……はーん、宮殿からカウタを “持ち出し” たらあの女怪が黙っちゃいないだろうな。可愛い可愛い息子の良く似た王子様が、一番嫌いな男に良く似た奴等のところに身を寄せるなんてなあ」
クロトハウセに連れて行けといわれた事を伝えた。
「断るか?」
断ることも出来るのだが、ここは【断らない方が得策】なのを理解していた。
だが理解していても、シャタイアスには懸念があった。それはカウタマロリオオレト本人ではなく、それによって影響を受ける人が王城にいる事。
「断りはしない。城に放り込んでおけばいいだろう」
「やはり王城に連れて行くのか?」
「仕方ないだろうが。カウタの奴、不必要に見た目が良い。我の目の届かぬ所に置いたら間違いなく犯されるぞ」
ただし我の目の届く範囲にいれば、こっちが鬱陶しくなると続けたゼンガルセンに、
「確かにそうなのだが、王妃の体に障ったらどうする気だ? カウタの父親はケネスセイラだぞ、表面上はともかく内心や無意識下に負担がかかる可能性もある」
シャタイアスは今王城で最も体調を気遣われている人物の名を上げた。
その名を聞き、ゼンガルセンは目を閉じて面白くなさそうな表情をつくる。ゼンガルセンの性格と性質では≪その程度≫のことだが、王妃であるアレステレーゼにとっては永遠に消えることのない傷であることも理解はしている。
完全に許していたとしても、全く気にならないということにはならない。
「ちっ……ロヴィニア王め。だが大君主が来ると言った以上、拒否するわけにもいくまい」
シャタイアスの意見を聞き、色々と考えたがそれでもゼンガルセンは大君主を連れて行くことにした。
「差し引きゼロってところだろう」
王妃の精神を安定させる為には【大君主】をエヴェドリットに連れて行く方がいいのだ。これから起こる事件に備えて。
その事件が起こるという確証はないが、必ず≪引き起こされる≫だろうとゼンガルセンもシャタイアスも考えていた。その事件の【彼を犯人】にされない為にも。
それらの駆け引きや、王妃の精神状態を考慮して、シャタイアスは溜息を大きく一つ付いた後、
「なら仕方ない。私が付きっ切りでみよう」
覚悟を決めた。
「シャタイアス……お前、カウタが来たら実家に帰ると、絶対面倒見ないと叫んでただろうが」
三年ほど前に≪カウタが来たら実家に帰る!≫と本気で叫んでいたシャタアイスを覚えていたので、最初から面倒を見させる気は無かったゼンガルセンは、意外な申し出に心底驚いた表情を浮かべ、本当に良いのか? と問いただすような口調で尋ねる。
「あの時は王妃がいなかったからな、今は王妃もいればこれから生まれてくる王女のこともあるし。お前一人だったら置いて逃げるところだ」
苦笑いを浮かべて覚悟を決めた経緯を告げると、
「お前なあ……なんか腹立つな」
一体誰の部下だよ、と言った風な表情でゼンガルセンが聞き返す。
「誰に対してだ?」
「お前に対してだろうが、シャタイアス」
そんな文句を言いつつゼンガルセンは話し合いが決着した後、皇帝に大君主を連れ出す許可を貰いカウタマロリオオレトを連れて帰途についた。
クロトハウセの処遇は本人が予想していた通り、宮殿追放と五年間の蟄居。
宮殿追放されたクロトハウセは兄である元カルミラーゼンと共にケシュマリスタへと向かい、
「何もせずに返して寄越すとは、シャタイアスらしい」
エバカインより渡された国璽を手に、皇帝は呟いた。
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