君雪 −1
 「妹が出来るぞ」と連絡をいれると、驚きに満ち溢れた表情を作りそれから満面の笑みでおめでとうございますと告げてきた。あの時の感触思い出すたびに、お前が生きていればもしかしたらあの馬鹿はもう少し生きていたかもしれないと思うことが何度かあった。
 あの馬鹿が生きていようがいまいが、我には関係ないことであり、死したわが子の年を数えることも無意味。
 尤も数えたところで我より年上なのだがな、エバカインよ。

− 死したるお前を何ぞ我は思うのか −


 その切欠は何時もの出来事。
 何時もの出来事、何時もの喧嘩、そして何時もどおりの仲直り。
 そうなるはずだったクロトハウセとカウタマロリオオレトの日常に、不用意に無神経に己の分を弁えず上がりこんできた者がいたことから始まった。
 贅を凝らした箱に並べられている、四角く薄いチョコレート。
「お前は……なんで勝手に私のチョコレートを食べるんだ!」
「美味しいよ」
「美味しいよじゃない! 返せ! お前の分は別にあるだろうが! 大体、お前甘いもの好きじゃないだろう!」
 クロトハウセとケネス大君主になったカウタマロリオオレトがいつもの如く喧嘩をした。二十四歳にもなった帝国の重鎮たる親王大公と三十二歳になった元国王が喧嘩。
「クロトハウセ親王大公殿下。新しいのは直ぐに用意できますので」
 喧嘩といっても、親王大公が一方的に怒鳴っているだけ。その上理由も≪勝手に自分のチョコレート食べた≫というどうしようもないもの。直ぐに新しいものが準備できるという声も、
「煩い」
 親王大公には無意味。
 そして怒鳴られているほうも気にせずに箱を膝に乗せて、延々と食べ続ける。
 その態度に一人怒って、怒ったまま仕事に向かうのが何時ものことであった。
「ラス、いっちゃったね。食べればいいのに……」
 本人の中では思考は確りとしているが、表面に出てくるのは奇矯な様ばかりのカウタマロリオオレトは結局残り三枚まで食べて、
「ラスに食べさせてあげる」
 箱を持ち立ち上がった。
 思い立ったら直ぐに行動に移してしまう大君主に、周囲の者は困惑しつつも『大君主の言葉を何よりも尊重せよ』と皇帝から直接厳命を下されているので、意見に従わないわけにも行かず、クロトハウセが仕事をしている場所へと大君主を連れて行く。
 その時向かったのは会議場。
 軍事ではなく政治に関する協議をする場で、皇帝の代理としてクロトハウセが、その他王とそれに連なる者達が一同に会し互いの腹の探り合いをしていた。
 長引く会議は何度か休憩がはいる。大君主は自分が食べて、残り三枚になったチョコレートの箱を持って訪れた時、ちょうど休憩時間にあたっており、クロトハウセは席をはずしていた。
 戻ってくるまで待っていようと会議場に入り、元カルミラーゼン親王大公、現ケシュマリスタ王に『クロトハウセの席はそこだ』と指差され、そこに座って待っていた時にそれは起こった。
「大君主は相変わらず、悩み一つなさそうなお顔をなさっていますね」
 そう声を発したのは、バーランドゼアス。ロヴィニアの王太子は “この相手なら言い争って勝てる” と踏んで話しかけてきた。
 議場において発言権のある王太子だが根が小心者なので、何度か議場に来て席についたことはあるが今まで一言も口に出来ず、ただ自分の母王の影に隠れていた。
 遠距離映像で参加している同じ王太子のデルドライダハネが、バーランドゼアスとそれ程年齢の違わぬ彼女がエヴェドリット王相手だろうが、自らの母王相手だろうが臆さず議論をぶつけてくる様に、高いだけで中身が伴っていないプライドが刺激されて、誰かを言い負かしたいと考えていた。
 そこに “あまり賢くない” と言われている大君主が現れたので声をかける。
 それが上記の言葉だった。
 その様を見て聞いていたゼンガルセンは、口も挟まなかったが次ぎのロヴィニアは切崩すのが楽だと内心嘲笑う。『シャタイアスの息子がこっちに来たのは痛手だったようだな、クレニハルテミア。貴様の息子では一国は統治できん』そう思いつつ、苦労知らずの小心者の意見ではなく悪口を黙って聞いていた。
「……大君主は最初から女に生まれてくれば良かったのでしょうね。男としては役立たずですし、男に抱かれて喜ばれているのだから」
 何処まで喋って良いのか自ら判断できない彼は、思う存分 “自らの意思” を相手にぶつけた。
 その場にロヴィニア王がいれば間違いなく諌めただろう言葉の数々を、ゼンガルセンは録音させてはいた。
 ゼンガルセンよりも少し離れたところにいる、ハウファータアウテヌスも。
 言われた本人は、早口で語られた自分の悪口を『ほーっとした』ような顔で黙って聞き続け、特段変わった動きはしなかった。
 それに調子に乗ったバーランドゼアス。
「本当に愚かなのですね。何を言われているのか理解できないとは本当におめでたい」
 その時、議場で最も『めでたかった』のはバーランドゼアス本人だったに違いない。
 彼の部下の表情が変わったことに気付かないで、言い返せないことを知っている相手に悪口をぶつけるのに必死の彼の背後に迫ってきていたのは、
「何をしている、ズデイラ公爵」
「クロトハウセ親王大公……」
 戻ってきたクロトハウセ。
 議場の空気が凍りつき、バーランドゼアスは自らの肩に置かれた手に篭る力に苦悶の表情を浮かべ、引き剥がそうと手をのせるが彼の力では全くの無意味。
 だがこの場に至っても、彼は言い過ぎたとは思っていなかった。
 彼は自分が恐ろしいものに触れたことを知らなかったのだ。
「何を言われた……」
 クロトハウセが尋ね終わる前に、カウタマロリオオレトの目からはらはらと涙が零れ落ちた。
 それを合図に、ゼンガルセンは記録していた音声を大音量で議場に響かせる。

『男としては役立たずですし、男に抱かれて喜ばれているのだから』

 バーランドゼアスは再生された自分の声を聞きながら、彼は自らが言い過ぎたことを理解して人生を終えることになった。音声が終わって直ぐに、肩に両手を置かれ紙か何かのように引き裂かれる。引き裂かれたことは理解できなかったが、痛みから自らが傷を負ったことは理解し、助けてと言おうとしたが頭を踏み抜かれそれも出来ずに終わった。
 ゼンガルセンは立ち上がり、椅子ごとカウタマロリオオレトを抱えて議場の外に連れ出して、
「少し外で時間を潰そうじゃないか、大君主」
 中から聞こえてくる、耳慣れた肉の潰れる音や骨の砕ける音を聞きながら、何もない場所で椅子にぽつんと腰掛けている大君主のそばにい続けた。
 中で起こっているロヴィニアの衛兵に対する虐殺に近い殺害を止めるでもなく。
『どうせ助けてやったって、王太子守れなかった罪で処刑だ。これでクロトハウセが罪を重くしてくれりゃあ、我としては願ったりだ』
「エヴェドリット王!」
 議場に戻ってきたロヴィニア王が、議場の中から聞こえてくる絶叫の理由を問うと、
「ああ、貴様の王太子が即死に近い状態だ。急いで救出して蘇生器に入れれば助かるかも知れぬが」
「ならば貴様が助けろ! バーランドゼアスは私の王太子なのだぞ」
「何で我が暴言吐いた王太子を助けてやらねばならぬのだ。クロトハウセを止めて欲しくば金を用意しろ。命も国も全て金で解決がお前達の信条だろうが。今すぐこの場に金を積め、現金で積み上げろ」
 ゼンガルセンと話をしていても時間の無駄だとロヴィニア王は自らの軍に連絡を入れ、その後皇帝の下へと走った。
 結局事態が終結したのはそれから三時間後のこと。ロヴィニア王が不用意に投入した軍隊は、いたずらに死者の数を増やしただけだった。


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