ALMOND GWALIOR −44
『そっち使ったことないから……もうちょっと……』
デウデシオンは洗面所の鏡を見ながら、その向こう側に先ほど手でいかせた《弟》の言葉を思い出して混乱していた。
四王に向けて「レビュラ公爵はライハ公爵と関係を持って処女ではなくなったので、陛下のお相手には不可」そう宣言していたのだが、それが思い違いだったことを知って……
「髭でも剃るか」
混乱の極致に到達した。
カルニスタミアはザウディンダル以外では、ガルディゼロ侯爵以外には男性を相手にしない。
むしろ女性の方が多く、ガルディゼロ侯爵キュラティンセオイランサはケシュマリスタ王が付けている監視だと帝国宰相は考えていた。
「剃刀はどこだ?」
何時も全自動で髭を剃っているデウデシオン、混乱して剃刀を探すも当然見つからない。
「これで良いか」
腰に差している剣を抜いて、首筋の辺りに持って来たその時だ、
「兄貴! 駄目えぇぇ!」
ザウディンダルが洗面所に突っ込んできて、渾身の力を込めてデウデシオンに体当たり。
ザウディンダルは中々戻ってこないデウデシオンを心配して様子を見に来た。接触嫌いの兄が自分を触ったことで、具合が悪くなっているのではないかと……
「兄貴! 死んじゃヤダァ! うわぁぁん!」
「…………」
泣きながらデウデシオンに縋るザウディンダル。そして、
「この、ばか者が……」
ぶつかられた時の衝撃で、首に剣が横に突き刺さってしまったデウデシオン。呼吸するたびに、剣と肉の隙間から血が漏れ出す。
「兄貴無理して俺のことなんてしてくれなくて良かったのにぃ!」
泣き出した重体からやっと抜け出した弟と、常人なら致死レベルの外傷を負った兄。
「髭を剃っていただけだ」
怒鳴り飛ばしたいところだが、デウデシオンは耐えた。
「え? でも、その剣で?」
ザウディンダルの言い分が最もなことも理解している為だ。
「早く部屋に戻って寝ていろ」
片手で自分の首と剣を押さえ、もう片手で泣き崩れた弟を立たせて部屋に連れ戻す。
「治療してくるからな」
そう言って、デウデシオンは部屋を後にする。
『もうすこし落ち着きを持たせないとな……なんであんなに落ち着きが無いのだろうな。弟の育て方、間違ったか』
渋面作って首の剣を押さえて歩く帝国宰相に、声を掛ける度胸のある者は居なかった。
「タバイ、邪魔をするぞ」
一人で治療しても良かったのだが『ザウディンダルが処女かどうかを』主治医に聞くために、隣の屋敷に住んでいるタバイとミスカネイアを尋ねる。
父母の代理として帝国の重鎮を出迎えに上がった長男のバルミンセイフィドの叫び声に、タバイが駆け出してきて息子以上の叫び声を上げて胃を押さえて床に崩れ落ちた。その後に出てきたミスカネイアは、
「どうぞ、お入り下さい」
冷静な医者だった。
ミスカネイアの後ろをついて屋敷に入り、指示された椅子に座って治療器具が揃うのを待っていると、立ち直ったタバイがやはり胃を押さえながら遅れて訪れ「何があったんですか!」と尋ねてくる。
だが兄は弟の最もな問いに眉間に皺を寄せたまま無視して、
「ミスカネイア」
自分が聞きたい事を尋ねる。
「はい、何でしょうか?」
「ザウディンダルが処女だと自己申告したのだが、本当か?」
首に剣が横に刺さったままで、何事もないように尋ねる帝国宰相と、
「ご存知なかったのですか?」
何事もないように答える、近衛兵団団長と両性具有の主治医。
主治医であり妻でもあるミスカネイアの声に、静かなる怒りが含まれ始めたことにタバイは気付いたが、
「知らなかったからこうして聞いているのだ」
デウデシオンは気付いていなかった。
胃からこみ上げてくる胃液と血液を喉の奥でこらえながら「それ以上口を開かないでお兄様!」と無音で叫ぶが、届くわけも無かった。
「処女ですよ」
「本当にか?」
ここでタバイの妻が切れた。
「女が処女と言ったら処女なのよ! 解りますか! 何回もしつこく聞くもんじゃないよ! 解る? 解らないから聞いてるんでしょうけれども、処女、処女うるさいですよ! 大体処女だろうが何だろうが、閣下何かなさるの? なさりもしないのに、処女云々聞いて何をするつもりですの! 処女がなんなの! 言ってみなさい!」
襟をつかんでデウデシオンの身体をゆする。
タバイの妻は機械系医師ではなく、技術系医師。前者はエーダリロクのように、装置を使いデータベース照会で治療を行うことを専門としている。機械の操作方法さえ覚え治療方法がデータベースにあると、誰でも治療が出来る。
後者は人体解剖から学ぶ、昔ながらの医者。今は前者の方が圧倒的多数だが、後者のような医師も存在する。
前者の医師と後者の医師の違いといえば、そのタフさ加減。
前者は椅子に座ってボタンを押すだけだが、後者は人を切って貼って砕いて繋いで縫って……を長時間行うので、とにかく丈夫な人が多い。そして腕力も。
首に剣が刺さったままの帝国宰相を振り回し、血が周囲に飛び散る。
その惨状に混乱した、弟であり夫は、
「医者! 医者は何処だぁ!」
叫びながら部屋を飛び出していった。
『此処に居るだろうが』
首の剣を押さえつつ怒る義妹の叫び声とドップラー効果のかかった弟の声を聞きながら、帝国宰相は倒れた。
**********
『女が処女と言ったら処女なの!』
『申し訳ございません、お兄様』
混乱して駆け出していったタバイは息子に “閣下の治療は終わりましたか” 聞かれ、正気に戻り部屋へ取って返して、倒れているデウデシオンの首から剣を抜き、血が噴出して妻に叱られ……
「治ったから良いが……自分で治した方が早かったがな」
治療だけは終わった。
弟の屋敷を訪れた時と変わらない渋面を作ったまま、自分の屋敷へと戻る。行きは首が串刺し、帰りは着衣が血だらけ。
衛兵達は無言のまま、帝国宰相デウデシオンを見送るしかなかない。平常でも話しかけることはないのだが、この時は特にそう彼等は思った。
屋敷に戻り着替えてザウディンダルが休んでいる部屋の扉を開くと、ベッドの上で膝を抱えたままの弟が出迎えた。
「兄貴……」
「休んでいろと言ったであろうが」
眠っているように言ったが、起きているかもしれないな……と思ったデウデシオンの予想はあたっていた。
「だ、だって……し、心配で」
熱と痛みで何時も濡れたような艶を持つ瞳が、暗がりの中でよりいっそう濡れて蠱惑的に誘う。その瞳に吸い込まれそうになるのを耐えるために、デウデシオンは無言で見つめるしかなかった。
無言のデウデシオンにベッドにもぐりこみ、背を向けて、
「ご……ごめん……なさい」
言う事を聞かなかったので怒っているのだと勘違いしたザウディンダル。
「早く休め」
デウデシオンは言いながら、ザウディンダルの隣に身体を横たえた。
「どうした? ザウディンダル」
「こうやって寝るの、久しぶりだなぁって」
側に近寄ったデウデシオンの表情に怒気がないことを確認して、ザウディンダルは身体を少し近寄らせた。
「お前と私は一緒に寝ていた期間のほうが短いだろうが」
「そうなんだけど。なんか、嬉しい」
デウデシオンが戻ってきたことに安心したのか、ザウディンダルは直ぐに眠りに落ちた。その寝顔を見ながら、
「なんか嬉しい……か」
額に口付け軽く抱きしめたまま、デウデシオンも目を閉じた。
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