ALMOND GWALIOR −42
 あの銀狂皇帝に立ち向かって勝てるはずがない。
 俺は支配を受けないからいつも通りに動けるけど、勝てる訳がない。支配者と玩具の違いだよ。

 ……キュラの声が聞こえる。

『両性具有なんだから、両性具有らしく生きたら? 出来損ないに出来る唯一のことだろう? ザウディンダル』

 ああ、三年前に目覚ました時にいわれた台詞だ。
 両性具有は自殺できない……だから自殺してやろうと思った。
 結局失敗に終わって、兄貴に叱られた。
『自殺は死んでこそ自殺だ、生き残った場合は狂言だ。両性具有は自殺できない、全て狂言になる。覚えておけ』
 知ってる、知っててやったんだ。

 両性具有は内側から動く “物” ではない。外側からの力で動くだけの “物” だ。

「ザウディンダル」
 体中に痛みが走って目を覚ますと、
「あ、兄貴?」
 目の前に兄貴がいた。
 確りと髪を結い上げて、正装した兄貴。触られて痛んだ箇所を自分で触れると、やっぱり痛い。
「全身は痛むであろうが、身体を起こせ。陛下がお見舞いに来てくださる」
「あ……うん」
 痛まないように身体を自分の力で何とか起こしていると、兄貴が背もたれにクッションを入れてくれる。
 その後、陛下の元へと向かった。
 俺一人しかいない、何も音のしない部屋を見回す。この屋敷は兄貴が摂政になってから与えられた屋敷で、家臣が賜る屋敷としては陛下の私室に最も近い。陛下の私室に最も近いわけだから、当然権力者の証であって大きい。
 昔、まだ何も無かった頃に与えられていた屋敷とは比べ物にならない。
 ……この屋敷は、兄貴が摂政になってからの屋敷だから……一人でいた記憶ばかりが蘇ってくる。
 小さい頃に住んでいた屋敷はどうなったんだろうか?
「ザウディンダル、用意はいいか」
 扉が開き、兄貴が声をかけてきた。
「あっ! はい」
 廊下には多数の人の気配。陛下が動くとたくさんの人がついて回る。

「無事でよかった、ザウディンダル」

 心配そうに俺に手を伸ばしてくる陛下。顔に軽く触れられると、思ったとおり痛みが走ったが表情は変えない。陛下の後ろにいる兄貴は小さく頷いた。陛下は俺が薬物中毒の副作用で、薬が使えないことは知らない。
 知る必要も無いよな……
「ご心配をおかけして……申し訳……」
 陛下に触れられて痛むような素振りを見せたら、兄貴に叱られる。
 それにこれは、自業自得だしな。
「いや、本当に悪かった」
「陛下に謝罪されますと、私としても困ります」
 多分陛下は悪くない。
 陛下が暴れるのを極端に恐れた兄貴達が、陛下本来の力を潰して制御の仕方を全く教えなかったから『こうなった』んだと、ビーレウストが言っていたし俺も確かに思う。
 ビーレウストみたいに身の内側にある衝動を《ある程度まで》制御できるよう指導されていれば、この陛下はあんなに暴れなかった。でも『狂人皇帝の再生』を動かすのは怖いよな。発狂されたら元も子もない。
「ザウディンダル、何か望みはないか? 欲しいものなどあったら言ってくれ。怪我の詫び……にはならぬが、何か欲しいものなどないか?」
 全てを持っている『皇帝陛下』の笑顔を前に、痛み以外に泣きたくなってきた。
 欲しいものはある、欲しい者は。
「…………」
「もう少し大きな声で言ってくれ」
「……デ、デウデシオンを、……ください……」


− デウデシオンと一緒だと楽しいよ −


 今なら大丈夫。高熱も出てるし、痛みも半端じゃない。意識が朦朧としていたから、譫言を口走ったってことに逃げられる。
 狡いとは思うけど、一度皇帝陛下に言いたかった。
 『デウデシオンを下さい』
 それだけが望みだった。


「そうだな! デウデシオンを置いてゆく」


「……あ……あの……」
 何だ? 俺は意識が混濁してきたのか? へ、陛下?
 陛下は俺の言葉に得心したといった表情と浮かべ、手を叩いて頷いた。
「デウデシオンさえおれば何でも望みが叶うものな。余が聞いたところで、それを実行するのはデウデシオン。解った、デウデシオン! 暫く……余の生誕式典の間ザウディンダルに付いて、細大漏らさず望みを叶えてやってくれ。帝国宰相として、叶えてやれる望みと無理な望みの線引きも任せる。出来る限り叶えてやってくれ。では余は式典に向かう。デウデシオンは此処に残れ」
 “それではな” と言い席を立たれた陛下に俺は意識が遠退く。自分で言っておきながら、意識が遠退くなんて、勝手だとは思うが……陛下、あんまりじゃないですか!
 そんなに簡単に、あ……あ……
「陛下?」
 さっさと部屋から出てゆこうとする陛下に、兄貴が声をかけるけれど、
「誕生式典の間は、四大公爵達を使う事にする。ザウディンダルの事は任せたぞ、デウデシオン。怪我を負わせた余が言うのもおかしいが、身体を厭えよザウディンダル」
 笑顔でそう言って部屋から出て行かれてしまった。

 あの人悪気は無いんだろうなあ……ただ、天然なだけで。

「陛下……」
 立ち尽くす兄貴に、陛下に同行していた帝婿が声をかけるが、外に待っていた四大公爵に囲まれて……そして奇声が上がった。多分、喜びの声だ。
「ちょっと待っていてください、帝国宰相。今、陛下の真意を聞いてきますので。お待ちください、陛下!」
 背の小さい帝婿が人ごみの中に分け入って、姿が見えなくなった。
「陛下の真意もなにも、四大公爵に今の言葉を告げたら、喜んで私を排除するだろう」

 兄貴は腹のそこからの溜息を付いて、肩をがっくりと落とす。

 かなりマズイ事した……まさか、こんな事になると思ってなかったんだよ!
「ご、ごめ……」
 兄貴は必要ないと手を振り、
「痛むのだろう。先ず休め」

顔に手を置かれ、視界が暗くなったのを感じて直ぐに意識を手放した。

**********


 最近、自分は塔に収容されれば楽になれるんじゃないかな? そう考えることがある。それが頻繁になってきたような気もする。
 昔は閉じ込められたら嫌だとはっきりと言えたが、最近はよく解らない。
 閉じ込められて物理的要因で兄貴に会えないなら、諦められはしないけれど “諦められる” ような気がする。宮殿を歩いている時に偶然会えるかもしれない、もしかしたら明日呼び出されるかもしれない。
 そんな期待でもなんでもない、後ろ向きな希望のすべてが潰されて楽になれるんじゃないだろうか?
 
「……ちっ……いた……」
 寝返りをうったせいで痛みが身体に走った。
 水でも飲もうと手を伸ばすと手首に触れる感触。驚いたが、痛みと熱で中々開かない瞼を開くと、
「眠りはやはり浅いようだな。前の薬物の乱用がなければ多少の鎮痛剤も使用できるが」
「あ、兄貴? 何してんだよ」
 兄貴がいた。
「ここは私の部屋だぞ」
「そうじゃなく……って……」
 俺は水を飲もうとしていたことも忘れて、兄貴の顔を凝視する。
「口をきくだけで激痛が走るのだろう。黙って寝ていろ」
 見ると正装を解いて、私服に着替えてた。陛下の誕生式典の最中、兄貴が平服になってる姿なんて一度も見たことない。
「なんで……」
「陛下のご決断は絶対にしてご意志は固い。これで満足か?」
「御免なさい」
「本当にな。だが四大公爵が全員牽制しあい、片時も離れぬから間違いはないだろう。ヴェッティンスィアーンとリスカートーフォンが居ればケスヴァーンターンとて容易には動けん。アルカルターヴァも警戒はしているが、あの男は……後で牢に繋ぐ」
 兄貴の表情が凄く怖くなった。
「……」


 カルの兄貴、何したんだろう?
(実弟が陛下の奴隷に手を出しかけたので、その責任をとる事に)


 王の懲罰の詳細は聞けないし、聞いても答えてくれないだろうから黙ってよう。また閉じ込められるんだ、あの空間に。俺は兄貴の側に居られるから好きだけど、カルの兄貴は声かすれるまで叫ぶらしいよなあ……近寄ったこと無いからしらないけどさ。
「お前が泣こうが陛下のご決断が変わることはない。無駄なことはするな、鬱陶しいだけだ」
 言われて初めて自分が泣いているのに気付いた。
「御免なさい……でも、これ痛いだけだから」
 嬉しいはずなのに、何で泣いてるんだろう。
「怒ってはいない」
「本当に?」
「身体を休めろ。施せる治療は全て施した。あとは自然治癒力に頼るしかないのだから」
 そう言って、兄貴が手を伸ばして髪に触れてきた。
 た、多分汗臭いってか、身体洗ってないから変な匂いとかするかも。あ……兄貴が側に居てくれるなら、
「う、うん……あの、シャワー浴びてきてもいい?」
 せめて身体くらい綺麗にしておかないと! 思ったら、
「良い訳がなかろうが! シャワーを浴びると、どれ程体力が失われるか知っているのか! 体力の消失が回復にもたらす影響は……」
 叱られた……

陛下、欲しいものは確かに頂きましたが、欲しいものは願いを叶えてくれません……いいけどさ。


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