ALMOND GWALIOR −242
シュスタークが使用している部屋は元々はカレンティンシスの私室で、その周囲には王族専用の部屋が四つ存在している。部屋といっても部屋に二十もの区切りがあり、広々とした空間がある「家」のような部屋だ。その一つがカルニスタミアに与えられており、カレンティンシスはそこに生活スペースを移していた。他の三部屋は元々は空きであったが、皇帝と共にやってきたタバイたちデウデシオン一派に一部屋、あとの二部屋はエーダリロクとビーレウストの居住区画として各一部屋ずつ与えられる形となった。
「あの……ザウディンダルです」
カレンティンシスと共にいると聞き、かなり緊張してザウディンダルは、扉を開けてもらうためにインターフォンを鳴らし名を告げる。
「勝手に入ってこい、ザウディンダル」
画面に現れた髪の短いカルニスタミアを画面越しながら前にして、
「あ、う……はい」
言葉を失いかけながら、扉を開いて中へと入った。
シュスタークの部屋同様、壁には部屋の使用者の名前三つの頭文字を使った、意匠を凝らしたモノグラムの壁紙が貼られている。
このモノグラム壁紙、一メートル四方で三百シザード(約四百万円)の代物。
「初めてみる色彩とデザイン……そっか! 陛下の初陣だから特注にして貼り替えたのか……相変わらずこういう所に費用を惜しまないなあ」
ザウディンダルは白が多く使われている壁紙の前で”納得がいった”と頷く。ザウディンダルが感じた通り、この壁紙は皇帝の初陣に従うカルニスタミアの為に作られたもの。
テルロバールノル王家はこれらの手間を惜しまないので、皇帝の訪問の有る無しに関わらず、王弟の壁紙もしっかりと新調していた。
他王の旗艦は、王のモノグラムの新調はあったが他の王族のデザインの新調と貼り替えはなかった。
ちなみに王たちのモノグラムは、名前だけではなく爵位と王位の頭文字を使用している。
具体的な例を挙げると、カレンティンシス王のモノグラムは、第一名カレンティンシスとテルロバールノルの王位、アルカルターヴァの公爵名の三つを使用した物。それを艦の皇帝が足を運ぶ可能性がある場所全てに貼った。その観点から見れば、皇帝の訪問があったことで壁紙を貼り替えた甲斐があったとも言える。
ザウディンダルはカルニスタミアの私室だと一目で解る壁紙が貼られた廊下を進み、扉を一つ一つ開いて、カルニスタミアの寝室に辿り着いた。
「どうした、ザウディンダル?」
扉越しに中を警戒しているザウディンダルに、早く来いと手招きする。
「う……ん。なんだろう、緊張してるってのかな」
「何じゃ?」
「……この部屋ってテルロバールノル王もいることがあるんだろ? 俺、王の私室って入ったことないから」
部屋の入り口で躊躇っていた理由の半分だけを口に、もう一つは語らなかった。ザウディンダルが部屋に入るのを躊躇ったもう一つの理由は、カルニスタミアの存在。
テルロバールノルの緋色に、皇帝を讃える白。軍人の証たる黒。高貴なる血の証明の金と、王以外の王族を表す銀。そしてカルニスタミアに与えられた薔薇色を帯びた茶色を使った壁紙と、大宮殿さながらの調度品の数々。
部屋の中にあって個性を主張しているそれらだが、部屋の主であるカルニスタミアがいることで、全ての統制が取れている。調度品だけで調和しているのではなく、カルニスタミアという主が存在しなければならない部屋。
帝星にあったカルニスタミアの屋敷に滞在したことは何度かあるザウディンダルだが、それとは違うまさにテルロバールノルの空間に圧倒されていた。
「そんなことか」
王国ではカルニスタミア専用の色にあたる落ち着いた紫色(薔薇色を帯びた茶)の天鵞絨の天蓋の下、シュスタークの夜着にも似たデザインの寝衣を着ているカルニスタミアに近付く。
「そりゃ、お前にしてみたら、些細なことだろうけどよ」
《髪が短いままだ》と聞いていたザウディンダルは、少し幼い感じになってるんじゃないだろうか? そう思っていたのだが、目の前のカルニスタミアは記憶にあるカルニスタミアそのまま。
カルニスタミアは見た目よりも本質のほうが《容姿》を形作っているので、髪が短くなった程度で若返ったように見えたりはしない。
―― みすぼらしい格好しても威厳で王族であることを隠せない
そういう存在なんだろうなと。解っていたことだが改めて納得してベッドの傍に用意されていた椅子に腰をかける。
「儂にとっても些細じゃねえよ。儂の怪我の治りが遅いのは、兄貴が同室のせいじゃ。会話が全て説教になる男と毎晩顔を突き合わせるはめになり、毎晩本当に説教されておる」
「なんか悪いことしたの……か?」
説教の内容は、僭主との戦いで瞬間移動を人前で使ったこと。
そうしなければ勝てなかったや、陛下に危害が及んだ……など。
「儂の行動の七割は兄貴のお心に沿わんようじゃ。知ったことではないが」
あの場面では”そうしなければ勝てなかった”のだが「それは貴様の実力が足りなかったからだ!」と。カレンティンシスの言い分は解らないが、感情は理解できるカルニスタミアは、何時も通り流して聞いていた。
「あの……まあいいや! あのな! カル無事で何よりだ」
「お前もな、ザウディンダル。そしてなによりも、帝国宰相が無事で良かったな」
「ああ」
「カル」
「なんじゃ?」
「リュゼク将軍とはもう会った?」
「会って大まかなことは聞いた。ザウディンダルのことを褒めていたぞ、あのリュゼクが褒めるのじゃ、余程のことをしたのじゃろう」
「……褒めただけ?」
「なんじゃ? 大絶賛でもされたかったのか。あのリュゼクが大絶賛は無理じゃろう。あれは兄でも絶賛はせぬわ。陛下ならば別じゃろうが」
「いや! 違う!」
「解っておる。リュゼクはお前のことを褒めただけじゃよ」
「本当に?」
「嘘を付いてはおらぬ」
「カル」
「ん?」
「俺さ……僭主の末裔なんだ。それもテルロバールノル系の。ハーベリエイクラーダ王女の末裔」
突然の告白ではあったが、一年近く前にビーレウストから《ザウディンダルがテルロバールノル僭主の末裔》であると聞いていたカルニスタミアは驚きはしなかった。
「……リュゼクに話したのか?」
そして話の流れから、そのことをザウディンダルが自らリュゼクに語ったとすぐに辿り着き”どうするべきか?”を考える。
「あの状況じゃあ喋らないわけにはいかなくて」
「どんな状況かは知らぬが、リュゼクに名乗ったのじゃな。してリュゼクはなんと? 口外せぬといわなかったのか?」
「誰にも言わないって言ったけど」
「ならば言う筈あるまい。あれはそういう奴じゃ」
「そうか……」
「信用してやれ。あれは両性具有も僭主も嫌いじゃが、嫌っていると同時に”皇帝陛下だけのもの”と”主家の血の末裔”には複雑な感情を持っておる。あまり追い詰めないのがよいじゃろう」
リュゼクが自分の所に来て、ザウディンダルの話をした理由と、カレンティンシスにも言いはしないだろうことを内心に留める。
「そうか……そうだよな。ところで、カル」
「なんじゃ?」
「お前俺の話聞いても、驚いて無い感じがするんだけど……」
「驚いてはおるが? 王族は人前で驚く姿をあまり見せてはならないのでな。内心は嵐が渦巻き驚いておるわい」
確かに驚いてはいないカルニスタミアだが、ここで初めて聞いたとしても自身の態度は”いまと変わらない”……と思うのだが、それはザウディンダルには言えない。
「いや、全然そうは見えないんだけど」
「そう見えるのであれば、仕方有るまい。驚いてみせようか?」
「いや良いよ……それでさ、話はかなり前に戻るんだけど、二人でブランベルジェンカを整備したときのことだけど、覚えてるか?」
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「どうした?」
「あのな……俺、お前にお願いがあるんだけど……」
「言ってみろ。よほどの事ではない限り協力してやるぞ」
その言葉に、ザウディンダルは頷き頬に触れている手をゆっくりと除けて、
「あの! ……この会戦終わったら! でもいい?」
笑顔を作り小首を傾げて尋ねてくる。
「ああ。戻ろうか、ザウディンダル……何にしても儂は、お前の背を押してやるしかできんからな」
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「ああ、覚えておる。あの時の話の続きか。そうじゃな、儂が怪我をして中々会えなかったからなあ。待たせたな」
話が切り替わったので、そのまま続けようと笑顔を浮かべて先を促す。
「いや待ったというか……会戦終了後だったら……いや、いいや」
ザウディンダルは頭を下げて耳まで真っ赤にして手を伸ばしてきた。
「友達になってくれないか?」
「……」
「両性具有でお前が刈る対称の僭主の末裔で、政治的には敵対勢力に属してるんだけど、友達になって欲しい」
実らなかった初恋というのは良く聞き美談になるが、実ったが壊れずに終わってしまった初恋はどんな結末を迎えるものなのか?
カルニスタミアは枕もとに置いている箱から手袋を取り出し着用し、
「顔をあげろ、ザウディンダル」
「……」
「喜んで」
「カル!」
その手を握り締める。
―― ああ、この恋は本当に終わったのだ
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