ALMOND GWALIOR −240
 ザウディンダルはある程度体力が回復し、入浴もできるようになった。ただ体調が万全ではないので一人ではまだ危ない。
 よって許可を出したミスカネイアが一緒に入ろうとしたのだが、ザウディンダルがそれを拒否する。
 「一人で」と言い張るザウディンダルと「駄目です」と言い張るミスカネイア。その結果、
「ザウディンダルさん、次は髪を洗いますね」
「……申し訳ありません」
 ロガが付きそうことになった。
 経緯は簡単で、ザウディンダルとミスカネイアの言い合いを見ていたロガがシュスタークに「私でよろしければ。入浴の介助は慣れてますので」とあ立候補し「ザウディンダルの身体のことも知っておるしな」シュスタークは簡単に考えて許可を出した。

 シュスタークの許可は世間一般では拒否することができない命令である。

 シュスタークとロガが使用している浴室を使用して、久しぶりに身体や髪を洗われる。
「ザウディンダルさんの髪って、ナイトオリバルド様そっくりですね」
 もちろん両者とも全裸ではなく、薄いガーゼで作られたチュニチックを着ている。
「そうですか」
 濡れて身体にまとわりつくようなガーゼ地の衣を抱き締めるように、ザウディンダルは胸元を手で隠していた。
 そもそもザウディンダルがミスカネイアとの入浴を拒否したのは、身体の変調にある。いつも自分の身体を確認してくれている義理姉に晒したくない程の”変化”
 身体全体からも男らしさが抜けて、思春期直前の頃の身体に逆戻りしてしまったのだ。それだけならばまだしも、はっきりとした乳房。
 そう薬の影響で胸が膨らんでしまったのだ。それが恥ずかしく、義理姉との入浴を拒否したのだが、結果としてロガに恥ずかしい膨らみを晒して入浴することに。
 身体を洗っている最中に「胸……いいなあ」と呟かれたのは、ザウディンダルは聞かなかったことにしておいた。同じような水を含んだ衣越しに見えるロガの胸の小ささ加減に「それで良いと思います」とも言えずに。
 

―― 后殿下に入浴を手助けされて……でも、良い機会だよな。先延ばしにしちゃ駄目だ!

 ザウディンダルにとって良い状況になった。先延ばしにしたくはない謝罪をする良い機会を得たのだ。
 自分の髪を流し終えたロガに、
「少し話があるのですが……よろしいでしょうか?」
「はい。なんですか? ザウディンダルさん」
 湯船の縁に座って貰い、自分は浴槽に膝をつく。入浴剤で薄い青色に染まっている湯に二人の衣が広がる。
「今回のことで……謝罪しなければならない事が」
「なんですか?」
「俺は……その……」
 ラティランクレンラセオに脅迫されてロガの警備を変更したことを謝罪した。もちろんラティランクレンラセオのことも、自分の身に起こったことも伏せて。保身の為にロガを見捨てたと、言葉少なく語った。
「全て俺……いいえ、私が……」
 己が傍に居たところで、ロガを無事に逃がせたか? そう問われたら、ザウディンダルは答えることはできないが、警備を変更し結果としてロガを危険な目に遭わせてしまったのは事実。
「気にしないでください」
 ロガは湯船の縁に座ったまま手を伸ばしてザウディンダルの頭を抱き締める。
「……」
「ごめんなさいね。気にしないじゃなくて”許します”でしたね」
「申し訳ありませんでした」
 ロガは濡れたシュスタークによく似た黒髪を撫でながら、怒っていなければ気にもしていないことを許す。それがロガの役割であり、ロガの立場だった。
「ザウディンダルさん」
 ロガは”気にしないで”などという、曖昧な言葉を投げかけることはできない。許しを請うてきた相手に対して、はっきりと答える。それが正妃という存在。
「はい」
 だがロガはそれだけではない。彼女は正妃である前に、奴隷だった。
「奴隷衛星に居た頃、ナイトオリバルド様が暴れてザウディンダルさんが大怪我した時のこと覚えてますか?」
「はい」
「あの時、奴隷が貴族さまに襲われてても誰も助けなかったでしょう」
「……」
「奴隷はあのような時、仲間を助けたりはしません。助けようとすると、助けようとした自分たちだけではなく、周囲にいる奴隷全員が攻撃されるから。襲われている奴隷も解ってます。助けてもらえないことを……でも恨みません。生きてさえいれば、みんなとまた生活できるから」
「……」
「出来ないことって有ると思うんです。自分を助けるために他人を見捨てることって、奴隷にとっては珍しくないです。だから……気にしないで下さい」
「……」
 口を開いたら泣きそうになる――そんなことを考える余裕もなくザウディンダルは泣いていた。泣いているザウディンダルに気付いたロガは、慌てて泣き止ませようと焦り出す。
「ザウディンダルさん。あの! 私は根が奴隷だからザウディンダルさんと同じようなことになったら、すぐに見捨てるし自分が助かるほうを選びます! そ、その時はごめんなさいね。今から謝っておきます。……だから、本当に気にしないでください」
 ザウディンダルはロガを抱き締め返す。
「逃げてください。本当に見捨てて逃げてくださいよ」
 絶対に見捨てて逃げてはくれないだろうし、見捨てたことで罪悪感を持つだろうロガを。
 しばし抱き合い、身体を離して違いの顔を見つめ微笑み合う。
 次ぎに何を話そうか? ロガが口を開こうとした時、
「邪魔をする」
「陛下」
「ナイトオリバルド様」
 ザウディンダルやロガとは違い、ガウンを着ているシュスタークがやってきた。
「ロガ、身体は洗い終えたか?」
「はい」
「そうか。ではザウディンダルと二人きりで話がしたいので、ロガは席を外してくれぬか」
 ロガへの謝罪を終えたザウディンダルも、再度胸を隠して頭を下げる。
「長いお話になるんですか?」
「それは……」
「念のために飲み物をお持ちしますね」
 ロガはグラスと氷水の入ったポットを台座ごと運び込み、
「それでは失礼します」
 礼をして浴室から出て行った。
 ロガが浴室から去り、浴槽に注がれ続ける湯の音を聞きながら、ザウディンダルとシュスタークは互いに視線を交わしては逸らしてを繰り返す。

―― 貴方様は貴方様の両性具有のところへとお帰りください ――

 ”あの時とは違う”温かい湯に腰まで浸かり、シュスタークは力を込めてザウディンダルの手首を引いた。
 よろけ倒れてきた身体を抱きすくめる。
「ザウディンダル……」
 背中を包む腕は逃がさないと圧力をかけ、
「はい」
 ザウディンダルの首筋に触れるような唇が、
「そなたは余の両性具有だ」
「はい」
「だから余はそなたにどのような命を下しても良い」
 両性具有であろうが、なかろうが。シュスタークの手に全てが握られている。
「はい……」

 シュスタークはザウディンダルの濡れ頬に張り付いた黒髪を、愛おしげに触れる。
「ザウディンダル、余は女を好まぬ。性的感情を持つのは男だけだ」
 癖一つない輝きを持つ黒髪。しみもほくろも痣もない白い肌。切れ長でやや翳りのある眼差し。瞳の色以外、すべてが完全な左右対称。
「陛下……」
 彼らは容姿で性的嗜好が判別でき、この容姿の男は異性を好まない――
 ザウディンダルが今まで見たことがないほど、シュスタークは「自分」を欲しているように見えた。それは自惚れではなかった。
 ザウディンダルの手首を握りながら、シュスタークは指先から今まで”感じていたものがなにか?”をやっと理解できた。
 シュスタークは自分の容姿の元と言われている男シュスター・ベルレーや、彼自身でもあるザロナティオンと同じように両性具有を好む。
 ”好む”とは言うが、その好むは普通の物ではない。
 狂うほどに、食らいつくしたいと感じるほどに、苦しんでいる姿を見たいという気付かぬ欲求を懐きながら。
 湯気が立ちこめる浴室、雫が肌を伝い落ちる。
 水を吸った薄いガーゼのチュニチックがザウディンダルの体にまとわりつき、男であり女である体のライン――乳房があり男性器がある――を強調する。

 欲しいのは男と両性具有、女は要らない――

 あまりのことに驚いていたザウディンダルだが、徐々にシュスタークの言葉が温かい湯気戸ともに体内を浸食し恐れた。
 自分の身に関して恐れたのではない。帝国の未来について、先程まで一緒にいた【女性】である后ロガについて。后は愛でるだけの存在なのですか? その問いは頭の中だけに留められている。
「ザウディンダル」
「はい」
「愛していた。余は気付くことができなかった」
「陛下」
「気付いた時には別の人間を愛していた……ロガだ。彼女だけを愛している」
「陛下、それは……」
 手元に置いて愛玩動物として愛でるだけなのですかと、聞かなくてはならないと思い、必死に勇気を出せと自分を奮い立てようとするのだが、どうしても言えない。
 自分が強いと思ったことはないが、こんなにも弱かったのかと、ザウディンダルはやや目を伏せる。
「ロガのことは女性として愛している。女で抱けるのはロガだけだ。もっと早くに気付いたら……ザウディンダルは余にとって特別であった。余の内側にすむ”帝王”を収められるのは両性具有だけであったことも関係しているが、それがなくとも」
 シュスタークは会わせてもらえない異父兄が気になっていたが、その名を出すと誰よりも信頼しているデウデシオンが良い顔をしないので、極力話題にしなかった。
 二十歳を過ぎても結婚していない、たった一人の皇族であり、結婚を急かされている時に、ふと”ザウディンダルは結婚せんのか?”漏らした言葉に、

**********


「いつもと違うお庭が見たい」
 確かに余を守る為の言葉であっただろう。
「デウデシオン! これは何だ?」
 まだ帝国摂政だった頃のデウデシオン。今の余よりも若い頃の。
「申し訳ございません。不勉強で解りませぬ」
 その時今飾られている花の名を問うた。
 デウデシオンは本当に申し訳なさそうな顔をしておった。困らせるつもりなど無かった。ただなあ……ただ、嬉しかったのだ。

**********


 デウデシオンは昔見た時と同じような困った表情を浮かべてから、少し寂しそうに笑い”あれは結婚しないそうです”と答えた。

 その時シュスタークは、嬉しかった。どうして嬉しかったのか今になり分かった。

「だが帝王は銀の月に向かって飛び立ち、両性具有は自ら望んで冷たい海に残った。帝王は両性具有と離れてしまったから……もう、余は求めない。意味の分からないことを言って悪かったなザウディンダル」
「いいえ」
 ザウディンダルを拘束していた腕を解き、シュスタークは少し距離を取る。
「いいえ……あの」
「余が今になって性的嗜好が男であることに気付いた理由は、後日帝星で説明する。ディブレシアが関わっていたことで、正直何度も説明したくない……ザウディンダル」
「はい」
「幸せになるがよい。勅命だ」
 それだけ言い、ザウディンダルの手を引いて浴室から出る。手を引かれているザウディンダルは、半歩前を行くシュスタークを斜め後ろから見て”全てにおいて”越されてしまったことを知った。
 どれほど頑張っても精神が子どものままであり続ける自分と、皇帝として成長した異父弟。自分の手を引く相手が大人に見えて……ザウディンダルは手を強く握り絞め、下を向きタイルの目地を見ながら歩いた。
 タイルの目地は少しぼやけてしまい、それが余計に悔しかった。


novels' index next back home
Copyright © Teduka Romeo. All rights reserved.