ALMOND GWALIOR −156
「よろしく頼むな」
「お、おう」
ロガの率いる艦隊の統括を任されたエーダリロクは、万全の体制を敷くためにザウディンダルをダーク=ダーマの通信第二補佐に抜擢した。
もちろん正式な役職ではない。
ザウディンダルが両性具有だからということよりも、現在エーダリロクが就いている第一補佐を設置するまでも相当な時間がかかった。それこそ百年では足りないほどに。
権力の分散を嫌う、徹底した専制君主制軍事帝国は、司令塔の搭乗する旗艦の補佐も、やはり権力を集中させたがった。
エーダリロクとしても第二補佐を正式にするつもりも、慣習にするつもりもない。
―― なんだったかなあ……ザウがこう……通信に必要なんじゃなくて、こう……
「詳細を想い出せない記憶」の引っかかりが、それを後押しした。その引っかかりが、現在問いかけに対して返事をしないザロナティオンが唯一送ってきた”意思”であり、自分が「そうしよう」としていたのだろうと判断して。
**********
ザウディンダルの体調が回復したこともあり、デウデシオンはタバイの家から自宅へと戻った。ザウディンダルは引き続き、タバイの宮で休むことになっている。
出陣まで注意を払うことができるので、デウデシオンもそれは黙認した。
デウデシオンの宮は誰もいない。
召使いなどは邸の修復がなされてからだが、使い切れない程の部屋がある宮だ、一人で戻り休むのには充分。父親も召使いと同じ扱いなので、連れて来ることはしなかった。
もともと父親以外の者には身の回りの世話をさせていなかったことと、幼いころからずっと自分どこから兄弟たちの世話もしていたので、それらは苦もなくこなすことができる。
シャワーを浴びて軽く体を拭き、夜着に着替えすぐにベッドへと入り目を閉じ、眠りの世界へと向かう。
悪夢を見ないように。
見たとしても”彼女”が現れないようにと願いながら。
その願いは叶う。
悪夢ではない。それは現実。
―― ……
”快楽がもたらす恐怖”感じ、デウデシオンは目を開いた。
―― 目を開いた! たしかに目を開いたはずだ! 目覚めていないのか!
「デウデシオン」
「……あ……」
視線の先にいるのはディブレシア。
黒髪と白い肌。そして忘れがたい金の瞳が、デウデシオンを見下ろしていた。
―― 夢なら覚めてくれ、覚めてくれ! 早く覚めろ!
下半身はディブレシアの中に吸い込まれ、体の芯を蕩けさせるような快感に包まれている。
「デウデシオン」
上に乗りデウデシオンの顔を見下ろしながら、自らの乳房を揉み、腰を動かす”ディブレシア”
「うああああ!」
右手を握り締め”悪夢”のディブレシアを殴り飛ばそうとしたデウデシオンだが、腕は動かなかった。
動くのは首のみ、動かないことに戦き、理由を探ろうとしたとき、手足に冷たい感触があることに気付く。
その冷たさは「小さなてのひら」の形を取っていることが解るまで時間はかからなかった。
ディブレシアの腹の下あたりに蠢く、金髪の子供。
「な……なんだ……」
動く首を左右に動かしてみると、ベッドの周囲には無数の人形が立っていた。
どれも白磁にしか見えない肌が”脆く”覆っている。
「……」
白磁のような冷たい肌は、いたるところが破れ骨が露わになっている。生物らしい赤みはなく暗い闇夜のような断面。
「萎えたな。薬を口にねじ込め」
人形にしか見えないそれたちが、ディブレシアの声を聞き、ベッドによじ登ってきてデウデシオンの顔をのぞき込む。全ての”金髪の子供”は片目であった。もう片方の昏い眼窩でデウデシオンをのぞき込み、どれもがひび割れた肌と唇で声を上げずに笑う。
無数の小さな色取り取りのカプセルをデウデシオンに見せて、我先にと口へと群がり、冷たく小さい手のひらで、唇をひっぱり歯をこじ開けようと必死に触れる。
自分たちの力で口が開かないことが解ると”金髪の子供たち”はデウデシオンの歯と頬の間におもちゃのようなカプセルをねじ込んでゆく。
デウデシオンの口に薬を入れて仕事をおえた”金髪の子供たち”は各々持ち場であるデウデシオンの手足を押さえに戻った。
冷たい手のひら。
もう一度ディブレシアを殴ろうと「いままでも夢のなかで一度も成功したことのない」決意をして腕に力を入れた。
その時、先程の金髪の子供たちと同じように、ベッドの左右から二人が登ってきた。二人は近付き、同じようにデウデシオンをのぞき込む。
やはり瞳は片方しか入っていなかったが、
「キャッ……」
名を呼びかけて口の周りに押し込められていたカプセルがなだれ込む。
吐き出そうとしたのだが、降りてきたディブレシアの口づけにより阻止された。カプセルを押し込んでくる長い舌。
押しだそうと口の中に押し込められたカプセルを飲み込み、舌で必死に押し返す。
ディブレシアの内部で強い薬によって熱を持ちだした性器。
再び腰を打ちつけてくるディブレシアと、近付いてくる”キャッセル”
それは非常に幼いころのキャッセルに似ていた。瓜二つではなく、似ている。
昏い眼窩とひび割れた顔の表面。色素の薄い唇は割れて、生々しく血がこびり付いている。全裸の体は、やはり肉が剥落し、骨が見えている。
胸骨の中には血の通わない臓器が異様な配置で存在していた。
両耳もとに近付いてきたキャッセルに似たそれは、言葉とともに冷たい息を吹きかける。動いていた首すら凍らせるような吐息を。
「殴っていいの?」
「殴っていいの?」
「殴れなかったらどうするの?」
「殴れなかったらどうするの?」
「夢かもしれないね」
「夢かもしれないけれど、勝てるの?」
「勝てなかったらどうなるの?」
「どうするの?」
デウデシオンは握り締めていた拳をベッドに降ろした。
とくにデウデシオンにとって、これは悪夢。
整合性がとれずとも、おかしなところがあろうとも、恐怖のみが先に立ち、なにもすることができない。
「好き」
「好き」
両側の頬にキャッセルに似た子供が何度も口付け”好き”と言い続け、腹の上では嬌声を上げながらデウデシオンを打ちつけるディブレシア。
手足を押さえている子供たちも、いつの間にか、
「すき」
「スキ」
言いだし、押さえている箇所に口づけをする。
体の全てが冷たく、だが快感からは逃れられない。意識を失いかければ、痛みにより引き戻されを繰り返す。
「デウデシオン」
「デウデシオン」
何度目かのディブレシアの絶頂の声を聞いたデウデシオンの顔に、キャッセルに似た二人が手をかけた。その手は頬から徐々に目に移動する。
「目を頂戴」
「目を頂戴」
小さな手の小さな指が眼球に圧力を与えてくる。そこでデウデシオンはやっと意識を手放すことができた。
**********
バロシアンが妃に選んだのは、
「清楚ですね」
好意的にはそう言われる少女。悪意を持てば野暮ったいと言われるような感じの娘。
自らの花嫁を選ぶ時、バロシアンの頭に真っ先に浮かんだのは「帝国宰相に認めてもらえる相手」だった。
バロシアンの手元に集められた、フォウレイト侯爵家縁で”バロシアンが侯爵家を継ぐのに役立つ”娘たち。その中からバロシアンは年の近い兄たちと議論してその少女を選ぶ。
「本当にその子でいいのですか?」
「はい」
兄たちもバロシアンの望むところは理解している。
容姿や雰囲気がディブレシアから遠いこと。それが絶対条件であると。
兄たちとの話し合いを終え、デウデシオンに提出する前に、祖父でありディブレシアと対面したことのあるアイバリンゼンに少女の姿を見せた。
アイバリンゼンは孫であるバロシアンの気持ちを理解すると同時に諭した。
「決め手は父親に認めてもらうためでもいい。だが妃として迎えたら、今度は彼女に認めて貰うよう努力するのだよ。それが出来るのなら、祝福するさ」
バロシアンは相手のことを全く考えていなかった己の狭量さを恥、顔を真っ赤にして俯く。
「悪くとる必要はないよ。貴族の結婚は基本政略結婚だ。それを維持するものがなんであるのか? それは個々によって異なる。愛情や慈しみで維持するか? 金と打算で維持するか? 君なら解るはずだ」
「ありがとうございます」
「年寄りの戯れ言、一介の執事の無礼な物言いに、そう頭を下げられるな。貴方は皇帝陛下の異父弟なのだから」
苦言に感謝を述べた後、再度少女のことを考えた。
最初から考え方を変えて。彼女を幸せにできるかどうかを考えた。
―― 私が帝国宰相に認めて貰いたいのと同じように、彼女も私に認めてもらおうとするだろうか? そして私もまた……
悩みに悩みぬき、バロシアンは彼女との結婚を決め、身上書と素行調査書をデウデシオンに提出して許可された。
**********
宮というのは独立している区画をさす。
一般で言う所の浄水場があり、貯水槽があり、独自の上下水道がある。
「おくすり、おくすり」
「きゃきゃ。きゃきゃ」
デウデシオンの宮の水関係の施設に”ザンダマイアス”たちが無数にいて、指示に従っていた。
「バロシアンたちが帝星から発ってからと……」
皇君はディブレシアがデウデシオンの寝所に入るというので見張りについた。
ディブレシアからの命令ではなく、自分から進んで。
本来ならバロシアンやアイバリンゼンが出立してからデウデシオンの元へと足を運ぶ予定だったのだが、ディブレシアは気まぐれに予定を変えた。
皇君はもしかしたら邸へと戻ってきてしまうかもしれない相手の身を案じて”みた”
誰も来ないと良いな……と思いながら無数のザンダマイアスたちを眺めていると、予想していない訪問者を発見した。
エダ公爵バーハリウリリステン。
「おや? あれは。どれどれ」
デウデシオンのいるところへ向かい《ディブレシアを見てしまったら》皇君が殺さなくてはならない。
「彼女とやりあうのは、厄介だ」
近衛兵のエダ公爵を殺害するのは、面倒だと判断して声をかけて足止めをすることに決めた。
「エダ公爵」
「ヴェクターナ大公殿下? なぜここに」
声をかけられたエダ公爵は、皇君を見て驚いた。
彼女としては皇君がここにいる方が異質。なにをしようとしているのか? 警戒する。
「動くなエダ。これ以上進まれると殺さなくてはならないからね」
皇君はエダ公爵に向けて腕を伸ばす
「なにを?」
間をとりエダ公爵は攻撃態勢にはいった。
飛びかかってこられたら、皇君の体は弾け飛ぶ。
「単純な腕力では勝てないよ。でもね」
だが”攻撃そのものをはじき飛ばせば”よい。
余剰の”ザンダマイアス”を呼び寄せてエダ公爵の注意をひく。
「”ザンダマイアスさま”でしたか」
次々と現れる「動く壊れた人形」のようなそれをみて、エダ公爵は退却しようかと自らの背後を窺ったが、背後にも同じような「動く壊れた人形」が集まっていた。
「その通り。我輩はザンダマイアスだよ」
言いながら皇君はマントを外す。
マントを外した背中から現れた物体に、エダ公爵は腕から力を抜き、そこに群がりぶら下がってきた人形たちに自由にさせて”無抵抗”を表した。
「良い子とは言い難いが賢い子ではあるようだね。用が済んだら君を解放するから」
エダ公爵を抱き締められるほどに近付いた皇君は、自分とエダ公爵、そして群がっている人形たちを含めて《全てから》遮断した。
「バリアの中に入れるとは」
バリアの内側から外を初めて見たエダ公爵は、バリアが水に似ていることに驚いた。
―― 海ではなく水の中のようだ
「浅い海だよ」
「……」
目の前にいる皇君の答えに、考えを読まれたか? と、視線を外すが、皇君の背中から現れた、人形と同じく眼球のない「それ」の眼窩と目があう。
人形と違うのは眼窩が暗くはないこと。
「我輩のバリアは薄いし小さいからねえ」
皇君はエダ公爵に背を向け、白骨の尾を彼女の首に巻き付けた。
「殺しはしないから、時間がくるまで縛めの中にいたまえ」
「畏まりました」
破ることの出来ない水のような膜と白骨。そして壊れたかのような幼児。
「ヴェクターナ大公殿下」
「なんだね、エダ」
「大公殿下は”瞳”はお持ちではないのですか?」
「ないね」
「そうですか」
「君は瞳についてどれくらい知っている?」
「”瞳”の存在と、それが永遠と永久に区別されていることくらい。どのようにして区別されているのかは知りません」
「我輩の生い立ちでも聞いて時間を潰すかね?」
「お願いします」
エダ公爵の手にぶら下がっている人形たちが、一斉に彼女を見上げた。
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