ALMOND GWALIOR −112
笑顔ですべてを ”のらりくらり” とかわすと評判の皇君を前に、ビーレウストは頭をかきむしりながら叫ぶが、
「気にする事はないよ」
「気になるの! 書いた俺が気になるの!」
「自信を持ちたまえ」
「自信なんていらね!」
「自信は必要だよ。自信がなければ生きていけないよ」
「無くても生きていける!」
「いやいや、自信は大切だよ。そのためにもこれを」
「じゃあ、自信ある! 自信あるから! それを配るのは」
「自信があるのならば、配っても良いね」
「だめぇ!!」
全く相手にされないどころか、どう見ても可愛がられている状態。
二十五歳にもなる平素は鋭い顔つきの人殺し王子が、頭を抱えて膝を突いて「だめぇ!!」と叫ぶ有様をザウディンダルは可哀想が半分、こみ上げてくる笑いが半分に支配されて直視できなかった。
皇君宮で優雅なる主と、嘆きと殺意に満ちた叫びを上げる王子。
そこへ、これもまた優雅な男が現れた。
「ライハ公爵殿下の代理で参りました」
「アロドリアスかね。ではこれを」
部屋の異常な空気を感じつつも、テルロバールノル王国の筆頭名門公爵家の跡取り息子は、何事もないように振る舞う。
テルロバールノル王家と同じく、地球時代から続く名門貴族の跡取りからすると、床で髪を振り乱して叫んで居る人殺し王子など、王子とは思っていないのが本当の所だ。
テルロバールノル王家に忠誠を誓っているから、不必要な争いを避けるためにも他王家も王族として接しているだけであり、真の王族とは思っていない。
特に人殺しの傭兵上がりの気狂い集団など、思えるはずもない。もっとも、この気狂い集団の方は、そう思われたところで何とも感じないので、波風は立たない。
「ちょっと待て皇君! その! 今リュバイルスに渡した、その本は! 見覚えがあるぞ!」
だが、右目の瞳孔が開ききって、左目の瞳孔が閉じきっている髪を振り乱したビーレウストに近寄られると、リュバイルス子爵アロドリアスも少し引く。
「あっははは、それはライハ公爵に形見分けする分だよ」
「そんな事はどうでも良いんだ! この本は!」
アロドリアスが受け取った本を掴んでむしり取ろうとするが、
「これはヴェクターナ大公殿下が、儂の主ライハ公爵殿下に届けるよう命じたもの。他家の王子であろうとも、渡すわけには参りません」
カルニスタミアの護衛も兼ねているアロドリアスも引かない。
「だっ! これは、俺がぁぁ! うああ!」
眼前に壊れる寸前のリスカートーフォンの王子、少し離れた所に困り果てた両性具有。そして笑っているだけの皇帝の父。
この場をどうするべきか、アロドリアスは考えたが、何も思い浮かぶわけもない。
発狂しかけているビーレウストを殴って、その隙をついて逃げ戻ろうと考え、左手を握り閉めた時、背後から 《本のタイトル》 を読む声がして、振り返った。
「”リスカートーフォン原論定理:八次関数編” か。面白そうだな、中身見せてくれよ」
エーダリロクの登場で、
「だあ! エーダリロク! ソイツは! べ、別にあれだ! エウクレイデスとは全く関係無い、なんの定理でもなけりゃあ! 関数も適当! だから! だから!」
ビーレウストの手は離れ、アロドリアスも手を離した。
そんな言葉を聞きながら、エーダリロクは、パラパラと頁を捲り、
「でも面白そうだな。借りてもいいか?」
爽やかでありながら、どうしてこれほどまでに胡散臭いのだろうというロヴィニアの笑顔を向けた。
ビーレウストは崩れ落ち、
「主であるライハ公爵殿下に直接お聞きください。儂には答えることは出来ません」
アロドリアスは体勢を立て直した。
「じゃあ、一緒に行こうぜ。カルニスに依頼もあるからよ。皇君がくれたビーレウストの本に、メモ挟まってましたよ。お返しします」
その声を聞いて、ビーレウストは陸にあげられた魚のように弾けて転がり回っている。
「手間をかけたねえ」
「いいえ。こっちに来る ”ついで” でしたから」
「メーバリベユにキスする ”ついで” かね?」
「はい。ザウ、報告書くれるか?」
「あ、うん!」
必死にビーレウストの後をついて回って、落ち着かせようとしていたザウディンダルは声をかけられて、書類を手渡した。
「機材と回収したものは、全部あの箱に入ってる」
「解った。俺がアルカルターヴァの長官閣下に ”このまま” 提出しておく。変な顔するなよ、お前の実力を伝えるのも仕事なんだよ。その後に、俺が目を通して不備がないかを確認して、書類としてなっていなかったら、訂正するからよ……で、ビーレウスト。何転がってんだ?」
「なんでもない……エーダリロク、本気でその本読みたいのか?」
「うん! 楽しみ!」
満面の笑みで頷かれて、ビーレウストは諦めて肩を落とした。
「そっか……じゃあ、送っていくぜ、ザウディス」
気力の全てを使い果たした男は、ザウディンダルの肩を抱いて自分の体重をかけて、送っているのか送られているのか解らない状態で、その場を後にした。
「大丈夫かよ、ビーレウスト」
ザウディンダルが声をかけるも、
「リスカートーフォン原論定理:八次関数編……リスカートーフォン原論定理:八次関数編……」
タイトルを繰り返すのみ。
「そのうち、カルに聞いてみようよ。なっ! カルなら頼めば返してくれるかもしれない! リスカートーフォン原論定理:八次関数編」
ザウディンダルは何度も励ます。あまりに何度も[リスカートーフォン原論定理:八次関数編]と聞いたので、しばらくこれが脳裏から離れなかった程。
「それでは我々も」
ザウディンダルとビーレウストが立ち去った後、エーダリロクは軽く挨拶をして、アロドリアスは正式な退室の挨拶をして皇君の元を去った。
皇君の手元に戻って来たメモには、
《何か聞きたいことがあるのか? 異形。それも、この銀狂に》
書かれていた。
その文字を観て、皇君は笑う。
「ええ、是非とも一度聞きたいのですよ。貴方が ”華冠の塔” を飾った 《花冠》 を作った人物をどう思われているのか。その本心を」
皇君はメモを持ったまま、歩き庭へと出る。
少し建物から離れた場所から広がる見渡す限りの白いカーラーの花畑の中に進み膝をつく。
「ここで貴方に初めてお会いしましたね、ディブレシア」
音の無い世界で、真実を知り得ないまま死ぬのか
それは絶望にも等しいことである
あの日見上げた皇帝の乳房の曲線の美しさに、皇君は声を失った。
動けぬ皇君を蹴り転がし頭に靴を乗せて、踏みつぶそうと力を込めるディブレシア ”何も言わぬのならば殺すぞ”
皇君はあらん限りの声で ”《僕》はケシュマリスタのザンダマイアス” と叫んだ。
皇君の言葉に興味を持ったディブレシアは頭から足を退けて笑った。降り注ぐ鋭く洗練された狂気の笑いを受けながら、彼は 《実兄である帝婿の殺害》 を願い出る。
ディブレシアは ”良かろう。帝婿ハンディルベディアを殺害して、お前を皇君に副えてやる。楽しみに待っておれ” と言い、皇君を連れて部屋へと戻る。
”ハンディルベディアの実弟” は ”ザンダマイアス” に連絡を入れて、帝婿の遺体に隠れ、皇君となった ”ザンダマイアス” に回収された
「ディブレシア、貴女は私が欲しがっていたものを与えてくれた」
引き替えに皇君は、ディブレシアの手足となった。
「我輩は貴女がくださった事だけで満足出来ると思っていたのですが、生きていると、そして人々と触れ合うと欲が湧き出てくるものですなあ。我輩が今知りたいのは……」
立ち上がり皇君は手折ったカーラーを空に掲げる。
世界は音を持っているはずなのに、今は何の音も誰にも聞こえない
この静寂が破られた時
耳に届くのは、歓喜か? 誘惑か? 称賛か? 自らの断末魔か?
もしくは真実か?
その時が来るまで誰の耳にも届かない
待っているのではない
足掻こうとも、叫ぼうとも、泣こうとも、世界が音を伝えてくれないのだ
CHAPTER.04 − 無音[END]
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