ビルトニアの女 外伝2
塔の中 或いは 眠る魚 [07]

 ”ヒルデガルド”からドロテアの元に手紙が届いた十五日後、マーシュナル王国の首都に神学生の一団が到着した。
 一団はベルンチィア公国から来た者たち。
「ヒルダはお姉さんが住んでるんだよね?」
「はい、そうです。姉さんが住んでますよ」
 幼少期から神学校へと入学し、外界と隔てられて生きてきた、清らかなる”少年少女”を脱しかかっている学生たちは、ヒルダの姉が何者なのか? は知らなかった。

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 当然と言うべきか、その日マシューナル王国首都コルビロは驚きに包まれた。神学生、または”学僧”とも呼ばれる一団が、王国首都に研修として訪れるのは、珍しいことではない。
 有り触れた光景なのだが、一団の「一人の容姿」が、誰から見ても”神に仕えるようには”思えなかったのだ。
「あ、あれって」
―― 神に仕えるような容姿ではない ――
 人々にそんな考えをさせてしまう容姿の持ち主。町の者はみな視線の先にいる学僧から目が離せなかった。
 学僧の一団にいる、衆目を集めるエド正教の学僧を着用し、亜麻色の髪を緩やかな二つの三つ編みにしている鳶色の瞳と白皙の肌のトルトリア人。
 ”亜麻色の髪に鳶色の瞳、白皙の肌を持ち合わせているトルトリア人”は国が滅亡したので珍しいには珍しいが、人々が”これほどまでに”驚くほど少ないわけではない。
 この首都には、大陸で最も有名なトルトリア人が住んでいるのだから。
「すごい人に見られている気がするんですけど、何ででしょ?」
 他の学僧と共に首を傾げるトルトリア人学僧。
 その顔はコルビロにおいて最も有名な女「ドロテア」に瓜二つ。見た目だけで判断を下すならば明らかに血縁。
 血縁と考えた場合、即座にドロテアの苛烈な性格が人々の脳裏に蘇り、気安く声をかける気にはとてもならない。
 空似である場合も、やはりその容姿が怖くて誰も近寄ることが出来ない。
 要するに遠巻きに“ひそひそ”するしか人々にはなかった。
「似ている“だろう”とは聞いていたけど、本当にそっくりね、エルスト」
「本当だね、マリア嬢」
 そんな中その学僧の正体”を知る二人が、知っていながらも驚いたという声を上げて近付いてゆく。
 マリアの姿を見つけた学僧は、仲間の学僧に「ちょっと行ってくる!」と声をかけて、二人の下にかけてきた。
「初めましてマリアさん!」
「あら? 初めまして。何で私の事が解ったのかしら? ヒルデガルド、よね?」
 ドロテアに瓜二つの学僧の名はヒルデガルド。通称・ヒルダ。
 初対面とは思えないが、初対面の相手にニコニコと笑いながら挨拶をされたマリアは、少し驚いたがすぐに笑顔で答えた。
「姉さんから来る手紙に書かれてましたので。黒髪の美女がいるって! “あの姉さん”が美女って書くくらいですから、相当な方なんだろうなぁ! と想像していましたが、やはり想像通りですね! うわぁ! お手も綺麗です! それとヒルダでいいですよ。長ったらしいし、強そうなので」
 マリアの美しい手を取って笑うヒルダ。
 長いのはまだ理解できるが、強そうとはなにをもって強そうと自らの名に判断を下したのか、誰も解らない謎。
 その謎に触れることなく、話は進んでゆく。
 大陸最大の名家のメイド服を着た美女と、大陸最大宗教の学僧服着用している美少女。
 学僧は整いすぎた顔のせいで、年よりも大人びて見えるが、動くと年相応の幼さが誰にでも見てとることができた。
 見ているだけなら目の保養だが、口から出てきた『あの姉さん』
 そのフレーズを聞いた群集、いや野次馬達は銘々「ああ……」と溜息なのか何なのか判断しかねる声を上げた。
 当然この場に初めて訪れ好奇の目に晒されていた学僧達は、互いに顔を見合わせ無言で「思い当たる節あるか?」と尋ねあい、そして互いに首を振る。
「期待どおりで良かったわ」
 どれ程の名画も歴史的彫像も霞むほどに美しい学僧。だが『ドロテアの妹』
 それだけでコルビロにいる男は、近寄るのを諦めた。
 近寄っているのは、諦める諦めないを超越した男、エルストのみ。全くヒルダに気付いてもらえないエルストだが、気付かれたところで会話もないので、黙って二人をただ見守っていた。
 エルストの場合、本当に”ただ”見守っているだけで、なんの役にも立たない。むしろ、なぜこの場にいるのか? といったくらいに、役に立たない。
「ええ、もう。姉さんの手紙にはマリアさんを賛美する言葉で溢れかえってました。美しく濡れたその黒髪の艶かし……」
「俺はそんなこと書いちゃいねえよ! よお、久しぶりだなヒルダ」
 約十年ぶりの再会だが、両者は感極まるということはなく、ドロテアは左手で軽く頭をはたき、ヒルダは気にせずに両手を広げて笑う。
「久しぶりですね、姉さん。色々聞きたいことや、話したいことがあるんですけど、まず聞きたいのは、先程から私、凄い注目されてるんですけど、どうしてでしょう?」
 風に揺れる亜麻色の髪。たおやかな身のこなし。
 細身にも感じられる体。片方は上質ながら有り触れたデザインに身を包んでいながら性的であり、片方は美しくも禁欲的な制服を着用。
 少しばかり離れたところから”ひそひそ”していた者たちは、逃げておくべきだったと後悔した。
 獰猛な肉食獣と遭遇した際に、視線をそらして背を向けて逃げてはいけないという教えを守っているかの如き撤退を始める。
「美人ってのは外歩くと注目されるもんなんだよ。お前は俺やマリアには劣るが、それに次ぐくらいには美人だから、注目も集めるだろうさ」
 “自分の本当の美しさに気付かない”などという生き物とは正反対に位置する“顔は良いけど性格悪い”の典型ドロテアは、躊躇いも謙遜もなく妹に向かって言い切る。
 だが言われたヒルダは首を奇妙なほど硬く、それこそ“カクカク”と音が聞こえそうに横に振り、掌を否定するように振る。
「美人見る視線は慣れてます。これでもベルンチィアのエド正教神学校一の美少女ですから、そんな視線だったら理解できます。ここで私が浴びている視線は、どう見ても恐怖の視線です。姉さん、なんかしました?」
 ドロテアの妹は、どれほど世俗から切り離されていても、ドロテアの妹であった。
 姉の言葉を否定して心当たりを尋ねてくる妹に、煙草に火をつけて煙を吐き出しながら、
「ああ? 俺にソレを聞いてどうすんだよ。確かに俺は、お前が思い描いていることを”五乗”したくらいのことは仕出かした。それでいいか?」
 いつも通りに言い返す。
 再びヒルダは首を“カクカク”と縦に振り、
「納得しました。この顔が恐怖の根源だったのですね!」
 笑顔で切り替えし、面白い! 面白いですよ! と言いつつ姉の肩をバンバン叩き始める。
「どう見てもドロテアの妹ねえ」
「そうだねえ、マリア嬢」

 あまりに叩きすぎて”やめろ”とばかりに、ドロテアに頭を叩かれてよろめき、三つ編みが大きく揺れたヒルダを優しく見守った。

 納得し学僧の集団に戻っていったヒルダを眺めながら、エルストは着衣から感心したようにしみじみと言う。
「妹さんはエド正教の幹部候補なんだ」
 神学校で正式に学んでいる僧は、高位に就く事が出来るといわれている。
 もちろん定数があるため、誰もが高位聖職者になれるわけではないが、一応“就ける”とされている。
「幹部候補言うな。その言い方はギュレネイス神聖教だけだ」
「あ、そうなんだ」
「まあ、だが成績は悪くないらしい。あんなんでもエド正教神学校の学年別で大陸五十位に入ってる」
「本当に幹部候補じゃないか」
「ばーか、あいつはロクタル派だ。ザンジバル派でもない限り、お前の言う所の幹部にはなれねえよ、ビルトニア」

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 ドロテアは”自分自身が考えたこともない人生を歩むことになった”ことを認めていたと同時に、その人生が特別なことであることは認識していた
 選ばれた者や、優秀であったからではないことは「自分」がもっとも理解していた
 本人にしてみれば「運悪く美しかった」だけのこと
 それ以外の要素は存在しないと信じて疑ってはいなかった
 妹のヒルデガルドも似たように美しいが、同じであるがゆえに、自らと同じ道を歩むことはないと、心のどこかで”安心”に近く”安らぎ”とは違うものを感じていた

 ヒルデガルドはドロテアのような人生は歩まなかった。相対する、その人生

 ―― 数奇な運命の姉妹 ――

 「要素」は何であったのか?
 ヒルデガルドは認識していた。ドロテアの妹であったこと。それがヒルデガルドの人生を大きく変えたのだ
 ドロテアは意図せずヒルデガルド本人が想像しなかった人生を「魅せ」てくれた。ドロテア以外、そしてドロテアの妹である以外「魅せ」てはもらえなかったもの

 もう一つ要因があるのならば、やはり美しさ

 「美」を最大限に使い登り、目的を果たし、転落しなかった者は、この二人以外は存在しない

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 学僧たちは滞在中、コルビロのエド正教教会に拠点をおいて活動する。活動内容は「自由」活動時間も「自由」と、自由尽くしの国外研修。
 この研修の主な目的は、幼少期から成人するまでの間、ほぼ教会だけで生きてきた世間に慣れていない学僧に、段階的に自由を与えて逸脱する行為をとらないように指導することであった。
 研修させずに神学校から放り出されると、世間の荒波の前に餓死んでしまう者もいるくらいに、学僧は世慣れていない。
 もちろん日々監視の目を盗み、街中へと出て様々な経験を積み、学僧というよりも博徒に近い、そんな慣れている者もいるが、ほとんどは慣れていない。
 そして国内で「自由」研修を行わない理由は、学僧たちの中には本当に「奇怪」な行動をとる者がおり、顔が知られている範囲では噂が立ちやすいことが上げられる。
 博徒に近付いた学僧に関しても、顔なじみが多い街中に「自由」に放ってしまえば、研修期間が終わっても戻って来ないどころでは済まないようなこともしでかす。

 最悪なのは妊娠させたり、妊娠したりという「卒業まで清純である」という誓いを破る者の存在。

 これは研修には、もはや”つきもの”扱いで、いかに隠蔽するか? 交渉するか? 教師陣の腕の見せ所でもあった。
 女子学僧の場合は相手を探し出して、卒業後に聖籍を抜いて普通に結婚させることを勧める。
 ただしこの場合、相手の男は”普通”ばかりなので、大体が殺害されてしまう。
 金持ちや身分の高い者は、学僧には手を出さない。なにせエド正教の”一応”幹部候補生。孕ませたとなれば、教会側はここぞとばかりに圧力を掛けてきて容易に婚姻を成立させる。
 もちろん、離婚は許可してもらえない。
 釣り合いのとれる家柄の娘と婚約していようが、王女と婚約が整っていようがエド正教の力で潰される。
 だから彼等は決して女子学僧には手をださない。妊娠させて死亡させたりしようものなら、身の破滅。
 上記からも解るとおり女子学僧は、修学とその身だけで、相当な家柄へと嫁ぐことができる。
 一代貴族の称号を得ることが出来るほどの身分まで立身出世できる。それに王学府と違い、身分の高い娘などが金で入学している場合もあるのだから手を出そうものなら……。
 そんな娘が市井の男と、それも遊び半分で、というのは金を掛けて育てた両親にとっては腹立たしいことこの上ない。
 女子学僧の実家の財力をあてにしている男もいるが、確実に「殺害」されてしまう。
 国外の場合、女子学僧と男の繋がりがほぼ解らないので、実行犯だけが罰せられ、罪が及ぶ事はない。
 男子学僧の場合も大体同じようなものだ。

 ともかく「世間知らずの嬢ちゃん、坊ちゃん」に、世の中の渡り方、男女の付き合いなどを教え、失敗しても取り返しがつくように。
 満喫する自由と、責任ある自由。それらをこの研修で理解できた者は、着実に地歩を固めることができる。 

 ベルンチィアから来た学僧の一団は、コルビロの料理屋で夕食をとっていた。
 到着後の昼食は研修に関する説明と歓迎のような食事会で済ませていた。教会内の料理なので、ベルンチィア公国と味の差違はなく、首都までの道すがら食べてきた他国の味を前に「夕食はどこの店で食べようか? どこが美味しいのだろう」という思いにそわそわしながら、終わるのを待っていたもの学僧達は、
「姉さんに美味しいところに連れて行ってもらうんだ! 料金も良心的なこと間違いないから、一緒に行こう!」
 その言葉に、先に届いていた荷物を整理して美味しい料理を求めて教会から踏みだした。

―― 金持ちやら偉い家柄の子弟は、今頃は親戚やら、親の知り合いが開いてくれた「歓迎会」に参加しているだろう ――
 ドロテアは研修中の全ての動きを理解して、料理屋を決めた。
 第一に値段が良心的。
 これはもはや、ドロテアの常識。
 第二には初めて別首都の料理屋に足を運ぶのだから、できるだけ見た目の良い建物。
 第三は、第二と被るが、調度品もそれなりの方が良い。

 味が良いのは審査項目になど入らない。それは最低限度のマナーともいえる。

 ドロテアが選んだ料理屋は、込み過ぎず空き過ぎず。人足が途絶えることはなく、待ったとしても少しだけで席が空く。
 ゆっくりと料理を楽しめ、料理の「出し方」は大皿で、小皿に取り分けて食べる種類。
 取るのが難しい場合は、給仕が取り分けてくれる。もちろんその給仕は、全員しっかりと教育されている。
 これ以上の給仕ばかりが揃えられている店は多数あるが、学僧達が滞在中に二三度足を運べるくらいの値段と味で、雰囲気を考えるとドロテアが選んだ店は完璧だった。

 選ばれた店は、ドロテアが妹を連れてやってきたことに驚いたが。

 ヒルダは夕食の卓を囲み注文したムニエルが卓に乗せられ、その身をほぐしながら、気になっていたことを今更ながら尋ねた。
 ムニエルが乗った皿の隣には、空になった皿が三枚重ね置かれている。
「そう言えば、ここに到着した時から気になっていたんですが、この男性はどちら様で?」
 灰色の短髪に、空色の瞳。
 特徴がないところが、特徴というべきか。特徴という言葉を使用してよいものか? そこまで悩ませる普通の顔立ち。
 背は高いものの、全く威圧感を覚えさせない体躯に、
 注文の品を置き、空になった皿を下げ様とテーブルの傍にいた店の給仕は”普通は……最低でも食事の前に自己紹介するもんじゃあ……見ず知らずの人とテーブルを囲むものなのか?”そうは思ったが、客の会話に口を挟むことなく、表情にも動きにもそれを出すことはなく去った。
 話しかけられた時、一口大サイズに角切りされた多種類の野菜の煮物を口に運んでいたエルストは、卓にいる男性は自分一人なので大急ぎで答えようとして咽た。
 顔を真っ赤にして咽ているエルストを無私して、
「こいつはエルスト=ビルトニア。見ての通りのギュレネイス皇国出身の男だ」
「そうですか。それで姉さん、此処って魚のコキーユはないんですね」
 尋ねておきながら完全無視でヒルダはメニューを捲りながら、次の質問をする。
「マシューナル、それもこの首都コルビロは海に面してねえから、新鮮な魚が必要な料理は食えねえな」
 姉はいつも通り無視。
 あまりの完全無視ぶりに、別の卓についていたヒルダと共にマシューナルにやってきた学僧が立ち上がり、エルストの背をさすりながら労わりの言葉をかける。
 命に別状がありそうな変な声を上げながら、エルストは”お気遣いなく”と言った風に手を上げて礼をする。
「余計な気を使わないために声をかけなかったんですけれど。他の人は気になったみたいですね」
「放置が最高の薬なのにな」
 言いたいことはわかるのだが……そんな言葉を含んだ人々の視線も無視し、ヒルダは注文を再開。
「若鶏のマシューナル風煮物と、玉葱のピュレと……」
 その注文量にも人々は驚きの視線を送った。

 ヒルダがマシューナルに滞在した期間は約二ヶ月。
 その間ヒルダはいつも姉と共に外食をしていた。
 当初はドロテアと一緒、美しい学僧ということで目立っていたのだが、最後の方はヒルダ単体の食事量で人目を引くようになった。その一回の食事量に。
 あまりの食事量に人々は、
「美女や美少女を手元におけるのが金持ちなのは、理由があるんだな……」
 毎回の支払いを見て、市井の人々はそう感じた。



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