【Eclipse】the second day
追憶の主
 ドロテアが去った後、女がオーヴァートの元に居る。
 『居る』というよりは、ドロテアが『置いていった』ようなものだが。その女はドロテア同様に、オーヴァートを愛しているようだ。人としての愛し方はドロテアと同じか、それ以上かも知れない。
 だが、オーヴァートからドロテアは消える事がない。そして、女もそれに気付いている。ある日尋ねられた。
「私は何が足りないかしら? 美貌とかどうにもならない事は言わないでね」
 私の回答を聞き、少しばかり首をかしげ、笑った。

追憶の主


 ある程度力が回復したオーヴァートは、本来の姿を“外部記憶”から取り戻す事にした。
 取り込んでしまった、ハプルーや制御板の破片、ジェダの半身などで内部の情報が錯綜していて、元の形に戻すのは手間の掛かる作業だった。いっそ、なるがままの容姿となり、かつてのオーヴァートの姿を知っている、全ての物の記憶を弄った方が早いのではないか? そう思う程に。
 だが、オーヴァートは元の姿に戻るのだと『戻りたい』のだと言う。
 容姿、顔は私の記憶でも事足りるが、身体の方は誰か別の人間を連れてこなければ、再建は不能だった。私の中に記憶はないので。
 何人かの愛人をハプルーに連れてきたが、どれも役に立たなかった。
 あの姿が、オーヴァートに見えない為、それどころか化け物にしか見えないらしく、泣いて私に許しを請う。
「助けて、助けて。もう、ドロテアの事を悪く言わないから、助けて」
 あの『化け物』に『食われる』と勘違いしたらしい。そして、その勘違い通りに食べられた。迂闊な一言が原因なのだろう、そこにいるのがオーヴァートだと解からないで『ドロテアの事を悪く言っていた』そう証言してしまったのだから。
 三人連れてきては三人役に立たず、五人連れてきては五人役に立たず、十人連れてきては十人役に立たず……
「どの愛人も役に立たぬな」
 私は、溜め息混じりに漏らした。
 私が、オーヴァートの元に辿り着いた時、ドロテアはオーヴァートを庇っていた、そしてあの子供もオーヴァートだと言っていた。人間は、事の他理解力があり、適応性が高いと思って愛人達を此処に連れてきたのだが、あの二人が珍しかったらしい。
「こうなれば、ドロテアに依頼するしかあるまい」
「……逃げないか?」
「逃げると思うか?」
「さあ。此処にきた者達の反応を見ていると、どうとも言えないな」
「そうか? 私は逃げないと思う。逃げるくらいならばお前を庇わなかったに違いない。ドロテアは、確かにお前をお前だと信じて庇っていたが」
 勝てない物に向かっていくような女だとは思わなかったが、勝てない相手でも其処から動きはしなかった。

「この姿で嫌われたらどうする?」

 肩が震える、
「今更、ドロテアに嫌われる、嫌われないを……問うのか、オーヴァート。お前が……」
 それ以上は言えなかった、笑い出してしまったからだ。今更、お前が言うのか! それを! オーヴァート。
「笑うな」
「済まん。だが、今更としか言えぬよ。何なら、ドロテアの心の裡を読めば良いだろう?」
「それで、嫌いだと解かってしまったら私はどうすればいい?」
「知らない振りをして接したらいいのでは? 今までもそうだっただろう。嫌われるような事ばかりを、先手を打ち行っていたではないか」
「嫌われる事をするのは、簡単だ」
「大体、今までも何度か覗いていたのだろ?」
「思考は覗いていない。観ていたのは過去や、好みだけで、其処に至る思考は覗いてはいない。即ち、二年間表面上だけで接してきた」
 あれ程、過去の記憶まで覗いて観ていたのにも関わらず、か。
「観てみれば良かったではないか……」
 此処までドロテアに固執していた事に、気付かなかった私が悪いようだが……
「それに。三ヶ月前の事はどうする? 覚えてはいなくとも、教えはしただろ」
 教えなければあの騒ぎは終息しなかっただろう。それが不服……というわけでも無さそうだ。そして、私に答えられるのは、この一言。
「オーヴァート」
「何だ?」
「皇帝に解からぬ物は、選帝侯には決して解からぬよ。お前に対処方法が浮かばないというのなら、私などに浮かぶ筈がない」
「最上級の逃げ言葉だな」
「その位の利点がなければ、選帝侯などやっていられぬ」

笑い声が重なった。初めて同時に笑った、何が楽しかったのかも定かではないが、笑った。

**********

 私がバンサークに顔を出すと、学者達と警備の者達が土下座してきた。デズラモウスが逃走してしまったのだと。オーヴァートを傷付けた犯人の一人でもあるデズラモウス、これを殺すのは良いのだが……。私は逮捕というものが苦手だった。
 大体、相手を生かしたまま捕まえるという思考は、人間が独自に発達させた物。皇代の遺跡に人を『監禁』する場所がない理由、罪人を捕らえて裁くなどという考えはない。叛意を持てば、規則を遵守せねば殺害される、殺害する、そのような考え方だった為。
「生かしたまま捕らえた方が良いか?」
 出来れば生かしたまま捕らえて欲しいと依頼される。それに従った所、少々被害が大きかったが。そんな事は気にせずに(後にドロテアに叱られたのだが……)警備の者達にデズラモウスを投げつける。
 必要書類を作っておく事を命じられたと、オーヴァートの直筆の書類を責任者に渡す。
 城に戻り、帰りが少し遅くなる事を告げる。
「来たじゃろ、滅亡の王が」
 アンセロウム老は、その仙人髭を撫でて口を開く。
「予想出来ておられたのですか?」
 ジェダは人間であったが既に人間ではない。その身体の大半が、人間でも死者でも選帝侯でも魔物でもない。何に近いかと言われれば、フェールセンに近い。
 故にあれを探すのは、苦労する。
「まあ、良い機会だと攻撃を仕掛けてくると思っておったよ。オーヴァートには知らせておいたがの」
「……そうでしたか」
「守れたのじゃろ? ドロテアを」
 ああ、そういう事か。ハプルーの攻撃を受けたのはそれが原因か。
「ええ、守る事ができました」
「良かったの、これで許してもらえるぞ」
「……?」
「ドロテアは1なら1、2なら2だ。寄越された分は返す、返した分は要求する。だから、簡単に許してくれる娘じゃよ」
 私は頭を下げて、ハプルーへと戻った。


「憐れだとは言わぬが、あの男も何処へ行くのじゃろうな。オーヴァートが皇統を絶えさせてしまった時、あの男はそれからも続であろう、長き人生の中で何を憎悪の対象とするのじゃろうか」


**********


 結局、大まかな所は私の記憶に寄って構築する事となった。細部の、私の記憶からでは構築できない部分などは、ドロテアから貰うとして。
「二度も作り直すのは、手間もかかるし負担になるだろう?」
 一度作り直してしまった“形”の細部を再び構築し直すのには、相当な力が必要だ。それでも、姿を整えていたいという。
「少しの間、此処にいる事にする」
「他の二人は?」
「ドロテアは置いておくが……子供も置いておくか。話し相手になるかも知れないから」
「解かった。……ずっと此処にいたらどうだ?」
 光差さぬ海の底で、この遺跡の中で生きていけばどうだ?
「深い海の底か。エルストの代わりに居ても良いかもしれないが、ドロテアは居てくれるかどうか。お前は一緒にいてくれるだろうが、ヤロスラフ」
 エルスト、深い海の底でその生を終えているとされているフェールセン。
「当然だ。寂しいならばマルゲリーアも呼んだらどうだ?」
「暫く女はドロテアだけでいい」
「マルゲリーアは、ゴールフェン。お前の家臣だ」
「だが、女でもある。若い頃の残虐な遊びが、此処に来て後を引くとは。いっそ記憶を抹消してしまっても良いが、あれも選帝侯。簡単に完全には消しきれないだろ。あれも私には執着しているし」


 私には何の事なのか、解からなかった


 私の記憶を覗いたオーヴァートは不思議な表情をした。……まだ顔はないのだが、そんな雰囲気が。
「私は、こんな姿をしていたか?」
「気に入らないのなら、使わなければいい」
「気に入らないのではなく、不思議だ。そういえば、お前の私に対する意識というもの、覗いてみた事はなかったな」
「そうか」
「もっと早くに、覗けばよかったのかもしれない。そうだ、お前はエールフェン選帝侯であるが、ヤロスラフでもある訳だ。ゲディミナスと同じ考えを持たない可能性に、もっと早く気付くべきだった」
「お前がルーラッハやリシアスと同じような考えをしていないのだから、気付いてくれても良かった筈だ」
「言えばよかっただろう?」
「信じたか?」
「……信じないな、恐らく。全く信じなかっただろうよ」
 目の前に現れたオーヴァートの姿に、
「何、首を傾げている?」
「私の中のオーヴァート……か」
 顔つきなどは、私に記憶違いはないはずだ。どこか十代半ばの、初めて観たオーヴァートが居た。何処にそれがあるのかは、解からなかった。

**********

 ドロテアは何の躊躇いもなくオーヴァートに抱かれた。
 後で尋ねた
「怖くはなかったか?」
 首をかしげ、質問の意味が解からないと両手を広げる。
「愛人達が、みなあの姿を見て逃げた」
 オーヴァートが殺したとは、言わなかったが。ドロテアの事だ、気付いているのかもしれない。
「そういう事。其処まで考えが及ばなかっただけだ。“あれがオーヴァートだ”って言われりゃあ、別に何も考えないさ」
 考え、裏をかくことを得意とする女の、表現し辛い一面。私には、永遠に理解する事ができない”ドロテア”を構成する一部。

追憶の主


「気が回らない方がいい。お前は細かい事に気が回り過ぎる」
「ドロテア、気が付くほうじゃ?」
「気付くのだが、無視する。それが出来れば……無理だろうな」

女はその後、男と結婚して王妃となった。名を、何と言ったか……
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