ビルトニアの女
終わりから始まりに向かう世界へ【7】

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 いきなり言われても答えられません
 会いたいとは思いますが
 目印……ですか? 番の……
 ありがたく受け取っておきます、ランド


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「俺ももう長くはない。次はお前たちのどちらかにする。安心しろ争わせる気はない、お前たちも争う気はないだろう」
 法王レクトリトアードが、パネ枢機卿とクラウス枢機卿を呼び出しそのように語ったのはマリアが死んでから八年ほどが経過した頃。
 建国当初のエド法国の領土を取り戻し大宗教国家の長に収まった男は、邪術にかかった故に聖人に序列される権利を失った戦陣の女王亡き後、表情が緩むこともなくなった。
「ハミルカルがネーセルト・バンダ王国を陥落させるまでは俺がこの座についている」
 大陸の分割や併合はまだ収まっていないが、終わりもやっと見え始めた。
 ソフロン王国を滅ぼしハイロニア属領に加えた海賊王は、その覇気の赴くままに攻められる最後の国に攻撃を加える。
 ネーセルト・バンダ王国に宣戦布告をおこなったのだ。ネーセルト・バンダ王国のカレーラ王はエド法国に救援を求めたが『兵を送る手段がない。それはお前たちが良く知っていることだろう』一蹴され、強力な海賊海軍に囲まれ滅亡の一途を辿っている。
 カレーラ王は調停を依頼したこともあったが、それも素気無く断られた。そのあまりの冷酷に法王が『王家』に対し個人的な恨みがあるように感じられたので、自ら調査をしたが答えに到達することはなかった。
 彼は従兄弟が前法王であることも、自分の父がもてあました前法王を死んだこととしてエド法国に送ったことも知らないまま、ハミルカルの刃によって死を迎える。
 こうしてハイロニア群島王国も巨大な国となった。
 エド法国、帝国ランシェ、ハイロニア群島王国。この三つが世界に対し大きな影響力を持つようになり、世界が進む方角が徐々に定まり始めた。
 人々は戦争が終わりを迎えたことに安堵し、平和の続くことを祈った。その平和の祈りを背に、乱世の法王と呼ばれるようになったレクトリトアードは権力の移行を行う。
 パネとクラウスでは前者を法王に推す声の方が圧倒的だった。後者を推すものは皆無に等しかった。むしろ候補に入ったこと自体に驚いた者が多数であったといった方が正しいだろう。
 死せる子供達の時代からエド正教に属するパネと、宗教を流転し“改宗するたびに位が上がる”と影で言われるクラウスを比べてしまうと、前者の方に気持ちが傾くのは当然のこと。
 個人的な能力は比べることの出来ない全く異質な二人で、法力はパネの方が高くクラウスは直接的な攻撃力が高かった。
「猊下」
「どうした? パネ」
 どちらを選ぶのかを胸の中に隠している法王の元をパネが訪れたのは、翌日に『最高枢機卿』の発表を控えた夜のこと。
「何故私かクラウス殿なのですか?」
 法王には長年使えたエギ枢機卿やトハ枢機卿がいる。順序や功績で選ぶならこの二人の方がはるかに上だった。特にこの二人はパネと違い一度も派を変えていない。
 その他にもエド正教に最も影響力のあるハイロニア群島王国のファルケス枢機卿やルクレイシア枢機卿が控えている。
 パネやクラウスは新参者に近く『法王レクトリトアードの庇護があっての枢機卿』であって、単体ではさほどの力がない。法王の跡を継ぐのには基盤が足りていないはずなのに選ばれた。
「知りたいか?」
「はい」
「明日俺が最高枢機卿に選んだ奴は、暗殺される運命だ」
 法王は淡々とパネに語る。
 巨大になり過ぎたハイロニア群島王国の力を削ぐために、ハイロニア出の枢機卿のうちどちらかを処刑するつもりであり、その罪状に使うのが明日選ばれた最高枢機卿。
「あれほど気勢のある国だ。最高枢機卿の殺害くらい容易に仕出かすと信じられるだろう」
 明日選び殺すのは他の誰でもない、この法王レクトリトアード。大陸と国の安定を図る為に、一人の枢機卿を殺害する。
 エギとトハは長年仕えた功績によって除外され、ファルケスとルクレイシアのどちらかは殺害される予定なので除外された。
「ルクレイシア殿が切り捨てられるのではいでしょうか?」
 ファルケスとルクレイシアはエド法国内では同等に近い立場だが、ハイロニア群島王国では諸侯と奴隷ほどに立場が違う。王の信頼の篤いファルケスを殺すのは厄介だが、国内に身内も何もないルクレイシアはあっさりと引き渡されるだろう。
「そうであろうな」
 パネは“自分かクラウスか”どちらが選ばれるのかを聞かずに部屋を辞した。『ルクレイシアが犯人に仕立て上げられる』ということは『婚姻』を握るエド正教内において、夫であるファルケスの法王就任もないものになる。そして彼女が犯人になる為には……

 彼は誰が最高枢機卿に選ばれ、誰が殺害されるのか消去法で理解できてしまった

 一人になった後、法王は窓を開き、
「やはり俺はお前のいる方角を望むんだな、エセルハーネ」
 遠く離れた帝国ランシェで人々の中で満ち足りた生活を送っている妹のいる方角を一人眺める。その時だけ彼の視線には、僅かな暖かさが残っている

 乱世の法王と呼ばれた男は暗殺と処罰、そして再び最高枢機卿選出を経て次の法王に位を譲り一人旅立つ。それは人々が待ち望んだ乱世の終息でもあった。

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 王国ランシェはオーヴァート=フェールセンが居城を移したことにより、その広大な領土とあいまって”帝国”と呼ばれるようになる。
 女王ヒルデガルドも女帝ヒルデガルドと呼ばれるようになり、それに相応しい女に成長していた。
 皇帝が住居を移したのだから、王学府の本部もそれと共に移動してきた。旧エルセン王国領、最後の皇帝、次の学者の総責任者と目されているミゼーヌ、画聖と呼ばれるようになったグレイ、勇者達の墓を抱えるようになった女帝が支配する巨大な国は、あの日何もなかった国とは思えないほどの発展を遂げていた。
「お待ちしておりました」
 訪れたセツを出迎えたのは、大臣のミロと同じく大臣のマクシミリアン。そしてもう一人、
「始めましてセツ様」
 ヒルデリック皇子。
 母や伯母や祖母に似た顔立ちをしているが、父親の人の良さそうな雰囲気があるせいでそれ程怖さはない。
「出迎え感謝する。もっとも出迎えてもらっても、直ぐに旅立つのだがな」
 セツは言いながらミロの案内のもと、依頼していた品の検分に向かう。依頼していた品とは『柩』
「それにしてもあなたも悪趣味だ。生きたまま柩に入り、土を被せろとは」
「自分のことは自分で全て終える。それが俺の持論だ」
 セツは此処に埋葬される為に来た。
「そうですがね」
 ドロテアの空になった手甲が握り、大地を刺したレイピアの周囲を取り囲むように『法王アレクサンドロス四世』『戦陣の女王マリア』のほかに『勇者レクトリトアード』の墓が作られていた。法王と勇者の間には一人埋葬されるスペースがあり、
「ここにしました」
「そうか」
 ヒルデガルドはそこにセツを埋葬する手筈を整えていた。
 自らが生きたまま埋葬される墓穴の前で腕を組んで一人立ち尽くしているセツのもとに、シスターが近寄ってきた。
「お呼びと」
「元気そうでなによりだ、エセルハーネ」
 セツは妹には振り返らずに話しかける。あの日滅び去った故郷の村で、レクトリトアードの存在を話したときのように。
 しばらく無言のままだった二人だが、セツが横に手を伸ばし握っている掌をゆっくりと開く。
「一つは置いてきた」
 掌に乗っていたのは、昔二人で両親の為に買いに行った陶器でできた番の鳥の置物。
「どこへ?」
 セツが持っていたのは一回り小さい雌鳥のほう。
「レクトリトアード、いやエノスの故郷に。エノスを産んだ女と話もしてきた」
「そうですか」
「受け取ってくれた」
「良かったですね」


 セツはヒルデガルドにエノスの故郷の在り処を聞き、法王の座を譲った後に足を運ぶことを決めていた。一人旧エルセン王国領とエド法国領の境を歩き、常人ではたどり着けない断崖絶壁の上にあるエピランダの村へと入った。
 セツの故郷よりも激しい攻撃に晒された村は『人柱』以外のものは全て崩れ去り、原型を留めていない。
 白い石畳の割れ目から空に向かって小さな花を咲かせている雑草が、この村の今の平和と過去の無残さをセツに伝える。
 『女の人が現れた』と告げられた石の前に立ち、セツはその石にエノスから貰った腕で触れた。その腕に反応するように一人の女の霊が現れたのは直ぐのことだった。ヒルデガルドが送ったはずのエノスの母親。
 彼女は笑顔で現れ、目の前に立っているのがセツだと知り表情を凍らせた。
 彼女は“腕の発する信号”から息子が生きて帰ってきたと思い現れたのだが、実際に現れたのはかつて娼館で客として出会った男。
「期待を裏切ったようだな。そして遅くなったが報告しにきた、あいつは死んだ。お前の仇を討ちたいと願い、叶えて死んだ。だがある女が生き返えらせたらしく、別のところに居るようだ。会えるかどうかは解らないが、死んで会いに行こうと思う。お前はどうする?」


 かつて娼婦として抱かれた女は、客であった男に答えた。


 セツは持って来た番の鳥の置物をその人柱の前に置き、エセルハーネに言われた場所へと向かった。
 向かったのはカルマンタンの弟子であった、ラキとイザードが住んでいるとされる村。
 エピランダからもっとも近い小さな村は、両手で足りる程の村人しかいない。セツは老人にラキとイザードのことを尋ね、二人の墓を眺めた。
 老人は二人に銀髪の《普通の人間の白目の部分が白くはない男》が訪ねてきたら渡して欲しいと言われていた冊子を渡して寄越した。それはエド正教の聖典に似せて作られた、勇者の為に用意された資金の在り処を指し示すものだった。
「ありがたく頂いてゆく」
 セツはそれを持ち資金を手に入れて、新しく法王の座についたクラウスに預けて帝国ランシェへと向かう。そして自らが眠る墓穴の前で、自分と運命を共にしなくてはならない妹に全てを告げた。
「勇者である俺が死ぬと、人柱のお前も死ぬそうだ。お前がいやだと言っても俺は死ぬ、諦めて死んでくれ」
 エピランダの《人柱》から聞いた言葉を感情込めずに語りながら振り返る。
 シスター・マレーヌは何事もないかのように深く頭を下げて、
「法王猊下と共に参ることに、異存などございましょうか」
 彼は数多の罪と共に死を選ぶ。
 セツは生きたまま柩に入り、土を盛られたその墓の上でシスター・マレーヌは祈りを捧げ続け、そしてレクトリトアードが息絶えると同時にエセルハーネも息絶えた。罪に罪を重ねた聖職者は、最後まで罪を重ねてこの世界から去っていった。


 番の鳥を探す為に、彼は飛び立つ


 《エピランダ》その村が何処にあるのか? その村を勇者と共に訪れたことのある女帝ヒルデガルドはセツ以外の誰にも語らなかった。


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