ビルトニアの女
その花は咲き乱れ終焉を高らかに告げる【17】
 ”幸せ”とはなんであったのか? 誰も教えはしない。誤魔化されて終わりだ「人それぞれですよ。自分でみつけなさい」と。

「クナさま!」
 食事を終えて今日からは、以前と同じく広場で人々の為に祈りを捧げようと用意をしていたクナの元に、
「どうした? ヘイドや」
 ヘイドが飛び込んで来た。

「あ、あのお姫様がっ! あの人が!」

 マクシミリアン四世が目覚めたのは、クナの朝の用意が全て終わった頃だった。起こせと傍仕えに命じ、身支度を調えて食事をとっている所に、
「陛下」
「どうした?」
「クナ枢機卿閣下より”大至急館へ”との連絡が。手紙ではなく下男の口頭ですが」
 マクシミリアン四世への連絡に下男が口頭では随分と非礼だが、
「用意しろ」
 あのクナがそうしろと命じたのならば、緊急事態なのだろうとマクシミリアン四世は考え、朝食を残しそのまま館へと急がせた。
 館の前ではクナが待っており、マクシミリアン四世の他の部下たちを排除して、
「ここで待機してくれ」
「枢機卿の言う通りにしろ」
 二人だけで館へと消えていった。

 ヘイドは館に中々戻ってはこなかった。《終わった頃を見計らい》戻って来たヘイドを、クナは優しく出迎えた。「良い、良い。恐いものは恐い。それで良い」と、笑顔で。

 クナはマクシミリアン四世を連れて、ゲルトルートの部屋へと急いだ。その間に感じる館の空気と、使用人たちのざわつきに、重大なことがあったのだろうと感じてはいたマクシミリアン四世だったが、
「心して観てくれや」
 クナは自分にも言い聞かせる為にそのように告げて、勢いよくというよりは乱暴に扉を開いた。
「ゲルトルート……ノイベルト」
 マクシミリアン四世の目に飛び込んで来た「赤」と頭を割るような血の臭い。
 クナの深呼吸を後頭部に感じながら、扉が閉められ部屋の奥へと進む。
「ノイベルトの遺言じゃ。先に読ませてもらった」
 クナはテーブルに置かれていた遺書をマクシミリアン四世の眼前に開き、
「続きもある。読み終えたら言ってくれ」
「ああ」
 その血の中で遺書を読み進めた。

**********


 館を訪れていたマクシミリアン四世が仮設の城に戻り、日が落ちきる直前ノイベルトは灯りを持ってゲルトルートの部屋へとやってきた。
「ホフレ様」
 仄暗い室内は酷く視界が曖昧で、ベッドに身を起こしている影は見えても細部までは解らない。ノイベルトはゲルトルートの方に灯りを向けて、驚き駆け出して腕をつかみ上げた。
「なにをなさっているのですか!」
「はなせ!」
 ノイベルトがつかみ上げた腕には、ナイフが握られていた。ノイベルトはゲルトルートの言葉を無視し、強く手首を握り締めてナイフを床に落とさせて踏みつける。
 ベッド脇に灯りを置き、踏みつけているナイフを持ち、斬りつけていた方の腕を観る。
「今すぐ治療を!」
 赤い筋が幾本も付いている腕に、ノイベルトは部屋から叫ぼうとするが、
「必要はない!」
 ゲルトルートは拒否をする。
「ですが!」
「この程度の怪我で死なないことくらい知っているだろう! 死なないどころか、三日もしたら治ってしまうことも!」
 ゲルトルートは叫び、ベッドに俯せすすり泣き始めた。
「……なぜこのような事をなさったのですか?」
 ノイベルトの手元にあるナイフの刃が、炎の灯りをうつして優げに誘うように輝いた。
「今更姫になんて戻りたくはない!」
「ですが勇者として生きるよりは、姫として陛下の庇護下で生きてゆくほうが幸せです」
「じゃあ! 最初からそう教えて欲しかった! なんで勇者になることを止めてくれなかった!」
 すっかりと暗くなった部屋を照らす炎が揺れ、小さなナイフが再度誘ってくる。
「それは貴女の望みでしたから」
 ノイベルトはゲルトルートに勇者になどなって欲しくはなかったが《望んだから》付き従った。本当は姫は姫のままであって欲しかったのだが、家臣として故国再興を願っているゲルトルートの行動に口を挟むことはできなかった。
 代案があればノイベルトも意見できただろうが、オーヴァートの決めた条約により、ことごとく可能性は潰されていたので止められなかったのだ。
 ゲルトルートは起き上がりノイベルトを見つめる。つい半日前に正気を取り戻してもらった瞳だったが、箍が外れかけていた。
 呆けていた死体のような眼差しではなく、歪み絶望しつつある双眸を前に、ノイベルトは半歩下がった。
「僕の今の望みは死だ! 幸せなんて要らない! 死んでこの血と国の束縛から自由になりたい!」
「それで自殺なさろうとしたのですか?」
 無言でゲルトルートは頷く。
 彼女の瞳から涙が伝うことはなかった。本当に死にたかった理由は、語っていない。
 ゲルトルートが死にたかった理由は、自分の弱さ。昨晩オットーに簡単にねじ伏せられたこと。死にたいと願ったが、死にきれない自分の弱さ。それら全ての弱さに疲れ果てたのだ。
「では命じてください」
 ノイベルトの持っているナイフが微笑んだ。
 まっすぐに自分を見つめるノイベルトに、ゲルトルートは震えながら、
「僕を殺して」
 命じた瞬間、目からは涙が溢れ出し、心臓が体を破壊するのではないかと言う程に強く撃ち出した。汗が噴き出し、口が乾き、耳の奥が音を聞くのを止めた。

―― 死にたくない!

 それがゲルトルートの最後の感情だった。ノイベルトは命令通り、ゲルトルートの首を切り裂く。噴き出した血の音ももう聞こえはしなかった。
 ノイベルトはゲルトルート最後の感情に気付くことはなかった。見開いたままの瞳を閉じ、ベッドに寝かせて腕を胸の前で組ませシーツでその姿を覆い隠す。
 部屋にあった紙に短めの遺書を認めた。宛先は今までゲルトルートとノイベルトに生活基盤を与えてくれていたマクシミリアン四世。
 大恩のあるマクシミリアン四世に礼も言わずにこの世を去ること、なにもお返しできなかったことを詫びるものであった。
 書き終えたノイベルトはカーテンを引き、
 ベッドの横に跪き、頭を床に付けて、
「真にお守りすることができなくて、申し訳ありませんでした」
 自分の胸を曲刀で突き刺した。
 突き刺した手に流れてくる温かい血。身体中を伝うその感触に目を閉じる。
 死に行くノイベルトが見たものは、かつてのトルトリア王国首都エルランシェ。
 すり鉢状の町並み。溢れかえる水の音。輝くような子供たちの歓声。

―― ドロテア! 待ってくれよ!
―― 遅ぇよ! シルダ!
―― アマンダ! 遊ぼう
―― 良いよ、ゼファーなにして遊ぶ?
―― 俺も俺も!
―― バリスハ、なにしようか?
―― あっちのゼファーも


―― リリスも呼ぼうよ! ――


 笑顔の子供たちの声が消え、そしてノイベルトの命も費えた。

**********


「騎士は忠実であった。忠実過ぎたのであろうよ。姫に戻ることを拒んだ主の願いを聞き入れてしまったのじゃな」
 遺書を読み終えたマクシミリアン四世は頭を振る。
「ノイベルト、貴様は喜んでいたではないか。ゲルトルートが姫に戻ることを、喜んでいたではないか!」
「そのノイベルトなる騎士、騎士であり姫の幸せを願い、そなたの意見に喜んでしまった自分のことを後悔したのではないか? 憶測でしかないのじゃがなあ」
「余が間違っていたのだろうかな……」
 マクシミリアン四世は《この通り》の性格だが、殊更人を不幸にしようと思ったことはない。むしろ誰もが幸せになれば良いと思っている。ただし、それが上手くかみ合わないことが多いことも事実だった。
「いいや、間違ってはおるまい」
「クナ枢機卿」
 だが今回だけは正しいと、クナが後押しする。
「エルセンよ、そなたはその姫になんと言った」
「お前は軍人も支配者も向かない、だから姫に戻れと言った」
「妾も聞いておったが、そなたの言葉に何一つ間違いはなかろう」
「……」
「姫は自らの本当の姿を突きつけられ発狂しただけだ。エルセンよ、そなたの姫に対する評価、まこと正しい。まことに正しいが故に姫は死を選び、その発言を聞いた騎士に死の共を選ばせた」
「気付いてはいた、ゲルトルートが……使い物にならないことなど、ずっと昔から気付いていた。勇者としての苦労した日々を評価して欲しいと願ったのだろうが、勇者とは結果がもたらす名であり、努力に対する名ではない……もっと早くに認めていたら、ゲルトルートは死を選ばなかったのではないだろうか?」
 自分に優しさのないマクシミリアン四世にとっては、最大の優しさのつもりだったのだが、それは届かなかった。届かぬ優しさなど、優しさではないと言われたら……マクシミリアン四世はその非難を受け止めるだろう。
「かも知れぬ。だがそなたが姫の”勇者”である部分を捨てるには、そなたの成長も必要だ。そなたは一人で成長し、ゲルトルートはただ、そなたに寄りかかっていただけのこと」
「だが死に追いやった事実は事実だ」
「妾は後悔などする必要は無いと思うが、したいというのならしてもよい。だがしばし待て国王。そなたが今しなくてはならないことは何だ?」
「国を護ることだ」
「そうじゃ。冷酷と言われようが、そして自らをそう思おうが、国王がせねばならぬことは今は一つだけ」
「そうだったな。後悔は全てが片付いた後にしよう。クナ枢機卿、ゲルトルートと忠実なるノイベルトを葬ってやってくれぬか?」
「自殺者に祈る言葉はない。忠義であろうが、主を殺害し自ら命を絶った。それは高潔ではない」
 クナは抱き締めていたマクシミリアン四世を自らの視線の高さに合わせる。
 《気持ち》はクナも痛いほど解るのだが、クナはそれを赦してはならない。だが人として目を瞑ることもある。
「この二人はオットーによって殺害された」
「……解った。遺書などなかった。それで良いな」
「ああ」
「妾は”エルセンによって殺された”憐れな二名の魂が安らぐために祈るとしよう」
「感謝する」

 マクシミリアン四世を部下たちに渡し、クナはノイベルトの遺書を聖典に挟み、聖騎士たちに葬儀の用意を命じた。
 部屋の掃除などは館の召使いたちが行い、ヘイドが戻ってきた頃にはすっかりと終わっていた。
「良い、良い。恐いものは恐い。それで良い。まあ明日からの葬儀は手伝ってくれるな?」
「はい。クナさま」

 クナは一人っきりになってから、窓から外を眺めた。急ごしらえで作られた絞首刑台。周囲を照らす灯りの中揺れる八つの影に、
「お主等の死体を観て、心が躍るとは。まだまだ妾も修行が足りぬなあ」
 溜息をついてカーテンを閉めて、慌ただしかった一日を終えた。

**********


「私はなにもしていない! 私は!」
「違うっ! 違う!」
「助けて! やってません!」

 ゲルトルートとノイベルトが死んだ夜、オットーとその取り巻きたちは、マクシミリアン四世がいない間に好き勝手していた証拠を消す為に、夜の街をかけずり回っていたのが災いした。夜中に召使いたちを使い、ひたすらなにかをしていたのを、街の人達があちらこちらで目撃していた。
 いつもであれば、この証拠を消したことで上手く行くのだが、今回はそのようにならなかった。
 ゲルトルートとノイベルトを殺害していないという証を立てようとすると、マクシミリアン四世がいない間に行っていた蛮行が明るみに出る。
 殺していないと潔白を証明するとき、あの河に浮かんだ娘を殺したこと等を証言しなくてはならない。
 オットーたちにとっては《悪い》ことに、証拠になる品を全て処分したので、残っているのは証言だけ。
 ゲルトルートの殺害はもちろん証拠はないが、そんなものは必要はない。
「マクシミリアン!」
「オットー。なにか言いたいことはあるか?」
 王が本気になれば処刑は容易い。
 組み立てられてゆく簡易の絞首刑台と、集まってくる人々。オットーたちの助命を請う者たちも当初はいたが、マクシミリアン四世の命令で問答無用で「共犯者」として切り捨てられ、三人ほどが殺害されたところで、誰も嘆願はしなくなった。
「お前さえいなければ、マクシミリアン!」
 腕を折られおかしな形で後ろ手に縛られたオットーが、口角から泡を飛ばし、血走った目で叫んだ。
 その言葉はオットーと彼の母ヘレネーの全てが凝縮されていたと言っても良い。
「それは余の台詞だ! オットー! 貴様が生まれてこなければ、ヘレネーは狂わなかった!」
 マクシミリアン四世はそれをそのまま返した。
「……」
 声こそは荒かったが、表情はいつものマクシミリアン四世を前にして、オットーは体が凍えた。
「満足したか? オットー。余は満足だ。処刑せよ」

 泣き叫ぶ声と乱暴に引き立てられる罪人。
 釣り上げられたゆくオットーにマクシミリアン四世が最後に尋ねた。

「国王を見下ろす気分はどうだ? オットーよ」

 返事はなかった。
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