ビルトニアの女
その花は咲き乱れ終焉を高らかに告げる【15】
 滞在最後の晩餐会、主賓はもちろんマクシミリアン四世。だがマクシミリアン四世を”フレデリック三世”が正式に招待した形になると厄介なことが多いので、この会は大臣であるトリュトザ侯の名で行われた。
 主催者の娘ということでフィアーナも同席している。
 ―― 泥と腐った海藻……な ――
 そのフィアーナに食事を口に運ばれているマクシミリアン四世は、マリアの言葉を思いだし「言い当てているな」と思いながら料理を飲み込んだ。パーパピルスは首都が海に面していることもあり、主だった料理は海の物が多い。もてなしと相手を重く見ているという意味で、遠く離れた場所から取り寄せた食材も使うが、やはり主は海のもの。
 フィアーナは大貴族の娘として恥ずかしくない格好をして晩餐会に訪れた。整え飾られた髪、丹念に施された化粧。豪華なドレスと、香料をしみ込ませた手袋。その結果、食事を口に運ぶのに相応しくない格好となった。
 口に運ばれる白身魚の味付けとフィアーナの手袋の香料の匂いが混じり表現しがたい味になっていた。
 その時、マリアの「フィアーナが向ける視線」に関することを思いだしたのだ。
 あまり思い出したくはなかった表現だが”それがもっとも近いな”と納得し、同時に普段この調子で食事を自らの手で取っていて具合が悪くならないものなのか? と不思議にマクシミリアン四世は感じた。
 マクシミリアン四世の食事が進まないことにフィアーナは気付いたが理由は解らず、飲み込ませようと口にグラスを押しつけ大量の酒を流し込んだ。
「…………」
 口の中に残っていた咀嚼中の料理と、容量を考えていない酒の量にマクシミリアン四世は噎せて、ほとんどの物を噴き出した。
「げほっ! げ……」
 咳き込み続けるマクシミリアン四世にフィアーナは罵倒こそはしなかったが、呆然としながら染みの付いた自分のドレスをみて呆然としていた。
 自分を覆うような影に気付た時、フィアーナは体勢を崩し床に崩れ落ちた。フィアーナ自身、なにが起こったのか全く解らない。
 厚いカーペットの敷かれた床の感触と同時に、頬が熱いことに気付く。
「馬鹿者が」
 フィアーナに覆い被さる影は、吐き捨てた。冷たい声の主と、フィアーナの頬を殴ったのは同じ人物。
「陛下……」
「晩餐会は終わりだ。この詫びは私が取りなす。閉幕しろ」
 ミロはフィアーナからすぐに視線を外し「始まりと終わりを告げる王の拍手」の動きで手を打叩き大声を上げた。
 両王が部屋を去った後、フィアーナも退出したが、怒りに満ちていた。
 なにに対しての怒りなのか? 自分が上手くマクシミリアン四世の口に食事を運べなかったことか、それともマクシミリアン四世が噎せて吐き出し折角の晩餐会が途中で終わることになってしまったことか。あるいはミロに殴られたことか。
 一つだけ違うとはっきり解るのは、
「新調したドレスを汚されたことじゃねえことは確かだな」
 マクシミリアン四世の体を洗い清めて着替えさせているヒルダの質問にドロテアは答えた。
「新調したドレスなのに?」
「お姫様ってのは、着衣に一度袖通したら終わりだ」
「そうなんですか」
 ”勿体ないですね”と言っているヒルダの着衣のほつれにマクシミリアン四世は気付いた。着替えの為に自分の近くにいるヒルダの僧衣をよく見ると、着古しているのだとはっきりと解った。だがそれが全くみすぼらしくなく、新品のようにすら感じられる。
「裾がほつれている」
「ああ、本当だ! 教えて下さり、ありがとうございました。繕わないとなあ」
「新調しないのか?」
「まだ着ることができますし……”いつまでもこの格好をしている”訳ではありませんので」
 ヒルダの笑顔に険呑さはなく、強ばりもしていなかった。
 だからマクシミリアン四世はヒルダの言葉の意味を「近いうちに次ぎの位に上がりますから」と捉えた。マクシミリアン四世もセツがエド法国に学者を呼び戻そうとしていることや、以前のヒルダの活躍から属するロクタル派に様々な圧力を掛けていることは”漏れ”聞いている。
 セツが本気であれば情報の漏洩は《ない》とまでは言い切れないが、他国まで”漏れ聞こえてくる”ことはあまり考えられない。
 おそらく外堀から徐々に埋めて行く作戦なのだろうと、噂を聞いたときマクシミリアン四世はそのように理解した。
 それらの情報を持っていたこともあり、上記のような判断を下したのだ。その判断は的確ではあるが、セツ寄りでもあった。
 マクシミリアン四世という王の思考の中において《ヒルダ》はセツという男の思い通りになる存在だと思い込んでいた。
 マクシミリアン四世の中にあるヒルダという存在は大きくはなく、重くもない。
「着替えは終わったか」
「フレデリック三世」
 私服に着替えたミロが部屋を訪れ、後ろからマリアが酒と料理をワゴンに乗せ、押して付いてきた。
「ではここは、私がお食事をさせて」
「大丈夫だよヒルダちゃん。俺がやるから」

 マクシミリアン四世にとってヒルダの存在は重くも大きくもないが、料理を口元に運ばれると言う行為に関しては、絶対に避けたい相手にはなっていた。

「マリアさん、針と糸貸して下さい」
「どこか縫うとこあるのなら、私がやっておくわよ」
 部屋を出て行く二人を見送るようにしていたドロテアが、マクシミリアン四世とミロを観た後に両手を祈るかのようにして合わせて、結界魔法を呟く。
「殺されても外からは窺えねえ、世界が終わっても解らねえ程度の結界だ。じゃあな」
 ドロテアはポケットに両手を入れて二人を置いて立ち去った。
 三人が立ち去り料理を挟んで座り、互いに外方を向く。話合いたいことは多数ある。怒鳴りたいことも同じ程ある。
「折角の食事が冷めてしまったら台無しだ」
 ミロの手に収まるスープボウルの蓋を外すと、中には通常よりも小さめに具材が刻まれた「名も無い」料理が、食欲をそそる匂いと温かさを部屋中にもたらした。
 具材が小さすぎては風味が楽しめないが、大きすぎるとマクシミリアン四世の口に入れる際に苦労する。
 その丁度良い大きさをマリアが考えて手早く刻み作ったのだ。
「まさかお前の口に料理を運ぶ日がくるとはな」
 理性と責任感を味方に付けた忍耐力が憤怒と交戦し、均衡を保っているのだろうとはっきり解る表情のミロと、
「そうだな」
 また同じようにマクシミリアン四世も、主とは違い手足を持ち暴れ出すことの多い私人の自尊心を公人としての自尊心でひたすら斬りつけ弱らせていた。
 そんな非常に”ぎすぎす”とした食事ではあったが、その間にミロの忍耐力とマクシミリアン四世の公的な自尊心が一時的な勝利を収め、
「トリュトザは余の元へ来た。証言が必要であれば、求めに応じることを確約する」
 空になったスープボウルに銀のスプーンを差して蓋を斜めに乗せた。
「ああ。ただ、ありがたい申し出だが、恐らくは必要ないだろう。オットーのことはどうするつもりだ?」
 ミロはついにエルセン王国の内政に踏み込んだ。
 完全にエルセン王国だけの問題であればミロは話題にしないが、オットーの存在はミロの未来にも様々な影響を与えてくる以上、いつかは話合わなくてはならない問題点ではあった。
「エド法国に金を支払い終身預かりにするつもりだ」
「殺さないのか?」
「……言い逃れできない理由があれば処刑するが。余のこの体から、あの男を王にと思う者も少なくはない。その者たちがかばい立てすることも考えると殺すのは難しい」
「納得させる理由か。暗殺なんかは考えていないのか?」
「それは断固拒否する。謀殺などで国は成り立たない。成り立つかもしれぬが、それはまやかしだ」
「お前の考えだ。でもまあ……確かになあ。そこら辺の遺産相続の取り分で揉めて殺すのとは違うわけだから、正面きって堂々とやらなけりゃな。悪いことすら善いことのように」
「王とはそういうものだろう」
 殺さなくていいのなら、殺さないほうがよいのだが、
「それにしてもオットーがもう少し”まとも”な奴だったらなあ」
 ミロは諦めきれない感情を隠すことなく絞り出すような声で言い、今にも泣き出しそうな双眸でマクシミリアン四世を見つめる。
 オットーはマクシミリアン四世は似ているのだが、その似ている部分は勇者ではない部分であった。純血種のレクトリトアードやセツとは違う、人の血を継ぎ足し伝えた血統の証でもある。その証が良いものであるのかどうかは不明だが。
「……」
「飛び抜けて有能であって欲しいとか、清廉で高潔な人柄であって欲しいとか言うんじゃない。ただ女好きでもいいが暴力をふるわず、無能でも卑怯でなければ……俺はオットーにこの国を、パーパピルス王国をくれてやったよ」
 そしてまたミロもオットーと容姿として似ている部分がある。
「あれがお前が言ったように”まとも”であったら、余はとうの昔に玉座から追われている」
「オットーが”まとも”ってことは、母親のヘレネーも”まとも”だろうから、お前が玉座から追われる心配はないだろう」
「そ……そうだな」
 ”そんなことはない”と言おうとした時、またクナの言葉が甦り ―― そなたは善くも悪くも国王じゃ ―― そして ―― 国王じゃねえ手前なんて存在しねえよ。だから手前は手足を失っても国王でいられるんだよ! ―― ドロテアの怒鳴り声が耳の奥で響き、頭蓋の内側を鋭く叩く。
「今更言っても仕方ないが、想像するだけなら自由だよな。オットーがまともだったら。そしてフィアーナがもう少しだけ賢かったら」

 パーパピルス王国はどんな形になっていたのだろう?
 
 幸せな空想のあと、二人は話合いを再開した。
「トリュトザは一族全て処刑する。だからオットーが厄介だったら、フィアーナと結婚させると良い」
「……」
 ミロがトリュトザを切ろうとしなければ、マクシミリアン四世もオットーを積極的に切り捨てようとはしなかった。そういった面で、この二王は互いに保っていた。
「明日の午前中には到着できると、エルセンに報告をいれておこう」
 マクシミリアン四世をエルセンに戻してくれるのはヤロスラフ。帰りのセレモニーを終えたらすぐに到着するので、前もって知らせておいたほうがいいだろうとミロは”当然”のことを、確認の意味で尋ねたのだが、
「しなくていい。いいや、しないでいただこうか」
 マクシミリアン四世はそれを否定した。
「なにを考えている?」
「お前が余を使ってトリュトザを罠にはめたように、余はお前を使ってオットーを罠にはめる。オットーのことだ余が不在であれば必ず馬脚を現す」
 この時点で既にオットーがクナの居る修道院に押し入ってゲルトルートを殴り飛ばしていた。
「そうか……不手際で連絡が遅れたってことにしておく」
 まさかそんな蛮行をしでかしているとは、マクシミリアン四世も思ってはいなかった。

**********


「夜分遅く失礼いたします」
 ミロとマクシミリアン四世が《オットーという存在》を語っている頃、
「パネか」
 パネはセツの元へ帰還の挨拶にやってきた。明日帰還なので慌ただしく挨拶をする暇もないだろうと考えてのこと。
 窓から黒い海を眺めているセツの背に、パネは膝を折り頭を下げる。
 パーパピルス王城では窓が海に面している側を割り当てられると、その人は国王の私的な客という立場と見なされる。
 セツの王城滞在はあくまでも「勇者」としてであり、国王の知人という立場であって、聖職者としてではない。
 ジェラルド派と関係の深い国の国王として、そのような形で受け入れるしか無かったのだ。
 パネの挨拶を聞いたセツは、カーテンを引き大きな椅子に腰を下ろして、
「魔帝の際の派兵総責任者はお前だ。いいな? パネ。聖騎士と陣地用の術者を統率しろ」
 若い頃はレクトリトアードと似たような顔をしていたセツだが、流れた歳月と刻まれた年輪と、過ごした過去により与える雰囲気は全く違うものになっている。
 レクトリトアードが今のセツと同い年になった時、この顔になることは決してないだろうという顔つき。
「謹んでお受けいたします」
 パネは責任者の地位を即座に受け入れた。
 受け入れはしたが大量殺戮に思うことはあった。だがそれは表情には出さない。
 セツがパネを総責任者の地位に添えたのには幾つかの理由がある。大きな理由として、混乱に乗じて改派し役職はそのままだが、大きな権力を得たパネに対する不満を処理するため。
 危険地帯に好んで行きたがる高位聖職者はいない。
 エギやトハ、そしてクナは命じられれば行くが、セツとしては前者の手駒を危険地帯に派遣するつもりはなく、後者は手駒ではないが王女を戦地に送り込むようなことは政治的に考えると回避する必要がある。
 セツの命令という限定であればルクレイシアも動くだろうが、彼女を使いたいとはセツは思いもしない。事実に人選を考えている時に、思い浮かびもしなかった。
 とにかく誰かを派遣する必要があった。できることならザンジバル派、いなければ枢機卿の座を確約してジェラルド派に。そのように思案してたところに、パネが改派して現れた。経緯を聞き、これ以上の適任者はいないだろう状況。この好機を逃がすようなセツではない。
「バレアは後日、別の罪を被せる。それまでは生かしておく。もちろん俺はバレアの処分に対して、もっとも重い罪で償うように提案する。その際お前が ―― どうするべきか? ―― 解っているな? パネ」
 バレア大僧正の聖職者としてあるまじき行動は、セツにとって生贄を手に入れた程度の認識に過ぎない。
《エルセンから逃走するようなことをしでかした大僧正だから”こんなこと”もするだろう》と思われる。それがバレアの最後の存在意義だった。
「畏まりました」
 露骨に生かしておいては逃げるだろう。地位がそのままでは周囲から不満も出るだろう。セツはバレアを別件の責任を負わせて処分しようとしていた。その「別件」はまだ起こってはいない。なので別件が起きるその時までバレア大僧正にある程度の地位を与えたまま生かしておく必要がある。
 どうするのか? 答えはパネにある。
 パネが総責任者として功績を上げて、処分を決める会議でバレア大僧正の逃亡に関する罪の軽減をセツに願うのだ。
 バレア大僧正の減刑を奏上できるくらいの功績。そこまでの働きがあれば、パネの改派とそのままの地位に居続けることも周囲に納得させることができる。
「今、お前の未来は開けている。俺の命令に従い、総責任者として仕事を終えることもできる。また兵士の大量殺戮計画があることをギュレネイス皇国のチトーに伝えることもできる」
 クラウスが逃げてきた故郷を思うように、パネもまた捨てた故郷の人を思っていた。
「……」
 灰色に塗りつぶされた世界と、どす黒い血の跡の記憶が未だ鮮明に残る故郷。
 歴史に ―― もしも ―― はない。ないのだが《クラウスとパネがセツの計画をギュレネイス皇国に伝えていたら》歴史は大きく変わっただろう。
 ただその歴史はあくまでも表面的なものであり、深部は変わることはないというのも事実だ。
「俺はお前の行動を止めはしない。告げたければヤロスラフに依頼し、ギュレネイスまで行け。チトーは俺と同じく聖職者の地位は政治の道具としか考えていない。すぐにギュレネイス神聖教の地位を得ることができるだろう」
 のし掛かってくる恐怖と共に突き放される。
 パネはこの男《セツ》に一生逆らうことができない場所に自ら飛び込んだことを理解した。
「魔帝の元より無事帰還なさることを……」
 ”祈っている”はせせら笑われるだろう。”信じている”などと言ったら殺されかねない。
「良い判断だ」
 セツは続きは求めずに”下がれ”と手で指示を出した。

 セツが魔帝と遭遇して死ぬことを願うような次元ではない。パネは改派したことで、自分の人生というものを全て失ったのだ。セツが倒れた時、パネも同時に倒れるのだと。

**********


 少し湿り気のある潮風が、甘い花びらと混ざり合う。相反するような匂いだが、それは互いを尊重し上手に混ざり合い、爽やかさを感じさせる匂いへと変化してゆく。
 木戸を開き民は心より喜び、祝福して色鮮やかな花びらを降らせた。
 パーパピルスに住む者たちが、ミロを信じているのはマクシミリアン四世の目から見てもはっきりと解る。
「どうした? ミロ」
 抱える王と抱えられる王。
 人々はこれからエルセン王国との関係が良好になると信じて惜しみない歓声を上げていたのだ。
 彼らを信じさせるだけの実績がミロにはあった。
 その色鮮やかで大きな花びらが降り注ぐ道で、笑顔のまま、
「俺がここからいなくなる時は、こんなことはないだろうな。望みもしないが」
 その決意を呟く。
「……」
 一人だけ耳へと届いたマクシミリアン四世であったが、真意は聞くことができなかった。去るのか消えるのか、それとも逃亡するのか。
 通りを抜け屋台の出る広場を抜けてゆく。
「……」
 昔伯父が店を出していた場所を流れるようにして追い、だが止まることなく歩き首都を囲む城壁の唯一の出入り口である、門を通り抜けた。
 人々はまだ門が降りるまで大歓声を上げ続けた。轟音と共に門が閉じ、城壁の外に控えていた兵士たちが最敬礼をする。
「選帝侯、お願いします」
 待機していたヤロスラフにマクシミリアン四世を引き渡し、同じく既にその場にいたパネを連れて、
「では行ってくる」
 ヤロスラフは《消えた》
「俺が城に戻るより前に、エルセンに到着してるだろうな。さて帰還の連絡でも送るか」

 マクシミリアン四世の帰還予定を通達するのが遅いとエルセン側かから文句とまでは言わないが腹立たしいことを言われたが、ミロは何事もなかったかのように「エルセン王がこちらに来るという報告は受け取っていなかったが、私はかの王を歓待した。その私に対してなあ」と言い返し通信を強制的に切った。

「エルセンでなにかあったのかな……」
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