ビルトニアの女
神の国に住まう救世主は沈黙の果てに飛び立つ【19】
 ”今日で終わらせる” クナにそれだけ言うと、ドロテア達は首都から少しだけ離れた。
 城壁の外側から首都を眺めると、改めてここが魔物に襲われたと実感する。破壊された城壁と、その後ろの鉛色に見える水平線。
 それを背に近付いてきた ”魔物の目” に視線を移した。
「指揮個体がいなくなったから倒すのは楽だろう」
 ”魔物の目” を作りホレイルを襲撃の指揮をしていたセラフィーマと、セツを捕らえようとしたエセルウィサの破壊によって、
「竜騎士本来の判断能力を排除して従えていたせいで、指揮個体が無くなったことにより初期設定である ”破壊” 以外の行動は無いから苦労しないだろう」
 魔物の目を解析してきたヤロスラフが、そのように告げた。
 勿論ヤロスラフ一人で破壊する事はできるし、自身も破壊してしまおうとしたのだがオーヴァートが 《本気で》 破壊するなと命じたので引き下がった。
「居ても苦労しなかったけどよ」
 そして今、ドロテア達と共に爛熟期を迎えた ”魔物の目” を前にしている。オーヴァートが何を考えているのか不安を覚え、ドロテアに一応は説明したが、説明された方も返す ”なってみなけりゃ解らんな” としか答えようが無かった。
「全くだ。選帝侯の血を引いているだけで弱いことこの上無い。むしろ選帝侯の血を引いていると言わなければ ”少し強いな” と感じることもできただろうがな」
 ドロテアの隣に立ち同じく ”魔物の目” を視線に捕らえているセツ。体調は万全ではないが、両腕が生えて動くのには差し支えなくなっていた
「少しかよ」
 セツのそんな言葉に、ドロテアは笑いながら組んでいた腕を解き歩き始める。
「お前は強いと思うか? ドロテア」
 それに従うようにレイも歩き出す。
「ヤロスラフの方が強いだろうな」

**********

 ”魔物の目” を潰す為に首都から離れたのは、ドロテア、ヤロスラフ、セツにレイ。殴り飛ばす予定だったオーヴァートは、朝から姿が見えなくなっている。
 他の面々は首都に残り警戒しつつ ”魔物の目” が破壊されるのを見ている事になっていた。
「前回も姉さんが簡単に潰してしまいましたからね」
「そうね。あの面々で行ったら簡単どころじゃないでしょう」
 その言葉を聞きながら破壊されるだけの ”魔物の目” を、人々はある種の安心感を持って眺めていた。
 攻撃命令を出すドロテアも敵を量産する物体を前にして『楽だな』といった気持ちでいた。
「それじゃあまあ、セツに結界を張らせて、レイの力で壊すか。周囲に被害が及ばないくらいの結界は張れるだろ?」
「任せろ。ただ破壊能力を押さえきれるかどうか」
 レイにより破壊された ”魔物の目” の破片が周囲に飛び散り、首都を襲わない様にするためにの行動。
 結界用の呪文を用意しているセツ傍で、ヤロスラフがレイに ”魔物の目” の脆弱部分や、壊す際に必要な力などを教えている。
『本当に簡単な作業だ』
 呪文を用意しているセツの護衛をしつつ、ドロテアは周囲を見回した。
「……!」
 ”魔物の目” が通り過ぎた向こう側に見える丘に立つ、皇帝装束をまとった褐色の肌と黒く艶やかで長い髪を持った長身の男。
 真っ直ぐに立っていたオーヴァートは、ドロテアが自分に気付いた事を確認して、両手を肩の高さまで上げる。
「オーヴァート!」
 鋭い警戒その物の声に、全員がドロテアの視線の先を確かめる。
「迎え撃つ! セツ! 魔法を攻撃に変えろ! レイ、自分で出せる力の全てをぶつけろ」
 ドロテアは言いながら自分の左腕を右手で掴み、邪術の詠唱を開始する。
 ヤロスラフは一人その場から首都に戻り、一帯を結界で覆う。
「どうしたのヤロスラフ」
「何があったんですか? ヤロスラフさん」
 焦りを隠そうとしないヤロスラフに、マリアとヒルダが声をかける。
「この首都を襲おうとしている ”魔物の目” の向こう側に、フェールセン皇帝がいる。首都と ”魔物の目” とフェールセン皇帝は一直線上にある。そして今、あの男は ”魔物の目” に向かって力を放とうとしている。”魔物の目” など簡単に吹き飛ぶ、力はそれを破壊したあと真っ直ぐに此処に来る」
 ヤロスラフの操る黄金に囲まれた首都だが、
『守りきれない……止めてくれよ、ドロテア』
 砂塵や大きな瓦礫に対して効果はあるが、真の破壊の前には無意味に等しい。
【何故そんな事をするのだ……】
【訳が解らない……何が一体?】
「オーヴァートは遊んでいるだけだよ。そう世界の支配者は、人間と遊んでいるだけだよ」
 困惑している霊体となった勇者二人に、エルストが何時もと変わらない態度と声で答える。
 答えは真実だが、納得できる物ではない。声を失ったアードと、
【地上が滅ぶかも知れないのに?】
 世界を崩壊させる側に一時期回ったことのあるクレストラント。
「支配を捨てた皇帝にとって、地上が滅ぶ事は関係ないらしいよ」
【……】
【協力してくれているのは……】
「ドロテアが存在するから」
 黄金の檻に囚われた廃墟に等しい首都で、動揺のないエルストの声を聞きながら、皇帝と対峙せざる得ない女を見つめた。

**********

 唸りを上げて迫ってくる ”魔物の目” と無数の竜騎士の羽ばたきと威嚇音。だがそれらの雑音は全てドロテアには聞こえなくなっていた。
「逃げても良いぜ」
 ドロテアは目には既に無数の敵など映っておらず、ただ丘の上に立つ無数に彩られた皇帝だけが世界の全。
「魔物の目だけは潰しておいてやる」
 セツは僅かながらだが未だに体に残っている 《オーヴァート》 が泡立ち初めたのを感じた。

 それらはセツに ”邪魔だ” と声なく訴えかけてくる。

 だからセツは残っている 《オーヴァート》 に「魔物の目を潰したら去る」と言い返してみた。答えを受け取ったセツの体の中に残っている 《オーヴァート》 は ”クスクスクスクス” と笑い出し、それは奇怪な滑稽さを持ってセツの体を這い回っていた。
「そうかよ。レイ、お前はどうする?」
「あ、どうした……いや、セツと同じく攻撃を仕掛けてから即座に待避する」
「よぉし、自分でそう決めたならやれ」
 ドロテアは一緒に旅をするようになってから、徐々に自分の意見を言ってくるレイに懐かしさを覚えていた。
 その懐かしさはレイに対してのものではなく、かつてミゼーヌに色々な事を教えてやっていた時の頃のもの。
『ゆっくりと成長していくなら、それでも良いかもな』
 世界から魔帝が消えたら存在意義を失う勇者に、まだ成長の余地が残っている事は幸せな事だろうと思いながら、左手に聖火神を右手に聖水神の力を宿らせ頭を落とす。
 海の水を含んだ大地を眺めながら、
「手前等のタイミングで行け! 後は……」
 最後まではっきりと言わずドロテアは口を閉じた。
 ドロテアの両脇にいた二人は、歩き出し徐々に早足になって駆け出し魔物の目に突進してゆく。
 その向こうに存在する皇帝を無視して 《勇者》 は勇者としての仕事をする。セツの魔法が空を自由に飛んでいた竜騎士を撃ち落とし、レイは魔物の目にその力を放った。
 二人は力を放つと同時にその場から飛び退き、ドロテアから離れる。
 崩壊してゆく魔物の目の『断末魔』とゆっくりと落下してくる竜騎士達、それら挟み対峙していたドロテアとオーヴァートが、互いに同時に動く。


 男と女は遠く離れた場所で向かい合い
 互いに両手を広げて無言で頷く
 両者眼前で手を合わせる。音と共に目を開き、互いに口だけを動かす
 無音の会話に答えはなく、口を閉じ眼前の手を開く


 ドロテアは右手を前に出し、その手に力を込めた。オーヴァートも同じように動く。
 両者の全く違う力が音無く集結してゆく。
 飛び退きホレイル首都まで撤退していた二人のうち、内部にまだオーヴァートを持つセツは目を閉じる。
《クすくクスクスくスくすくす》
 笑い続ける《狂気》 としか表現の出来ない物。
 世界はこれ程まで音がなく、これ程までに狂気を孕む事ができるのかと言った程に制止する。
 制止を破ったのはドロテア。
「そんなに神の力が見たいのか? オーヴァート!」
 そう叫び自分が制御できる最大の神の力を容赦なくオーヴァートに向けて放つ。
 黒い始原の水が襲い、その上か青い炎が降り注ぐ。
 ドロテアは自分が支配できる全ての力を、オーヴァートを殺すつもりで向けた力だが、オーヴァートはドロテアよりもはるかに長い腕と指から、誰も見る事の出来ない力を放った。
「本気か! オーヴァート」
 ドロテアが魔王を消し去り、エルセン王国を襲った魔物の目を破壊した力が一瞬にして消え去る。
 その 《力》 はドロテアにも見えない。
 だが 《戦い》 続ける。
「出てこい! フェイトナ!」
 声に大地が隆起し、幾重にも城壁よりも高い壁を作りあげるが、それらも消えてゆく。
 世界を揺るがす音を上げているのはドロテア、無音で破壊してゆくのはオーヴァート。
 物質も音も光も全て飲み込んでゆくオーヴァートに、青白く染まった手甲が眩いばかりの光を放ち、その勢いに負けるかのようにドロテアが仰向けに倒れてゆく
 虚ろな宙を掴むかのように右の掌が拳を作り、そのまま仰向けで大地に倒れた。ドロテアの背が大地に落ちた時、世界に音が戻った。
「負けたね」
 何時も通りのエルストの声。
 最前列にいるエルストの表情は誰にも見えないが、口調にもその雰囲気にも変わったところはない。
 すぐに起き立ち上がったドロテアに駆け寄るでもなく、黙って見つめている。
「完全に負けたな」
 ヤロスラフは結界を解き、頭を落として横に振る。
「姉さん、勝てなかったんだ……」
「あんな男だけど、強いわ」
 ドロテアは泣くわけでもなく、茫然自失になるわけでもなく、オーヴァートの方を見つめていた。

《皇帝の力を一時的とは言え止める人間など初めてだぞ、ドロテア》
《本気じゃなかっただろう? 俺は本気だったんだぜ》
《素晴らしい! この皇帝の力をお前は止めたんだぞ! ドロテア!》

「どうしたセツ」
「何でもない、レイ」
 セツの内部を駆け回っていた狂気が、持ち主とドロテアの会話を微かにセツに届ける。
《だが凄い》
《誰に向かって口きいてるんだよ、オーヴァート。俺を誰だと思ってやがる》
《お前こそ、誰に向かって口をきいている。私は皇帝だぞ……だから……》
 セツの内部にいた狂気達が徐々に小さくなり、会話が途切れてゆく。
 聞きたくもないセツはそれらが消えてゆくのを感じながら目を閉じる。
《そんなことは誰よりも、お前よりもよく知ってるぜ 皇帝 なにせ俺はグレニ……王の……》
《……だった……やはり聖地神の力をヤロスラフは手に入れら……な》
 セツに聞こえていた音は途切れた。
 それは内部に残る狂気が消えたのではなく、オーヴァートがドロテアの傍まで近寄り声をかけ始めたので消えた。
「……娘」
「何だ? 《皇帝》」
「楽しいなぁ。私はこうやってお前と楽しく過ごせる筈の時間を、全て自分で破壊したのだな」
「さぁなあ。あの頃のお前と楽しくやれる自信は俺にはねぇよ」
「今は?」
「今もねえよ」
 オーヴァートは笑い声を上げた。笑いはセツの中にいる狂気とはまるで違う声で、それは静かに響き渡る。
 笑いは心の底から何かを謳っているが、何を謳っているのかは誰にも解らない。
 隣で左腕を押さえて微笑むドロテアの姿は、何時もの雰囲気を取り戻していた。
「姉さん!」
 城壁からかけだしてきたヒルダと、
「ドロテア!」
 マリア。
 その後ろを酒瓶と水筒を持ち、のんびりと付いてきたエルスト。
「酒と水持って来た。どっちにする」
 受け取る前にドロテアはクナに向けて手を掲げる。戦いに向かう前に決めた、敵を倒した合図だった。
「敵は倒れた……言う必要も無かろうが」
 クナはそう言い、自分から既に視線を逸らし水を飲んでいるドロテアに頭を下げた。
 オーヴァートの傍にはいつの間にかヤロスラフが立っていた。
 エルストとマリアに囲まれ、ヒルダに頭をグリグリと押して遊びながら水を飲んでいるドロテアを目を細め熱いとは違う眼差しで見つめ続けながら。
「神々の力を手に入れたお前は何処に行くのだ? 神と決別した一族を率いる私とは別の世界へと行くのだろうな……そんなに嫌わなくても良いじゃないか……」
「好かれるような事はしたか?」
「昔もお前にそう言われたな、ヤロスラフ。だから今も同じ答えだ 《していない》 そう答えるさ」

 敵は消え去り、新たな敵を求めて動く。


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