ビルトニアの女
神の国に住まう救世主は沈黙の果てに飛び立つ【13】
「……」
「そのような顔をせずとも良かろう」
 クナは双子の姉であるマルゴーと睨み合っていた。
 マルゴーはクナがホレイル王国に援軍を率いてきて事が腹立たしくて仕方なかった。
 次の女王に決まっていたマルゴーは、幼い頃はコンスタンツェ、要するにクナに対して優越感を持っていたのだが年を追う毎にその優越感は消え去り、本人は認めたくない劣等感が積み上がっていた。
 幼い頃は ”顔に痣がない” ことと、跡を継ぐ王女だからと贔屓されて育っていた事で優越感を保つ事が出来た。
 その贔屓が少しずつ、クナに移動していった事がマルゴーには耐えられなかった。
 両親が大伯父に連れ去られる形で異国の聖職者になった妹のことを心配している事が最初の不満だった。
 国内にいた時は同じように接していた両親が、国から連れ出された妹を気にする事がマルゴーには理解できなかった。
 元々クナは王女にならないのだから、聖職者にならずとも、何れは他国の王家に嫁ぐ身。
『それが聖職者になっただけ』とマルゴーが言っても、聞き入れてくれない両親と、その対象が憎くなる。
 そんなマルゴーは国内の有力貴族と結婚して、子供を儲けるが生まれてくるのは全て男 《女王》 以外認めていない国では致命的であった。
 特に今まで王女が生まれなかった事は無かったホレイル王国で、一人の姫も産んでいないことで、貴族達からの視線も冷たい。
 母親である女王に辛いと申し出るも
『子供の頃、コンスタンツェに向かって 《この国を継ぐのは私。あんたは必要ないから出て行け》 とまで豪語していた癖に情けない限りだ』
 母親は知らないとばかり思っていた幼少期の暴言を告げられ、顔をまっ赤にして引き下がる。
 そして何よりも、
「エルセン王国からの打診のぉ」
「良縁ではないが、王家としては……」
「それよりならば、パーパピルス王国の方が良かろう」
 クナが知らない所でもたらされた縁談の数々。
 クナは三十を優に越してはいるが歴とした王女であり、エド正教の枢機卿。その彼女に縁談の申し込みが無い筈がない。
 俗世に疎いクナは知らなかったし、両親は目をつむっていたが、ハーシルは他の王家にクナを 《王妃として》 売ろうとしていた。
 無論簡単に売り渡すつもりなどハーシルには全く無く、寄付という形で王家やその類縁から金を集めていた。
 特に熱心に寄付したのは、エルセン王家。
 正確には元エルセン王族オットーとその一族。クナさえ手に入れられれば、マクシミリアンの後を継ぐ事も可能になるために結構な金額を支払っていた。
 その結婚申し込みの理由の一つが、マルゴーにもあった。マルゴーはホレイル王国には絶対必要な姫をまだ産んでいないので、本人も周囲もまだ諦めずに子供を作っていた。
《双子のクナ枢機卿もまだまだ子供を産めるな》
 周囲はその様に理解して、縁談を申し込んできていると知った時、マルゴーは表現できない感情に襲われた。
 ハーシル処刑後、クナへの縁談はぱったりと途絶え、マルゴーは人目も憚らずに喜んだ。
 だがその喜びも長くは続かなかない。
 ベルンチィア公国で王太子ダンカンの妃の親が、遺跡を使った大事を起こして、結果王太子妃の産んだ子は権利を剥奪されてエド法国に ”預けられる” という名目で生涯幽閉されることになった。
 ベルンチィア公国の面々が、生まれて間もない赤子をエド法国に預けに向かう前夜に、子供を取り上げられた王太子妃は、夫は既に自分に対して愛情なく、他の女の元へと足を運び、大公夫妻も犯罪者になった大臣の娘である王太子妃には良い顔をせず、立場を補強してくれる筈だった娘とは、永遠に会う事は出来ないという数々の事実に耐えられずに自殺した。
 自殺自体は国としては ”仕方ない” で諦めたのだが、後継者は諦められるものではない。
 そこでベルンチィア公国の面々は姫を預けて、その話の中でセツに《クナの処遇》について尋ねた。
”セツがクナを追放したいと思っているのなら、ベルンチィア公国側で預かる” という提案をしてきて、ヴェールの下でセツは口を歪め声なく嘲笑った。
 《王女を王妃として迎える》 のは出来ないが 《セツが追放した枢機卿を受け入れた》 行き着く先は同じだが、過程の違いにより障害がある程度取り除かれる。
 セツはその申し出に曖昧な返事を返し、その後他国に 《ベルンチィア公国がクナ枢機卿を受け入れたいと言っている》 なる文章を発布した。
 他国のエド正教の聖堂に配属されるのは、最高でも大僧正。枢機卿は滅多に他国に配属されない。
 特別に配属する場合は、他の国に ”このような理由で配属したいのだが” と連絡を入れる必要がある。
 大体は ”生まれた国に諸事情で長く滞在する” のが配属理由だが、この場合は明かに違い、他国もその理由を理解してセツの元に次々と 《犯罪者の姪枢機卿を預かっても良い》 という公文書が届く。
 セツは笑いながらその写しをクナの実家であるホレイル王国に送り、受け取った両親は溜息混じりに笑いながら、
「これは腰を据えて本格的に決めねばなるまい」
 両親はクナのエド法国での立場を良くして、聖職者としてではなく王女として送りだそうと決意した。
 セツがクナに対して「嫁に行け」と言っていたのは、この一連の騒動がある。
 再びクナに結婚話が舞い込んで来ただけでも腹立たしいのに、国を挙げてクナを補佐するのも腹立たしい。それがマルゴーの正直な気持ちであった。
 クナを補佐するのは実際はハーシルの後始末の一環で、本当に国を挙げて行わなければならないものなのだが、マルゴーにだけはそう映らななかった。
 憎悪以外の感情をクナに抱いていないマルゴーは、聖騎士を連れて国に来て救助を行うクナに怒りをぶつけた。
 この状況でそんな下らない意見をぶつけられるなど、クナは思っているはずもなく、
「妾の訪れた程度で立場が危うくなると騒ぐ程度ならば、国など継ぐな」
 それだけ言うと、負傷者の治療へと向かう。
 背後から金切り声で罵倒を叫ぶマルゴーに一度も振り返ることなく。


「え? 城を壊したのはオーヴァート卿? そうか、仕方ないじゃろな」

 クナが故郷で寝る間も惜しんで人々を治療した翌日、
「再度攻めてきたか」
 敵は再び攻めてきた。
 見張りからの襲来の報告を受けて、男達は昨晩から考えた策を使うべく一斉に動く。
「オーヴァート卿は見物していて下さい。フェールセン皇帝が出る程のことではありませんので」
 クラウス以下全員で、オーヴァートには見物して貰う事に決めた。
 昨日の襲撃でクラウスが敵の能力や統率を観て、レイとクラウス、それにクラウスについているアードで何とか出来ると判断を下した為だ。
「働かないとドロテアに叱られちゃうなあ」
 皆が言いたいことを解りながら、嘘くさい笑顔で答えるオーヴァート。そこにミゼーヌが必死に突っ込む。
「もう叱られるの確定してますから、本当にもう!」
 昨晩ミロとバダッシュと共にホレイル王女やその他の有力者に謝罪して回った少年の顔は、少々どころではなく窶れている。
 ミロやバダッシュは ”ミゼーヌは良いよ” と言ったのだが ”ドロテア様は頑張ってオーヴァート様の代わりに謝罪をなさってましたから” と言って謝罪をして回った。
 ミロとバダッシュは ”お前とドロテアの性格は違うから” 思ったが、以前は一緒に住んでいて、書類上の養母でもあるドロテアの性格はミゼーヌも良くしてるだろうからと口をはさみはしなかった。

 ミゼーヌはオーヴァートの養子だが、養子は原則として両親が揃っている家でしか迎えられず、当時オーヴァートの元にいたドロテアが母という形になってミゼーヌを迎えた。
 オーヴァートは特定の戸籍を持たないので、ドロテアという妻がいると言われると何処でも照会できないため、役所の方でも書類を通過させざるを得なかった。
 そんな無理矢理の形で迎えられたミゼーヌは、当時オーヴァートの元にいたドロテアに優しくしてもらっていた。
 優しいというよりは普通なのだが、ドロテアがドロテアなので他者から観ると、とても優しく見えたのだ。
 その後ドロテアはオーヴァートと別れエルストと結婚したのだが、オーヴァートの妻のドロテアと、旧トルトリア王国籍を持つドロテア。誰もが同一人物だと解っていても照会出来ないので書類はそのままにされている。

 その様な理由から、ミゼーヌの養母はドロテアなのだ。

 世の中を軽く滅茶苦茶にしている皇帝は、
「なら女に酌でもしてもらって見物するか。おーい、そこの性格がハーシルの生き写しのマルゴー不細工王女、この皇帝陛下のために酒を注げ」
 何を思ったか突然マルゴーを呼びつけ酒を注がせ始める。
 マルゴーに雑言を浴びせるオーヴァートに、全員が後ずさりする。あのエド法国で見せた表情になったら危険だと、誰もが本能的に感じつつ、

【まあ……】
 霊体のアードは、マルゴーのクナに対する暴言を聞いていたので自業自得かな? と思ってクラウスの元に戻る。
「あれで……」
 クナから聖騎士の指揮を預かったクラウスも、アードと同じくクナに対する暴言を聞いていたのであまり同情できなかった。
「大人しくして……」
 レイは何か良く解らなかったが、動かないでいただけるのなら、昨日のように走り回って町中を壊さなくて済むなと思った。
「くださるのなら……」
 昨日ミロと共にミゼーヌに付いて有力者と会っていた、名家の御曹司は騒ぎがこの程度で収まるなら安いだろうと知人であるマルゴーの夫に視線を向けて頷き合う。
「いいな!」
 パーパピルス国王は、自分の国を守るなら皇帝からの罵詈雑言も仕方なしと判断を下し、
「よし! 各々所定の位置に付け! 今回で完全掃討するぞ!」
 クラウスの号令の元、その場から立ち去った。

「殲滅しておかなかったら、ドロテアに怒られるぞー」

 遠ざかった全員に向かってオーヴァートがかけた声に、一瞬全員の足が止まり、そして一斉に振り返って何故かオーヴァートに敬礼をする。
 それを遠巻きに観ていたクナは、護衛のゲオルグに声をかけた。
「怖いのじゃろうなあ、ドロテア卿が」
「はあ。それはもう……はあ」

 掃討する理由、殲滅を急ぐ真の理由はドロテアである。

 潮の香りの強いホレイル首都で、竜騎士の襲来に攻撃で返すレイと、人々を守る兵士達を、分厚い絨毯を敷き横たわりながら眺めつつ、酒を口に運ぶオーヴァートは、
「あーやっぱり美人に酌して欲しかったなあ。顔が悪くて性格も悪い奴に注がれてもな」
 酷く口が悪かった。
 この口の悪さはオーヴァート本来の姿であり、
「……」
 マルゴーは彼女とは思えない程に静かだった。
 皇帝に口答えしてはならないと育てられている上に、先日の城を消し去った力を目の当たりにて何かを言える程、マルゴーは機知に富んでいる訳でも度胸がある訳でもない。
 口を紡ぎ俯いてしまっているマルゴーに、
「そうだな。折角だからクナに向かって吐いた悪口、此処で再現しろ」
 オーヴァートは話掛ける。
 唇を震わせながら、マルゴーは小声でクナに向かって吐いた暴言を口にする。
「もっと大きな声で言え。周囲が必死に声を上げて戦っているから聞こえないぞ。んん? 自分が何故このような状況下で、皇帝に酒を注ぎながら悪口を復習しているのかって? そりゃあお前が馬鹿だからさ。援軍を率いてきた相手に言って良いことと悪いことも解らないような女でも、そのくらいの判断は出来るんだな」
 オーヴァートは笑いながら赤ワインをマルゴーの顔に浴びせかける。
「無様な痣より惨めだな」
 言い終えて高笑いを上げるオーヴァートの傍で、マルゴーは俯いていた。

”同じ顔でそんな無様な痣を晒して、この国を歩くな”
”主の顔と同じ顔であろうが、無かろうが、これは妾の顔じゃ”

 オーヴァートは近くにクナが来たので笑いを止めて、
「おーいコンスタンツェ王女。お前の方が楽しそうだ、酒注ぎに来い」
 空のグラスを高らかに掲げながら声をかけるが、
「お断りします。妾は王女ではなく枢機卿。猊下の命令以外には従いません」
 あっさりと振られた。
「中々強情だな。でもそんな所は好きだ」
「そりゃそうでしょうな。皇帝陛下はドロテア卿が好きなのですから」

 クナはそう言うとオーヴァートに向かって聖職者の礼をし、負傷者の居る場所へと向かった。

「うん。お前がクナのこと嫌いなのが良く解る。昔々この私に父王に振り向いてもらいたくて結婚を申し込んできた醜悪な女によく似てるからな」
「ダーフィド王女のことですか」
 オーヴァートの妻だったダーフィドは現在三十八歳。
「良く知ってるな。そうか、お前達はあの皇后だった女と同年代だったな」
 マシューナル王国の現国王は女婿。王妃が前王の娘であった。
 前王は男児が欲しくて今の王妃の母親の死後、新たな妃を迎えて男児が生まれることを期待した。期待が願望になり、願望が生まれてもいないのに事実となり、男の名前しか用意していなかった。
 そして生まれたのは王女。
 失意の国王は用意していた男名前の一つ、ダーフィドと名付けて彼女を顧みなかった。父王に喜んで欲しいと願った王女は十八歳の時に、自らオーヴァートに結婚を申し込む。
 当時オーヴァートは二十二歳。
 ダーフィドの中にあった醜い感情を ”面白い” と感じたオーヴァートは結婚を受ける。
 父王は喜んだが、彼女の結婚を観る前に死亡する。一年の喪に服し、結婚が出来る時期になった時にオーヴァートは彼女との婚約を破棄すると言った。

”お前は振り向いてはくれない父王に振り向いて欲しかっただけだろう。もう父王はいない、私と結婚する理由はない”

 それでも彼女は無理矢理結婚して、そして三日後に離婚した。
「あの……」
 真の理由を知る者は僅か。その僅かの中にドロテアも含まれている。
 
「馬鹿な女だった。だがマルゴー、貴様はあの馬鹿なダーフィドよりも馬鹿で愚かで、無様で醜い。さあ酒を注げ、醜悪なる女が注ぐ酒は、美味とは違う味わいがある。己の醜さを注いだ酒を飲め。悪酔いすると良い」
「……」
 オーヴァートはマルゴーが注いだ酒を本人の前に差し出す。
「悔しいか? だが貴様の本性はその程度だ。屑は黙って従え」

 ダーフィドはオーヴァートに殴られて、脳が破損して生ける屍のようになり王家の霊廟を祀るカティーニン修道院で、虚ろな目をしながら ”何か” を待ち続けている。
 それが死なのか? オーヴァートなのか?
 彼女に無理矢理対面させられたドロテアには解らなかった。

「どうした? ドロテア」
「いや、ふとな……突然ダーフィドのことが思い浮かんだ。一度しか観たことのない女なのになあ」
 ヤロスラフの問いに答えて、小さな馬車の窓から外の移動する景色を眺めていると、突如止まりザイツが入り口の扉を開いた。
「ドロテアさん!」
「どうした? ザイツ」
「突然目の前に大きな黒い穴が」
「……」
 全員で馬車から飛び降りると、目の前に大きな黒い空間が広がっていた。
 馬が驚いたような気配はないが、
「オーヴァートが開けたようだ」
 縁を触りながらヤロスラフが答える、それは異次元への扉だった。
「通れるか? ヤロスラフ」
「無理だ。だが……オーヴァートの干渉が無くなった」
「行くぞ!」


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