ビルトニアの女
邂逅【3】
 勇者を認定する国を襲った勇者という名を持つ男。
「マシューナルの親衛隊長がこんな事をして唯で済むと思うか!」
 レクトリトアードは『国』相手では、かなり有名な男だ。マシューナルにいる無敗の男、王太子の近衛兵。
 剣聖ハルベルト=エルセンの如き男の存在は、彼の鬱積の一つにもなっていた。隣の国に居る、両手両足のないマクシミリアンにとって羨望以外の何物でもない男は叫ぶ。
「隊長職など辞してきた! それに、マシューナルに攻め入ろうと思うのなら、このレクトリトアードを倒してみろ!」
 マシューナルとは戦争にならないようだが、それが根本的な問題の解決にならない事もマクシミリアンには解る。剣を持った男を前に、勝てる相手を従えてはいない
 少なくともマシューナルとの戦争にならないよう隊長職を辞してきたレクトリトアードだが、大人しい人ほど何を仕出かすか解からないと言われている通りの行動を取った。別にレクトリトアードは大人しい訳ではなく、今まで “何” にも興味を持たなかっただけ。その男が二十三年目にして始めて感情を爆発させたのだ、手の施しようなどあるわけがない。
 そして感情を爆発させた彼が悪いわけではない。
 彼にはこの現状を知る事はできなかった。ドロテア達が解放された後に、噂を聞く事はあるだろうが、捕らえられて直ぐに情報を得る事が出来るような能力は持っておらず、そのままであればエルセン王国は無事に済んだ可能性のほうが高い。
 捕らえているのがドロテアである以上、それも僅かな可能性ではあるが。
 何にせよマクシミリアンはレクトリトアードと対峙した。
 原因を作ったのは自分の行動にある事は理解して、彼は自分を連れて前に出るよう命じた。
「魔法部隊はどうした!」
「陛下、あの男にはいかなる魔法も効かないそうです」
「補助魔法や聖歌は?」
 尾ひれが付いた噂ですら正しいか? という程の強さを持つその白銀の男は、マクシミリアンが夢にまで描いた “己の理想の姿” を完璧に備えていた。
「今歌い、そして捕縛の魔法をかけておりますが、全く効いた気配がありません!」
 返ってくるのは頼りない悲鳴にも似た返事ばかり。
 その悲鳴にも似た返答が聞こえているのか居ないのか、この場に不似合いな笑いを含んだ一行が、レクトリトアードの後に回る為に迂回して歩いていた。
「ご自慢の勇者達がお出ましのようだな」
 城に向かってきた知り合いの暴風に巻き込まれてはたまらないし、近距離で本気のレクトリトアードの力を浴びればマルゲリーアですら完全に結界が維持できるかどうか? 力だけならば選帝侯をも凌ぐといわれる男を止める為に遠回りが必要だった。
 瓦礫の上をわざわざ歩き、のんびりと “迂回しつつ中心” に向っていく五人とは対照的に、次々と直線的に駆け出し現れる勇者達。国に居る以上、そして勇者と認められている以上、戦わない訳にはいかない彼等。
「死なないで逃げ切れればいいな」
 無理だよとエルストは逃げる事を遠くからお勧めしているが、土台逃げてしまうような男など勇者には選ばれない。
 無理だとわかっていても向かってゆくその “崇高” と言われる姿勢が勇者には必要なのだ。一生勇者などにはなれない男は、その勇者達の後姿を横目で見ながら、その騒ぎを避けつつのんびりと歩く。
「無理だろな」
「出て止めるか?」
「面倒だ、好きなだけやらせておけ。なあ? マルゲリーア」
「そうね。あの特殊兵亜種には敵わないわ。強さだけなら選帝侯以上ですものね」
「下手に怪我すりゃ、あんたでも危ないだろよ」
「そんなに強いんですか、レクトリトアードさんって」
 ほぉ〜と納得の声をあげつつ、遠くから聞こえる断末魔に適当に祈りの言葉を捧げるヒルダ。祈りの適当っぷりは、姉の呪文と良い勝負になり始めている。
「でもマリゲリーアさんとあなたが一緒になれば止められるんじゃないの?」
 マリアが最もな事を口にするが “ムリムリ” と言った風情で目を閉じて首を振り、肩をすぼめて両手広げ、理由を説明するドロテア。
「勝手な推測だが、微塵も外れてネエ自信はある。この出来事はオーヴァートがレイに剣を与えて『助けてきなよ。後の事は俺が上手くやるさあ』と焚きつけたに違いない。ただ口車に乗っただけなら良かったんだが、オーヴァートから剣を与えられている。この時点で、皇帝と将軍という関係がなりたっちまったんだよ。レイ本人には自覚ねえだろうがよ」
 主従関係が成立した、という事。
 それを聞いてマリアは、
「それって……詐欺?」
 どちらかといえば嫌いなレクトリトアードに対し、初めで心の底から同情した。目の前で村を滅ぼされた事よりも、ドロテアに振られた事よりも、なによりも悲惨な、
「まあ、詐欺だな」
 オーヴァートの配下。それも無自覚に、勝手に、知らない間に。マリアにとってそれは詐欺以外言い表す事はできない。
 真実を知ったレクトリトアードがどんな行動を取るか? どう対処するかまではマリアには解らないし、何もしてやる事はできない。だからせめて同情だけはしてあげようと。オーヴァートの家臣、それは男嫌いですら男に同情心を湧き上がらせる。
「ひどい詐欺よね」
「ああ、ヒデェ詐欺だ」
 エルストが脇でその会話を聞きながら、笑いを堪えていた。
 大陸で最も権威のある皇帝の家臣に知らぬ間になった。喜ぶ者のほうが圧倒的多数を占めるだろうそれを詐欺と言ってのける二人。
「この壮大なまでの詐欺行為だが、これは言い換えると “皇帝” が “将軍” に直接武器を与え『余の名において四名を救出してまいれ。勅命である』となる。それに対し将軍と同じく皇帝の配下である “選帝侯” が勝手に間を割って入る訳にはいかないのさ。マルゲリーアがここに居る事も知っての事だろうよ」
 ゴールフェン選帝侯は決して皇帝の命令に刃向かう事はしない。
「用意周到な男ね、破綻した性格なフリして」
 屋敷で数々の奇行をくり返していた褐色の天才の、表現のしようのない笑い顔を思い浮かべて肩をすくめた。
「破綻した性格と、用意周到な残忍性はセットだからなアイツは」
 そういって薄い笑みを浮かべる姉を見つつ、
「酷い言われ方ですが、言われる理由……知ってますか? エルストさん」
 ちょっと奥歯にものが詰ったような話し方をした。それに含みは無い、ただヒルダは歯間に挟まった烏賊を舌で取り除く作業を必死にしていた為に。
 そしてまだそれは取れないでいた。意を決して人前で口の中に指を突っ込んでそれを取ろうとしているヒルダの脇で、薙ぎ払われ血飛沫となり消えてゆく人々を見つつ、
「まあ、色々。でも、そろそろ……あっ? 何か来たみたいだな」

**********

 マクシミリアンは史上最悪の嵐と対面していた。
 間に居た兵士達や勇者は弾き飛ばされ『伝説の勇者の国の王』と『伝説の勇者に似た勇者』は互いに視線を交わす。
「余はマクシミリアン四世であるぞ」
「それがどうした? 早く四人を自由にしろ」
「お前の攻撃で、死んだかも知れぬ」
「そんな事、あるわけないだろう。あのドロテアだぞ、今にも背後から撃ってくるかもしれないぞ」
「それほど強いならば、お前が助けに来る必要などなかろうが」
「助けたかった、それだけだ」
 それだけ言うと、レクトリトアードはマクシミリアンに向かって歩き出す。その瓦礫を踏んだ一歩の音に、輿を持っている兵士の一人が驚き震え、二歩目には輿から手を離し逃げ去った。
 不安定になった輿と、落ちかけるマクシミリアン。
 一人逃げると他の三人も我慢できなくなったようで、次々に手を離し逃げる。
 地面に叩きつけられ、籠から転がうつ伏せになったマクシミリアンは顔をあげた。剣聖の姿をしたそれは、何の表情に変化もなく、
「あの世で後悔するがいい!」
 言い放った。
 城どころか、首都をも切り裂こうと剣をマクシミリアンに振り下ろそうとした腕が捕まれる。
 通常の相手なら振り下ろすのを防ぐことは不可能なのだが、レクトリトアードの腕を掴んだ人物は、確かに止めた。
「落ち着け」
 レクトリトアードが振り返るとそこには僧服を纏い、顔も何も見えぬ男が腕を握っていた。いつの間に背後を取られたのか? それ以上に、自分の動きを “人間” に始めて封じられた事に驚きを感じながら、もう片方の自由な腕で拳を放つ。
「誰だ!」
 荒げた声で問いただしながらの拳であったが、男は拳をも止めた。宵にも美しい金色の刺繍を施され、緑色の長いヴェールをミルトから下げている男。
「エド法国の最高枢機卿・セツだ。その一振りで海をも割るような剣を収めよ、目的は同じだ。ドロテア=ヴィル=ランシェの身柄を寄越さないとマクシミリアンが言うのならば、その時はお前の剣を思う存分振り下ろすが良い。猊下もお許しになるであろう」
 セツは握っていた腕から力と殺気が消えた事を確認すると、その手を解いた。
「申し訳ございません! 失礼いたしました、セツ最高枢機卿閣下」
 腕を解かれたレクトリトアードは、急いで膝を付き礼を取る。
「見事な力だ。私にとって始めてだ、これ程の力で他人の腕を止めたのは」
 冷酷で名高いセツは、その頭を下げたレクトリトアードにそう告げると、向きを変えて別の男に違う命令を投げつけた。
「マクシミリアン、四人を解放せよ。猊下のお言葉だ」
 マクシミリアンがその土に汚れた顔を上げた時、馬車が到着した。
 六頭立ての馬車は、馬のサーコートにもエド法国の紋章が象られている。真白の馬車を取り囲むように次々と馬車が到着する。セツは法王の馬車へと近寄ると頭を下げて手を伸ばした。そして法王を己の肩に乗せると、再び転がっているマクシミリアンを見下ろす。
「……申し訳ございません」
 謝罪するしかなかった。
 マクシミリアンを殺しかけていたレクトリトアードの傍に突如現れたセツを、遠くから確認していた五人。
「あいつ、本当に首都にも直接入り込めやがるんだな。たいした法力だぜ。それにしても法王のお出ましたぁ……何しに来やがったんだ、あいつ等」
 まさか自分達を助けに来たなどとは、微塵も思ってもいない。
 正確にはマクシミリアンを助けに来て、実際に助けたのだが、全く助けているように見えないのがセツのセツたる所以。ドロテアに似ている所と言ってもいいだろう。
 言われれば両者共、顔面に怒気を露わにするだろうが。
 国王を殺害せずに済んだレクトリトアードと、最強隣国との関係にヒビが入りそうな国王を眺めつつ、やっと五人は騒ぎの中心に真直ぐに向かうことにした。
「貴方達の事を助けに来てくれたんじゃないのかしら。そう言えば……ありがとう」
 オーヴァートがアレクスに会いに行く切欠を作ってくれてありがとうと。ドロテアは首を振り、
「何の話だ……。まあいい、折角だエド法王と話でもしていけよ、マルゲリーア」
「そうね。話をしたらおいとまするわ」
「ああ。そして是非、オーヴァートの元に向かって欲しい」
 ドロテアは足を止めエルストの胸元から封筒を取り出す。封もされていない安物の、ちょっと生暖かい封筒を受け取ったマルゲリーアは、
「何かしら?」
 何度か裏表にして訊ねる。ドロテアは “歩くぞ” と手で合図をして、先を行っているヒルダとマリアの後姿を見ながら、マルゲリーアに視線を合わせずに語りだした。
「“魔帝”と言う存在を知っているか?」
「聞いた事ないわね、そんな面白い名前の方」
「そいつが五百年前の戦の黒幕らしい。そいつ自体はもっと昔から存在しているそうだ、詳しくはこの封書に」
 船上でレシテイから聞いた事と、海の果ての底にあった建物の簡単が概要を作っておいたドロテアは、それをマルゲリーアに渡した。
「オーヴァートに伝えてどうにかなるの?」
 尋ねてくる彼女にドロテアははっきりと言う。
「“魔帝”は一万二千年前に地上から神界に逃れようと試みたが、神界に辿り着く事がかなわなかったそうだ。よって世界に “戻る為に力” を蓄えているらしい。何から逃れたのかは知らんし、何故この世界に “戻る為” に力が必要なのかも疑問だが、一万二千年前なら皇帝の統治下時代だろう? 皇帝の統治下時代に、神界に逃げようとするなんてのは……知っているとしたらオーヴァートくらいのモンだ」
 マルゲリーアもヤロスラフもそしてドロテアも知っているが、具体策を作れるとしたらそれはオーヴァートだけだろうと。本当はオーヴァートであっても勝ち目は無いに等しいが、教えないわけにはいかない。
「そうね……確かに渡しておくわよ」
「直接渡せよ。直接渡せと俺が言ったんだからな」
「……ありがとう。ドロテアにはいくら感謝しても……」
「いらねえよ」
 ゴールフェン選帝侯は皇帝の側に寄ることを認められていない。それは物理的にではなく、取り決めとして。最も皇帝に忠誠を誓った選帝侯にとって酷な仕打ち。彼女・マルゲリーアもまたその頚木に囚われており、直接オーヴァートに会う事は通常であれば出来ないが、例外がある。
 ドロテアが会いに行けといえば、マルゲリーアは直接オーヴァートに会う事が出来るのだ。オーヴァートはドロテアの意見に沿う、よってマルゲリーアが側に来る事が許される。
 誰よりも皇帝を気遣いながら決して側に行くことができない選帝侯。オーヴァート以外にも残っている皇統に対しても同じである。

一人だけ逃げたフェールセンがいる
何人かの選帝侯の血筋の者を率いて
名を残した皇帝が仕留められなかった一人
エロイーズと競ったイングヴァール

 崩壊したエルセンの首都を背景にまずヒルダが法王と最高枢機卿に礼をして、膝を付き頭を下げたままの状態のレクトリトアードに声をかけ、
「助けにきてくれて有り難う御座います、レイさん」
 腕を引張って立ち上がるように促す。
 ちらりと顔をあげセツのほうを窺ったレクトリトアードに、その肩に乗っている法王が、
「立っていいですよ」
 優しく声をかけた。魔法を通した声はやはりどこか中性的。
 男だと知っているマリアやヒルダには、中性的であっても男に聞こえるが、知らない人には噂とあいまってやはり女性に感じるだろう。
「無事で良かった」
 立ち上がったレクトリトアードは、剣を下ろしてヒルダに声をかける。
 ヒルダの方も深々とお辞儀をして、
「助けに来てくれてありがとうございました」
 礼を述べた。
 確かに助けに来たが、“これ” は礼を言っていいレベルなのだろうか? 法王の護衛として来た聖騎士達は思ったが口にはしなかった。猊下の前でそのような口をきくなど非礼であるし、その後から来たドロテアの表情に気圧されて唇が乾いて上手く口が開かなかった為に。
「エルスト、抱えて輿引張って兵士の所にそれ置いてこい」
「はいはい。それじゃあ……さすがに輿を引張るのは片手じゃ無理かなあ」
「じゃあ私も手伝うわ、エルスト」
「お願いする、マリア。それじゃあ行って来る」
 エルストはそう言うと、小脇にマクシミリアンを抱え片手で輿を掴みマリアと共に引き摺りながら、彼等に彼等の主を届けに向かった。
 茫然自失となり黙って抱えられている国王と、ガリガリと音を立てて引かれていくそれを眺めているドロテアの頭上から声が降ってくる。
「無事で何よりだ」
 無事じゃないのは他人の城だがな、とドロテアは口の中で呟いたが別にどうと言う事もない。言うことがあるとしたら、
「手前等何しに来やがったんだ?」
 突然隣国に現れた、大陸で最も徳の高い聖職者達に対しての疑問くらいだ。
「助けにきてやったのだ」
「マクシミリアンを?」
「当然だろうが。お前を助ける必要性などないだろう、ドロテア=ヴィル=ランシェよ」
 エルストからマクシミリアンを渡されて、頭を下げている兵士を眺めつつ、近くから聞こえてくる
「お久しぶりですね〜レイさん。元気そうでなによりですよ」
「あの後、何をしていたのか?」
「ハイロニアに行ってました。南の魚はカラフルで美味しいですよ。食べた事ありますか? ハルミモの葉で蒸し焼きにするとですね……」
 ハイロニア郷土料理を語るヒルダと、解っていないで頷いているに違いないレクトリトアードを眺めながら、
「あの男はヒルダに?」
 セツは笑いを含んだような声で話しかけてくる。
「そう言う事だ。エライのに惚れられたもんだぜ、ヒルダも」
「昔はお前の男ではなかったか?」
「そんな過去もあったな」
「さすが傾国の美女、三国をも滅ぼすか」
「ソイツはどうも」

 煙草に火をつけ煙を緑のヴェールに向って吐きかけながら、押し殺した笑いを浮かべるドロテアに、誰も何も言わなかった。


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