ビルトニアの女
伝説の大寵妃再び【7】
 二十年と少し前に娼館に売られた娘がいた。小さな娼館だったのを覚えている、数日後『お前を買いたい人がいるそうだよ! 良かったな』そう主が言った。連れて行かれた場所は、街中でもっとも高価な娼婦が集められている場所。
 そこの部屋に通されて、しばらく黙って座っていた。
 綺麗な女の人が呼びに来て、私は部屋へと連れて行かれる。眼帯で片目を隠した男の人が座っていた。
「この子で良いのかい? ランド」
「間違いはない。娘、名は?」
「マシェル」
「その名前は捨てろ。お前はこれからエド正教ジェラルド派の聖職者となる。名はお前が仕える相手がつけるだろう」
 それだけ言うと私へ部屋から下げられた。連れてこられた館の主が今度は『此処にいた事は全部忘れるんだ、間違っても口にするんじゃない』言われて、私は官吏に手を引かれて娼館街を出た。
 小さな教会に連れて行かれ、そこでジェラルド派の洗礼を受け修道女となり、聖典の暗誦と教会の雑事をこなした。雑事と言っても教会長の身の回りの世話で、普通はなりたての修道女が付く仕事ではなかった。
 一ヵ月後、まだ聖典の暗誦は確かではなかったけれど教会から法王庁へと連れて行かれた。その間、私はずっと名を呼ばれる事はなかった。
 目の前に現れた枢機卿が“ランド”である事は、八歳の私にも理解できた。そしてそれを口にしてはいけない事も。
「猊下、身の回りの世話をする娘です」
 枢機卿に連れられて、私は猊下の身の回りの世話をする役に任じられた。
「名前は何というの?」
 美しいそのお声にマシェルと名乗りたかったが、私は首を振った。しばらくの空白の後、
「ルクレイシアと呼ぶ」
 私はそうしてルクレイシアとなった。修道女から司祭に立場を変えられ、ひたすら猊下のお側で仕えた。
 私は闘争もなにも知らない、ただ猊下の部屋をお掃除してシーツを取り替えて、窓を磨く事を繰り返す日々。聖職者という名の小間使いであったが、それに文句などなかった。そんな私に気を配ってくださったのが、猊下。
 慈悲深く、誰にでも平等に接してくださる猊下は私が名ばかりの聖職者であってはいけないと、ご自分のお時間を割いては私に法力の使い方を教えてくださった。あのお優しさは終生忘れる事はないでしょう。
 私はお側使えではあったけれど、それほど側にいたわけではなく、沐浴の際など肌の露出がある場合は必ずセツ枢機卿が取り仕切られた。
 特に優しさなど感じさせないその態度ではあったが、猊下の信頼が厚い事だけは誰にも解った。
 お二人は仲良く会話するなどという事はほとんどなかった、それが人前だけの事なのは誰でも知っていた。猊下とセツ枢機卿の間には、絶対に誰もが入り込めない雰囲気があった。
 二十歳になった時、私は呼ばれたセツ枢機卿に。
「大僧正ファルケスの妻となれ」
「はい」
 七つで売られて、八つで猊下の側仕えとなり、二十で有力聖職者の妻に。人は不幸というかもしれないけれど、私はこれで十分に幸せだった。
「法王猊下から言い付かった。結婚にさいして何か欲しいものがあれば言うがいい。望みはなんだ?」
「私は娼館で買われて十二年、未だ買われた方に触れられてはおりません。買われたまま他の方に嫁ぐのもおかしい事ですので、どうぞ」
 私は猊下のお側に仕えなければ、夫ファルケス大僧正よりも恐ろしいと言われる方に恋などしなかっただろう。エギ枢機卿がセツ枢機卿の側を離れられないのと同じように。あの冷酷無情なセツ枢機卿が、稀に人前でも垣間見せる猊下に対しての優しさ。あれを知らなければ良かった。
 特に何も言わず、セツ枢機卿は私を抱いた。
 それだけ良かった。
 純粋に結婚を喜んでくださった猊下は、十二年仕えても清らかなままだ。私は猊下のお言葉をいただき、猊下からとされた数々の財宝と共に港町クレッタソスから船に乗った。
 ファルケス大僧正と結婚し、ハイロニア群島王国の決まりごとにもなれていった。夫は私がセツ枢機卿、今は最高枢機卿となった方を想っている事は知っている。知ってはいるが特に口に出しはしなかった。
「最高枢機卿と争う気にはなれないからな」
 そして噂を聞いた。かつてこの国に来た大寵妃が“自らよりも美しい”と言った女性に、セツ枢機卿が心を奪われたと。ただそれは好意を抱いたのみで、彼女が旅に出るといったらそのまま手放したと。聖騎士にまでして手放してしまった。
 目の前にいた女性は確かに美しい。大寵妃が賞賛するに値する程。

**********

「まさか猊下にのみ感情を向けていられた最高枢機卿が……」
「マリアの事好きになったって事な……別に良いだろよ、法王とは……くっ……なんにも……ねえんだしよ」
 ドロテアは笑いをかみ殺しながら、ルクレイシアにそれだけ告げると部屋から出て行くように合図をした。
 ルクレイシアの足音が消えた後、
「そろそろ訂正してあげた方が良いんじゃないの?」
 ルクレイシアにとっては、羨ましいが本人にとってはセツの愛情など何の価値もないマリアが、かなり激しい間違いを訂正した方が良いんじゃない? とドロテアに向き直る。
「もう訂正しても手遅れなような」
 ルクレイシアから冷茶の入っているポットを受け取った天然ヒルダですら、それは手遅れのような気がしていた。
「此処まで勘違いされてると、いっそ見事ね」
「可哀想にセツ」
 同じ男としてエルストが、しみじみと言った。そんなしみじみもドロテアにかかれば、
「多分、ここで知れてもこの状況は変わらねぇ……セツが男もイケルと勘違いされて終わりだ」
 それで終わりだった。
 誰も彼もが勘違いしている「法王は女性」それに一役買っているのはドロテアなのだが、ドロテアは我関せず。
 その頃、問題の『みんなに女と勘違いされている法王猊下』と『女性と勘違いされている法王猊下に対し、騎士のような愛情表現をしていると思い込まれている最高枢機卿』の間に起こった出来事は以下のような物である。 

以下のような日常

 法王の生活は毎日事の繰り返しであり、その予定は一年以上先まで決まっているような有様だ。何月何日何時に誰々が謁見……など、それは事細かに決まっている。その予定を組むのは、セツ最高枢機卿であった。勿論、歴代の法王には自分自身でその予定や、謁見相手を決める者もいたがアレクサンドロス四世はそれらの事に関しては、完全にセツに任せて毎日丁寧な祈りを捧げる事に重点をおいている。
 自分の趣味などは一切主張せず、セツが決めたスケジュールに黙々と従って二十二年。この日始めて法王はその予定を崩して欲しいと口にした。一日二日……一週間程であれば、セツが裁量でどうにかできるが、法王の望みは二十六日とエド法国の全権を掌握しているセツであっても一存では決めかねられぬ長さだった。
 その二十六日もの予定を空白にして欲しいという願い、それに対しての準備期間は十五日と短すぎた。
「十五日後にエルセン王国に向かって旅をしたい」
 その言葉がもたらされた時、さすがのセツも『何の事だ?』と本気で考えた。
「猊下のお言葉で御座いますが」
「……エド法国の首都から出るだけでも一苦労なのにか」
 法王の意見は、人を介して枢機卿に報告され、それらを決める為に枢密院会議が開かれる。二十二年間の間にそれらを招集した事は何度もあるが、それはセツが法王に言上して開かれたものであって、法王自身が招集したのはこれが始めてである。
 全枢機卿が会議場に集い法王の到着を待ち、その意見を聞いた。法王の望みはエルセン王国の首都まで行き、直ぐに帰ってくる事なのだが、目的はどこかぼやかしたような喋り方。
「猊下一人で行かれるのは危険かと」
「セツも付いて来てくれ」
「二人で同じ旅程を進むなど、許されるものではありません」
「……駄目か?」
「駄目ですね」
 最高位は法王のアレクスだが、最高実力者はセツ。この図式は法王が望んだ物であるのだが、この時ばかりは法王も困った。そこに現れた助け舟は、
「そう頭から否定しなくとも良いのではないか? セツ最高枢機卿よ」
「クナ枢機卿」
 クナ枢機卿であった。在位年数が偉さを現すのならば、クナはセツに次ぐ枢機卿在位を誇る。古参と言えば古参であり、同派閥でありながらセツの配下ではない変わった立場の枢機卿である。特に権力志向も何もないクナは、自分の楽しみにのみ集中できた。クナの楽しみ、それは法王アレクスとセツを恋人同士にする事。当然クナもアレクスが女だと勘違いしている。
 あのドロテアが撒いた、迷惑極まりない勘違いの種は花を咲かせて実をつけて、土に還って新芽を出すほどの勢いであった。ドロテアも此処まで勘違いが成長するとは、思ってもいなかっただろう。
「猊下、宜しければ理由をお聞かせ願えませんでしょうか? 事と次第によってはこのクナもセツ最高枢機卿を説得する側に回りたいと思いますぞ」
 凶悪にして純粋な親切心、世界の殆どの人がしている勘違いをベースに意見を述べられる唯一の女性、それがクナ。セツにとってある意味、ハーシルより御しがたい相手だろう。クナの言葉に背を押されて法王はその理由を述べた。
「……あの、二十七日後にエルセン王国にドロテア殿達が立ち寄り、エルセン国王に捕らえられて難儀するのが観えた……信じて貰えるだろうか?」
「当然で御座います。このクナめは猊下のお言葉に不審を抱いた事など一度たりともございません、身命に誓って」
「ならばクナは賛成してくれるか?」
「無論。セツ最高枢機卿が供をなさるのならばなんの憂いも御座いません。一ヶ月前後の旅の間、妾は及ばずながら全力を持って全ての事に対処いたしましょう」
 エギ、トハ両枢機卿は口を開かない。二人はセツの決定に黙って従う意向なのは確認するまでもない。この二名はセツの腹心故に。クナの援護射撃と、その意見にセツは口を開いた。
「法王猊下……一つお聞きして宜しいか?」
「何だ、セツ?」
「その未来、本当に難儀しているのか?」
「ええ……」
「信頼しておらぬのか?」
 クナの問いに、セツは首を振る。
「信頼してはいる、当然ながら。だが今の言い方では解からないのだ。猊下、難儀しているのはドロテア=ヴィル=ランシェか? それともエルセン国王マクシミリアン四世か?」
 ドロテアは捕らえられるかも知れないが、捕らえられた後に難儀するかどうか? そして少しの間のあとに控え目な言葉が途切れ途切れに続いた。
「……マクシミリアン、四世……」
 ドロテアを捕らえて難儀するのは、捕らえた国王の方らしい。これには信憑性があった、何よりもあり過ぎだった。ドロテアとマクシミリアン四世の関係からすると、一触即発であるのはセツも良く知っている。
「仕方ありませんな、でしたらこのセツも猊下の命に従わせていただきます」
 セツはこの日から十五日間、不眠不休で法王と自分の予定を空けることに専念する事に決めた。
 解散した後に、法王の部屋へと向かう。
「何かあるのなら、俺にだけ命じれば良かっただろう? 一日で問題を片付けて往復するものを」
 ミルトを脱いだアレクスは、少しだけ困ったような顔をして
「旅したいな……思ってたんだ、セツと。だから、いい機会かな? って思った。ドロテアさんがいるならセツも動いてくれるかな……と思ったんだけど」
「俺は上手く乗せられた訳か」
 セツもミルトを脱ぐと、ソファーにふんぞり返るように座る。
「乗せたっていうか……本当に一緒に行きたかったんだけど、駄目だった……よね? やっぱり」
「行くと決めたんだ、もうそれ以上ウダウダ言うな。それよりも、お前は政治上の動きを知りたがらないから教えてはいなかったが、あの女とマクシミリアンが不仲なのを知っているか?」
「そうなの?」
 法王はその種類の事は全く知らない。知ろうとはしない。
「ある事件で国家レベルの不仲だ。そしてそれに根ざした問題がある。訪問した序にこの問題を解決してこようと決めた。意見は述べないでも良いが、聞いておけ」
 二人の会話は長くなった。それは問題として厄介だった為であるのだが、そうは解釈されなかった。特にこの人に。
「物見遊山の計画でも立てておるのじゃろう。二十六日では往復で二十四日じゃ、滞在期間が二日ではゆるりと見物も出来ぬじゃろうて。いっそ、七日くらい滞在なされれば良いものを。おぬし等もそう思うじゃろ? この二十二年間休みなく法国の為に尽くした猊下じゃぞ。一ヶ月休まれてもまだ足りぬくらいじゃ。息抜きしたいと仰られるならば、それに沿うのもわれ等の使命じゃ」
 その後、クナがエルセン出身の聖職者を集めて観光案内を作り法王に提出した。
「クナに此処まで行動力があったとはな……ハーシルより厄介だ」
 位を狙っていない、心の底からの善意。正しく聖職者の鏡……とは言えないが、とにかく欲得ではなく動く相手ほどセツにとっては御しにくて仕方ない。
「途中で通過する町の焼き菓子が美味しいって。買ってくれる?」
「後で俺が買い揃えるってんじゃ駄目なのか?」
「……」
「買えば良いんだろう? 買えば!」
 今日もエド法国も平和です。

**********

 怖ろしい程平和なエド法国はさて置き、此方ではよく言えば潜入捜査、普通に言えば不法侵入をする為に小船を漕いでもらってやってきた、エルストとヒルダとマリアとロイン。
 ドロテアはアムルシアを宴会に呼び出す為の『主賓』として、会場に残った。
 何故ドロテアが主賓になるのか? それは十年前、ハミルカルの結婚式に来てハミルカルに気に入られ、この国で女に与える最高の称号・海の女王を与えられた事にある。貰ったところで、何の価値もなければ、法的な効果もなく、重婚にもならないので黙ってもらったままにしておいたのだが、まさかこの場で役に立つとは、ドロテアも思っていなかっただろう。
「あれがアムルシアが家族と共に住んでいる島だ」
 早くアムルシアの島に到着しないと使い物にならなくなるエルスト。
 その島を指差しながら、
「居ますか?」
 ヒルダの問いに、
「確かにレサトロアの気配を感じる」
 ロインが答える。
「じゃあ、リヴァスさんを抑えておいてくださいね。証拠として少し使わせていただきますので」
「解かった……あ、そうそう。レサトロアを助けたら出来るだけ、ヒルダとかマリアが持っててね。リヴァスって嫉妬深いから」
「懐の小さい男ね。だから最高神になれないんじゃないのかしら」
 マリアは厳しい。
 男嫌いは遂に神の域にまで達したようだ。
「もっと大きな器量を持って欲しいものです」
「ああ、だから人魚は全部女性体なんだ」
 得心いったとばかりに、エルストが手を打つ。
「その通り、エルスト」
 海の神秘が夫の嫉妬からなる物だとは、普通の人は知らない方が良いのかもしれない。
 それを聞きながら、
「嫌ねえ」
 言い切るマリア。それが近くにいるリヴァスに聞こえようが知ったことではないらしい。
「ええ、本当ケツの穴の小さい神ですね」
 笑顔で言うなヒルダ。
 船を漕いでくれる人が上手だった事と、距離がそれ程でもなかった事と『役に立ちやがれこの野郎』とドロテアに脅されたお陰で、エルストは船酔いせずにアムルシア邸のある島に降り立つ事ができた。
「あれに見えるのがアムルシア邸だ」
 連れてきた漕ぎ手が指し示す。松明の明かりに照らされた邸の周囲には、相当数の警備が見て取れた。
「さすがに警戒しているな」
 警戒はしているが、本日は本気のロイン。近くにドロテアもいるので、制御は万全。
 最高神に近い力を持つロインが一瞬で周囲の人間を眠らせる。その後に、無灯火の小船で近付いてきていた他の者達を松明で呼ぶ。
 海辺でその作業をしている最中、ヒルダはキラリと光るものを見つけた。
 金などではなく、生き物的な何かが、松明の光で見て取れた。興味を持ったヒルダが、細い松明を一本貰ってそれを追って行くと、
「あ、ゴンドウガウミゾウリムシだ! 海の側で可哀想ですね、持っていって淡水に離してあげましょう」
 そこに居たのはゴンドウガウミゾウリムシ……ではないのだが、ヒルダは波打ち際でみつけた『クラウス画のゴンドウガウミゾウリムシ』を、持っていた空の巾着にいれて腰にぶら下げる。その巾着は、本来は御布施を入れるものなのだが、ヒルダはしたことがないので何時もからのままぶら下がっているだけ。そこに、それを一生懸命に詰め込んだ。
 勿論、松明は口に咥えるという凛々しさだ。
「ちょっと苦しいかも知れませんが、我慢してくださいねポムロム君」
 オマケに勝手に名前までつける始末。
 ゴンドウガウミゾウリムシは確かに淡水に生息生物だが、恐らく自力で此処に来る事はない。なぜなら生息範囲外だから。それを記憶していなかったヒルダ(そこまで詳細に知りたかった訳ではなかったらしい)は淡水生物なので海水につけては危険と持って行く事にした。
「ヒルダ! 行くわよ!」
 さらに悪い事に、ヒルダは『クラウス画のゴンドウガウミゾウリムシ』が正しいゴンドウガウミゾウリムシの姿でない事を知らない。訂正しなかったドロテアも悪いのだろうが、教えないところで誰も困らないと判断した。多少、勘違いをしていれば面白いかと思ったのかもしれないが。
「今行きます! マリアさん」
 そしてその図をドロテアが『ベホルアマルデシャー』と言った事も知らない。


ベホルアマルデシャーはハイロニアでは有名な生き物ではある。

**********

 アムルシア邸でその家族を運び出す任を請け負った家臣と、
「ここは魔法使いが多いから鍵は魔法が大部分だ」
 レサトロア救出班になったエルスト達。
 確かレサトロアの妹であるリナードスを救いに来たはずなのだが、中々そこに辿り着けないでいた。
「じゃあ何であなたをコッチに寄越したの? ドロテアは」
「だからだよ。みんな魔法で鍵を開けるから通常施錠の金庫は開くのが苦手なのさ。だから重要なものは普通金庫に入れる方が安全なんだよ、ハイロニアでは」
 所変われば、鍵も変わると言った所だろう。
 室内で厳重な魔法鍵がかかっている場所を見つけ、ハイロニアの専門家が開錠した後、予想通りあった普通金庫。いや、普通よりは少々頑丈だが、エルストの前にその役目を最後まで果たす事ができなかった。中にトラップが仕込まれていないか? 魔法の方で確認し、次にエルストが確認する。
 中には特に困るような仕掛はなされておらず、エルストがその扉に手をかけて勢い良く開く。鉄扉の中には、豪華な刺繍が施された布の塊。隅の方に置かれているそれに手をかけて、エルストが布を引き剥がす。
「いたよ!」
 差し出されたレサトロアは、やはりグロテスクであった。
「うわっ! ミイラ化しちゃってる……けど、所々鱗みたいなのが戻ってきてますね」
 干からびてしまったそれをヒルダが受け取って、もう一度布をかけなおす。
 だがさすがは神、ゆっくりとだが回復していたようだ。
「ロイン。レサトロアで間違いない?」
「間違いないよ、マリア。あ〜早くリナードスの行方を聞きたいな」
 当初の目的はそれだったのだが、
「死んでないなら聞けるんじゃないの?」
「まだそこまでは回復していないみたい。海に戻せば直ぐだけど」
 そうは上手くいかないらしい。
「もう少し待ってくれ。証拠物件として、あの場に持っていかないとダメなんでね」
 言い逃れできない証拠を持って、宴をしていた宮殿へと向かった。既に宮殿には、アムルシアとその妻、娘と息子が連れてこられており、宴が開かれていた雰囲気など何処にも残っていない。
 勿論寝ていた三人だが、ロインの力を制御できるドロテアが妻だけを起こした。
 子二人を起こさなかったのは、特に用がないからだ。娘と息子はそのまま永遠の眠りに就くことになるだろう。
 アムルシアは当然「知らぬ存ぜぬ」で通していたが「証拠の品が届いた」という声と、それに続くヒルダが持っている布を見て観念した。
 正確には観念ではなく『開き直り』
「息子の病を治そうとして何が悪い」
「こっちは、国民の病を治そうと必死だった。お前も解っていたはずだ! お前の行為で薬を持って帰ってこられなくて、結果何人死んだ? 他の子供の死者の数など知らぬか?」
 ハミルカルとアムルシアは睨み合った。
 脇で妻が、私が悪いのです! と叫ぶも、誰も聞きはしない。聞くだけ無駄というものだ。ただ、妻も人魚のミイラを持っていた事には気付いてはいた。それで息子の病を治そうと考えていた事も。
 ドロテアはハミルカルの隣で言い争いを最初から聞いている。どう申し開きをした所で、アムルシアの一族の処刑は間逃れない。
『レサトロアを砕いて飲んでも、なんの効果も望めねえだろ。むしろ死期を早める程度だと思うがな。人間が神を食ったって、何にもならねえだろう』
 そう考えながら見下ろしていると、警備兵達の間をヒルダが抜けて近寄ってきた。
「姉さん、持って来ました」
 笑顔でミイラを抱えて登場したヒルダは、場の空気など全く気にしていないに違いない。ロインとの約束どおり、女性だけで持ち運び、一応国王の居る席なので司祭という立場があるヒルダがその席まで持って来た。
 ドロテアは受け取ったミイラ化したレサトロアを凝視し、掴んでみる。ドロテアの手甲ならば削り取る事も可能のようだが、
「ま、リヴァスと喧嘩する気もない」
 言いながら、脇に掛かっていた風除けの布を力いっぱい引き千切る。
 そしてレサトロアを包んでいた布をハミルカルに渡し、千切った布で包みなおす。
「言い逃れは出来まい。貴様の身にしかつけられぬ刺繍だぞ!」
 アムルシアを糾弾しているハミルカルの傍から、下に戻ろうとしたヒルダの目に不思議な集団が飛び込んできた。
「姉さん、あの人達は? 普通の街中に居る人に見えるんですが」
 宴に呼ばれた人達とは全く違う、普通の格好をした人々。
 小声での問いに、耳を貸せとドロテアは人差し指で呼ぶ。
 耳元に顔を近付けて、
「アムルシアを処刑する為に来たヤツラだ」
 怒号の脇で、小さくとも確りとした声で疑問に答えた。
「変わった処刑方法ですね」
「薬が届かなくて死んだ子供達の親だろう。ハミルカルが航海する理由は幾つかある、海上の安全確保と海賊船の統括、武力行為要するに海賊本来の略奪。そして無償の運搬がある。積荷を見たら子供のはやり病用の薬草が相当数積まれていた。ハミルカルの船はこの国で最も強く、速い。その薬を国民に持ってくるために航海に出て、そしてアムルシアがレサトロアを監禁した。国民の為に薬を調達しに向かった国王が帰還なんて出来なくてもいい、薬なんて届かなくても良いという判断だと見なされても仕方ないだろうな」
「……はやり病の子達は?」
「死んだ。此処に着いたあたりに、遠くで狼煙みたいなのが上がってただろ? はやり病だから焼却処分だ。そのまま土中に埋めたり、水葬したりすると病が蔓延する可能性もあるからな」
「憎いんでしょうね」
「そうだろう。ここは大小533もの島がある。その小さな島から、小船で漕いで此処まで連れてきたってのに。本来なら薬は届くはずだった、届いたからと言って助かる訳じゃないかもしれないが。此処でアムルシアの家族に寛大な処置でも取ろうものならどう、なるかは解かるだろ?」
 ヒルダは頷いて、その壇上を後にした。
 言い争いはヒルダがその場を去ってからも暫く続いたのだが、遂に切れた。
 誰が? 尋ねる必要もないだろう。
 ハミルカルの隣に居た、ハイロニア人の格好が怖ろしい程似合っているドロテアが立ち上がり、壇上の枠に拳を落としながら叫ぶ
「この国はいつから口喧嘩だけで満足できるようになったんだ! ああ? 海賊だろテメエら! おい! 文句があるなら掛かってきやがれ、海賊! 腕力で、力で解決するのが貴様等だろうが!」
 その姿、一言で表現するなら『女海賊』それも首領。あまりのそれっぽさに、
「何で代々砂漠出身の姉さんが、一番海賊らしんでしょうか?」
 妹は久しぶりにポカン……としながら、呟くように言った。元から海賊らしいというか、暴君っぽいというか……いつも通りなのだが、周囲の海賊が黙ってしまったので、余計に目立つ。
「そりゃ、ドロテアとハミルカルは比翼だから。あの“二人で一人の人間”だから似てるらしいよ」
 海賊王よりも海賊っぽい妻を持つ男は、何時もの様にあっさりと語る。
「え? ……あの二人が運命の恋人同士だってのは良いですが、何でそれをエルストさんが知ってるんですか?」
「ドロテアに教えてもらったから」
「普通は言わないと思うんですが」
 今更ながら、姉とエルストの関係が良く解らないと思うヒルダであった。
 不思議ついでに、自分の背後に危険が迫っている事すら気付いていなかった。ドロテアの怒声の後の空白、アムルシアが動いた。
 一人だけ彼に背を向け、エルストと話をしている『海の女王』に良く似た聖職者、ヒルダの背後まで駆け寄り首に腕を回して、中央へとヒルダを盾にして、中央へと戻ってきた。
「うわっ!」
 要するに人質。
 自分の子供のためなら、他の子を犠牲にするのも正当だと考える彼にしてみれば、肉親は最高の人質になると考えるのは当然かも知れないが、
「大人しくしろ! 海の女王! 妹の命が惜し……」
「ヒルダァ!」
「はい! 何ですか姉さん!」
「俺はアムルシアに羽交い絞めにされろと言った覚えはねぇ!」
 世界で一番恐ろしい女と、
「私も聞いた覚えはありません。いや〜首に回されてる腕が頑丈で中々、外れませんね。さすが海賊」
 世界で最も危機感のない女の会話は、
「妹の命が惜しければ……」
「俺は今ヒルダと話をしてんだ! テメエは黙ってやがれ! アムルシア! 誰が話に混じっていいと言った!」
 事件を起こしている相手の存在すらないような状態。
「だそうですので、少し黙っててくださいねアムルシアさん。あのですね、姉さん! まさか羽交い絞めにされるとは思ってなかったんですよ」
 誰もそんな事は聞いてはいないのだが、命を危険に晒している聖職者は、聖職者らしいのからしくないのか、とにかく平気で受け答えをする。
「何のためのロクタル派だ! 体術はどうした!」
「人々に教えを説く為ですよ。別に、戦う為の手段じゃないですよ、建前は。実際は殴りますけどね」
 やり取りを観ていたエルストとマリア。
「建前……って言っちゃって良いのかしらね?」
「ここの聖職者様は、膾切りの達人だから大丈夫じゃないかな、マリア」
 ロクな聖職者が居ないわね……そう思ったマリアだが、自分が聖騎士に任じられていた事を思い出し、返上しようかしら? とすら脳裏を過ぎった。
 そんなほとんど緊張感のない状況で、一人必死な男は哀れだ。自分が殺されそうな状況下では当たり前だが、
「おいっ! 無視するなっ!」
「ああ! 誰に向かって口きいてやがる! アムルシアァ! 俺が誰か知ってて口開いてんのか! 知らねえんだったら、この国の家臣じゃねえぜ!」
 その言葉と共に、風除けの布が大きくはためき、明り取りの炎も大きく揺れた。
 恐怖の効果は絶大。狙ったわけではないだろうが、
「…………」
 死を目前にしている男ですら、黙らせる程だった。
「黙っちゃったわね。最初から黙ってれば良いのに。バカな男ねぇ」
「そうだね」
 黙っていればいいに向けて言ったものか、バカな男に向けて言ったものか、それとも両方に向けて言ったのかは解らないが、苦笑いをしながらエルストは見ていた。
『いや、見てるしかないんだけど』
 やる気のない男は、世界の破滅だって黙って煙草をふかしたまま見ているに違いない。
 つかまったヒルダも決して、自分で逃げようとしていなかった訳ではない。むしろ自分で逃げ切らなければ、姉が殴る為に自分を助けかねないので、出来る限りの努力をしていた。努力はしていたが、さすがに相手は海賊の男、腕力では到底敵いそうになかった。
 そしてこの場を処刑に使うので、逃亡などを阻止するために周囲で魔法を使えないよう結界を張っている為、魔法も使えない。
『叱られるなあ』
 思いつつ腕をから逃れようと試行錯誤するが、相手もまだヒルダを人質にして逃げようという目論見は捨てていない為に、腕の力が弱まる事はない。むしろ、最後の生命線であるヒルダを、自分の体の傍に引き寄せた。
「あっ! ちょっとそんなにピッタリと身体を近寄らせたらダメです! 腰の巾着に入れてるポムロム君が潰れてしまいます! ちょっと離れてくださいってアムルシアさん!」
 腰に下げている巾着に入っているゴンドウガウミゾウリムシが潰れる! とヒルダは暴れだした。
 自分の命が危険に晒されている時以上に、それはもう必死に。だが、暴れたほうが余計悪い状況を生み出したようで、
「何を! っ! ……っ!!……」
 アムルシアは崩れ落ちる。
「何だ?」
 壇上から『自分の好きな女の妹の、奇怪な動き』を見ていた、剛毅な筈の王は心底驚いた表情で、下に居る者たちにアムルシアの方へゆけと指示を出す。
 ヒルダは崩れ落ちたアムルシアではなく、自分の腰の巾着に保護したはずの生き物の無事の確認を急いだ。アムルシアはハイロニアの人たちがしてくれるので、出しゃばっても駄目だろうとの事である。……多分。
「大丈夫ですか? ポムロム君」
 大きな声で、叫びながら巾着に手を突っ込むヒルダ。
「ポムロム君?」
 一体いつの間に『御布施用巾着』に名前をつけていたんだろう? と思った三人。
「姉さん! 海辺にゴンドウガウミゾウリムシがいたんですよ」
 自慢げに巾着から取り出したのは、誰がどう見たって、
「ベホルアマルデシャー!」
 海蛇であった。
 一目で海蛇であって、
「え? ゴンドウガウミゾウリムシでしょ?」
 微生物とは違う。
「そりゃクラウス画のゴンドウガウミゾウリムシだからな。アレ、絵が違ってんだよ……写し間違ったんじゃねえのか」
 殺人的に絵が下手だと言っても良かったのだが、それだと説明が長くなりそうなのでドロテアは適当に話を作った。誰が『微生物を模写したら海蛇になった』事に関して、簡単に理由を述べられようか? 
「そうなんですか」
 言いながらヒルダはまだ海蛇を握っている。
「それは海蛇のベホルアマルデシャー、世界で一番の毒を持つ蛇だ」
「ほぉ〜と言う事は、倒れたアムルシアさんはポムロム君の毒に倒れた訳ですね」
 毒蛇と言う言葉に、全く動じる事はない。
 その姿にハイロニア国民は驚いたが、ヒルダは蛇を持つ時の基本に忠実に持っていたので、驚いて持ち直す必要性がなかっただけ。
 一応、蛇らしい……とは思っていたようだ。ならば、もう少し違和感を覚え、違う行動を取ったらどうだろうか?
「そうらしい。手当ても早かったから、死にはしないだろうが」
 脇で治療されているアムルシアを見下ろしつつ、ヒルダに声をかける。
「この国を守護していると伝説のある蛇が守ったのは、やはり海の女王の妹か」
「その海蛇、この国のシンボル。ハイロニア国王の王冠はソイツが飾ってるくらいだ。その守護伝説をもつ蛇に咬まれたんじゃあな、やっぱり海神を食おうとした罰かもな」
 まさか腰に海蛇をぶら下げているなどとは、ハイロニアの民ですら思うまい。
 ドロテアですら思っていなかったが。
「じゃあポムロム君は、川に放しちゃダメなんですね?」
 こうやって返してくるところを観ると、海蛇が何なのかは理解しているようだが、海蛇に対する恐怖か皆無のようだ。
「海蛇だから淡水に放したら死ぬ! レサトロアと共に海に返しに行く……何してるんだ?」
「ヘンな所咬んだみたいだから、お口を拭いてあげましょうと」
 ヒルダは首から提げているエトワールで、海蛇の牙を拭き始めた。
 毒蛇だ! と言われたことをすっかりと忘れているかの如き行動。
 それでもベホルアマルデシャーはまるでヒルダの『飼い蛇』であるかのように、大人しく牙を布で拭かれていた。そのポムロムと呼ばれた蛇の姿は『マズイモン噛んじまったなぁ』という哀愁を、背中全体に纏っているかのようであった。
蛇なので、見える範囲は全て背中と言えば背中なのだが。
「……いいけどな。おい! ロイン! あの男から毒を抜け!」
「抜いちゃうの?」
「死んだら処刑できねえだろ。じゃあな、ハミルカル。俺が戻ってきた時には、そのふ抜けた海賊を処分しておけよ! 生首晒されてるヤツを観るの待ってるぜ」

処刑するために完全回復。

「姉さんたら悪人ですねえ。そう思いませんかポムロム君」
 海蛇の牙を聖職者のシンボルの一つで拭いているヒルダは、普通に考えて罰当たり。

**********

『証拠の品』ことレサトロアは無事海に返され、
「感謝する」
 リヴァスから礼を受ける。夜の黒い水の中を暫くの間、ただ浮いていたレサトロアは少しずつ焦げていた体が本来のもの“らしい”色合いへと変化し始めた。
 人間と会話するのは、まだ能力的に足りないようだが、仲間同士、要するに神同士で人間には聞こえない声で話す事が程度には回復したようで、ロインが必死にリナードスの行方を聞いているようだった。
 身振りが大きいので、多分聞いてるんだろうな……と勝手にドロテア達は解釈しているのだが。
「ドロテア」
「場所は解ったか? ロイン」
「先ず最初に、ありがとうゴザイマスだそうであります」
 神の変な敬語を聞きつつ、
「別に。で、リナードスの居場所は?」
 リナードスとレサトロアが仲良く話しをしている途中に現れたアンセフォ。
 彼はリナードスに、海の果てに行こうと言い出したという。そこへ行けば……
「ずっと一緒に居られるとか言ってやがったらしい! 俺の妻返せ!」
 確かにどの神も気配を感じ取る事が出来ないでいる所から『ずっと一緒に居られる』という言葉は嘘ではなさそうだが、そんな場所が危険でない筈がない。
「海の果てな……あそこは地の果てと同じで、人間は魔法を使う事は出来ねえ筈だが、神もなのか?」
 地の果てはセンド・バシリア共和国に存在している、ドロテアとエルストの新婚旅行先だった場所。あの場所は魔法が使えないでも有名。
「全く使えないわけじゃないが、力が半分以下しか発揮できないような場所だ」
「……ふん。半分使えるなら問題はない。リヴァス、俺達をそこまで連れて行け! 嫌だとか言うなよ」
「あ、姉さん。ポムロム君返してきます」
「早く返してきやがれ!」
 海蛇が大きくなったようなリヴァスの頭に座って、ロインの力で風除けしつつ海の果てへと向った。
 海の果ては、位置的には大陸の反対側にある。大陸の反対側は海だけで、その海を南北から見れば横断するように切れているのが海の果てだ。
 この“切れ目”があるせいで、ネーセルト・バンダ王国は過疎が進んでいた。
 昔は、中継地点としてグレンガリア王国がありそれなりに交流もあったようだが、それが二百年近く前に滅んでから、中継地点のない大航海の先にある寂れた島国でしかなく、船もあまり立ち寄らなくなっていった。航海が長期化するので、よほど船の扱いに自信がある者でなければ立ち寄らない。
 今では定期便が出ているのはハイロニア群島王国からのみ。ハイロニアはそれを良い事に、ネーセルト・バンダの国費を吸い上げているらしいが、そんな事はドロテアの知ったところではない。
 今、最大の問題はこの切れ間の底。
「何でこんなに切れてるんだ」
 エルストの疑問は最もだが、
「さあな、作った奴に聞いてくれ。最も作った奴に一番近い奴でも、知らないらしいが」
「この隙間に飛び込むんですか」
 上空から亀裂を見下ろしつつヒルダが呟いた。
 轟音を立てて海水が落ちてゆく、だがその底は見えない。まさしく光も届かぬ、地の底に向って大量の海水と共に落下してゆく。水がどうやって戻ってきているか? など疑問は多数あるのだが、とにかく飛び込むのが先決。
「ロイン」
「何? ドロテア?」
「下敷きになれ」
 ドロテアは、風除けに使っていたロインを蹴り落とした。
「本当に力が上手く使えない場所らしいな」
「本当にアナタらしいわ、ドロテア」
 青と黒の狭間に落下していった紫色の神を見ながら、
「この高度じゃあ、ロインを下敷きにした所で、何の役にも立たないんじゃあ」
 エルストは呟いたが、
「まあな。気持ちだ」
 妻は先刻承知。ただ、叩き落しただけの事だったらしい。落下損だなあ……と思いつつも、それ以上は何も言うことはなかった。助けようがないので。
「それじゃあ行くとするか。てめえは戻ってろ、リヴァス」
 それだけ言うとドロテアは、足を踏み出して垂直に落下を開始。
 後に続いたのはヒルダ、頭から飛び込んでいった。
「行くとしますか、マリア」
「そうね」
 神も近寄らない場所に、躊躇いなしに飛び込んでいった人間達の姿をしばらく目で追った後、リヴァスは回復中の妻の元へと戻る事にする。
 本当は、妻も巻き添えになったのでアンセフォと一戦交えようと思っていたリヴァスだが、召喚者の命令は絶対。何となく自分から従った相手が、絶対的な気がしてならないので戻る事にした。
 恐らく命令を守らなかったら、自分があの召喚者と一戦交えるハメになると感じ取った為に。それは神の直感とも言うべき物であり、正しくもあった。
 神が神の直感を信じ、その場から撤収していた頃、ドロテア達は、
「深いですね!」
 まだ落下していた。
「だが、そろそろ見えてきそうだ。予想通りだな」
 ドロテアが左手を伸ばし、力を込める。
 周囲がその手甲と同じように光りだした。
「ここも、遺跡なの?」
 マリアが髪の毛を鬱陶しそうに掴みながら、周囲を見回す。
 あの遺跡でドロテアが良く見せた、光が周囲を取り囲んでいた。
「あのクラスの神が手出しできない場所となりゃ、古代遺跡関係しかないだろうとは思ったが。未発見の物があったとは、驚きだ」
 ドロテアの手甲から現れた、淡い紫色の光がドロテア以外の三人を包むと、周囲の海水の落下速度よりも格段に遅くなった。
「厄介な場所だぜ……」
 言いながらドロテアは『底』で、前面を強かに打ったらしいロインを発見した。
「リナードスを助けてくれるなら、何も言わないさ……どんな仕打ちだって耐えるさ……」
 哀れな神である。
 そんなロインの囁きなど一切無視し、ドロテアは周囲を見回す。
 壁の材質から、作ったのがオーヴァートの祖先である事はほぼ間違いない。それが何代目であるか? そこまでは調べられない……筈だった。
「ドロテア、ちょっと、ちょっと。こっち来てくれ」
 エルストに呼ばれ、ドロテアが向った先。そしてエルストが指差した先。
 エルストが指差した壁には、大きな幾何学模様が描かれていた。銀と蒼と赤と紫と金と白が細かすぎる幾何学模様を描いている、見ただけなら美しい模様だ。だがこれは
「こんな所にもあったのか……信じられねえ……」
 海の果ての底にあった遺跡は間違いなく『皇帝』が自ら建築したものである、それも、
「初代……かよ」
 初代皇帝のみが記した幾何学模様。記録には残っていない建築物。伝説に等しい、名も知る事が許されない『初代』
「道理でロインもリヴァスも気配を感じ取れない訳だ。まずいな……何をしていやがるんだアンセフォ」
 基本的な原理は同じ為、建物自体に明るさを持たせると四人と一神は建物の中を歩き始める。
「作った奴は捻くれてはいなかったようだな。基本構成がフェールセン城と同じだから、何かが居る痕跡がある方向は解かる。付いて来い」
 あんな曲者オーヴァートの祖先は、どうやらそれ程捻くれてはいなかったようだ。
 建築物から性格は推し量れないだろうが、少なくとも迷惑しなかった分、評価は良くしておいてもいいだろう。
「凄いよ! ドロテア! 俺は全く解からないから!」
そしてロイン、神様として情けないぞ。
水が内部で流れているような壁の音を聞きながら、四つ目の曲がり角を左に曲がり、五度壁に呪文を唱え消し、抜けて辿り着いた先で目的の神を見つけた。
「見つけたぞ! アンセフォ!」
「見つけたのは俺であって、お前じゃねえぜ? ロイン」
「この場くらい、そう叫ばせてあげれば? ドロテア。だってロイン、今まで良いとこ全然なかったでしょう」
「マリアさん、本当の事を言ってしまうと可哀相だと思います」
「いや、ヒルダが止めさしてると思うよ」
「俺もエルスト同様、そう思うぜ」


「!!!!!!!!!!!」


 先ずはその場にいる神に話しかけてやろうではないか、人間達。


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