ビルトニアの女
伝説の大寵妃再び【5】
 やり取りから海賊王バスラスとドロテアが知り合いであるのは誰でも解る。
 砂漠の民の特徴を完全に兼ね備えたドロテアと、多種多様な血が交じり合った海賊王。その姿は全く違うのだが、あまりにも似ていた。
「バスラス、船を出せ」
「ドロテア、今海にはリヴァスがいて船を沈めてて出せない」
 その二人の間に流れる空気は、はっきりと周囲を除外する。ともすれば、二人だけの世界を構築してしまうかのような雰囲気。周囲の喧騒も、埃っぽさを含んだ退廃も、絶望に満ちた不道徳も、二人の前ではそれら全てが簡単に除外されてしまうようようであった。
「んな事は知ってる。リヴァスに話があるんだよ俺は、上手くカタをつけてやるから出せよ船。何時までも陸で酒飲んで遊んでるのか? それとも陸の女遊びが楽しくて船出す気もなくなったか?」
「解った。大至急か?」
「当然だ。今すぐ出せ!」
「解った。全員を一時間で呼び集めろ! 遅れてきたヤツは置いていく!」
「了解しました、御頭!」
 走り去る部下達と共に海賊王は船へと向かった。
 “ついて来い”と言わず“案内しろ”とも命じずに、彼はただ背を向けて歩き出した。
「おい」
「なんすか?」
「てめえらじゃねえよ、ディオン! そろそろ斬り殺すのをやめて、こっちに来い!」
 今だ数人で人を切り殺していた赤毛の男が向きなおる。『命拾いしたな』その言葉に、殺されかけていた者は泣きながら声なく頷いた。
「バスラス様の命令すら聞かない事もあるディオンを一言で止めたぞ……」
 事情を知らない部下の海賊は、一斉にドロテアから距離を置いた。近付いてきたディオンに、エルストが鍵をはずした『売り物であった人』を選別してドロテアは引き渡す。
「船代だ。俺の見立てじゃ、こいつらは病気一つ持っちゃいねえよ」
「ありがたい。買ったは良いが体が弱かったり、病弱だったりしては使い物にならないからな。お前らの船で運べ」
 距離を置きつつ残っていた“事情を知らない海賊”達にディオンは命じる。そのディオンの姿を見ながら、ヒルダは首をしきりに傾げていた。
「……??」
「どうしたの? ヒルダ」
 体ごとかしげているヒルダにマリアが声をかけると、
「あのディオンって人、何処かで会った事があるような気がするんですが……海賊には会った事ない筈なんですが?」
 血で滴らせたままの幅広い剣を持っている海賊など、ヒルダは知らないはずだろう。
 周囲からほとんど人がいなくなった所で、ドロテアは彼らの目的を問う。
「ディオン。積荷は何だ?」
「薬だ」
 海賊が『クスリ』と口にすれば、大体は阿片などのトランス状態に陥る物を想像するだろう。それは間違ってはいないが、目の前にいる人を殺せるだけ殺すような男は、そのようなクスリには決して手を出さない。彼が口にした『クスリ』とは本当の『クスリ』である。
「間に合うのか?」
「捨てていっても構わんだろうな……手遅れだ。それでも運ぶらしい、保存が利かないのだからゴミになるだけなのだが」

 彼らが買い求めた薬は、最早不必要なものとなっていた。理由はリヴァス、原因は海賊王の配下。

 海賊王の船に乗り込む。外側の装甲は無骨なのだが一歩中に足を踏み入れると、そこは宮殿となんら変わりのない豪華さに満ちていた。
「本当に王様なんですね」
 一定の場所から壁や廊下や天井刺繍が施された布が貼り付けられ、一定感覚で魔法を道具化した照明器具が並べられている。出入り口の取手は金細工が施されており、扉も金や銀の透かし彫りが貼り付けられている。目に入る範囲の調度品は大理石で出来ており、どうみても『金が欲しくて船を襲う』などという海賊とは全く違う次元に生きているのが簡単にわかる。
「嘘ついてどうするんだよ」
 海賊王、または南海王とあだ名される海賊バスラス。その本名はハミルカルと言いヤロスラフの従弟でもあった。
 二人は顔も何処となく似ているが、雰囲気はそれ以上に似ていた。全身から感じられる空気が。
「本当にそっくりですね! 注意されてなければ驚いて声を上げたとおもいます」
 ハミルカルとヤロスラフが似ているのは、噂として流れている。その為、あの場でヒルダやマリアが驚いて「ヤロスラフ!」などと口にしてはいけないので、前もって教えていたのだ。ヒルダに取っては全く知らない相手だが、マリアには記憶があった。
「昔結婚式に行ったものね、アナタ」
 十年以上前に、ドロテアはそのハミルカルの結婚式に参列したのだ。何故それ程印象に残っているかといえば、その土産話にある。
 オーヴァートやヤロスラフと共に向かったドロテアが、一人遅れて帰ってきた。土産の品は豪華であったが土産話はもっと豪華であった。ハイロニア群島王国の独特な王、または王子の独特な結婚式に最初から最後まで付き合ったという話。何が豪華か? ハイロニアの王や王子は結婚式において妻以外の気に入った女と同衾できるのだ。
 一ヶ月間もの間、好きな女を選んで寝所にはべらせられるのだが、ハミルカルは当時の皇帝の寵妃・ドロテアに入れ上げ他の女には手を出さなかった。
「言った通りの下僕らしさだろ? マリア」
「そうね。話を聞いていたより、もっと下僕らしく感じられるけどね」
 現時点で『王個人の戦闘能力であれば文句なしに頂点に立つ』そう言われている王なのだが……此処では下僕にしか見てもらえないようだ。ちなみに『王』で比較しているのでエド法国の無敵天然法王と殲滅最高枢機卿は数に入っていない、あしからず。
 ただ、法国に関しては個人的な強さで太刀打ちする必要はないのだ、ハイロニア群島王国は。
「それとヒルダ、お前がしきりに見覚えが……って首捻ってた相手、ディオン。あれの本名はファルケス。大僧正ファルケスだ、それだったら知ってるだろ?」
「ああ! 知ってます。お顔は拝見した事はなかったんですが、お姿は拝見した事ありますが……」
 ヒルダの語尾が『……』になった理由、それはあの比類なく且あの容赦ない殺し振り。ヒルダが適切に表現するならば『気が乗っている姉のような殺しぶり』……妹にそう表現される姉も少し問題だろうが。それを聞いて、マリアも驚いた顔をして言葉を口にする。
「あの目付きの悪い海賊って聖職者なの? だって刃物……聖騎士じゃないのよね?」
 聖騎士ならば武器の使用も特例としてあるが……ディオンは先頭きって刀で人を切り裂いていた。それはもう、趣味の如く、遊ぶかの如く誰よりも斬り殺して歩いていた人物。逃げる背中にも刃を躊躇いなく振り下ろしていた男。
 戒律で刃物を持って人を傷つけてはいけない筈の聖職者、それも相当な高位のであるはずの人物がするような行為ではない。だが、それは事実だ。
「そうだ、マリア。大僧正ファルケス、かつてのヤロスラフのような聖騎士の資格はない。今までは兼ね合い上、枢機卿が選出されなかったが、今年あたり選ばれるんじゃないのか。ザンジバル派だしなアイツも」
「……海賊をしているって事、知ってるのかしら? エド法国側は」
「アレクスはどうか知らねえけど、セツは確実に知ってるだろ。むしろセツとハミルカルのパイプ役だからな。勿論ヤロスラフとハミルカルのパイプ役でもある」
 エド法国を盾にのし上がってきた、ハイロニア群島王国。その“現在”の動力とも言うべき人物こそディオンことファルケス。
「そうなんだ〜。ハイロニアの鮫ですもんね、ファルケス大僧正は」
「ハイロニアの鮫?」
「ディオンというよりはファルケスの呼び名。戦いとなれば女子供容赦なしに鱠斬りにしてる様からな。ハイロニアで一番好戦的な男だ」
「刃物良いの?」
「良くはネエが、死体が無けりゃ罪には問うことは出来ねえ。なにせ死体を鮫の餌にする、何せハイロニアの鮫。まあ、それでもセツよりは怖がられていないんだから、セツがどれ程の男か解るってモンだ」
 他人の評価で自身の冷酷さを引き上げる男・セツ。
 ちなみにエルストが会話に混じっていないのは、部屋にいないのではなく、船室に到着した時点で既に酔ってベッドでうつ伏せになっている為である。最高の船、最高の船室でも酔ってしまうものらしい。やたらと大きいベッドにうつ伏せになって既にダメな状態だ。もっとも酔っていなくとも色々な意味ダメな状態ではあるのだが。
「ファルケスは十年近く前には既に僧正だったが、セツとハーシルの対立関係からこの十一年間大僧正よりも上には階級が上がらなかった。だが武力部門の方では勢力を伸ばしたな。陸上戦力の花形・聖騎士とはまた別に海軍を作って、その責任者がファルケスさ。ヒルダが見た事があるのも当然だ、海軍の演習には付き合うから港町全てに寄航してたんだろ、ベルンチィアも当然立ち寄る、港町だからな。その際に立ち寄ったんだろ神学校に。……ベルンチィアの港も内部まで調べたに違いない。簡単に制圧されるぞベルンチィア」
「それが目的で海軍を?」
「多分な。勝手に他国の内部施設を見て回れるもんじゃないが、聖職者ってのが隠れ蓑になるからな。あと二十年もすりゃあハイロニアが最大勢力になるかもな」
 そこまで話していると、扉がノックされ開かれた。そこには衛兵よろしく立っている男が敬礼をして、
「出港します」
 出航を告げた。
「言わなくても見てりゃ解かる」
「失礼しました」
「普通の騎士ね」
「そりゃまあ、国王の乗る船だからな」

海賊王の船、それは最強の国を目指すハイロニア群島王国の国王が乗る船。

 前回、エド法国からベルンチィア公国に向かった際、乗りこんだ船とは比べ物にならない穏やかさで航行する船の、もっとも高価な調度品が揃っているといっても過言ではない部屋にドロテアとエルストはいた。ハミルカルは四部屋を用意してくれたのだが、二部屋で良いと二部屋を返した。
「少しばかり国王と会ってくる。帰ってこなくても気にするな」
「わかった……」
「何でこの船で酔えるんだよ、エルスト」
「酔うの得意だから」
 それだけ言って、ドロテアは部屋を出た。バスラスの部屋は何処だ? と海賊を装っている兵士に聞くと案内までしてくれる始末。手の一つも使わず開かれた扉の向こう側にいたのは、既に装束が『バスラス』ではなく『ハミルカル』となった男。
「話をしに来た」
 ドロテアは船を出せと言っただけで、具体的な事は何も言っていないので説明しにきたのだが、来訪を受けた方は殊更嬉しそうな表情を作り、出迎えた。
「待っていた、ドロテア」
「何を待ってたのかは知らねえが、俺は話をしに来た。この海の荒れ、リヴァスの行動は人間がある物体を隠した事にある」
 嬉しそうなハミルカルとは対照的にドロテアはそのままの表情で話始める。
「隠した? だと?」
「雷神リヴァスの妻、海神レサトロアが行方不明で、人間が絡んでいるらしい。リヴァスがハイロニア近海から離れない所を見ると、ハイロニア群島王国の人間が関わっていると見て間違いないだろう」
「何故海神を? 中位とは言えそう簡単に捕らえられるものではない。大体何の為に捕らえる必要がある?」 
「知らんが、ハイロニアの人間だとしたら国王も甘く見られたものだな。……あの積荷、無駄になるは目に見えている。お前が大陸に薬を取りに向かったのを知っていてレサトロアを監禁したのだとしたら?」
 室内に緊張が走る。ハミルカルは必要にかられて船を出したのに、それを阻害する動きをしたものが国内にいる。
「……殺してやる。俺を誰だと思っている!」
「それに恐らく権力があり、お前にも信頼されている人間だ。神を閉じ込めるのは遺跡が一番適している。それを預けているのは、お前がそれなりに信頼しているヤツだろうからな」
 ベルンチィアでもそうであったが、位が高い国の重要人物が管理責任者として任命され、その下に学者が配置される。
「犯人が誰だか知らないが、生きたまま内臓引き出してやる」
「それで聞くが、子供がかかるはやり病か?」
「ああ、そうだ」
 買い求めた薬草の種類から、それが『早くに処方しなければ意味がない』事をドロテアは察した。そして……多分もう間に合わない事も。
「生きていたら俺も手を尽くしてやろう」
「ありがたい」
 そう言ってドロテアに抱きついてくるハミルカルに、
「帰りの船代出せよ」
 それだけ言ってドロテアは黙っていた。ゆっくりと首筋に唇が触れても何ら動かずに。室内には他にも人がいるのだが、両者ともお構いなしだ。
「船ごとくれてやる」
「そんなモン必要ない……ハミルカル、ファルケスと仲良くやってるようだな、安心した」
「俺はつまらなかったがな、ドロテア。仲良いなあエルストと」
 抱きしめたまま離さないハミルカルに、目を半眼にして
「無茶言うなよ」
 笑いを込めて反論する。
「船酔いするような男の何処がいい?」
 彼等の基準では船酔いする男など、男ではないのだ。何せ産湯は温めた海水、歩くより先に泳ぐとまで言われている国だ。特にファルケスなど母親が海に潜って漁をしている時に生まれてしまったくらいだ。確かにそれは海に生きるハイロニアでも珍しい部類で『この子は大物になるよ!』誰もが口々に褒めた。確かに結果としてはハイロニアの重鎮となった訳だが。
「歩くより先に船に乗るヤツラが言うなよ。俺は部屋に戻る。後は任せたぜ、ラオディケ」
 首と背に回されていた手を払いのけドロテアは立ち上がる。
「何故私の名を?」
 その場にいた、栗毛色した髪と濃紺の瞳をした大人しげな女性に向き直らずに話しかけて部屋を立去った。
「ファルケスの妻ルクレイシア、海賊王の愛人ラオディケ。知らないはずねえだろ、じゃあな」

 ハイロニアは部下の妻を愛人とする、大陸から見たら変わった慣習が存在する。
 この慣習が他国の王女がハイロニア王に輿入れさせるのを躊躇わせるものなのだが、ハイロニアはこの慣習を変える気はないと公言している。他国からみれば常識外れの行為だが、その常識が正しいという証明は何処にもなかった。

 存在する船の中でもっとも早く揺れない船が、まるで嵐の海の木の葉のように揺れる海域に差し掛かったのは五日後の事。
 遠くに見える、雷の中にその姿を浮かばせているのが
「あれがリヴァスか」
 リヴァスだった。リヴァス自体に風を操る能力はないが、リヴァスが暴れる勢いで海上は暴風と化してしまっている。
「すごい暴れてるけど……大丈夫なの? ドロテア」
「シャフィニイの力の一片くらい見せれば一瞬は落ち着くさ」
 ドロテアは船から身を浮かせ離れると、シャフィニィを呼び出す前段階の、炎のヴェールを纏った。マリアのように魔法を全く使えない人間はそれが『凄い炎』くらいで済むのだが、魔法で国家を動かしている程の人間になれば、その恐ろしさに身をすくませる。それはリヴァスもしかり。
「動きが止まったな」
 ドロテアが炎を出した途端にその動きが止まった。それにドロテアは合図を出す。
「理由を聞いて来い! ロイン」
「解った」
「ロインって毒神ロインだろ」
「そうだ」
「何処で手に入れたんだよ、シャフィニイ」
「そこら辺」
 まさか山道で行き倒れていたとは言えない……二度もそれで神を拾ってしまったドロテアとして、口にしたくもなかった。少ししてロインが戻ってきた、
「レサトロアも行方不明?」
「そうらしい」
 神様があちらこちらで行方不明になっているらしい。ドロテアは溜め息を一つ付き、煙草を咥えて火をつけると指示を出す。
「詳しい話でも聞いてみるか、船を近寄らせろ」
 その指示に従って船は徐徐にリヴァスに近付いてゆく。
 リヴァスは一言で表すなら巨大は蛇のような姿をしている。鱗はないし髭が生えたり、鋭い爪がついている手があったりするので蛇とは全く違う姿なのだが、遠目で観る分にはやはり蛇としか言いようがない。何より此処までゆっくりと、観察するかのようにリヴァスを見る機会など、今までの人間には与えられなかっただろう。
 船が停止すると煙草を思いっきり吸い上げ、リヴァスにかけるようにドロテアは強く吐き出した。暫く両者睨み合った後、リヴァスが口を開いた。そこから聞こえてくる音は、マリアには雑音にしか聞こえなかった。
「****************」
(貴様何奴……ただの人ではないようだな)
「俺はドロテアだ。シャフィニイとちょっとした知り合いでロインを従えてる。で、デキの悪い召喚神が妻を見失ったって事で協力してるんだ。お前のレサトロアも行方不明なのか?」
「***************」
(そうだ、我妻レサトロアが連れ去られた)
「連れ去られたって……まさかアンセフォにか?」
「***********―――――***********///////**********」
(違う、連れ去ったのは人間だ。むろんレサトロアが人間に負けるわけはない、通常であれば。あのアンセフォがリナードスとレサトロアを焼き、リナードスだけを連れて逃げた、残ったレサトロアは海岸に打ち上げられでもしたのだろう)
「何て言ってるか解る? ヒルダ」
「えっと、何かアンセフォ神が焼肉を持ち逃げした? みたいですよ」
 何処をどう聞いて訳せばそう聞こえるのだ? ヒルダ。
「連れ去る前に、レサトロアを焼いたらしい。一応こう見えても魔法は得意なんでね、言語は習得してるさ。こう見えてもフレデリック三世の次くらいに頭は良いと自負してるな」
 解かる人には解かる、第一言語で会話をしているらしい。ドロテアの方は普通の喋り方ではあるが。
「ねえねえ、エルスト。フレデリック三世ってそんなに頭いいの?」
 出された固有名詞に、どこの国の国王かくらいは知っていたマリアだが、その国王が頭が良いかどうかまでは知らなかった。フレデリック三世はパーパピルス王国の国王である。
「王学府卒業者、成績は中ほどだったそうだよ。ドロテアと同じくらいかな」
「それは頭良いわね」
 マリアの中では王学府は『中程度』が『賢い』部類であり、『上位』は『迷惑な物体多数』としか認識されていない。最高に頭が良い男がオーヴァートでは、そう思われても仕方ないだろう。
「一国の支配者で王学府卒業者はフレデリック三世だけだよ、王学府の歴史の中でも」
「凄い人なのね」
 純粋にマリアは口にした。
「そりゃまあ……色々な意味で凄い人らしいよ」
「詳しいの? エルスト。珍しいわね」
 甲板に出てきているものの、既にダメな状態のエルストはマリアの肩に腕を乗せて寄りかかっていた。マリアの肩に触れるなど、エルスト以外には許してもらえない行為。
「一方的には詳しい方じゃないかな、ハイロニア王と同じく……多分マリアも知ってる筈だよ」
 またもや無精髭が伸びてきているその顔に、怪訝そうな表情を隠そうともしないでマリアは答える。
「私、知らないわよ?」
 そんな話をしていると、突如ドロテアの声が大きくなる。話が確信か何かに到達したのか? マリアとエルストが向き直ると
「待て! という事は……俺は見たことねえが、レサトロアはリナードスと同じ姿なのか?」
 探す相手の人相(神相?)やら体格やらを聞かされたらしい、レサトロアの。
「二人は姉妹。人間的に言えば双子かな、まったく同じ姿してるよ」
 ロインのその言葉に掌サイズのロインを右手で握り締め、自分の顔の前に持ってきて、美しさには文句のつけようがないが、凶悪犯も腰を抜かし失禁するかのような表情で
「何ぃ? そういう事は早く言え、このボケ! 余計な質問をさせるんじゃねえよ!」
 神を叱り付ける。
「ご、ゴメンよ! 急いでたから」
「リヴァス。ハイロニア群島の港付近まで来い。お前はそこで威嚇でも何でもしていろ、俺達が先ずはレサトロアを見つけ出す。俺達もレサトロアには聞かなきゃならない事があるんでな。ところでお前はレサトロアがアンセフォに倒される所を見たのか? お前が側に居たらアンセフォでも無理矢理襲ってきたりはしないだろうが」
「************・・********」
(その時私はいなかった。だが、此処に確かに残り香がある、そしてそれ程遠くに連れ去られていない事も解かる)
「いるのは、レサトロアだけなのか?」
「*****************」
(そうだ。リナードスもアンセフォも行方は解からん、まるで消え去ったかのようだ)
「心当たりがあるといえばあるし、無いといえばない。少し待てよリヴァス、人間がレサトロアを持っているなら人間の方が探しやすい。探し当ててみよう、その見返りは当然要求するが、構わないだろ」
「***************」
(それ相応の代価は払おう。シャフィニイを召喚神にしている者に言っても無駄かも知れぬが、召喚神となろうではないか)
「解かった」
 ドロテアは離れてこの船について来るようにリヴァスに言い、船を大急ぎでハイロニアに向けるように命じた。再び煙草を出して、一息ついた後
「先ずはマリアの疑問に思っている事に答えよう。何故リヴァスの言っている言葉が理解できないか? それはリヴァスと俺と契約していないからだ、俺だけじゃないリヴァスは誰とも契約していないから此方の言葉に変化されないの。人と契約している神とならば俺達の言葉で会話が出来る、実際はロインもあれと同じように喋っているんだが、俺を通してマリアたちには人語に聞こえるから普通に会話ができるんだ。実際俺は普通に人間の言葉で喋っていたけど、会話は成立している。ヤツラは俺達の言葉を簡単に理解できているのさ」
 因みにロインはまだ握り締められている。神なのでドロテアの最大の腕力で握った所でどうなる訳でもないのだが、偶に見下ろされる視線にロインは身を固める。妻が助かる前に、ロインがいかれてしまいそうだが、この場にロインを助けられる人はいない。というか、助けようと思う人がいないのが、ロイン最大の悲運だろう。
「なる程」
「ついでに言えば喋っていたのは第一言語というシロモノだ。で、リナードスとレサトロアは姉妹で体つきも殆ど同じらしい」
「川神リナードスって言えば、人魚姿で描かれてるよな」
 川にあれば畏敬の対象なのだが、海に来ると少々違う。
「川にはないが海にはある民間のバカ話がある。人魚の肉を食べれば病が全て癒え、長寿が授かり、精力が復活すると。人魚を食ってもレサトロアを食ってもそんな効果はあるはずもない。レサトロアはどうやらアンセフォに焼かれて干からびてしまったようだ。それを誰かが拾ってしまい込んでいるらしい」
 ドロテアは民間信仰に関しては言う気はない、国王であるハミルカルもその自由は許している。海に出る事が多いハイロニアの民は正式な信仰であるアレクサンドロス=エド以外にも、水神ドルタを奉じる。どちらかといえば、エド正教よりも水神信仰のほうが盛んだと言ってもいい。
「あれ程人魚は海に返せといっているのに」
「何で?」
「レサトロアの侍女は人魚だ、自分の姿に似せて作ったんだろう。レサトロアは人魚達を可愛がっているから、網にかかってしまって捕らえられたりした人魚を陸にあげて飼おうなどとするとレサトロアの怒りに触れて、海はたちまち大荒れとなる。海運ができなければハイロニア群島は干からびるだけだ」
 食糧の自給率が低いわけではないのだが、未だに大陸に買出しに行かなければならない製品もいくつかある、今回の薬のように土地柄上作れない物も存在する。
「誰かが拾って、高値で売りつけようとしているのかもしれないな……それにしても、ロイン」
「なに? ドロテア? 全部言ったよ? 何、何?」
 そんなにドロテアが怖いのか? ロイン。
「お前全然リナードスの気配を感じないんだろ? 最早仮死状態になっているレサトロアの気配ですら感じ取れるのに……アンセフォの気配も全く感じないんだな?」
「両方とも全く感じない」
「リヴァスとロインの目を欺ける程、アンセフォが強いとも思えないんだが……」
 ドロテアが此処に来る前の嫌な予感が徐徐に姿形を表し始めた。
 誰かが遺跡にレサトロアを監禁しているのではないか? 
 そしてそれとは又別の場所にリナードスを監禁しているのではないか? これ程の上位神達が全く気配を感じられない場所とは……思い当たる場所は、どれも思い浮かべたくはないような場所だった。

**********

 再び船酔いに轟沈したエルストを引張って部屋へと寝かせて、持ってこさせた軽食を口に運ぶ。
 軽食と言ってもそれは見事なものだ。焼きたてのパン一斤とパン切りナイフ、ご自由にお好きな厚さにお切り下さいという心遣いだ。もちろん、召使を呼び入れて切らせてもいい。杏、イチゴ、ブルーベリーのジャムと生クリームとチーズとバター。チーズとバターは両方とも五種類程、水は当然ながらレモンの輪切りと氷が入っている涼しげなクリスタルガラスの器に入り、器の外側に張り付いている水滴が冷たさを物語る。
 フィレ肉のカルパッチョは肉の状態は最高、航海最後の辺りでもっとも肉が美味しくなるように保存していたものだ。添えられている温野菜のサラダ、冷やしたトマトのたっぷりの砂糖添え。最初マリアは驚いていたが、ハイロニアではトマトは砂糖をつけて食べる、彼等の中ではトマトは果物に分類されている。

 ハイロニア人に温かい塩で味付けしたトマトスープを出すと心の底から驚く姿を見せてくれるので、機会があれば一度やってみては如何だろうか?

「同席しても良いか?」
 食事と一緒に現れた小ぶりのトマト一つに砂糖を大匙一杯かける国王・ハミルカル。
「ダメだって言ったらそこの扉開いて廊下に座るんだろ。まあ、俺はそれでも良いが、この船はお前の船だ。自由くらいは与えてやるぞ」
 全く甘いものを食べないヤロスラフに良く似た雰囲気を持つハミルカルの『トマトを食べているのですか? 砂糖を食べているのですか?』という動きに、若干マリアは固まった。固まる必要はないのだが、ハミルカルは一口食べては砂糖を『ザアァァァ』と音を立ててトマトにかけているのだ。
『魔法使いって甘いもの食べてすぐに力に変えるって言ってたけど……ドロテアの菫の砂糖漬けを食べている姿は許せても、この男のトマトの砂糖尽くしは……私、男の人嫌いだからかしら?』
 多分それは男嫌いとかそういう問題じゃないと……そうは思われるものの、言葉にはしなかったので誰も気づかなかった。
「遺跡管理を任せている奴でレサトロアを人魚と勘違いして保管しそうなのを……」
「リストアップしたものなら必要ない。余計な先入観はないほうが良い」
「了解した。ただな、穏便に済ませてほしい相手も僅かながらにいる」
「王妃か?」
「王妃だったら別に構いはしないが」
「少しは構えよ。性豪で知られるハイロニアのハミルカルが王妃との間に子供一人って、不仲だって言ってるようなもんだろうが」
「お前がそれ言うか? ドロテア。お前がいなかったら、不仲でも五、六人は生ませてるぞ」
 何とも形容しがたい、他人には秘密にしておくべきではないか? そんな会話しているのだが(それも自身の夫の隣で)その最中もトマトには砂糖がかけ続けられている。ついには足りなくなって扉を叩いて持ってくるように命じる始末。
「いやーそれにしても本当にマシューナル人は砂糖食べないな」
「料理に使ったり、果物に少しかける程度はするけれど……これ程かけたりはしないわ」
「海がない国は不思議だな」

砂糖と海の間に何の関係があるのだろう? ハイロニアの王よ


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