ビルトニアの女
赤い川は海に還りその花は散るのみだと【10】
 根本的に結界というのは、外側から無理やり外すと中にあるものが破損するような仕組みとなっている。これは結界を張られている“内側”が重要なものなので、外側を破られた際に内側の重要なものを相手に渡さないようにする為にそのような作用が働く。
 人であっても同じ事で、結界を張り外敵から身を守っている。その結界が破られた時、それは死かそれ以上の場面に遭遇するわけなのだから破れた瞬間に死んでしまったほうが楽だという訳だ。
 結界というのはそれほど大きく張る事が出来ないし、長時間張り続けることも出来ない。エド法国でアレクスやセツが結界を張っていなかったことでも解る。
 いや、多分二人とも結界自体は張る事ができただろうが、張れる結界の種類の問題上首都を結界で覆い被せなかった。結界は高度なものであれば、張っていても術者の意に沿って後から外側から入ってくる事を許可したり、内側から出てゆくのを許可する事も出来る。そして高度であればあるほど、術者にかかる負担が大きいのは当然だ。
 次に内側からは出てゆく事が出来るが、外側からは例え術者が中に入れたくとも入ってくる事ができない、またはその逆。
 そして最後に通常の“結界”として認識されている、一度張られると出る事も入る事もできないというのがある。最も高度な結界以外を街に張ると、日常生活がおくることが出来ない状態となる。だが、外敵の所在もわからない、対処方法もないまま高度な結界を張り続けることは不可能。施設結界のような手順を踏むものは、学者の協力が必要であって当然ながらエド法国ではこれも不可能。
 よってアレクスもセツも結界を張らなかったのだ。

さて、今イシリア教国に張られている結界の種類は?

「じゃあ外側ははそれ程厚いモンでもないようだな、二重結界か……厄介だなあ」
 イシリア教国に立ち入ることすらできないとアレクスに言われた為、調査に向かわせた学者達が帰ってきた報告は、目新しいものでもなんでもなく“確かに結界が張られています”だった。
 それでも無駄足ではなく、張られている結界が個々の能力的なものではなく、手順を踏んだ機械的なものである事は判明した。それはゼリウスが研究していた『施設結界』の類に属してもいるところから、ゼリウスが目を通したと思われる書籍を学者達が片っ端から調べている。
 外側の結界は施設結界だとわかったものの、あの時アレクスが空鏡で映したイシリアの首都を覆っていたモノとの若干違う事も報告からドロテアは推察した。勿論首都にかかっている結界も人がかけたものではなく、施設結界なのは間違いないのだが、ドチラにせよ厄介なのには変わりない。
「二重結界ってセツ枢機卿が張ってたモノね」
 二重結界と聞きマリアが、そういえばあの人も張ってたわよ、とドロテアに告げる。
「……あいつ、何時そんなモン張ってたんだ?」
「アナタがエルストと一緒に吸血城に入って行った後に襲われたときよ。向こう側からは入ってこられなくて、此方側からは出られるモノで、そして飛び立とうとしている外側にもう一つ」
「あの塔の先端全部にか?」
 吸血城の塔部分は場所が普通とは違い非常に張り辛く、ただの結界を張るのも難しいのだが、
「そうなんじゃないかしら? ねえヒルダ」
「そうでしたよ。それに私達が入っていた結界は当初は出られないものでしたが途中で組み替えなさりました」
 あの吸血城の上で普通にそんな事をやってのけられる人間は、そうそう居ないというか絶対に居ない。ドロテアは片手に煙草、片手で耳を小指で引掻き『おいおい』と言うような表情を作り
「人間じゃねえやつがそこにもいたなあ。セツみたいな力でゴルトバラガナだったら出来たかも知れねえけどな」
 溜め息交じりに一言呟いた。
「そーいえば姉さんはゴルトバラガナに知り合いがいるのですか?」
「いるよ」
「へぇー」
 姉の家でゴルトバラガナに関する書物を読んだ事のあるヒルダは、その言葉に釈然としないまでもなんとなく姉ならば“ありえる”なと頷いた。

 ゴルトバラガナは学者でも馴染みのないモノの一つである。術の一つだが、施設結界などを張るような類のものではないので、覚える必要がないからだ。
 邪術の中において外道中の外道とされる術で、それに手を出してモノにする事が出来る者は皆無に等しいし、それに手を出せる程の能力があればゴルトバラガナを使わなくても魔術で生きていくことが可能だから。
 要するに『何の為にゴルトバラガナがあるのか?』と問われれば、答えられるものはいないという事だ。そのゴルトバラガナに知り合いがいるというドロテアは相当な変わり者だが、皇代の研究の賜物であれば『不死の術』に限りなく近いゴルドバラガナにかかっている者がオーヴァートの側にいてもおかしくはなく、その筋で知り合った可能性が高い。
 というか、それ以外知り合う手段はないようなものなのだが。

*結界の種類は施設結界・魔鍵を主としたもので“死を与えるもの”が張っている結界は見当たらない
*魔鍵塔と呼ばれる結界を張る塔が、イシリア建国以前に製作されていた。製作者はブレンネル正統聖教徒
*向かうのは学者、警備隊、聖騎士、及びエルストとヒルダとマリア、あわせて八十二名

「まあそうだとは思ったけどよ」
 ドロテアは学者達と厄介な結界の種類をそう判断した。
 魔鍵塔なるものを製作したのが人間なのは大体推察がついていた、結界の張られる場所がそれを如実に表現していた。人が作った国境に沿って結界が張られる、となれば人間が作ったものである事はいうまでもない。“死を与えるもの”や、選帝侯次代の遺物が結界を張れば、人の作った国境線など全く無視して張るだろう。
 だが今回は国境線沿いだ、となれば人間が作ったものだと解かる。どれ程強力なものであっても、同じ人間が作ったものならば外せないわけはない。

「むしろ外してみせる。……バカが、結界なんぞ作ってなんになるんだよ。そういうモンがあるから戦争を続けたがるんだ」

魔鍵に関する記述のある本、医薬品に食糧、そしてある程度の水。
武器を調えてギュレネイスの警備隊はエドの聖騎士団を待った。

 白地に青と金と銀でエド正教の紋章を描いた旗を持った一行が到着したのは、アレクスから通信を受けてから二週間後のことだった。強行軍できた為、何人かは脱落したが第二陣と合流して首都に到着する予定である。
「来たか第一陣……ハッセム隊長ねえ。相当な主力じゃねえか、太っ腹なこった。それにイシリアのボンボンも来たのか。奴はホレイル貴族だからか? ゲオルグ=カルスオーネだったか」
 前に少しだけ話をしたことがある聖騎士団の面々の顔を見ながら、煙草を咥えていた。普通に考えれば、警備隊副隊長案内の元、最初に司祭に挨拶に向かうべきなのだが、壁に背を預け煙草の煙を睨んでいるような鋭い視線で考え事をしていたドロテアの姿を見つけたハッセム隊長が大急ぎで馬から降り、立派な貴族礼を施したのは今更言うまでもないというか何と言うか。
「早く司祭に挨拶して来い。コッチはもう準備は出来ているから急げ」
「解かりました」
 相変わらずだった。
「ねえねえヒルダ」
「なんですかマリアさん」
「エド法国聖騎士団の隊長さんって偉いんじゃないの?」
「偉いといえば偉いですが、私と同じ司祭格ですからねえ。猊下に命令口調の姉さんにとっては、因みに聖騎士団長は司教格ですよ」
「ヒルダと同じなわけね、隊長って」
「そうですよ」
 偉いような偉くないような、マリアの中でハッセム隊長は微妙な場所に置かれた。勿論司祭は偉いのだが、一緒にいる司祭が司祭なだけにそんな感情を持っても仕方ないのだろう。

**********

「移動呪文用の計算は出来ている。こいつは術をかけた方からでなくては閉じられないので、俺が残る。俺は遅れてくるエドの聖騎士達とともにイシリアに向かうから、それまでに最低でも外側の結界を外しておくように。外側から潰すと被害は甚大だからな。もっとも甚大なのは構わないんだが、その結界を潰した衝撃で第二、第三の厄介物が出てくると困るんで、頼んだぞ」
「責任重大ですねっ!」
 ヒルダは血色の良い顔と、唇で気合も十分と握り拳をつくり肘を引く
「嬉しそうじゃねえか、ヒルダ」
「はい。重要な仕事は大好きです。特に命がかかっていると高揚しますね!」
 『あーやっぱりあの人の妹だよ』と、行く前から胃が痛んでいる何人かの者達はヒルダの度胸と余裕に羨ましさを覚えていた。
「じゃあかける! アレクスに連絡を入れろ」
 せめて法王と言おうよ、ドロテアと思いつつエルストは肩に食い込むリュックサックのベルトを直していた。エルストが持っているのは殆どが菓子だ、ヒルダとマリアが食べる分の。あと、エルストの分の酒が僅かに入っている。
 甘い芳香が漂うリュックを奇異な眼で見ている学者達はまだドロテア達、いやエルストの真価を理解していないのだろう。理解する必要も全くないのだが。
 ドロテアと何人かの魔道師たちでゲートを開く。そのゲートの周りを取り囲む呪文を見てハッセムは不思議そうに問う
「でもこのゲート開錠だと目立つのでは?」
 ドロテアが使おうとしているゲートは到着側には相当な光と音を発するタイプだった。もっと秘密裏に到着できるゲートもあるはずなのに? とハッセムは思って聞いたのだが
「目立たないと意味ねえだろ。隠れている生きている奴らの目につかないと、共闘もなにも出来ねえだろうが」
「だが警戒して出てこなかったら?」
「そんな異変に目つぶって隠れているような奴らと手組んでも何も出来やしねえから、無視しておけ。殺してしまっても構わん」
相手が悪かった。そして
「そうですな」
ハッセムは頷く。そのやり取りをみながら
『ハッセム隊長って人、明らかにドロテアに毒されているような気が……』
マリアはそう思いながら、いずれ上司の上司くらいになるだろう相手を黙ってみつめていた。

 こうして総勢八十二名がドロテアの手によってギュレネイス皇国の首都からイシリア教国の首都へと時間と距離を短縮して移動することになる。

**********

 元々暗い雰囲気を纏った国ではあったが、此処までは暗くなかったドロテア達が訪れた時には。
 開かれた空間を駆け足で全員抜け、イシリア教国の首都ゴールフェンに降り立った時そこが首都であるなど殆どの人がわからないような有様だった。
 訪れたことのない者達は間違って廃墟にでも送り込まれたのか? と思った程の有様で前に一回訪れた事がある三人ですら、その変わりように目を丸くし息を呑む。建物はあちらこちら破壊され、どうやったて砕かれたのか? 石塀が大きな穴を開けて崩れている。そしてなにより
「うわっ! 死者だらけだ!」
 血の気のない、腐敗していると死体達がその肉を食む鳥の群れとともに徘徊しているその姿に、多くの者が恐怖を覚え背筋を冷や汗が伝う。
「まさしく死都だな」
 死者が跋扈している都市を言い表すのには相応しい言葉をエルストが口にしながらあたりを見回した。
「まず拠点となる場所を作ろり、その後生存者を探し状況を聞いた後、魔鍵を外しましょう」
「そうですな」
 ベルンチィア公国でもそうだったが、二つの国が各々の部隊を率いて一つの目的を達成するというのは結構気を使う。ただ勝てばよいと言うわけでもなく、相手の顔を立てつつ自分達が手柄を取らなければならないという高等にしてバカバカしい駆け引きが必要なのだ。
 そして彼らにとってもっと厄介なのはエルスト達だった。エルスト達は全くそんな事を意に介してはいないのだが、実際の所この第三の勢力とも言うべきエルスト、ヒルダそしてマリアに負けてもいけないし、だが勝ちすぎてもいけないというのがギュレネイス皇国警備隊とエド法国聖騎士団の悩み所でもある。ある程度役に立つところ見せて、尚且つあの女の機嫌を損ねないようにして来いとセツ最高枢機卿に直接命じられているハッセム隊長と、出来る限り大寵妃の夫達がいい気分で仕事ができるように裏方に徹しながらエド法国の聖騎士よりも手柄を収めよと司祭に直接命じられたクラウス隊長の苦労は、言う方は楽だが実行するほうは大変だという典型的な事例だろう。そしてまたこの三人に多大な神経を使わなくてはいけないのがギュレネイスの学者達。
 何か気分を害する事を言い、それをドロテアに言いつけられでもしたら彼等の首は飛ぶ。言葉ではなく、実際に。
 そんな皆様の気遣いなど全く気にせず辺りを見回していたヒルダは建物の陰に見え隠れする小さな女の子を見つけた、直ぐに記憶に繋がった少女に向かって手を振る
「あっ! あの子大丈夫だったんだ!」
 ゴールフェン近辺には珍しい色の濃い“濁ったような”と言い表される灰色の髪の毛をもった小柄な少女。
「クリシュナ、だったかしらね?」
 前にエルストの幻影に切りかかりドロテアに腕の骨を折られたエドウィンの家で養われている少女だ。クリシュナは何人かの大人たちと共に突如開いた移動用の門を確認しにきたのだ。向こうもエルスト達を見つけ驚いた顔を隠さずに駆け寄ってくる。
「皆さんどうやって!?」
 この言葉から内側からは逃げられない結界だ、というのが推察される。クリシュナ以外の大人たちはまだ警戒をとかない、それはそうだろう。敵国ギュレネイスの警備隊とフェールセン人にエド正教の聖騎士団が突如、死者の中に現れれば誰でも警戒する。
「この方達はエドウィン様のお知り合いで、決して怪しい方々ではありません」
 必死になってクリシュナが説明するが、そんな説明ではどうにもならないほど怪しいのも事実だった
「ゆっくりと説明したいけれど、ここで話していると死者に囲まれそうだね、一応俺達は助けに来たんで一緒にこの状況をどうにかしよう? で、首都で生き残っている人はどこにいるのかな?」
 どうしようか? と目配せしているイシリア騎士団の面々の言葉を待たないでクリシュナはマリアの手を引き
「此方へどうぞ!」
 喜色を隠さない表情で歩き出す。

「何でマリアさんなんでしょうね?」
「一番宗教色がないからじゃないか?」
 エルストの言葉にヒルダは周りを見回し納得した。
 もう一人、エルストは宗教色も少ないものの前に切りかかった相手の手を引けるほど厚顔ではなかったらしい。
 当然だろう、普通の感性をもった女の子なのだから。

 死者達をかわし、全員が生き残っている人々が守られている結界にたどり着く。その結界の内側から
「みなさん!」
「カッシーニも無事だったんだ」
 三人の姿をみてクリシュナ同様に安堵の表情に近い表情をつくり、カッシーニが結界から出てくる。
「出入り自由なんですね」
「この結界は教会にあった神聖な道具で作られているから、死者以外は出入り自由なんですよ」
「外部魔法ですか。で、急いで説明しましょう。この場合、エルスト義理兄さんが説明するのが一番良いとおもいますのでお願いします」
「え、俺?」
 ヒルダに説明役を渡されたエルストは、少し考えて口を開いた。
「エド法国が此処に向かうという連絡は受けていた?」
「はい、それは受けておりました」
 エド法国と交流したものの、それを悪用したハーシルの後片付けに向かうとエド法国側から受けていた事は騎士であるカッシーニでも知っていた。
「その後に本体がホレイル王国側から来ようとしたら結界に阻まれたんだそうだ。で、可笑しいと思ってギュレネイス皇国に連絡をいれたら、丁度そこに俺達がいて此処に来る原因になった。あのさ、話は前後するけれど三ヶ月前くらいに大聖堂のあたりから光が上空に上がらなかった?」
「ありましたが、それが何か?」
「それは古代遺跡が稼動している証拠なんだ」
「なんですって!」
「なじみが無いかも知れないけれど、対空砲というやつで他に遺跡が稼動すると攻撃する物なんだよ。勿論、きちんと手順を踏んで対空砲が動かないようにする事は可能だから、誰か手順を知らない人が勝手に遺跡を動かしているという事になって捜査が行われて、結果此処だと判明した。その捜査を行ったのがオーヴァート=フェールセンで、偶々ギュレネイスにいたのが俺達……むしろドロテアだったんでそのまま遺跡の制圧に向かえと言われた。でも遺跡自体は殆ど壊滅しているらしい。敵は遺跡をも食い荒らした虫“死を与えるもの”といって」
「あの、ちょっと待ってください? どうしてそのような虫が?」
 立て板に水というか、スラスラと澱みなくそして随分と危険な事を言い続けるエルストの言葉をカッシーニは遮った。周りで聞いている者達も、何を言われているのか全く理解できない有様だ。だが、聞き返すよりは話を進めなくてはならない。それほど時間は無いのだから。
「なんでもこの地をゴールフェン選帝侯から借り受ける際に選帝侯が“攻撃用の遺跡が此処にあるが使うことは許可しない”と教えたんだそうだ、当時の偉い人達に……多分エドウィンの祖先とかも混じっているはずだけど。で、もしも使った際に彼等に災いが降りかかるようにその遺跡を食い荒らす虫をその上に設置しておいたんだってさ、氷漬けで。これは、当然彼等には内緒だろうね、何せ稼動させて撃たない限りは溶けないようにしてだからさ。それが目覚めてしまったんだから遺跡を契約……とでも言えばいいのかなあ、それを破ってしまったわけだ」
「一体誰……シュタードル?」
 カッシーニが、間違いなく自分よりも偉いだろう相手を敬称抜きで呼ぶ。その表情には侮蔑以外は含まれていない。
「多分そうだと思う。どうもギュレネイス人と共に此処の魔鍵塔なるものを稼動させたような……」
「あの、屑がっ!」
「押さえて押さえて、カッシーニ。怒るのは後にして、エドウィン達に掛けられている邪術なんだが、ドロテアの見立てでは“最高処刑”だそうだ。痛みも空腹もある、生前の記憶も確りと残っているんだそうだ」
 怒気を浮かべていた顔が、波が引くかの如く不安なものに変わる。
「それは! 早くお助けしなければ!」
 今にも走りだしそうなカッシーニを抑えつつ辺りを見ると、ヒルダはクリシュナを、マリアはイシリアの女性聖騎士を必死に抑えていた。シュタードルは人望は皆無だが、エドウィンの人望は人々を死者の群れの中を走らせる程のものがあるらしい。
「まあまあ。確かに真っ先に吊るされている高僧救出と行くけどいいか?」
 というか、この状況で別のことをしていたらイシリア聖騎士団との連携をとることが出来ない。それに、此処に居る生き残った者達よりも、意識も記憶も確りしている死者の意見が必要だった。
「勿論だ。そういえば何か留意する点はあるのか、エルスト」
 事アンデッドに関してはエルストの知識は膨大なものだ。エルストの知識が膨大なのではなく、とにかく死者の中を歩き回った結果なのだが……それは置いておいて
「怪我をしたら一大事だし治しようがないからな。ロープを切って確実に着地させてやらなけりゃならない。飛行が出来るのは何人いる?」
「一応私と部下合わせて二十五名は使える」
「聖騎士は?」
「三十名程」
「俺も自力で飛べるだろう……一気に助けるとなると。確か吊るされているのは五十七人だよな……ぴったりって訳か。確かに余剰の人員は送り込めなかっただろうけれど、ちょっとキツイな」
 人間を距離を縮めて移動させるのには手間がかかる。魔法の元となる元素世界は根本的に質量は零にして無限。最も得意するその元素世界に圧縮をかける、それも人々が通ることができる程度で、尚且つ距離が最大限に縮むように……などと今、説明している場合ではない。
 今最大の懸案は、どうもこの通常のアンデッド達は一つだけ違う点があるらしい。それは死人返しが効かないという。
「致命的じゃないの?」
「そうだなあ……」
 結界から出られないとはいえ、聖職者の国でアンデッドが跋扈していれば死人返しの一つもかける事に違いないが……それが効かないとは。
「ですが、聖なる武器などで攻撃する場合は効きます」
「あの数を一つ一つ倒すのかぁ……」
「でも根本的に死人返しが効かないのですから……でもそれ以外は普通の死者ですよねえ」
 とにかく死人返しが使えないとなると、
「囮を何人か使おう」
 集まってくるだろう死者の群れを分散させる為には囮が必要なのだが、
「かなり危険だぞクラウス」
 当然危険だ。
「仕方ないだろう」
 隊長としてはそう命令するしかない。この場合何が問題で囮が必要なのかというと、二人で飛ぶことが出来ないことが問題なのだ。自分一人が飛び上がり人を助ける、その人を抱えて安全な高度を保ったまま飛行し逃げる。それはかなりの魔力の消耗と高度な呪文が必要なのだが、そうそう出来るモノではない。
「私が着地地点で結界を張りますから。皆さん一度結界の上に降りてください。その際、ゴルトバラガナ邪術をかけられている人は外に置いてください。彼等には歩いて戻ってきてもらいましょう」
「ヒルダは防御が得意だな」
「本当は飛ぶのも得意なんですけど、助けてる最中に飛び道具で撃たれたら嫌ですから、下で結界をはります」
 なにか物騒にしてエライ事を言っているのだが、あまり気にしてはいけない。
 そして殆ど忘れられているかも知れないが、ヒルダは基本的に優秀だ、神学校の成績においてだが。学校の成績が世の中で通用しないというのは良くあるが、それ程ヒドイわけでもない。目も当てられない程の者を金で成績優秀者として大量に毎年輩出していては神学校の価値が下落してしまう。
 それを阻止するためにも、ある程度優秀な学生に正当な評価を与えなくてはならない。そしてある程度優秀な学生を育てなくてもいけない。ヒルダは寄付と姉がいるせいで、それ程正当な評価は受けてはいないが実力的にはまず問題ない優秀な生徒であり、卒業後もそれはそれは厳しい魔道の先生のお陰で聖職者らしからぬ魔法を使用できるまでに至っていた。
「じゃあ我々は結界の中で? そうすると囲まれるが?」
「皆さんには再び呪文で飛んで逃げていただきます。その後皆さんが逃げたら私も逃げますから。大丈夫ですよ、だって歩いているのは普通のアンデッドですから。こう見えても、対アンデッド呪文は成績優秀だった上に実地訓練もバッチリです」
 成績優秀は誰でも理解できるが“実地”は中々理解できない。
「じ……実地?」
 思わず聞き返してしまったクラウスに、背後から肩に手を置き頭を否定方向に振りつつ
「あまり聞くなクラウス。聞いちゃならない事もあるんだ。言ってしまえばドロテアは稀代の邪術師だ」
 あっさりとエルストは種明かしした。ヒルダはドロテアが仕掛けた普通以上のアンデッド相手に魔法の生成技術を向上させていた、勿論見付かれば軽犯罪などではなく立派な犯罪だが証拠さえ掴まれなければどうとでもなる。
「わかった。聞かないでおく」
 自分の肩に乗せられた手の方向に向き直りながら、クラウスはそれ以上疑問を口にしなかった。本来ならば捕らえる為に必死にならなくてはいけないところだが、相手が相手だしエルストやヒルダがこうも簡単に喋っている所から証拠など全くない事くらいは解かる。証拠など一片たりとも残さないだろうドロテアの姿を脳裏に浮かべて少し困ったような表情を浮かべたが顔色が非常に悪かった。
「それにしても顔色が悪いが……アンデッドの中に昔馴染みでも見つけたのか?」
「ああ、結構いたな。私もあの方には二度ほどお世話になったことがある。まさかこんな形で再会するとは思ってもみなかった」
そういいながら、クラウスが指を指した向こうにいるのは
「エドウィンか」

**********

何一つ持たないで出かけた
気に入っていた絵本や遊び道具
仲良しだった友達にも一言も言えないまま
自分が別の国に逃げているのだという意識もなく
寒いから、お腹が空いたから家に帰ろうと言って親に叱られて
私は別に逃げたくはなかったのに
勝手に逃げたのだ
置いていってくれても良かった
こんな人生を歩むくらいならば

「クラウス! なあ! 私は悪くは無いんだ! 悪いのは弟だけで、私は何も知らなかったんだ!」
「申し訳ありませんね“前”隊長殿」

首を抱きこみ胸元で骨を折る
心臓にまで確りと届く死の音に
具合が悪くなり咳き込んだ
咳き込みすぎて吐きそうになったが
他人の目があったので我慢した

ゴールフェン人で出世するというのはそういうことだった

家に戻り、吐こうとしたが
何も出てこなかった
声すら出てこなかった

帰りたかった
もう何もないだろうが
気に入っていた絵本や遊び道具
仲良しだった友達にも一言も言えないまま

だが私は友人に対していつも別れの言葉を言えないままだ
「頑張って出世しろよ」
といって去っていたエルストの後姿にも

そして何も言わないまま二十年近く前に立去ってった少年も
あの友達は
エウチカはどこかで幸せになったのだろうか?

エウチカの代わりに人を殺すから

幸せになっていれば良いな

そんな風に思い込みながら
人を殺す
多分、無実の人を

**********

 ヒルダ達はまず始めに救出に向かう意志をエドウィン達に伝えるべく出かけた。見える場所に来てヒルダが空に向け、死者達に向けてピースサインを出すと、エドウィンは困ったように笑った。
 普通アンデッドは笑わない、だが吊るされて一ヶ月近く経っている。と言う事はアンデッド化しているのは間違いなかった。
 次にヒルダは親指を立て、頷く。
 エドウィンは益々困った顔をしたが頷いた。
「よし、通じました!」
「本当なのかっ!」
 クラウスの言葉は最もだろうが、ヒルダは自信満々で。
「さあ、戻って今度は大人数出来ましょうね!」
 そう言いながら、皆が待つ結界へと戻っていた。
「本当に?」
「大丈夫じゃないかしらね」
 問いただしようがないし、確かめようもないがこの場を立去るしかないのも事実だ。とにかくクラウス達は吊るされているイシリア教の高僧達と一応の意志の疎通が成立した……らしい。
 エドウィンが隣で吊るされている人に何かを話しかけ、それをまた伝えるような素振りを見せているところから、何かは伝わったのだろう。その何かが重要だったりもするのだが……。アンデッドの集団を避けつつもいつでも攻撃できるような魔法を杖の先端に待機させながら歩くヒルダは、マリアを見上げながら本当に困ったような表情を浮かべて口を開いた。
「それにしても本当に知性が残ったままですね。厄介ですねえ」
 あれで知性の有無がわかるのか? とドロテアなどには殴られそうだが、ヒルダとしては最大限の努力(?)をして相手の知性を探ったのだ。笑えるかどうか? それは知性に最も関係することだとヒルダは思っている。人間以外は笑わないのだから、人間でなくなってしまえば笑う事はない。
「どうして?」
「お腹は空くんですけれど、物は食べられません。死んでいるというのは新たな食事などをすることが出来ないので、空腹を感じているのならばそのままずっと……」
「性格悪い邪術ね」
「そーですね。でもゴルトバラガナ邪術はそうそうかけられるものではありません」
「ヒルダでも知ってるの?」
「姉さんが口にするまでは、思い出しもしませんでした。そういうのが存在している、とだけは書物で知っていたのですが目の当たりにするとは。姉さんでも出来ませんしねこの術は」
「凄い難しいの?」
「難しいのもありますが、聞いた所によるとかけられるのはゴルトバラガナ邪術にかかっているものだけが使うことが出来る禁断の術。要するに死者だけが使える邪術なのだそうです」
「……な、なんの為にかしら?」
「さあ? それにコレには一つの大きな矛盾がありました。それは“最初に使ったのが死者でなくてはいけない”という事。アンデッド化は大体著しく人間の能力を劣化させ、生前の能力の三分の一程度しか使えません。勿論、思考能力も。そんな死者が最高にして最悪の邪術を作り上げるというのは不可能……なんですが、あの時姉さんがゴールフェン選帝侯閣下と話しているのを聞くとどうもゴルトバラガナ邪術自体、皇統時代に研究されたようですが……皇統時代に研究されたものであれば、我々には到底理解できませんね」
「そうね。……そういえば、ゴルトバラガナの紫の文様とフェールセン城に入るときドロテアが出した紋章って似てたわね」
「言われてみればそうですね……あれ? そういえば……」
「どうしたのヒルダ?」
「いえ……なんでもありません」

『死者しか使うことの出来ない邪術を生成したのが皇統フェールセンだということは……皇統フェールセンっていうのは死んでる……ってこと? ま、まさか……でも。それとも人間はアンデッドとなると皇統に近付くとでも……そして、確かに似てた、あの城の門を開く際の紋と顔に組み込まれてい……あっ……ゴルトバラガナ文様ってあの時、姉さんがイローヌで施設を無効化した時に使った印に。ちょっと待ってよ……ええ?』

「大丈夫、ヒルダ」
「大丈夫ですよ、マリアさん。さぁてと準備しますか!」

 街中を歩いている死者達には黒い凶事を思わせる羽を持つ鳥が付きまとい、声を上げながらその歩いている死者を啄ばんでいた。
 例え死者が墓から起き出し歩き、人を襲っていたとしても食物連鎖として問題はない。
 それは蘇った死者の腐肉に虫が湧き、そして鳥が啄ばんでいる姿からそういわれる。死者は歩いていようが何をしていようが、自然界では死んでいるものとされ肉を食われ食した者達は地に還り、大地はなんの変わりもなく彼らを迎え入れ、そして木は実をつけるのだ。大人しく墓の中で人目に触れずに朽ちてゆくか、歩いておぞましい姿を人々に見せるか? その程度の違いだ。
 彼等が動き、人を襲うのは人にとって脅威であるだけであって、自然の摂理には反しているかも知れないが食物連鎖の中では大して重要な問題ではないのかもしれない。
 だが、ゴルトバラガナ邪術は食物連鎖にも反する。彼らの死体は虫も食まず、鳥も啄ばまず、魚も口にしない、それが彼等を見極める重要な点ではあるのだが。
 吊るされている者達の周りには鳥すらいない。聞こえてくるのは彼らの悲痛な叫び声だけ。

 その死者達を助けに向かう。死者を助けに向かうというのも中々に滑稽な話だが、彼等は真剣であった。
「では、行きますか」
「はぁーい」
 ヒルダとエルストは別に真剣ではないらしい。
「じゃあ行ってらっしゃい」
 マリアは魔法が全く使えないのでクリシュナや他の聖騎士団の面々と共に結界の中に残ることになった。マリアとしてはヒルダを援護したいと言ったものの、エドウィンなどの高僧を助けに行くのには自分達も連れて行って欲しいと申し出てきたイシリア騎士団の頼みをクラウスが受けた。その為結界付近の警備が薄くなるので、残って警戒する方に回ったのだ。

 上空を旋回する鳥達を避けつつ、大教会の前に現れている魔鍵塔をも避けつつ、吊るされているエドウィン達の元に辿り付いたのだが、どうもアンデッド達の独特の嗅覚で此方は既に見つかってしまったようで、鳥の群れと死者の唸り声の混じった禍声が近付いてきていた。
「とっとと連れて逃げるか」
「余裕だな、エルスト」
「この程度の死者の群れくらい慣れてるしな」
「もう、それ以上言わなくていい」
「だが、意外と使えると便利だぞ」
「何の話だ」
「嫌かも知れないが使える奴を部下にしておくと人殺しなんかの捜査は格段に楽になるぞ。ドロテアが捜査上手だったのは、行動範囲内にある死体を隠せる場所に出向いてアンデッド化の魔法をかけるんだよ。そうすると、殺された死体が蘇ってくるって寸法。そのまま歩かせて死体置き場まで持ってきて、そこから捜査が始まるってのが手順だった。当然上も黙認、上が黙認してくれれば結構やるんじゃないかな」
「私は、そんなのを許可する気は無い」
「そうだろな。じゃあ始めようか」
真面目さが多く残っている友人で、上司でもあった男の肩を軽く叩くとヒルダに合図を送りエルストは飛び上がった。
「相変わらず逃げる呪文の生成は早いですねえ、エルスト義理兄さんは。やっぱり姉さんから逃げる為にはあのくらいの速さが必要なんでしょうねぇ」

それは褒めているのか? ヒルダ。

 とにかくエルストに遅れをとるまいと、そして何より迫ってきたアンデッドの群をかわす為にも彼らは飛び上がった。

「無事じゃなくて残念だけど、久しぶり」
エドウィンの側に来たエルストは軽く笑ってナイフを手に縄を切ろうとする。
「エルスト殿、お久しぶりです。今回も面倒事に巻き込んでしまって申し訳ない」
 死者特有の死臭はまったくないのだが、その体は冷たい。だが氷のように冷たいわけでもない。外気温と同じ程度の温度は保っているその体を確りと抱えて
「いいよ。コレが最後だろからさ」
「ええ」
 ヒルダの指示通り、揚力を失いつつ安全な速度で結界の上に降りたエルストはエドウィンに結界の外に下りるように指差す。結界から中に入り失速した飛行魔法の呪文を再び紡ぎなおすとエルストはヒルダの結界の上に飛び上がった。ヒルダは一人で大丈夫だと言ったが、エルストがヒルダを置いていくわけには行かない。
 何せ妻の妹なのだから。
「エドウィンさん」
「なんですか? ヒルダさん」
「クリシュナもカッシーニさんも無事ですよ」
 エドウィンは微笑んだが、表情が豊かな死者というのはこれほどまでに悲しい生き物だとはヒルダでも思わなかった。

やはり死んでいる者は死んだ方が良いのだろう

 五人くらいが縄を鑢で切った際(刃物が使えないので)相手の重みに耐え切れず結界に落下して負傷した者をヒルダが治療し、結界の上でオロオロしている救出された高僧に下からエドウィンが声を掛けて恐る恐る結界から降りたり、群がってくる死者をカッシーニなどのイシリア教の聖騎士団が容赦なく薙いだりと、作戦としては上出来な部類で全員が無事撤退を果たした。
 結界の近くまで来たのだが、此処で一つ問題が発生した、
「エドウィン様達を何処に」
「何処にって?」
「我々が張っている結界の中には入る事はできませんので」
 死者という程死者でもないが、死者であるのは確実という非常に曖昧な場所にいるエドウィン達は“生きている者”しか立ち入ることの出来ないこの結界に入るのは不可能だった。だが、意識も記憶も確りしているので死者達の群れに混じるのも非常に辛い。それを聞きヒルダが
「じゃあ、死者結界でも張りましょう」
「死者結界?」
「正確に言えば『墓守結界』。墓を荒らされたくない人が張る結界でして、普通は盗難防止の為に張られるんですが、他にも“アンデッド化しても外に出て行かないように”や“恨みを抱いて死んだコイツがよみがえって来ると面倒だ、二度と此処からでてくるなよ!”など等。要するに死者を守る結界として使える数少ない魔法です」
 その説明では死者を守っていないような気もするのだが?
「へえ、そんなのあるんだ」
「あるのですか」
 エドウィンすら驚いたような表情でヒルダの言葉に眼を見張る。
「ほら、お墓に宝の地図とか隠してみたり、必要もなく高価な埋葬品を棺に入れたりするじゃないですか。で、没落とかするとその家の墓まで暴いて金回収するんですよね。その時厄介なんですよその結界。それの兼ね合いで覚えました」
 エルストは笑いながら一言
「リアルだねえ……」
 としか言いようがない。
「姉さんだったらその結界を突き破って死者をよみがえらせますよ」
 自慢げに語っているがその内容は怖いの一言に尽きる。
「うん、死んだ人間より生きている人間の方が怖いってのは、まさに間違いないなあ」
 死者の結界をも暴いて金を回収、まあ金貸しの基本原理……いや人間の基本的な思考回路なのかもしれないのだが。目の前に無害なアンデッドが居る分、その怖さは五割り増しだ。
「もちろんですよ」
「さすがドロテアの妹ね」
「そうとしか言いようがないな」

ヒルデガルド=ベル=ランシェ
この地上に実の姉が居なければ最も怖ろしい女になるに違いない女
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