ビルトニアの女
カタカタと語られる夜【3】
 ザイツの愛馬、プレシーダは落石に直撃されて瀕死の重傷だった。泣きながらプレシーダの首を抱いているザイツと冷静に魔法を唱えるヒルダ。瀕死の重傷であったが、ザイツの必死の呼びかけが効いているらしくヒルダの魔法のかかりも良い。
 病は気からと同じで、怪我も“治る!”と思わないと中々治らないものなのだ。もしもザイツを警戒して、ヒルダ一人でこの場所にいてプレシーダに回復魔法をかけたとしても、こうは治らないだろう。動物は人よりも治療が面倒な事が多い。
 何度か魔法をかけ、外傷を治しきったヒルダの指示でザイツがプレシーダを立ち上がらせる。立ち上がり、ザイツに懐くプレシーダだが
「う〜ん、今日の仕事は諦めたほうがいいと思いますよ。動物は人間と違って、外傷性の衝撃に弱いんで」
 長距離をかけるのは、到底無理であった。ザイツも
「もちろんです! 仕事も大事ですが、プレシーダはそれ以上に大切ですから!」
 よほど馬が好きらしい。
「首都に戻るんでしたら私と同じ方角ですね、ちょっとお金はかかりますが姉から薬草を買うというのも手ですよ。ショック状態に効く薬もあるはずですから。それにしてもザイツさんは怪我してないんですか?」
 馬の状況からいけば、ザイツも大けがをしていてもおかしくない状態なのだが
「いや、その、俺は……あれ? ちょっと痛いかな」
「ドコが痛みます?」
 調べた結果、ザイツは肋骨を骨折していた。
「よっぽどプレシーダが大切なんですね」
 ヒルダは笑いながらザイツを治し、ザイツは真っ赤になって俯いていた。そして再びヒルダを馬上に座らせ自分も馬車の馬に乗りプレシーダとヒルダの乗馬を引いて道を戻った。

**********

「ドロテア、ヒルダが戻ってきたぞ」
 姉に“抜けている”と言われるヒルダに突っ込まれたザイツの両者が、ゆっくりと戻ってきた頃には既に車軸も取り替えられていた。
 車軸を取り替えた娘はイリーナといい、ザイツの双子の姉だと名乗った。早馬屋の娘、息子で二人とも幼い頃から馬とともに育った。女性の就業を殆んど認めていないギュレネイス皇国だが、若干の例外がある。
 それが双子の片方が“男”でもう片方が“女”であった場合“女”は家業のみ就業できるのだ。
 早馬を扱う家に生まれたイリーナはその法律にあてはまっている為に、両親が二人に馬を扱う技を教え込んだのだという。いずれイリーナが皇国で不自由を感じて、別の国で働いていけるようにと。それゆえ、イリーナは馬の蹄打ちから御者の仕事まで何でもできるのだそうだ。実際他国では女の御者などは重宝される、心遣いが行き届いているという事で。イリーナは実際車軸を変える際も、なんら苦労なく変えていた。力のいる作業も苦にならないそうである。
「ただいま〜」
 ノンビリと戻ってきた二人に、ドロテアは手を挙げて応える。
「本当に有り難う御座いました」
 地に頭が着くかのように礼を述べるザイツに
「ザイツ! 良かった!」
「イリーナ、どうしたんだよ! 今の時期は一人で出かけると危ないだろ!」
「もう思いっきり危なかったんだけど……。あんたに連絡があったのよ、ボルグートの手紙キャンセルだって」
「良かった、プレシーダが大怪我したからどうしようかと思ってたんだ」
 二人の顔は殆んど違うが、身振り手振りは殆んど同じでドロテアは笑いながら二人の会話を見ながら、ヒルダからザイツの怪我の状況を聞いた。
「……双子ってのは仲良く死ぬ生き物なのか」
 もしもこの場でドロテア達の馬車が壊れなければ、間違いなく二人とも死亡していただろう。
「運命っていうのかね」
「さあな、エルスト」
 運命神がいるのならば、取り敢えずこの二人を殺したくないとドロテアを遣わせた事になる。神様ももう少し穏やかな救いの手を伸べたほうが色々と良いのではないだろうか? なにもこんな苛烈な救いの手を派遣せんでも……
 イリーナがザイツに馬を入手した経路を話し、連れ帰り当面の飼育費用を二人の貯金から出す事を話し合っていると
「どうでもいいけど、雲行きが怪しくなってきたな、ドロテア」
 エルストが空を気にし始めた。
「ああ、一雨くるか……」
「雨宿りにあの邸に避難したら? 軒下くらい貸してくれるでしょうから」
「あ、あの邸は幽霊邸です!!」
 ザイツとイリーナが声を合わせて、なんとも胡乱な事を口走った。
「幽霊邸?」
 エルストが聞き返す。どうもエルストも初耳だったようだ
「はい、何十年も前に住んでいた邸の女主とその召使多数が一夜にして全て消え去って、それ以後、邸は見えたり見えなかったりしながら、立ち入ったものを離さないって!」
 ドロテアに言わせれば欠落だらけの作り話だが、作り話というのは欠落が多いほど怖さを増すものでもある。
 大体、一夜にして召使達や家主が全員消えたと“全員が消えてしまった”のに何故わかる? 全員が一度に消えた場合、どうやってそれを確認する? そして立ち入った者が帰ってこないならば、捜索願の一つでも出せばよかろう、捜索願も出さないでそんな事を言っているとなると、ソイツが消えてくれて嬉しいと思っているか、盗みに入った後ろ暗いヤツらなのだろう。盗みを生業にしているヤツが消えたとなれば、今度は警備隊もムシはしないはずだ……など等。
 およそ怪談話から縁遠いドロテアは、屋根の長さや屋敷の色彩などを見て顎に秀麗な指を添えて
「おい、エルスト。そんな話聞いた事あるか? 何十年も前っても、あの建物から察して五十年以上前って事はねえ。精々二十年がいいとこだ」
 建築物には流行り廃りがあるうえに、使われる材質にも特徴があり、直に判別がつくものだ。特に遺跡関係の仕事をしていれば即座に判断がつく。ドロテアに話しをふられたエルストが屋敷を眺めながら
「俺が生まれた頃に、北のほうにある小さな村が一晩で消滅したって噂、子供の頃に聞いたバルトの神隠しってヤツそれだけだ、この邸の噂は全然。それに全部消えたってのは、ネーセルト・バンダ王国の怪異だろ?それに俺が仕事をしていた際に一族郎党皆殺しなんて一回しか聞いた事はないな。一家惨殺ならまあ、それなりにあったけど」
 エルストが思い出した二つの事件は、三十年近く昔の話である。前者はドロテアも知らない小話だが、後者はドロテアも知っている有名な事件だ。そしてそれなりに一家惨殺があったという近年発展著しいギュレネイス皇国は、まさに治安の悪化も一途をたどっていた。特にエルストが国内にいた頃は、日一日と治安が悪くなっていたちょうどその頃である。
 治安は悪くなるがギュレネイス皇国の法律、女性をあまり自由にしない法律がこの時ばかりはいい方向に働き、女性だけが被害に遭うことはなかった。何がいいやら悪いやらである。
 そしてドロテアは早馬の二人の年齢を問うてみる。
「幾つだ、お前達?」
「十九歳です」
「年齢も違えば、噂話も違う。ま、相手が幽霊だったら怖い事もねえし、その病み上がりの馬を雨に当てるのもよくない。まあ、無理して帰ってもいいが、ギュレネイスの雨は強い上に冷たいぜ」
 幽霊なんぞ、ドロテアに見つかったら千切って投げ捨てられるに違いない。

**********

 屋敷はかなり大きく立派で、ドロテアが見たとおり二十年ほど前の流行の意匠を凝らしている。廃屋であるのは確からしく、屋敷の傍に来るまでには膝より上まで丈の伸びた草を掻き分けて進まなくてはならないような状態だった。
 それが突如途切れ、刈られた下草と整った石畳が眼前に広がると、ドロテアは足を止めた。
「どうしたの、ドロテア?」
 辺りを見回すドロテアに、マリアが声をかけるも
「いや、ちょっとな……」
 言葉を濁したまま、再び二、三度辺りを見回す。
「幽霊でもいるのか」
 エルストの問いに
「全然いませんよ。静かなもんです」
 ヒルダが答える
「そうなの?ヒルダ」
 マリアが尋ねると、ヒルダは頷き
「幽霊の探知とか得意ですから」
 言い切った。そんなモノが得意でどうするだろう? と思うが、聖職者の試験には幽霊の探知の授業もあるので、できて当たり前なのだ。
「本当にいないんですか……」
 イリーナがザイツと顔を見合わせ、ヒルダに念をおすように尋ねる。
 盗賊相手でも怯まなかった娘が、幽霊話が怖いとは。ドロテアにしてみれば、幽霊に遭遇する確率も、幽霊に殺される確率も盗賊にあって殺される確率に比べれば、よっぽど低いのだから怖がる必要もないだろうが、とは思ったが口にはしなかった。
 咥えていた煙草にポツリと雨があたり、微かな振動が唇に伝わったからだ。喋るより先ずは、雨宿りだろうと降り始めた冷たい雨に足を速め、先ずは裏手に回り馬を繋ぐ場所を探しはじめる。
 裏手に回ると、厩舎が直に目に付いた。屋敷に見合った大きさの厩舎に全員で馬を引きながら駆け寄る
 飼葉桶にはカサカサになりきった“まぐさ”が入っている。そして白い物が藁の中にぽつんと置かれていた。
「この白いの何?」
 ドロテアが掴み上げるとそれは骨であった
「馬の骨だな、老馬……の。骨の質からいっても老馬だが……」
 厩舎は立派なのに、何故か老馬の骨が三つだけ転がっている。
「まあいい。そこらに繋いで、飼葉桶を軒下において飲み水用にしておけ。後は馬車から砂糖と塩を出して何箇所かに盛っておけ。終わったら中に入るぜ」
 馬たちの一夜の宿を整えると全員は屋敷に足を踏み入れることにした。
 無用心なのか捨てた屋敷に未練はないとでもいうのか、全く施錠されていない裏扉をあけて何時もの四人に小僧と小娘(ドロテア談)を引き連れてランタンやら手に直接炎を浮かばせたりと明かりを取りながら室内を進んだ。
 応接室と思しき場所で、足を止め再び辺りを見回す。
 室内はカーペットが敷き詰められ、レースのカーテンがかかり、壁にはタペストリーと絵画、飾りの食器棚に燭台という由緒正しい屋敷なのだが
「大きい家だけど、センスはイマイチ」
 全てにおいて“霞がかっている”状態である。室内が全てサーモンピンクとオフホワイトで統一されていて、中々に落ち着けない雰囲気をかもし出している。カーペットが全てピンクなのも壁にかかっている絵が全てピンク基調なのもまあ良いが、立派な樫材を使った食器棚までピンクに塗られて白ペンキでレースの模様を描かれているのは一寸驚くし、その棚にピンクのレースが敷かれた棚にピンク地に金で模様を描かれた食器がずらりと並び、テーブルには銀を白く塗装した燭台にピンクの蝋燭。
 勝手に人様の“幽霊屋敷”と評判な家に上がりこんだのだから、文句は言えないが
「金持ちの家って所だな。確かに主は女だっただろう……未亡人か、ギュレネイスだから」
 さすがのドロテアでも雨の外で一夜を過ごすのとこの室内で過ごすのは、同じくらい“寒いな”と思ったほどである。
「ある意味お化け屋敷だなこりゃ……」
 エルストも苦笑いしながら、辺りを見て回る。屋敷の大きさや突飛な家具の割に高級品が少ないな……とエルストは感じたりはした。まあ、大方盗賊が盗んでいったんだろうとあまり気にはしなかったが。
「そうだな。ヒルダ、もう一度馬車に戻って食料品を持って来るぞ。武器だけ持って来ても、腹は膨れないしな」
 一通り見て、この部屋までの道が安全な事を確認したドロテアは、本格的に一晩を過ごすことを決めた。幽霊屋敷と呼ばれているが、何もないと感じ取ったらしい。
「うん」
 ヒルダもなんの異変も感じなかったらしくドロテアの後ろについていく。部屋を出る時に
「あとのヤツラはこの場を確保しておけ」
 それだけ言うと、ドロテアはヒルダを連れて厩舎に戻っていった。
「あの二人全然怖がりませんね」
「そりゃまあ、聖職者と魔道師だから」
 それ以上に性格が関与しているかと思われる。
「怖くないんでしょうか?」
「全然平気でしょうね……でもまあ、ドロテアもヒルダもいないって言ってるんだから、いないんでしょうね。ところで、細かい話を聞かせてくれるかしら?」
 怖がりな人程、恐怖話は好きなもので……。大体こう言うのは聞いた後に後悔するのだが、それでも好奇心には逆らえずに、夜の闇が怖くなる話をエルストとマリアは二人から、詳細に聞いていた。特にマリアは耳を手で閉じながら。エルストは好きではないが、そう怖がりでもないが、何となく聞いてしまうタイプ。流されやすいのだろうエルスト……

**********

 怖い話を聞いている二人達とは反対に、食料品や飲料を籠に詰め、寝るのに必要な毛布を紐でまとめ一本の棒の両端に吊るしてヒルダに持たせたドロテアは、しきりに壁を触って何かを唱えていた。それは罠の探知などをする魔法で、幽霊捜索などとは全く関係のない魔法だ。
「姉さんどうしたの?」
 由緒正しき魚売りのような風体になったヒルダは、ドロテアが調べているらしい行動に声をかける
「いや、どうもこの建物。つい最近まで結界の中にあったようだ、それも高位魔法だ。依頼したら高額も高額だが……この屋敷の持ち主が直接かけたんだったら、ちょっとおかしい」
 どこか、引っかかる部分がドロテアんはあるらしい。
「ふーん。そう言えば埃とか殆どないもんね、敷地に届くまでの道は草がボウボウだったけど」
 幽霊屋敷にしては綺麗である。蜘蛛の巣は張っているが年代モノの蜘蛛の巣はないし、あちらこちらに小動物の屍骸もない。そこら辺りから考えれば確かに結界の中にあったのかもしれないと、推測の域ではあるが。ただ、ドロテアの“ちょっとおかしい”が何を指すのかは全く解らない。しばし考えたドロテアは
「なんかな……この屋敷の大きさだ、恐らく図書室があるだろうから、そこで調べ物してから戻るから、先に食ってな」
 ヒルダを先に返す事にした。
「はーい」
 六人分の食料と飲料と三枚の毛布と予備のカンテラを縛り付けられた棒を担ぎながら、歩き出したヒルダの背に
「あと家の中いたる所に魔法で細工がされてる。歩くときには気をつけろ。殺傷性はないが、厄介なタイプだ。まあ、間違って嵌ったら助けてはやるからそれほど気にしなくても良いがな」
ドロテアの何とも適当な注意が投げつけられ
「はーい」
 ヒルダの何とも適当な返事がピンクの絨毯に木霊し消えた。

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